"トゥインクル・シリーズ"デビューを目指すウマ娘たちが通う全寮制の学園であり、中高一貫式のスポーツ高等学校と言えばわかりやすいだろうか。
全校生徒は約2000人弱程であり、全国から選りすぐりのエリートウマ娘が集っている。
トゥインクル・シリーズが開催されるレース場は札幌・函館・福島・新潟・東京・中山・中京・京都・阪神・小倉レース場である。
ウマ娘達はこれら全国のレース場に赴き、各レースを勝ち抜き、自身の勝負服で臨む最高峰のG1レースを目指すこととなる。
今日も函館レース場で開催される「マリーンステークス」に、一風変わった名前のウマ娘が参加していた。
──残り150m、抜けました!!8番タイムフライヤー!!
──突き抜けた!!リードは3バ身、いや4バ身!!ゴールイン!!
──1着は盤石!!タイムフライヤー!2着はカラクプア!3着はアディラートです!
(…今回もダメだったか。まぁ、ケガが無かっただけ良しとするかな)
ターフでうなだれている1人のウマ娘がいる。
そのウマ娘の名はヨシエ。
トレセン学園所属のウマ娘である。
今回の結果は14人中12着であった。
1着のタイムフライヤーは早くもヒーローインタビューを受けている。
1、2、3着のウマ娘には、レース後にウイニングライブ*1も控えており、大忙しだ。
そんな"勝者"のウマ娘を尻目に、ヨシエはレース場を後にする。
勝者はレースで喝采を浴び、ウイニングライブでさらにファンからの称賛を受ける。
敗者は、ヨシエのようにレース場から早めに立ち去り、次のレースへ向けて明日からまたトレーニングの毎日だ。
勝負の世界は厳しい。
ヨシエがレース場を出てすぐ、1人の男に声を掛けられた。
「ヨシエ、お疲れさん」
「岩本トレーナー・・」
ヨシエの担当トレーナー*2の岩本である。
「今回は残念だったな」
「今回"も"、でしょ」
優しく声を掛ける岩本に対して、突っぱねるように宿泊先のホテルに向かうヨシエ。
「オイ!ホテルに着いたら、ちゃんとストレッチするんだぞ~」
「言われなくても分かってるよ!」
レースに負けると悔しい。この気持ちはいつも変わらない。
ホテルに着いたらすぐにシャワーを浴び、ストレッチをした。
全力で走ったので身体全体が疲れ切っている。
夕食はまだだが、もう今日は動きたくない。
ベッドに寝そべる。
天井を見上げる。
最近、こうやってボーッとしていると、これまで自分が辿ってきた人生を思い返すことがよくある。
(これが「年をとる」ってことなんだな…)
***
…改めて思い返すと、不幸続きの人生だった。
幼い頃に両親が離婚し、父親は家を出ていった。
母親もまた、新しい男をつくりいなくなった。
1人ぼっちになったヨシエは、母方の祖父母に引き取られた。
昔から走ることだけは好きだった。
いや、自分には『走ること』しかなかった。
幼い頃からずっと、トレセン学園のウマ娘が出走する「トゥインクル・シリーズ*3」のレース中継を夢中で見ていた。
いつか自分もTVに映っている彼女達と同じように、あの場所でキラキラの勝負服を着て走りたいという夢を追いかけるようになった。
トレセン学園への憧れは、年々強くなっていった。
しかしトレセン学園は超難関であり、筆記試験、実技試験、面接の全てに合格する必要がある。
"中央"は地方と比べて、受験倍率もずば抜けている。
私は2浪の末、ようやくトレセン学園に入学した。
合格通知が届いた日の感激は忘れられない。
滑り止めとして地方(ローカルシリーズ)の学園を受けても良かったと思うが、あの時は若すぎた。自分の目には中央という最も高い場所しか見えていなかった。
浮かれるのも束の間、入学した後こそが大変な日々の始まりだった。
トレセン学園での担当トレーナーは、仲川というトレーナーに決まった。
普段はおとなしめの男性だが、仕事やレースになると人が変わったように熱心になる人物である。
特にレースには並々ならぬ情熱を注いでおり、「最後まで諦めるな。レースは最後まで何が起きるか分からん」と何回言われたか思い出せない位だ。
私がビリだったレースで、最後に気を抜いて走ってしまった時は、帰りの車の中で一言も口を開いてくれなかった。とにかくレースになると熱い男だった。
トレーニングも厳しく、毎日朝から晩まで走り続けた。
さらに普通のウマ娘の3倍位の数のレースに出走した。
勝てたレースは少なかったけど、仲川トレーナーは私に"諦めずに最後まで走り続ける強いハート"と"怪我もなく走り続ける頑丈な身体"を授けてくれた。
レースに負け続けてくじけそうな時期もあったが、そのたびに想いを留まらせてくれた。
そして、最後まで応援してくれた。
入学後のデビュー戦は、10人中8着。
残酷なことに始めから実力・才能の差を思い知らされた。
その後も未勝利戦を勝ち切れず、11回目のレースでやっと勝利を掴む。
中等部での3年間は、ただひたすら走っていた。
毎日トレーニングを欠かさず行い、レースに出続けた。
走り続けるうちに、本当に少しずつだが勝利するレースも出てきた。
悪い結果ばかりではなく、度々掲示板に載るようになったため、知られる存在にもなってきた。
また、ダートコースでよく見る目立つ(?)名前ということもあって、私を応援してくれる物好きなファンも見かけるようになった。
グレードレース*4にも挑戦し、盛岡マーキュリーカップ2着、佐賀サマーチャンピオン3着と、G3レースでまずまずの成績を残すことが出来た。
私の人生にも光が見え始めてきた・・。
そんな時。
仲川トレーナーが、交通事故でこの世を去ってしまう。
病院のベッドに横たわる変わり果てた仲川トレーナーを見て、人目もはばからず号泣した。
人生であんなに泣いたのは初めてだった。
私はまたしても1人ぼっちになってしまった。
多感な時期に大切な人を失った私は、何もやる気が起きなくなった。
この時、中等部3年であったが、何に対しても手がつかなくなり、出席日数が足りず留年してしまった。
あの頃は毎日学生寮にひきこもっていた。
ルームメイトのオジュウチョウサンにはずいぶん迷惑をかけた。
部屋で何をするでもなく俯いていると、自然とあの人の笑顔を思い出す。
レース結果が良くても悪くても、一生懸命走った後はいつも明るい笑顔でいてくれたトレーナー。
負けた時は「…ま、怪我が無くてなによりじゃねぇか、悔しがってる時間がもったいないぜ」って慰めてくれたっけ。
何で先に逝っちゃうんだよ、もっと一緒にいたかったよ…
あの頃は仲川トレーナーのことを思い出すだけで、一日中泣いていた。
あの人は「悔しがってる時間がもったいない」と言っていた。
悲しみに暮れる日々を過ごす私を見て、あの人は何て言うだろうか。きっと、「バカだなヨシエ(笑)」とか言うに違いない。
次第に勉学やトレーニングに励むようになり、なんとか高等部に進学することが出来た。
できたは良いが、その時私の年齢は既に19歳になっていた。
同級生のウマ娘は16歳がほとんど。
高等部から私の担当トレーナーは岩本というトレーナーに変更となった。
岩本トレーナーは仲川トレーナーの古くからの友人であった。
このトレーナーは言い方は悪いが、「特徴が無いのが特徴」といった感じの人物だ。
一流のトレーナーが集まるトレセン学園において、全くオーラが感じられないトレーナーとして、ある意味異彩を放っている。
基本的に穏やかな性格であり、担当ウマ娘との関係は良好である。
何となく、笑った時の表情が仲川トレーナーに似ていなくもない。
そんなこんなで、日々のトレーニングを積み重ね、中山レース場のジャニュアリーステークスでは約2年振りに勝利した。得意のダートコースで。
この日、久々に心から笑えた気がした。
天国の仲川トレーナー、見てくれていますか。
私はまだ諦めずに走っているよ。
──ヨシエは、昔の思い出に浸りながら、いつの間にか眠っていた。
***
次の日、ヨシエは函館から東京のトレセン学園へ戻った。
今日の予定は軽いトレーニングのみだ。
トレーニングの後、帰る支度をしていると、岩本トレーナーが話しかけてきた。
「ヨシエ、次の出走予定なんだけど…一週間後のマーキュリーカップに決まったぞ」
「一週間後…相変わらず私を酷使したいみたいね」
一週間後という予定を聞いて、呆れ半分の気持ちでヨシエが返答する。
一般的にウマ娘のレース間隔は、3週から4週開けるといった余裕のあるローテーションが組まれるのが普通だ。
調子が下がってきたウマ娘は、6週近くレース間隔を開けることもあり、レースに出走させすぎれば疲れが溜まり故障の要因となり得る。
ヨシエが短期的なローテを可能とする理由は、何より自身の身体が普通のウマ娘より頑丈であることに他ならない。
最もヨシエの場合、このようなローテは今に始まったことではないので、よっぽどのことがない限り出走する。
しかし、ヨシエは岩本トレーナーの次の言葉には絶句せざるを得なかった。
「それとなヨシエ、さらにその次の出走なんだが…なんと"ジャパンカップ(G1)"だ!」
「・・・・」
(ん?今、超一流のG1レース名が聞こえたが気のせいだろうか。)
「え、今なんて?」
「だから、ジャパンカップ」
「え?」
「ジャパンカップだよ!ヨシエ!!」
「えぇーーーー!!」
ジャパンカップとは、「トゥインクル・シリーズ」の中でも1、2を争うほどの超一流レースである。日本では1年の総決算として行われる有馬記念が最も偉大なレースとして知られているが、世界的なレース評価は本競走の方が上で、世界トップ10レースの1つとされている。過去には、あのトウカイテイオーやエルコンドルパサー、スペシャルウィークといった名だたるウマ娘がターフを駆け抜けた大レースである。
「いやさすがに無理だよ!G3レースもまともに勝てない私が出たって恥かくだけでしょ!てゆーか、なんで私がジャパンカップなんかに出れるのさ!」
「頼むよヨシエ。今回たまたまフルゲート割れで出走枠が空いてたんだよ。URA*5に確認したら出走は可能だってさ!こんな機会もうないかもしれないぞ!やってみる価値はあるだろ!」
この岩本という男とは半年ほどの付き合いだが、いろいろと分かったことがある。
始めはオーラが感じられない穏やかな人柄という印象だったが、変なところで勝負をかけたがる癖がある。一発逆転を狙うというか。案外こういう男に、女は泣かされるのかもしれない。
私は「男運が無い」というやつなのだろうか。
ヨシエがそんなことを考えていると、さらに岩本トレーナーがたたみかける。
「あのなヨシエ、これはあまり声を大にして言いたくないんだが、仲川トレーナーが生前話していたんだよ、『ジャパンカップ出走は俺の夢だ』ってな。これは本当だぞ。仲川が果たせなかった夢を叶えてあげたいと思わないか?」
「仲川トレーナーの・・夢・・」
ヨシエは"仲川トレーナー"という言葉にすっかり弱くなっていた。
ただ、自分も勝負服を着てレースを走りたいという昔からの夢も忘れた訳ではない。
岩本が言うように、この機会を逃したらG1レースに出ることは永遠にないのかもしれない。
「どうだ?ヨシエ?」
「…仕方ないな」
「その意気だヨシエ、もう勝負服の発注も掛けたしな」
「もう!?気が早くない!?」
「善は急げって言うだろ?」
ヨシエはジャパンカップへの出場をあっさりと承諾してしまった。
G2レースはおろか、G3レースさえ勝利した経験の無いウマ娘がジャパンカップへ出場するのは前代未聞である。
果たしてヨシエに何が待ち受けているのだろうか。
【登場人物】
・ヨシエ
一般女性のような珍しい名のウマ娘。
凡才だが、負けん気と根性は誰にも引けを取らない。
頑丈な身体が取り柄であり、一度も故障をしたことがない。
キツめの性格だと思われがちだが、根は優しく、世話好きである。
何故か熱狂的なファンが多かったりする。
・仲川トレーナー
ヨシエの過去の担当トレーナー。故人。
普段はおとなしめの男性だが、レースや担当のウマ娘には並々ならぬ情熱を注いでおり、学園内でも有名なトレーナー。
ヨシエのG1レース勝利が自身の目標だったが、交通事故によりこの世を去ってしまう。
・岩本トレーナー
ヨシエの現在の担当トレーナー。
一見どこにでもいそうな穏やかな男性だが、一発逆転を狙った大勝負をかけたがる一癖ある人物。
生前の仲川トレーナーとは旧知の仲であった。
もちろん、ギャンブルは大好きな模様。
・オジュウチョウサン
学生寮でのヨシエのルームメイト。
ヨシエと同じく2浪してようやくトレセン学園への入学が叶った苦労人。
中等部の2年間は負け続けていたが、障害レースに転向し自身の才能が開花した。
現在では障害レースでの圧倒的な強さから「障害の絶対王者」と評される。
名前が長いため、ヨシエからは"オジュウ"と呼ばれている。