風景を見る蝸牛   作:kodai

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 ビルの陰の空き地、さらにそのビルの壁ッ端は根元とくれば昼の陽などは問題じゃない。ねぐらは暗く、狭いおかげか、不思議と静かだ。僕のねぐらには寝具であるスポンジと、ぐちゃぐちゃな布団代わりの替えの服の山しかない。替えはすべて男物、それも学生服、詰襟ってやつばかり。僕はやっと座り込んで、スポンジの柔らかさに安堵する。窮屈なニット帽を脱ぎ捨てる。ぐちゃぐちゃ布団の一部と化したニット帽はすぐにびしょ濡れた。

「おかえり、舞。あーあ。また危ないことしてきたんでしょう」

 落とし穴にも雨は降り注ぐ。先刻のちょっとした通り雨のひとつで、僕のねぐらは濡れ鼠だ。雨漏りなんて、いくら直してもきりがない。だから、直さない。

「うるさいなあ。里乃には関係ないじゃん。それより僕、疲れたんだから。……こわかったんだから。だからさー? だから……ほら」

「……舞はいつまで経っても甘えんぼさんねー? しょうがないんだから、もう。……ほら、なでなで。なで、なで……」

 ぐちゃぐちゃの盛り上がりを枕に横たわると長い髪が鬱陶しく濡れた。僕の髪も、落とし穴の乾かないスポンジと、ねぐらのぐちゃぐちゃな盗品の山と、なにも変わらない。だから、だから……。

「いいじゃんか、別にさー。あ。ちがうよ、ちがう……もっとやさしくして。ぎゅって、ぎゅってしてさ、それでぇ、それから……えへへ」

「舞は本当に変わらないのねぇ。あとどのくらい、ふふ。寝ずに耐えていられるかしらねー。ほらぁ。いい子、いい子……」

 お金だって、本当は、あってもなくても変わらない。きっと、そんなことはどうだってよくて。僕らにとって大切なのは、こんなふうに、ずっと幸せが続くこと。たぶんおそらく、そうなんだ。

 

 でも、だけどさ。里乃。えへへ。三桁……百万、百万円だってさ。ふふ、これで僕ら、何ができるだろうね。

 

「ああ、それと舞。お疲れのところ済まないけれど。そのキリ、ちゃんと洗っておきなよ」

 

 なんだよもう。うるさいなぁ……。

 

 

 おお神よ! 近頃ではこの擬勢都市にさえ魑魅魍魎が蔓延っています! 彼らは黒く、そして若い! 彼らの標的は彼らよりより黒く若い魑魅魍魎の子羊達……真昼間、老人たちはチェックを着て歩きます! 街路樹が並び立って……そう、見たこともないようなラグジュアリーショップのわきにいつか行こうと思っていたパン屋があり、そしてはす向かいにはぐるぐるの床屋が立ち並び、その脇を! チェックの老人たちが笑いながら歩いて、似たようなのとすれ違っていくのです! なんと平和なことでしょうか、まるで貼り付けた厚紙の青空が如くではありませんか! それが、それが夜になれば一変……街はネオンと排水と粘こい喧噪と、国道をゆく長距離トラックの振動、駆動音……それらが支配する闇の魔の! ……温床となり果てるのです。なんと嘆かわしい事でしょうか。ご覧ください。例の街路樹、タイルの道を子羊が歩いています……今から獲り殺されることなどちっとも知らずに! 悪いのは例のアヤカシなのでございます……。アレを止められる者などはもう、一人としてこの街に残ってはいないのです。そら今まさに! アレが子羊を食い殺してしまいました! そして、アレもすぐに食われてしまうのです……。歩いてゆきます……満足げな表情で。街路樹、例のタイルの道を、悠々と……。お判りでしょうか。この街の夜はもう……。この夢ははずれ。

 

 

 今日は濡れた布団の代わりを取りに行くことにした。じめじめしたねぐらを出て、干しておいた“マシなやつ”を着る。空き地に降った雨は路地に流れて染みて落ちて、地下排水へ流れてゆく。いっそ衣類なんかも濡れれば、いつかの綿菓子みたく溶けてなくなってしまえばいい。とにかく、僕には四方をビルに囲まれた四角形のなかでそれらを“マシ”にすることしかできない。それは濡れスポンジに雑誌を読むあいつにしても同じはずだが、あいつがこういったことで困ったという話は聞いたことがない。ちらと横目に見やればまた、例のごとくに仰向けで雑誌を眺めている。どこぞせしめたジーンズやシャツが濡れている、といった様子もない。

 他者にバレずに得をするのも、兎にも角にも知りたがらないことも、どちらも施設由来の処世だ。

 チッ、と気付けば無意識に舌打ちをした。

「今日は表に行くから」

「あれ、もう替えないの。治んないもんだねぇ。俺は四歳くらいで治ったけどな」

「なにそれ、イミフメー。それよりあんた、今日も自分は小銭さえ拾ってりゃいい、だなんて都合のいい事、考えてるわけじゃないよねー?」

「いいじゃないか。どうせ八対二。どうせ八対二なんだから」

 着替えを見られちゃいないかと声をかけたつもりだが、やつは此方に見向きもせずに雑誌を眺め続けていた。すると一瞬、雑誌から片手を離す。なんだと思ってみていると、やつはその片手で自身のおつむを指先でとんとんせしめる。一日数百、数千円如きの成果で、およそ百万ある共有財産の二割を持っていこうという精神性の異常さに自覚を持ったのかと思ったが、どうやら違った。

「けっ。やなんだよなーニット帽。まだ乾いてないし、それにまだ春だし。バカみたいでさー」

「詰襟しか持ってない女の子がよくいう。……あと。さすがに、そろそろ無理あるんじゃないの、それじゃあ」

 ねぐらをかき混ぜてニット帽を引っ張りだす。やつのいうそれが何を指しているかはわからないが、気にせずにニット帽をかぶった。鬱陶しい髪を仕舞い込むにはこれがお誂えで、この辺で問題を起こすのにも、詰襟という擬態がお誂えだった。成人や女子供なんてのは加害者側だって被害者側だって、事件に遭えばあとが面倒だった。

「じゃあセーラー服でもかっぱらってブルセラやって、あんたにはお縄についてもらおうか」

「いいさ、なんでも。好きにしたら」

 苛々として一瞥すれば、あいつは未だ雑誌を眺め続けていた。コンプレックスを持つと人間哀れだ。ろくに読めもしない文字を読みたがる。

「補導されないように気を付けてね。本当は表出るだけで危ないし、その上、ぼくらあとがないんだから」

 路上生活をやって判ったのは、路上という言葉の持つ意味の狭さだった。路上生活の指す路上と、単に路上という言葉が指す路上では、子育てと養育くらい意味が変わる。

「あんたは“ぼくら”じゃなくて“俺ら”だろ!」

 吐き捨てて、僕は落とし穴をあとにした。

 

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