おつかれっした、をきわめて元気よく発音してコンビニを出る。最近、自動ドアの機嫌が悪いのか、僕が近づいても開かないときがある。店長が云うには、なんかそーゆーひといるよね、といった感じらしい。ならば今日の僕は別人なのだろうか、自動ドアは難なく開いた。店長はちょこちょこ変なとこがあって、僕はよく笑わせられてしまう。そう簡単に人が変わってたまるものか。やっぱり単に胸三寸、自動ドアの機嫌次第というわけだ。今日のドアは上機嫌。ふふん。かくいう僕も、ちょこちょこ変だ。こと修学旅行の班決め以降。僕はきたるネコちゃんたちとのあばんちゅーるに胸を膨らませてしまっている。なんてったって沖縄だった。ともすれば自動ドア、やつも旅行に行くのかも。
「ねえねえ里乃、いま僕、機嫌よさそうでしょ?」
「はいはい。最近そればっかりねー」
地方都市の夜道といえばホラー映画みたいな間隔の街頭で、街頭といえばやっぱり羽虫、羽虫は爆ぜる! ぱち、ぱち、ぱち。横目に僕の足取りは軽やかだ。スキップなんかをやってしまう。傍目じゃ残酷趣味だけど、僕には鮮やかな青春を彩る華々しい演出効果なのだ。夏の暑さもなんのその、制汗スプレーにモノをいわせて、流れる汗には有無を言わさず、僕は帰途を辿っている。
「アハハ! 実はボク、沖縄にいくんダ! たのしみだナー」
「うええ、僕のセリフ取んないでよう」
どれだけ同じような日々を繰り返しても、修学旅行は迫ってくる。それが今の僕には最高だった。なんだって、なんどだって繰り返してやったろうというものなのだ。知らん家の明るい窓にピースしちゃったりなんかして。ぶい。ちょっと反省。カーテンを閉められる。これはもうやんない。
もういくつ寝るとお正月、みたいなフィーリングがあって、僕はお正月と聞いてもあまりわくわくしないけど、それでもクリスマスやらなにやら、世間におめでたいムードが流れていたら僕もやはりそわそわとする。とにかく僕はそんなフィーリングで来る修学旅行を待っていたのだが、なんと事件があった。これが事件も事件、大事件で、なんと沖縄へは三年生にならないと行けないらしい。京都、沖縄、韓国とどこへ行きたいかの投票がクラスで行われたのだが、僕はそれを今年度の修学旅行先と勘違いした。その後に行われた班決めというのは、近場の広い国営の、しょうもない海浜公園に行くための手続きだったというわけだ。僕はがっかりした。しょんぼりした。どんよりとした。その公園にはしょうもない花畑のいくつかが点在しているという話で、僕らはそれを写生して、ほどほどに“みずあそびのひろば”なぞで足を濡らすという段取りになっている。ちっとも心が動かない。実際、養母さんとのやり取りのなかで発覚した沖縄消失の事実は僕を放心させて、それからは食事の味もわからなくなっている。養母さんの作るご飯はおいしいし、気弱なあのひとだから僕は都度おいしいを言葉にして表明していた。それが僕と養母さんのなかで執り行われる一種儀式的な心の交流だったのだ。しかし、僕は養母さんの「おいしい?」に沈黙のほかを返せなくなっている。養母さんも沈黙して、この家の雰囲気は最近なんだかくらーい感じだ。僕のせいなのだろうか? いや、毎月のバイト代から積み立て? のなんたらを半年ものあいだ学校へ収め続けてきた僕に、沖縄を期待するなと言う方が愚かなのだ。それとも、飛行機に乗るのってそんなにお高くつくのだろうか。こんなことならあの百万……。
「バカねえ。……舞、舞ってば。もう。いいじゃない沖縄じゃなくても、どうせ三年になればいけるんだしさ。それに、しょーもない公園だって、きっとなにもしないよりずっと面白いって」
「でも、でも行きたかったよ、沖縄……」
「いつまでもぐちぐち言わなーい。わたし好きよ、お花とか、そーゆーの。舞が写生してるとこ、ずっと見ててあげちゃう」
「なさそうじゃんか、興味ぃ……」
ご飯~……と、一階から自信なさげな声が響く。僕の部屋は二階にあるから、養母さんはいつもこんなふうな、申し訳ない感じで僕を呼ぶ。養母さんは立派で、やさしいひとだし、ご飯はおいしい。ひとりのさみしさを紛らすために僕を引き取ったのだとしても、それに関して、僕はまったく、当然許されるべきことだと思う。だから、一階から香ってくるおいしそうな匂いの数々に、僕は今日こそおいしいと言おう。そんなことを考えつつも、やはり脳裏に浮かぶ椰子の木やら白い砂浜にはため息をつかされた。
「バカねえ……」
なんだか自嘲気味な感じで、言った。
寝る前に聞こえていた、どしん、どしんという足音が、沖縄ではなくしょーもな海浜公園のものと気付いた時にはもう手遅れ。それはもはや眼前に立ちはだかっていた。にべもなく朝食やら準備を済ませて家を出た僕に、虫の知らせというか、遅れて来た英雄というか、とにかくそんな感じのうれしい事実のふたつが舞い降りた。ひとつは、せいぜい絵なぞ描いて足なぞ濡らして終了、と思っていたこの修学旅行は、案外それで終わりではなかった。さびれた旅館ではあるが、なんとわざわざ一泊をして帰るらしい。あるじゃん、あばんちゅーる! そのときめきは朝礼のときに訪れて、そしてもうひとつが、ときめきを超え、もはや衝動的かつ壊滅的なわくわくを僕に与えたのである。しょーもな海浜公園にはちょっとしたジェットコースターと、ちょっとした観覧車が設置されていた! 僕がそれに気付いたのはしょーもな花畑の写生中のときだった。居ても立っても居られない、今すぐにカンバスやら筆ほっぽり出して駆けだしたい。そう思っているのが、今現在なのである。僕は隣のネコちゃんに声をかけた。
「ネコちゃん、ネコちゃんさ。悪いんだけども。僕ね、アレにどうしても乗りたいんだけども。センセの目を掻い潜ってあそこまで行くのに、なにかいい考えとか、そういうの……」
「えー? なにも、ふつーに行ってくればいいと思うな。なんかこう……ふつ~~~~~にして」
いつもかみさまがみてくれていると、そう信じてやまないネコちゃんにはかみさま以外の視線なぞ取るに足らないもののようだった。それとも、ネコちゃんの云う、ふつーな奇跡的行軍も、かみさまがみていてくれて……とか、そういう安心に担保された考えなのだろうか。わからないが、僕はネコちゃんが好きだし、遊園地めくアレらにも乗りたいしで、結局ネコちゃんの云うように、ふつーにいってみることにした。
筆やらをすべて地に置いて、すくと立ち上がる。「写生おわるまで戻んなかったら、わたしが持っておくからね」とさも当然のようにネコちゃんが言う。僕は歩き出す。ちら、とセンセの方をみやれば、ばっちりと目が合ってしまう。――熊と遭遇したら視線を離さずに、そのままゆっくり後退すべし――どこで読んだか僕はその通りにした。センセは警戒したまなざしで僕をじっと見据えていたが、自然と視線が切れるくらい距離が離れるまで、追ってくることはなかった。僕のせいであのセンセにはきっと不名誉なあだ名がついてしまう、古谷の“古”は新しく“熊”とかになるのだろう。だって、僕とセンセの動向を、しょーもな写生大会中のみなが見ないなんてこと、ありえない。とにかく僕はみんなの輪から抜け出せた。やおら、心が踊りはじめた。テンポといえば、なんだろう。ラテン系の、それだった。