風景を見る蝸牛   作:kodai

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 スズメが鳴いている。カーテンの隙間から朝日が差し込んで、部屋の勉強机から扉までをぶった切って照らしている。ちょうど僕のおなかのあたりも陽射しでぶった切られているから、一瞬、ぞっとする。パジャマからはだけたおなかをさすって、上半分と下半分がちゃんと繋がっているのを確認して、ほっとした。僕の部屋は二階で、一階には養母さんがいるはずだけど、朝はパートにでてるから今は家に僕ひとり。なんだか楽しい夢をみたような、なんともいえない良い気分で階段を降りて、朝食のラップを剥がした。サンドイッチとおにぎり、トマトたまごレタス梅干しコメパンノリ。ぜんぶおいしいし、ぜんぶ好きだ。おいしいから。

「里乃、今日山いくよ、山」

「げ、またいくの~? 山つまんないよぅ。ネコちゃんたちと遊べばいいのに、せっかくの土曜なのに。山とか言って、けっきょく登んないじゃん、山にぃ」

 ネコちゃんたちは今日、みんなで集まって街に行くらしい。このところは毎週で、僕も都度付き合ってきたけど、今回はパスした。たまには一人でゆっくりのんびりしたいときがある。

「そんなのさ、僕は誰だってそうだと思うな」

「知らなーい。着いていくけど、つまんないんだからね、わたしぃ」

 それにしても、みんなは休みのたびに街、街って繰り言にして、節操なしでバスに乗って行ってしまう。みんなで行けば楽しいけど、正直、あんな街のどこがいいのか、今じゃさっぱりわからない。人は多いし、車も多い。イヤな思い出だってたくさんだ。それこそ、みんなで遊びに行くとか、楽しい理由がなきゃ近づきたくもない。それにせっかくこんな地方にいるんだから、休みの日はそれらしく振る舞うべきなのだ。山に行くのだ、僕は。明日も、今日も。

 

 車の一台が通り抜ける。青いミニバンだった。

「つくば400、み6046」

「げー。変な癖。でも珍しいの、つくばナンバー。ここらへんみんな水戸なのに。観光……? あっちいっても見るものないじゃん、変なの」

 僕はバス停のベンチに座ってそこらを眺めていた。褪せた歩道橋の手すりに鳩が止まっている。街路樹は等間隔で葉をつけて、地面は“無駄に”小奇麗なタイルで舗装されている。今日の雲はまばら、空の色は青。もはや見慣れた風景だ。見飽きたといってもいい。もちろんこんなものを見るためにベンチに座っているわけじゃない。なにかって、無論バスを待ってる。もう来てもいいはずなのに、三分くらい遅れてる。僕はのんびりする予定だけど、運転手さんがのんびりするのはなんか違う。ちょっとだけイラっとする。でも、のんびりするはずなのにイラっとするのもなんか違う。だから苛立ちは抑えて、僕は努めてのんびりするのだ。それも、なんか違うかも。

「練馬334、む99の8」

「それいつ見たやつ? きもちわるぅ」

 二分待って、バスが到着した。バスのナンバーはみない。主義だ。

 

 バスは山の麓で停車する。230円を払って降車して、そのままそのバス停のベンチに座る。来たのだ、山に……。――意識の明滅を世界と呼ぶなら日暮れは世界の終わりであって、微睡みは再生で、始まりは土曜の晴れた日で――ああ! ポエットになってしまう! 大満足だった。僕は休日、この山の麓のバス停でぼんやりとする時間を愛していた。見渡す限り雑木林、なおざりにされた舗装路、濃すぎず、また薄すぎない、草木の匂い……。次のバスは四時間後、日に三度の運行。ウケる。ただ、そのド田舎がありがたい。だって、四時間も座っていられるんだから。

「まーいー? 来て早々ぼーっとする。いちおーデートなんでしょ? お喋りしてよ、お喋りー」

「いいじゃんか。ぼーっとしようよ、のんびりと。ふたりきりで、ぼーっとさ」

 本当は、これがうれしかった。ここに来ると里乃が“自分から”喋ってくれるから。薄々、里乃は僕の作り出したまぼろしなんじゃないかと思っていたけど、そうじゃないらしい。みんなには見えてないけど、みんなとは話せないけど、里乃はちゃんと僕の隣にいてくれる。僕にはそれがたまらなくうれしくて、これだけで、もう死んだっていいやと思えた。

「そんなこと言って。ほっといたらそのうち昔のこと考え始めて、思い出してハッとして、ぞっとして、アンニュイになって、今のこと考えてほっとして、また思い出してハッとしてぞっとしてほっとして! 繰り返すだけのくせに~」

「そんなことないよ。……ちょっとあるけど。でも、里乃と話してるとたのしいよ」

 里乃は訝しむみたいに笑って、僕に問いかける。

「ほんとにぃ?」

 そんなシンプルな言葉だけで、僕は本当に満たされた気持ちになって、幸せすぎて、幸せが余って、本当に、死んじゃいそうになる。もちろん会話が続かない日だってあるけど、人と人なら、そんなことはあって当たり前で、そんな当たり前が僕には本当にうれしかった。ただほんのすこし、ほんのすこしだけ泣きたくなる。

「ほんと、ほんとだよ。里乃ってば、僕のこと疑うんだ? ふーん、里乃がそういう態度なんだったら、僕……」

 里乃の気を引ける言葉が出てこない。里乃は僕と一緒に学校へ行く。里乃は僕と一緒にご飯を食べる。里乃は僕と一緒にお喋りをする。僕と一緒にいないときの里乃のことを、僕はひとつも知らないのだ。

「こら! またぞっとしてるでしょ、アンニュイしちゃってるんでしょ。もー。わかってるよ、舞がわたしに嘘つかないなんてこと」

「えへへ」

 風が吹いて、草木の匂いが纏わりつく。山の麓とはいえ、雑木林から吹き抜ける風はやっぱりどこか陰があるような感じがした。僕は取り繕う。風も草木のざわざわもすぐにやむ。

「ねえねえねえ! 里乃、里乃はさ! ……デート、どこでも好きなところいけるとしたら。ねえ、どこに行きたい? どこでも行けるよ、本当にどこでも、いつだって行けるんだから!」

「げー、変なまいー。張り切っちゃって……。でも、そうだなあ……」

 里乃は真剣に悩んでしばしうなる。風は吹かない。一瞬前となんら変わらないはずの静けさは、なにかの怪物のように膨張して、僕らのあいだを支配する。

「……遊園地、行きたいなぁ」

「今度行こうよ」

 また、一秒に満たない静寂が僕にのしかかる。怪物だってかみさまだってなんだっていいから、一秒よりもっとずっとはやく、このなにかから僕を解放してはくれないか。そんなふうを考えている僕を助けてくれるのはいつも里乃だ。いまに里乃は悪戯みたいに笑って僕を……。

「……ふふん。うそつきー」

 そして、嘘みたいな風が僕の頬を滑っていく。僕は笑う。セーラー服がはためいた、あのときとおんなじようにして。

 あと三時間と四十六分。いっそ世界中のバスぜんぶがみんな事故っちゃえばいい。そしたらきっと二週間くらい、僕らはここから動けない。二週間もあれば、僕らは否応なしにどうにかなる。楽しかろうがなんだろうが、きっとそれ以外にはなんにもならなくなるだろうから。そうでなきゃ隕石でも降ってみんな消えてしまえばいいんだ。里乃に嘘をつかせるこんな世界なら、いっそ無くなってしまえばいいんだ! ああ。……だけど、だけど。

 行きたいなぁ。遊園地……。

 

 

 ――だいいちここじゃなきゃいけないわけ? 人のいない場所なんてたくさんあるし、ここ虫いっぱいでやだよ、わたし。登るっていうなら、わかるけどさー? 舞いっぺんも登ったことないし、登ろうともしないし、わかんないなあ。舞の言うところの、イミフメー、ってやつね。あはは! でもさでもさ、きっと登ればたのしいよ? つまんない神社とかあるよ。さびれた展望台もあるし、それだってきっとつまんなくて、ここでじっとしてるより面白いよ。そうだ! 面白いといえば昨日のドラマよね。とにかく明るい殺人事件! 舞、あれちゃんと見てた? 主役の女の子の演技がすごくよかったんだから、まだ子供なのに、舞よりうんと演技上手で……ふふ、あはは! コノヨノカンセツガァ、ハズレテイルゥ! あははは! 舞ってば、ほんとに演技へたっぴよね。思い出すだけで、ふふ、あはは! うぅ、可笑しいよぅ。わたしが思うに、舞はね。もっと感情移入すべきなのよ。読むべきなのよ、本を。台本じゃなくて。そもそも台本だけ読んで、練習とはいえ、自信満々で舞台に上がって……ふふふ、あははは! 舞ってほんと、お調子者よね。わたし好きだな、舞のそういうところ。でもね! 幽霊部員とはいえ、わたしはやっぱりもっとちゃんとすべきだと思うのよ! おはよー、わっ幽霊が出た! ハムレットやるよー、わっ幽霊が舞台に立った! 大衆というやつは、理性で判断するということを知らない。ただ目に見えるところだけで好悪を決めるのだ。ビシィ! 決まったー! 幽霊が決めたー! 部員総立ちで拍手、ひゅーひゅーぱちぱち。それから喝采、うおおお! 常ならざる盛り上がりに全人類が体育館に引き寄せられた! 喝采を超える大喝采はもはや震災で、みんな飛んで跳ねてするから、地震が起こっちゃうの。震度3がなんども! ね、ね。幽霊部員なのにふらっと出没して、そのくらい上手にキメられたらかっこいいと思わない? あ、そうそうかっこいいといえば――

 

 

 

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