風景を見る蝸牛   作:kodai

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 表。僕らが表と呼ぶのは人通りの多い場所、つまるところは裏路地以外。表に出るのに危険が伴うそのわけなんて、それは決して僕のせいででもなければ、あいつのせいでもない。ただ、僕とあいつはあと少しで十五歳になる。そして僕らはそれを祝うべき日だって知らないまま生きている。

 路地のぬらぬらには苛々する。一歩一歩を踏みしめるたびに頭の奥のほうで歯軋りみたいに、何かが詰まって擦れているような気がする。陽のあたらない陰鬱な路地を抜ければ一転、表の景観は晴れ渡る……。路地は薄汚れていて、僕の足元には空き缶や、煙草の吸や、ガムがへばりついている。空き缶の一つを蹴りとばすと、地面を跳ねてからんと鳴いた。

「ねー里乃。十五歳ったってさ、僕なら何も変わらないよね。どういうわけって、そりゃあさー……

「そうかも。でも、こんなの長く続かないわ。わたし心配だな。舞が大変なことになっちゃって、離れ離れになっちゃったりしたら」

「そんなの。僕の方がさみしいよ。生きていけないね、ぜったい」

「うー、わたしのほうが先に死んじゃうよう

「でもさ、でもまっぴらだよ。自立援助なんてさ。現に僕はいま立ってるし、歩いてる。名前が変わったって、所詮は施設だよ」

「そうね、もうちゃんとひとりよね。二桁以上の計算ができなくたって。舞はちゃんと立ってるし、歩けるもの」

 皮肉じゃん! と、僕は笑って路地を抜ける。路地の終わりには表通りから陽が目いっぱい差し込んでいて、まるで光の扉みたいにみえた。そして僕は扉を潜り抜ける。表通りは人であふれて、やはり嘘みたいに晴れ渡っていた。裏路地には無い無数の足音、人間たちの疎らな話し声。途端に世界は騒々しかった。射し込む陽がひときわ眩しくなって、ハッとする。惚けている場合じゃない。僕はこれから身包みを剥ぐ。今考えるべきは路地よりもっと暗い事だ。詰襟の、黒よりずっと……。

 

 奇遇じゃん、その一言で同じ制服を着た学生の警戒心は、まるで初めからなかったみたいにして溶ける。バスでも待っていたのだろうか、気弱そうなそのアホ面は駅真ん前のハンバーガーショップの前をうろうろしていた。クラスやなんかをでっちあげると、これまで彼らがそうしてきたように、相手はすぐに例に漏れずの言葉を吐いた。

「趣味じゃないよ。そういう、ヘンタイっぽいのじゃなくてさー。……セーラーだとさ、何かと面倒なんだよね。この街でなにかやるっていうと」

 声を潜めて言えば、相手はたちまち興味津々って面をして、同調しては声を潜めてみせる。

「な、なにさ。その、なにかってのは」

「ほらぁ。アレだよ、“アレ”。最近みんな噂してるでしょ? その“アレ”。わたし、売ってんの」

 言葉の妖しさにうらなりはやおら高揚したように頬を緩める。眉こそ潜めているがこうなればこいつの警戒はすべて見せかけだ。

「え、えっと。……いくらぐらいのものなのかな。その、ここいらの相場では」

「そういう話はここじゃちょっとね。ついてきなよ」

 そういって僕は馴染みの路地へと歩き出す。うらなりは子猫みたくどっか所在なさげに僕の後ろに着いてくる。そしてきっと、こいつはアレを何かも知らない。快晴、無数の足音、平和な街の平和な喧噪……扉は入口でもあって出口でもある。さらば人類。僕はまた扉を潜る。照り付ける陽光、焦がされた詰襟の背の温かさはふっと消え、なんだか裏寒い気分になる。ぞわぞわと、二の腕あたりが震えてくる。身体のど真ん中は痙攣していた。「神様、どうか私を……」心は暗く溺れるみたいに嘶いた。

 

 男が泣き叫ぶ。

「痛いよぉあげたじゃん! あげたあげたあげた! もうあげたじゃんかあげたのに! 痛っ、痛い、痛い痛い痛い痛いからぁ! やめて! 許して、もう許してよぉ! こわいよぉもうやめてってばぁ……」

「脱げ! 黙れ! 謝れよ! 象徴だろ、象徴だろうが! 脱げ、脱げ、脱げ!」

 拳に走る衝撃は震えと判別が付かなかった。「謝れ!」金も服も学生証も尊厳も自由意志もすべて僕のものだ。方法はいくらでもある、方法はいくらでもある。「謝れ! 黙れ! 黙れ黙れ黙れ!」じゃあ僕に脱げって言うのか! この、僕に! 殴打の最中、ふ、と自分の息が止まっていることに気が付いた。顔の熱さと、感覚の遠い身体と、底冷えするような胸の奥とが、地べたで渦を巻いていた。しくしくと泣いている。いまだけ、すべての暴力だった。細い曲がり角から足音が聞こえた途端、僕は滅茶苦茶になったのか駆けだしたのかわからなくなった。乱反射に仰いだ狭い空は吸い込まれそうな青色で、それは靴底のぬめりだけを知っていた。

 

 里乃、里乃、里乃、里乃。

「……さい……な……い……んなさい……

「……大丈夫、だいじょうぶだよ……大丈夫だから……」

 小さくなる、肩を抱く。狭い。薄暗い。湿っている、濡れている。室外機と室外機のあいだ、或いはもっと狭い場所……。

 うずくまっていること……? 時間の感覚が無いこと。それだけ頭の隅に白々と認めていた。

 

 夕暮れだった。落とし穴に戻るとあいつは飽きもせず、仰向けになって雑誌を読んでいた。ただ戻ってきた僕に気がつくと、やつはふいと僕の方をみて、なんだか馬鹿にするみたいにして、ちいさく笑う。

「おお、おお。取ってきたね、みごと。セットーも舞にはもう慣れっこかい? 丈もちょうど良さそうじゃないか。さすがだね」

「へへへー、いいでしょ。あんたのぶんはないよーだ」

 いらない、いらない。そう言ってやおら立ち上がり、ふらふら物置の方へ向かう。こいつは暇そうにしてても案外やることはやってくれる。稼ぎはてんでダメダメだけど、食べ物の調達はこいつの仕事だった。

「今日はなにさー? たのしみ。僕ってば腹ぺこだったりして。あ、金は? ちゃんと稼いできたのかよお」

「はいはい腹ぺこね。ちょっと待ちなよ今出すから。金は二百円、自販機。一度に何個も質問しないように……はいこれ」

 そういって手渡されたのは結構有名なチェーン店の弁当だった。ハンバーグ好き。僕は嬉しくなってやつの頭をなでまわした。「あんたはえらい!」わしゃわしゃやってる手を冷たく振り払われても僕は以前うれしいままだ。だって、お弁当はまだ温かそうだから。

「舞は好きだね、ハンバーグ。毎日これ買ってこようか?」

「ほんと! いいじゃん! それでいいし、それがいいと思うな、僕!」

 失笑と箸を渡される。「ごくろー!」僕はさっそく寝ぐらに戻る。施設のなかでも、食事にマナーがあることを知ってるやつと知らないやつがいて、僕はやつがそのどちらかなのかを知らないし、やつだって、僕がどっちかを知らないでいる。知る必要なんてどこにもないから、施設のなかではみんながそうした。だけど、やつは毎日、よれてるけど湿ってないジーンズを履いて、シャツを着て、食べ物をしっかり調達してくる。金はぜんぜん持ってこないけど……。ねぐらに潜って、弁当の透明の蓋を外す。いい匂い! 箸を割って、ハンバーグに突き刺して、たくさん頬張る。あんまりおいしいから、「お」が「ほ」に変化してほいしー、ほいしーなんて感嘆がもれる。飲み込むときも幸せだった。好きだな、嚥下。いいな、食べるって。おいしいし……。

「……でも、あいつは知ってるんだろうな」

 暗いねぐらが、もうちょっとだけ暗くなった気がした。またハンバーグを頬張る。

「おいしー。里乃、これおいしいよ。ほらほら、里乃も食べなー?」

「えー。わたし、舞が帰ってくる前に食べたのに。太っちゃうよう」

「いいじゃん別にー! ほらほら、あーんしてあげよっか」

「もー。……じゃあお言葉に甘えて」

 食べ方について、そのマナーについて。知ってるか、知らないかなんて、どうでもいいし、指摘する奴もいなかったから、そんなのはなんの問題でもない。ただ僕らは対等でないことを許せなかった。僕とあいつは似てる。だからずっと、ここにいる。

 食べ終わって眠気でうとうとぼやぼやしていたら、あいつが絆創膏やら持ってきて傷の手当てをしてくれた。怪我なんて拳の擦り傷くらいなものなのに、あいつは甲斐甲斐しく手当てして、説教めいたことまで言った。衣類をせしめる方法なんて数多にあるし、理由もなく人を殴るのはよくない、なんて。そんなことはわかってる。ただ理由もなく人を殴るのがよくないなら、理由があって人を殴るのは正当なのかな、と思う。なんにせよ殴らなきゃいけないのなら、理由なんてないほうがマシだと思った。

「里乃、あいつって優しすぎるよね。男のくせにさ、女々しいっていうかー」

「いいことじゃない。舞は荒っぽすぎるわ。女の子なんだから、もっとかわいくしてもいいのに」

 ふーん、と息をついてぐちゃぐちゃにの上に横たわる。そろそろ眠たくなってきた。何か考えているうちにすぐにうつらうつら、微睡はじめて、思考と現実は半分半分の夢みたいになってくる。

「……ちがうよ、里乃。ちがうもん……そんなんだから、僕らここにいるんだもん……」

 昨日と比べて、髪はあまり濡れずに済んだ。

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