汝、新橋の皇帝の神威を見よ   作:アあゝ

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因子継承、東京競馬場にて

 そのレースは何というか凄かった。

 生まれてから今までの固定観念がこの短い期間でただでさえ崩壊しているのに、新たに形成された常識をいともたやすく破壊する存在の暴力。

 ギンシャリボーイ、そして彼女に続く世界各地の色物たち、夢か現かわからない彼女達の存在が私のこれからの人生に多大な影響をもたらすことになるとは当時の私には知るすべもなかった。

 

 

 

 ここは東京競馬場。

 視線の先には『日本ダービー東京優駿』と映し出された巨大な電光掲示板がある。

 そう、今日は日本ダービーがあるのだ。観客席の最前列に立ち背後に観衆たちの熱気を受ける。

 

 始まりは何度か顔を合わせすっかりなじんだ松岡親子とのやり取りだった。

 

 

 

 

 

「どの寿司が好きなのかな? 取るよ」

「カンパチを!」

「渋いね……」

 

 

 土日にランニングを終え、寿司が食べたいということで、近所にある回る寿司屋へと赴いた。

 クリスちゃんが寿司を美味しそうに食べているのを微笑ましく見つめながら私も寿司を食べながら松岡さんと話をしていた。

 

 

「えっ、じゃあ改名するんですか?」

「そうなんだ。この子の競走バとしての名前を決めてあげたいんだけど、なかなか決まらなくて悩んでるんだ。今の名前も一応生まれた当時の真剣に悩んだ名前の名残が残っているけど、その名前とはだいぶイメージが違う感じに成長したから……」

 

 

 ゲイシャとかクリスタルとかに代わる新しい名前を考えているんだという松岡さん。他愛のない話をしていると彼はそう切り出してきた。

 

 

「それでどう決めたかとか参考にしたいんだけど」

 

 

 名前、名前といっても自覚のないままに『シンバシルドルフ』になってしまった自分は参考にならないと思う。

 ……なんでシンバシルドルフなんだ? もしかしたらモチーフになった競走馬がいるのかもしれない。

 

 

「私の場合は多分苗字から来てるの……かな、或いはシンボリルドルフ氏のもじりか」

「苗字か……なるほど、結構よくある話かもしれない」

 

 

 メジロ家とか有名だもんね、という松岡さん。

 納得してくれてよかった。こっちに来て初めてネットを見たとき、シンバシでの騒動がネットニュースに載っているのを見てからネット断ちしているからこちらで有名なものとかそういうのを全く調べていない。

 メジロ家はもしかしたら『ウマ娘』の中にも登場していたのかもしれない、シンボリルドルフさんの時みたいにビジュアルと名前がかみ合わないからわからないが。

 

 

「もう何か構想ってあるんですか?」

「一応、活発な男児みたいだからってことで名前のどこかにボーイなんて付けたいなと思うんだけどね……」

 

 

 クリスちゃんと走る機会を作るようになってから、この子が尋常じゃない体力お化けでそこら中走り回るのが好きなことを知ったが、父親で当然私より付き合いの長い松岡さんは、北海道の身近にウマ娘がいない環境でずっと振り回されてきたのだろう。

 どこか話している顔が歴戦の勇士のように見えた。

 

 

「でもやっぱり、最後に決めるのは本人がいいんじゃないでしょうか」

 

 

 気付けば十皿ほど食べているクリスちゃんに視線を向けてそう呟く。

 案外突然アイデアが降ってくるかもしれないし、好きなものを名前にするなんてこともあるかもしれない。

 ……カンパチボーイ? 

 

 

「まだまだ時間はありますし、ゆっくり考えてあげたほうがいいと思いますよ」

 

 

 後々困らない名前にしてあげてほしいと切実にそう思った。

 

 

「話は変わりますけど今日の走りはどうでした?」

「見てて思ったのはフォームが歪な点かな。言っちゃなんだけど、じたばたしているような……ああ、例えるならプールで前に進もうともがいているようなそんな風に感じた」

「なるほど……」

 

 

 松岡さんは走りのうまいクリスちゃんを育てているだけあって、少なくとも自分よりはウマ娘の走りを分析するのがうまい。

 最近私の影響を受けてまたフォームが崩れてきたと嘆いているが、以前はもっと混沌とした走りをしていたクリスちゃんを何とか今の走りへと矯正したこともあるらしい。

 

 今の私は、私の走りを松岡さんに時折見てもらうことで、より早い走りをする方法が無いかと模索している。

 

 水泳で泳法があるのはそれが水中での推進力を得やすいことがわかっているからだ。私の今の走りはその泳法を知らない人が見よう見まねで不完全な動きをしているだけに過ぎない。

 彼の着眼点は間違っていないと思う。空気抵抗のために前傾姿勢をとるのも、脚の回転数を上げるのも間違いなのか正解なのか自分は知らない。

 ただこう走ってみたいという心に従っただけの動作だ。

 

 

「……全部独学なんだよね? 本格的に学んだら大きく化けると思うよ。トレセン生だったらスカウトしたかったんだけど……

「どうかしました?」

「ああいや、……そういえばレースを観戦したことがないんだっけ?」

「……そうなんですよね」

 

 

 そうだ。私はこの体になってから今までレースを見たことがない、それは受け入れがたい現実を直視してしまうような感覚を得てしまうからか、もしかしたら今の自分では満足できなくなってしまうからだ。

 この短い期間でも一人で走ることから二人で並んで走ることへ、速さを求めて走りを教授してもらうまでに私の欲は膨らんできている。

 

 

「だったら、近々頂点の走りを知るのにはちょうどいいレースがあるんだ」

「……それは、一体?」

「『日本ダービー』だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで一緒に見に行かないかというお誘いを受け、東京競馬場へと赴いた。

 集合時刻は昼過ぎ、並んで待っていた人たちは当の昔に会場へと走り去っており、緩やかな人の流れがあるのみだ。

 ……本当にこの時間で合っていたのか? という不安感を抱えながらも入り口あたりを見回すと……あ、いた。

 

 

「こんにちはー」

「あ、シンバシさん! ってえ!?」

 

 

 声でこちらに気付いたクリスちゃんがなんか驚いている。まあ今私は周りから注目を避けるためにサングラスとマスクをしているから仕方のない事だとは思う。

 

 

「シンバシさんですよね……?」

「不審者でごめんね」

 

 

 一瞬だけずらして証明する。この規模だったら勘違いされたときの被害がとんでもなさそうだし、多分本人もいそうなので今日はこれでいさせてほしい。

 

 

「さっき声かけたのになんか笑い出して消えちゃったんでしんぱいしたんですよ!」

 

 

 さっき……? 今到着したばかりで見覚えがないが……? 

 

 

「あー、それたぶん別人だ……ちなみになんて?」

「シンバシさんって言ったら『シンボリが新橋で……フフッ』とか言って知らない人たちに連れていかれたんです」

 

 

 アッそれ会長だ。シンバシとシンボリを脳内で何かしらの親父ギャグにして笑ったシンボリルドルフ会長だ……。

 多分この前の子とかが連れてったのだろう……。

 というか我々も中に入ったほうがいいのではないだろうか。人が多い。

 

 

「こんな混雑しているのに大丈夫なんですか?」

「それに関しては安心してほしい。コネがあるんだ」

 

 

 私に気付いた松岡さんはそう言って笑みを浮かべた。

 

 

 

 松岡さんが先導しながら、人ごみの中をかき分け一直線に進む。コース前最前列へと繰り出していた。

 

 

「よう、マッちゃん遅かったな、今度一杯奢ってくれよ?」

「ありがとうございました先輩、メンバーのみんなは?」

「今日は別行動がいいんだとさ……」

 

 

 人ごみの先にいたのは黄色いシャツに袖なしチョッキを羽織った男性。

 何だか変わった髪形をしているがいい男だと思う。

 

 

「こんにちは!」

「よっ、クリスちゃん。そして君が噂の秘蔵っ子か……何処かで会ったことないか?」

「……さあ? 他人の空似だと思いますよ……お二人はどういった間柄で?」

「なんだ? 教えてなかったのか「はい……」なるほど分かった。俺は中央トレセン学園でトレーナーをやってる沖野だ。よろしくな!」

 

 

 そう言い、手を差し出してくる沖野さん。握手には応じるが……トレーナー? 

 訳が分からなくなってきた。ウマ娘を育成する施設で指導している人と松岡さんに一体どんな関係があるのだろう? 

 

 

「シンバシです、よろしくお願いします。それで松岡さんとは……?」

「それもか、マッちゃんは俺がトレーナーをやってるチームのサブトレーナーをやってるんだ。将来レースに出るクリスちゃんのトレーナーになる為に資格を取ってな」

「へ、へえ~」

 

 

 まあまだまだ未熟だけどなという沖野さん。……松岡親子はそういった理由で北海道から来たのか……すごい行動力だ。

 

 

「いいトモをしている……なあ、触ってみてもいいか?」

 

 

 とも……? 視線の先を追うと私の太ももがある。

 なるほど、触ることで足の状態がわかるのか! 

 別に問題はないけれどもうレースが始まるまで時間がないので断る。残念そうにしているが私も残念なのでまた時間があるときにお願いしたい。

 親交を深めるために他愛ない会話をしていると不意に実況の声が聞こえてくる。

 

 

『……の頂点が決まります。 東京競馬場、第11レース ジャパンワールドカップ

 

 

 ファンファーレが鳴り響く。

 ……おかしい。聞いた話だと東京優駿、日本ダービーは第11レースだが2400mを走るレースだ。東京競馬場は一周約2100メートル。

 そのためスタートするのはこちら側のはずだ。それなのにゲートが設置されているのはコースの対岸。

 

 

「えっと……スタートするのってあそこじゃないですよね……?」

 

 

 自分より詳しい松岡さんの方向へ疑問を口に出しても返答がない。気づけば周りの歓声も聞こえなくなっている。

 目線を向けるとそこには誰もいない。松岡さんも柵に手をかけてターフを見ていたクリスちゃんも、いや、それだけじゃない。

 誰もいない。実際に何万もいたはずの観衆がすべていなくなっている。

 

 いるのは私だけだ。

 

 ガタン。

 

 静寂の中、ゲートが開く音だけが耳に入ってくる。

 巨大電光掲示板に映る対岸での映像に目が離せなくなっていた。18人ではなく8人のウマ娘たち。

 栗毛の何処か見慣れたような見た目をしたウマ娘が、リーゼントをした黒毛のウマ娘が、純白のウマ娘が、胴長のウマ娘が、シマウマっぽいウマ娘が、随分とずんぐりむっくりしたウマ娘? が、キリンみたいなウマ娘が、ウマ娘なのかわからないナニカが、1着を獲るという同じ目標のもとターフの上で競い合っている。

 

 大きな欅を超えた一団がコーナーへ入る。

 

 

「あっ」

 

 

 最後尾でついてきていたナニカが転倒した。何かウマ娘のアイデンティティを維持するのに重大なものが吹き飛んだ気がする。

 ……あれはウマ娘なのか? 

 

 他のウマ娘たちは無事にコーナーを曲がり切り、最終直線へと突入する。

 ウマ娘たちがゴールへ向けてスパートをかけていくなか、後方にいた栗毛のウマ娘が大外から伸びてくる。

 

 栗毛のウマ娘が笑った。

 

 そう思った瞬間ものすごい勢いで他のウマ娘を追い抜いていく。

 速い、速すぎる。

 足の速さもそうだがそうじゃない。回転だ。ピッチ走法を重視してきたから分かる。

 あれはヒトの常識を、ウマ娘の常識を超えた走りだ。

 自分の限界を知るために脚を回したとき、その力強さに驚いたが、それでも限界があることに落胆した。

 それがなんだ!? あの走りは? まるで時間の流れの違う別の領域で全速力で走ったものを領域の外側から見ているかのようだ。

 

 ……悔しい。こちらに来てから困惑も歓喜もしたが、悔しいと思ったのは初めてだ。

 私もああなりたい、そう思うと無意識のうちに拳に力が入る。

 

 

「っ!???」

 

 

 瞬間再び景色に異変が起こった。レースの音のみが響き渡っていた静寂が砕け散る。

 馬と違ってウマ娘には無縁の筈の鞭の音が鳴り響き、マフィア映画の有名なテーマがラッパで吹かれ鳴り響いている。それだけじゃない。胴長のウマ娘の胴体が伸びたり、他のウマ娘たちも現実離れな動きをしている。

 

 何だ……あれは、荒唐無稽な状況なはずなのに、まるでレースの主導権の取り合いをしているように見えてくる。

 そんな中、大外から伸びてきた栗毛のウマ娘は……こちらを見ていた。

 …………こちらを向きながら手を左右に振りながら足をクロスさせる走り、どうやら主導権を勝ち取り、勝利へ向かっているのは彼女のようだ。存在感が違う。

 ……それにしてもどこか昔の番組で見たこともあるような気もするが……変だ。

 

 しかしそのこちらを見てくるウマ娘の瞳はとても輝いていた。

 キラキラとした、見覚えのあるような気がするその瞳と顔で、笑顔を見せてゴールに入着する。

 

 栗毛のそのウマ娘に続いて黒毛のウマ娘、そして白毛のウマ娘がほぼ同時に入ってくる。……リーゼント差で黒毛のウマ娘が二着だ。

 変幻自在の足で驚異的な末脚で一着をとったウマ娘、その名前が実況から聞こえてくる。

 

 

「ギンシャリ……ボーイ?」

 

 

 今、目の前を駆け抜けていったウマ娘の名前。

 自然と口角が吊り上がる、あの走りは私が追い求めている走りの到達点だ。

『常識』なんて言葉から頭1つ2つ抜き出た世界に迷い込んだ私が求めるのはそんな『常識』を超える走り、あの『領域』へと辿り着きたい。

 “走りたい、今すぐあの走りを実践してみたい”という思いが初めて走った時のようなワクワク感と共に胸で煮えたぎっている。

 それにギンシャリボーイというウマ娘はとても楽しそうだった。ゴールに入った時に私に見せた笑顔の意味は想像がつかないが、それでも……

 

 

『ギンシャリボーイ、その名前とってもしっくりきました!!』

「……ハッ!」

 

 

 気が付くとさっきまでの光景は嘘だったかのように観衆たちの喧騒が聞こえる観客席へと戻ってきていた。

 レース後に呟いた先ほどのウマ娘の名前が聞こえたのか、クリスちゃんがこちらに顔を向けて目を輝かせていた。

 

 

「もしかして……ずっと考えてくれてたんですか!? うれしいです! 大事にしますね!!!」

「えっちょっと待ってほしいもうちょっと冷静になって……」

「嬢ちゃん、ギンシャリボーイって名前には覚えがないから大丈夫だ」

 

 

 まさか聞かれているとは思わず焦り散らしている私に沖野さんがニカっと笑いながらサムズアップしてくる。松岡さんは……ボーイが入っているからいいのか、嬉しそうにしているクリスちゃんを微笑まし気に見ている。

 救いは、ないんですか……? 

 

 電光掲示板に映像が流れ始め、一度聞いたはずのファンファーレが鳴り響きだす。それに合わせて観客のボルテージも上がって歓声しか聞こえなくなってしまった。

 救いはないんですね……。

 ……ここ数分の間でとても疲れた気がする。

 今度こそ本来の目的だった日本ダービーだが、先ほどのインパクトが強すぎてそこまで入れ込むことができなかった。1着をとった子の走りにはさっきみたいな存在感を感じた気がするが、なんだかそれもまともだった。

 

 ……今回の競馬場での経験は私に一つの決心をさせるものだった。

 一人で走る自己満足の世界から、他人と鎬を削る勝負の世界へ移るための魅力を十分すぎるほど受け取った。

 

『私』は頂点に立つ。

 あの夢のような11レースに出ていたあのウマ娘たち。特にギンシャリボーイに並んで見せる。

 久しく夢が無かった精神に新しく火が灯った気がした。

 

 

「よっしゃー! 次はウイニングライブだ!」

 

 

 え? 何ですかそれ……? 

 

 その後ウイニングライブを見て火が燃え尽きかけた。

 

 

 

 




シンバシ立志編 完

次回からは恐らくシンバシトレセン入学編が始まると思います!
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