因数分解ができる。ローマ時代も知っている。僕は意外とベンキョーができた。意外と、というか、ふつーくらいには。高校の範囲に追いつくのにはちょっとの苦労だけで済んだ。四限の終わるチャイムが鳴れば、養母さんが作ってくれたお弁当を食べる。なんと、一緒に食べる友達だっているのだ。流行とか、たまについていけない話題はあるけど、みんな優しい。施設にいたころは集団生活なんて、あらゆるいじめやあらゆる暴行のトレード・ショー会場なのだと決めつけていたが、実態はもっとずっとふんわりふんわりとしていた。アカネが定期テストのたびにしょげるのは恒例で、みんなで面白可笑しく慰めるのも恒例だった。レイカが女子高の当然を不条理みたいに嘆くのも恒例で、ヒマリがよくわからないふわっとしたことを云えばみんな首を傾げてツッコんだりもする。
そう、このヒマリが奇遇も奇遇で、云わば僕の幼馴染にあたる存在だったのだ。ヒマリはあの“ネコちゃん”だった。ネコちゃんは編入してきた僕に気付くと「かみさま、かみさま!」と傍目にはへんな感嘆をあげて大喜びしてくれた。もちろん、僕はうれしかった。僕はネコちゃんが大好きだ。みんなにはばからず、僕だけはネコちゃんをネコちゃんと呼ぶ。呼んじゃう。好きだから。
部活はみんなばらばらで、アカネがバレー部、僕は家の都合で演劇部のユーレイ。ネコちゃんは意外にも陸上部、運動が得意なネコちゃんには驚いた。なんだか、イメージとちがうから。ネコちゃんはもっとこう、口下手で、なんというか……とにかく、それにはちょっとだけさみしかったりもする。そしてレイカがヨット部――ヨット部ってなんだ? 漕ぐのか? ヨットを。あるのか? 実態。――こんな具合だから、放課後や土日の予定が合わないことが多いけど、それでもタイミングを計ってよく集まった。
「えー舞ってば。今日もユーレイ? 見たいなー、舞がエンゲキしてるとこ。かっこいいのに。セイシュントハ、トカクオノレニー! って」
「してるじゃんか、バカに。しょうがないだろーバイトしなきゃいけないんだからさ。生活費もいれないとだしぃ……。でも、浮いた分で遊べるしさ! やっぱ同級生のみんなよりお金持ってるって、なんかユーエツ感あるよ。里乃とデートもいけるしさー!」
「デート! やーんたのしみ~。とかいって。舞がたのしいとこ連れてってくれた記憶、わたしないな~」
「いいじゃんか、山」
「いやよ、山」
週四日のコンビニ勤めは楽しいといったらうそになるけど、これもまたまた悪くない。高校近くのコンビニだから、同級生と鉢合わせて気恥ずかしいこともあるけど、働いて得たまっとうなお金は、なんだか誇らしい感じもする。養母さんは申し訳なさそうな顔をするけど、養母さんと僕、足りない分を補いあうのはなんだか自然で、不可思議なほどにとても自然で、とにかく素晴らしく素敵なことに思えるから、バイトをやめるつもりはない。やめたら実際立ち行かないし、結局やめらんないんだけど。
「もう。じゃあ今度の休みはどうなの。またネコちゃんたちと?」
「山行くよ、山!」
まあ、僕の生活はこんな感じ。ぜんぜんまったく悪くなくって、むしろけっこういい感じ、なのだ。
急に雨が降り出して、街は黒い雲で色調を落としている。傘を持っていない僕はバス停から往来を眺めていた。せわしない傘の群れが揺れてぶつかって。雨はすぐに小降りになって、一寸しないうち――あ、これ夢じゃん!――完全に止んだ。どうやら通り雨だったようだ。だけど、僕はなにかを待たないといけない気がして、ただ川のようなひとびとの流れを眺め続けていた。何を待っていたかといえば、きっとかみさまなんだろうと思う。急にぴしゃっと光って、通りから人が消え失せる。それはきっと雷だったから、空はまた泣き出すみたいに大粒の雨を降らした。ハッとして、僕はもうなにをも待たなくてもいいことに気が付く。濡れたっていいから、どこへでも行ってしまおう。そんな気が起きた。だけど、そのときにはなんだかもう気怠くて、むなしいような感じもして、かなしさみたいなものがおもりになって……。たぶん、傘を持っていたとしても、動けなかったんじゃないかと思う。
初めて見る夢だな、と思った。