汝、新橋の皇帝の神威を見よ   作:アあゝ

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憧れとの走り

 

「何かいい改善案は教えてもらえたか?」

 

 一周のウォーミングアップを終えてスタート地点にいるエアグルーヴさんがそう問いかけてくる。

 あの後沖野さんは改善案を私に提示してくれた。

 といっても物理的に足が軽くなるような改善ではなく、精神的な物を。

 

 

『クリスちゃんといつも走ってるのって多摩川の練習場だろ? トレセンから十数キロ下ったところの』

『ええ、そうですけど…』

『毎日のように走ってたって事はこの前の大雨の時の次の日も行ったんじゃないか?』

 

 多摩川の河川敷は大雨が降ると濁流に呑まれて地面がほとんど冠水する。数年前には河川敷の堤防を越えて住宅街まで水が流れ込んで大惨事になっていた。この前の大雨が降った日も例に漏れず一面が水浸しになり、水が引いた翌日まで走るのを我慢する羽目になっていた。流石に松岡さんとクリスちゃんは初めての東京での大雨に来ることはなかったので私一人でグラウンドに出たのを覚えている。

 走りたい気持ちを押しとどめていたからか翌日は年甲斐もなく、一面がぬかるみになっていることをほとんど気にせずに走り続けて、家に帰った時に母さんに悲鳴を上げられたこと覚えている。

 

 

『その時の走り心地を思い出してみろ』

 

 そう言われて思い出す。

 目を閉じてあの時の環境を辺りに再現する。確かあの時はテンションが上がっていたとはいえ、足場が悪く走りにくかった。

 何せあの河川敷はモグラが穴を掘れるほど柔らかいため、水をよく吸って粘りっこい土になる。

 走りの一歩一歩が足を取り、シューズの底には泥の塊がへばり付く。

 まるで重りを足につけたみたいに……! 

 

 その場で足を回転させると、あの時とどこか似た感覚を覚える。

 あの時もこんな感じで重かった、でも私は何をした? 

 …朝からグラウンドを走り始めて満足するまでの間ずっと走り続けた。あんな環境だからこそどれくらいの速さが出せるのか気になって力を振り絞って足を動かした。

 

 

『!』

『わかったみたいだな、じゃあその時みたいに走ってみるんだ』

『はいっ!』

 

 

 後はお前自身のポテンシャル次第だ、そう伝えてきた沖野さんの眼差しに希望を感じた。

 実力差の大きいこのレースでの勝ち筋があるかもしれないという希望を。

 

 

「その顔は…いい助言が聞けたみたいじゃないか」

 

 

 がんばれ、と肩をたたいて激励し再び定位置に戻るエアグルーヴさん。

 まだあの時みたいにはいけないけど、徐々に熱を入れる。額を伝う一滴の汗が蒸発するまでの興奮を求めて。

 思えば疾うの昔から私はウマ娘なんだ。ヒトよりもはるかに力強い肉体を持っていてそれを扱うことが出来るのに、ヒトの頃の感覚を引きずって折角の持ち味を活かせなくては意味がない。ヒトだったころの感覚も時には必要だけど今に関しては違う。

 

 

「そろそろ始めようか」

「はい」

 

 

 ボトルの水を口に含んだ会長がターフに戻ってくる。

 日没が差し迫っているのもあり、涼しげな風が辺りに吹き始めた。

 思わず身震いしてしまう。それが風によるものなのか、他のものなのかわからないまま。

 

 ゲートも何も無いウッドチップのコースに、横一線に二人のシンボリルドルフが並ぶ。

 一人は上手くスタートダッシュを切るために慣れた姿勢を取り、もう一人は数秒ほど立ち尽くした後、両手を地面に置き前かがみの姿勢をとった。

 俗に言うクラウチングスタートの姿勢の真似事をしたことに目を丸くするも、すぐさま走る方向へと目を向けた。

 

 

 右手にフラッグを握ったエアグルーヴさんがフラッグを……振り下ろす。

 

 瞬間足に力を込めて走り出す。

 後方からウッドチップが周囲に散らばる音が聞こえる。

 ウマ娘の力を逃がしまくってほとんど活用できていない付け焼刃どころではないクラウチングスタートもどきは意表を突いたらしく、横にも前方にも会長の姿は見えない。

 どうやら最初は先頭に飛び出ることが出来たようだ。

 

 勢いを保ったまま、あの日に考えていたことを思い出す。

 如何すれば速く走れるか、私はそれだけを考えていた。いつもと同じ速さで走るクリスちゃんがここにいたらどうすれば勝てるか、いつもの自分ならどの位速いか、そしてギンシャリボーイならどう走るか。

 私はいつも仮想ライバルとの勝負に燃えて走っていたんだ。

 

 どうすれば負けないかを考えて、足りない技術を補って燃える情熱がより強くなる。会長、全てのウマ娘に頂点に立つ七冠ウマ娘。あの日見たギンシャリボーイとはどっちが凄いのかは想像がつかないけれど、私が私になる前にとても強いコンプレックスを持っていた相手。

 そんな相手を前に靴がどうとか言って手を抜くなんて私らしくないだろ? そう自分に問いかけながら足の回転を速める。

 

 それでも後ろに感じる違和感は着々と強くなってゆく。気が付けば走り出して200メートルもしないうちに私を追い越してしまっていた。

 

 

「ッ!!」

 

 

 のこり1800メートルほども残しているなか抜かされてしまったことに作戦の甘さを痛感させられる。

 シューズなど気にもしなくなった走りでなお軽々と抜いてゆくのだから、私と彼女にはとてつもない実力差があるのではないかと。

 

 

「…っえ?」

 

 

 しかし違和感に気付く。走っていてもなお冴えわたる思考がシンボリルドルフの走りに何処か意図があるのではないかと働きかけてきた。

 私を軽々と追い抜いたにも拘らず、微妙に力を振り絞れば肉薄できる距離を保った会長は、とてつもなくきれいなフォームで走っている。まるで手本を見せるかのように。

 

 本意かわからない意図をくみ取り、走りの中に取り入れると目に見えて動きが良くなる。

 まるで後方から追いかけていた時に私の走り方の改善点を見抜いていたかとさえ思える走りで、近づくたびにまた距離を離していった。

 

 1600メートル。ギンシャリボーイが出走していた位置を通過する。

 …熱くなったからか、その瞬間から血が上った視界に何か幻覚らしきものが見え始めた。

 

 その幻覚の姿は鹿毛のウマ娘、ギンシャリボーイにとても似ており、あの時と同じ走りで私を追い越し、遂には会長までも追い越していった。

 

 

「!?」

 

 

 その走りは世界各国の魑魅魍魎、いや精鋭たちを出し抜いた私の目に焼き付いた走りと一寸も違わない。

 会長は見えていないのか、私に合わせた走りを続けている。……もし本気で会長が走ったならギンシャリボーイとどっちが速いんだろうか……。そう思うと居ても立っても居られなくなった。

 視線の先をギンシャリボーイに捉える。…ギンシャリボーイの走りを私自身で再現するのだ。

 いつも心の中にはギンシャリボーイ、酔いどれの手にはいつもお土産のお寿司。今日のネタはなんじゃろな。

 

 

 。 。 。

 

 

 

 雰囲気が変わったことにシンボリルドルフは気付く。

 視線やプレッシャーといったものがすべて別の方向に向いていることに勘付いたのだ。

 

 背後の様子が気になり右目だけが見える程度振り向く。そこには得体のしれない走りをするシンバシルドルフがいた。

 

 

「!?」

 

 

 一体この瞬間までに何が起こった!? とシンボリルドルフの脳内で疑問が舞い上がる。

 

 最初に後方で観察していた走りに程近いその走りは、最初よりも遥かに完成度が高いフォームに仕上がっている。

 

 自身が心が折れない程度に走りを見せていたからというよりも、まるで別の誰かがその場にいて走りを見せているかのようだった。

 走りを見よう見まねで再現できることはわかっていたが、この場で新しく走りを編み出すとは思ってはいなかったため、ついつい力を入れて行ってしまう。

 

 全力で戦いたい。それはシンバシルドルフというウマ娘を知ってから今までの時で一秒たりとも忘れたことはなかった。

 期待の心を膨らませすぎて、長時間話してしまったり、練習時間のコースをわざわざ借りてしまったりと、自分らしからぬ行動を取ってしまうほどだった。

 

 実際に彼女の走りを見て少しの失望を覚えてしまったが、それでも自身に向けてくる熱意、戦意を前にすると、今すぐではなくともいずれ全力で競い合うことができればいいと思うようになった。

 その結果が先ほどの走りだった。私に追いついてこいと、あわよくば急成長して全力で走らせてほしいという思惑は、変な方向に飛んで行ってしまった。

 

 ──あの走りは完成した走りだ。

 

 そう頭のどこかで強く自分の声が鳴り響く。

 1100メートル。もうすぐで半分を切ろうとする其処で再び振り向いてしまった。

 何処か手を抜いてあげようと慈悲めいた考えがあった脳内をその光景が、その目が吹き飛ばす。

 

 ────全力で走れ

 

 

 見開かれたその目が強くそう語っていた。

 

 振り返った顔をすぐに前に向け、足が全力で動き出す。背後から迫る重圧が保っていたペースを乱し、まるで皐月賞、日本ダービー、菊花賞の時のように緊迫感を抱かせてくる。

 ずっと思い込んでいた。あの走り、全力のように見えていたあれが彼女の今の本気なのだと。

 …違う、彼女の本当の走りは追い込みだ。

 

 このままゆっくり走っていたら隙をついて追い抜くつもりだった。そう直感する。

 …瞳から感じたそれが果たしてシンバシからのモノなのか、私の勘なのかはわからなかった。

 

 

 。 。 。

 

 

 

 様子を見るかのようにこちらをちらりと振り向いた会長に目が合った途端、先ほどまでとは比べ物にならない速度で走り出した。

 

 どうやら思念が伝わったらしい。先ほどまで強くのしかかっていた威圧感が心なしか和らいだ気がした。

 2100メートル。

 コースを一周するレースのはずなのに、幻覚は依然私の前を走り続けてくれている。

 とても都合がよかった。私と会長の勝負以前に、私が憧れを持つ相手であるギンシャリボーイとわたしが並々ならぬ思いを抱くシンボリルドルフはどちらが速いのか、とても気になっていた。

 走り始めた距離も心持も全てが本番とは違い、会長は全力を出していないかもしれない。ギンシャリボーイの幻影ももしかしたら私が願った願望でしかないのかもしれない。それでも二人は憧憬を抱いた走りを見せてくれている。

 

 ギンシャリボーイの幻覚は私のすぐ近くに位置取り、かなりスピードを緩めている。

 心当たりがあった。ギンシャリボーイを初めて見たあの日、レースの後半に見せた常識離れした走り、そして見えた幻覚。クリスちゃんとどうしてそんな走りだったのか考えた時に名前がないと不便だと決まった名前、スシウォーク。

 それを出すために溜めているのだ。脚を。

 

 一朝一夕で真似できるとは思っていないが、こんなに近くで観察できるのならば賭けに出てみるのも悪くないと思った。

 会長が観客席を越え、コーナーに入ろうとしたころギンシャリボーイと私は観客席の前を通過する。

 ──クリスちゃんと目が合った。

 

 応援してくれているチームスピカの一団の中、中央にひょっこりと顔を出すクリスちゃんは、何かを悟った顔で頷いている。

 

 私の勝利を願ってくれているから、ギンシャリボーイの走りを相談したことがあるからピンときたからか、理由は分からない。だけど強い想いを感じて頷き返す。

 

 殆ど同時に幻影が足を解放する、スシウォークの前段階の走りでコーナーを攻める。

 幻影がどんどんと上がっていって会長に肉薄していく。

 

 …軽い。

 目の前を走る幻影の動きを模倣して走ると、その走りはまるで地面と数ミリほど浮いているかのような感覚に陥る。ウマ娘に備わった力を過信しすぎた走りでもない、かといってヒトとして力を出せる程度に抑えた走りでもない。

 

 …変なたとえだが、模倣した動きをしていると、まるで地面を滑っているかのように前に進んでいた。

 

 歩幅と進む距離に違和感を感じ始めたその頃、残り400メートル。ギンシャリボーイが立った。そう直感が教えてくれる。

 コーナーを抜け、ゴールが見え始めたその頃、急速に離れてゆく幻影。

 後ろから見ているからか、あの日見たスシウォークは見えない。

 だがそれが動きを模倣する助けにつながった。着々とペースを乱した会長の姿が近づいてくる。

 

 それは会長がスタミナ切れを起こしたからではなく、うまくギンシャリボーイの走りを真似できていたからだろう。

 

 残り200メートル、そして100メートル。その辺りでギンシャリボーイの幻影が会長を抜かす。私はというと抜くことは敵わないが、大きく離れた中盤と比べるととても近づき、6バ身差ほどの距離にまで来ていた。

 

 全力を出し尽くすつもりで足を回転させる、くれぐれも手本になったギンシャリボーイの幻影の走りを崩さないように、けれども会長、シンボリルドルフへと届くようにと。

 

 

「うおおぉ────っ!」

 

 

 ゴールが近づく。楽しい時間はあっという間に終わりを迎え、走る勢いに任せて私たちはゴールへと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

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