仕事が命がけすぎて死んだふりして逃げたいんだけど………   作:じゃがありこ

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白髪猫耳こと、凛ちゃんの描写です


第22話

その日、空はひどく澱んでいた。

 

常に魔物の瘴気と鉄錆の臭いが充満している。当時15歳の凛にとって、それは日常の風景であり、金を稼ぐための手段に過ぎなかった。

 

凛は、返り血を浴びた薙刀を無造作に振り抜き足元に転がる魔物を一蹴した。

 

「……これで弟たち、今月は楽できるかな?」

 

独り言が冷たい空気の中に白く消える。数年前、学園に入学した頃の自分ならこの光景に眉をひそめていただろう。けれど今の凛は違う。どれだけ同級生が死の淵で泣き叫ぼうが、どれだけ仲間の介錯をしてその温かい血を浴びようが胸が痛むことはもうなかった。かつては、死に損ねた友人を介錯をするたびに胃の内容物をすべて吐き戻していた。自分を天才と称し、周囲を凡人と切り捨て孤立を選んだのは誰かを失う恐怖から逃れるための防衛本能だった。

 

命がゴミのように消費されるこの場所で、誰かと仲良くするということは自らの心に死刑宣告を下すのと同じだ。

 

そう自分に言い聞かせ、心の壁を厚く高く塗り固めてきた。しかし、その日運命に出会てしまった。計算外の要素が紛れ込んでいた。

 

「撤退するんじゃねえッ!下級生がまだ取り残されてる!」

 

不意に背後から聞こえた焦燥に満ちた声だった。振り返るとそこには数人の一年生を庇うようにして、一人の少年が立っていた。

 

一度だけ任務を熟した男。

 

「確か、夕凪夜光」

 

学園での評価は中の中。生存能力は高く、この地獄においてもそれなりに有名な男。凛にとって最も関わりたくない部類の人間だ。

 

「……バカみたい」

 

凛は吐き捨てた。

 

撤退が賢明な判断だ。だが、夜光は逃げようとせず震える手で剣を構え下級生たちを逃がそうと奔走している。

 

何人かが彼のフォローを行っている。凛は無視してその場を去ろうとした。しかし、視界の端で巨大な影が動いた。

 

滑空してきたカラスのような魔物だった。それは獲物を狙うように音もなく接近する。殺気は隙を見せた凛自身へと向けられた。

 

「あ——―」

 

背筋を凍りつかせるような殺意。魔物の鋭利な鉤爪が、凛の細い喉元を切り裂こうと迫る。

 

死ぬ。そう確信し、凛が反射的に目を閉じた。

 

鈍い衝撃音と嫌な臭いが漂う。

 

目を開けると、夜光が魔物の嘴を受け止めていた。おそらく凛を突き飛ばし、剣で逸らし損ねた嘴を食らったのだろう。腕から命の赤が流れ出る。

 

「な、んで………死ぬ気ですか!?」

 

凛の絶叫に近い問いに、夜光は顔を歪ませながらも一歩も引かなかった。

 

「死ぬ気はない。死なないと思って助けたいと感じたから剣を振るったんだ」

 

夜光は再度滑空する魔物の懐に飛び込んだ。その捨て身の一撃が魔物の体勢を崩した。タイミング次第で死んでいるはずの正面戦闘。凜は瞬時に距離を殺し、薙刀を振るった。魔物の首が吹き飛ぶ。凛は返り血を拭いもせず、彼を睨みつけた。

 

「私は問題ありませんでした。あなた方凡人と天才である私は違います。一人で対処できました」

 

震える声を隠すように、凛は冷酷な言葉を重ねた。

 

夜光は脂汗を流しながらも、ニヤリと笑っている。その笑みが凛にはたまらなく苛立たしかった。

 

「私の戦闘の邪魔をしないでください。評価に関わります。天才である私はより多くの大金を稼ぎ、名誉も手に入れる。戦うならご自由に。ただし私の戦場に入ってくるな」

 

まくしたてる凛。夜光は彼女の目を真っ直ぐに見つめ返した。その瞳には、軽蔑も恐怖もなく納得があった。

 

「わかるよ。自分のせいで誰かが死ぬのしんどいよな」

 

「…何のことですか」

 

夜光はゆっくりと立ち上がり、ふらつく足取りで凛に近づいた。彼は凛の目の前で止まるとその震える肩を掴むわけでもなく、ただ諭すように言葉を紡いだ。

 

「死にたくないけど、死んでいくやつを眺めるのはきつい」

 

「それは弱いからです。私は違いますッ」

 

「そうだな、俺は自分一人で戦う選択をできなかった」

 

夜光の瞳が凜の視界を捉えて逃してくれない。

 

「お前は天才だ。学園内でも5本の指に入る強さだ。でも無敵じゃない。強くもない。知ってるだろ?」

 

「わかったように語る気ですか………私は独りで戦えます。それがサバイバーです。仲間なんていらない、利用することはあってもなれ合ったりしない」

 

「………恐怖をねじ伏せて、誰かのために戦って、距離を置かれるほど強い。お前を知らない奴は、冷酷な人間だと、心がない奴だと、人が嫌いな変わり者だと評価している。誰よりも優しくて、心は脆い年が近い子供なのに」

 

「ッ………いい加減にしてください!勝手な決めつけで私を語るな!踏み込んでくるな、距離を詰めるな、私よりも弱い凡人が!」

 

「ああ、俺は弱い。戦うのは怖いし、生き残る以外に能のない自分が好きになれない」

 

気が付けばその場にいる全員が夜光の言葉に耳を傾けていた。凜の絶叫を聞いていた。

 

「俺は一人じゃ何もできない。今日だってお前が仕留めてくれなきゃ死んでた………だからさ、大梛。俺を助けてくれ」

 

凛は耳を疑った。助けてくれ?この状況で、救いを求めているのか。

 

「俺が、いつか自分を好きになれるように助けてくれ。俺もお前を助けてやる。お前が一人で抱えきれなくなって、自分が嫌いになりそうな時俺が同じことをしてやる」

 

「あなたに何ができるというのですか」

 

「俺とお前は似てるから痛みを理解できる。俺はお前より弱いから折れ掛ったら気が付ける。生き残るのが取り柄だから、お前の前から消えない」

 

夜光は困ったように不器用に口角を上げた。

 

「俺は信じてる。母のため、弟のため、自分を殺して戦ってきたお前を。仲間の死を悲しむお前を。だから飛び込んだ。だから守りたいと思った。友達になりたい」

 

誰とも関わらなければ傷つかないと、自分を騙し続けてきた。誰かのために頑張っている自分はえらくて、すごいのだと言い聞かせてきた。他人から陰で何を言われてもいいと思っていた。

 

差し出された手を眺めて、凜は言葉にならないその心の悲鳴を雫で吐露する。

 

対等なただの友達。この場所では得難い関係。そこに手を伸ばせない弱い自分が嫌いだった。

 

「馬鹿ですね。最初の任務で学園に志願した理由を共有したのは大失敗です。ここまで乱暴に踏み込まれるなんて」

 

澱んだ空の下、血にまみれた戦場で。少女は返り血を涙で洗い流す。

 

差し出された手を握って、数年ぶりに笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

懐かしい夢だ。凜はふと顔を上げた。

 

見たことのない光景だが、確かに存在を予感させる光景。

 

人型の魔物に殺された夜光がそこにはいた。

 

「どうして」

 

「待って夜光!」

 

「どうして、助けてくれなかったんだ!!!!!」

 

凛はベットから跳ね起きると同時に、肺の底にある酸素をすべて吐き出した。視界が真っ赤だ。網膜に焼き付いた残像が現実の闇を侵食している。 夢の中で彼はまたあの魔物に貫かれていた。

 

いつも同じ夢だ。夜光に触れる直前、掴んだはずの手が砂のように指の間から溢れ落ちていく。

 

「ハァ、ハァッ……あ……あ」

 

心臓が、肋骨の内側を壊さんばかりに激しく警鐘を鳴らしている。

 

冷や汗が背中を伝い、寝巻きの薄い布地を肌に貼り付かせる。その不快感さえも、自分がまだそっちに連れて行かれなかった証明でしかなかった。

 

窓の外では、銀色の月が冷徹な眼差しでこちらを見下ろしている。その光は、まるで標本を照らす無機質なライトのようだ。サバイバーという名の美しい箱に詰められた消耗品。 短すぎる消費期限に向かって、一秒ごとに命が削り取られていく音が聞こえる。

 

凛は震える手で顔を覆った。手の平からは、まだ微かに魔物の返り血と仲間の匂いがする気がした。いくら洗っても、この死の芳香は皮膚の奥深くに染み付いて離れない。

 

「……夜光」

 

湿った声でその名を呼ぶ。それは、祈りというよりは呪詛に近かった。

 

かつて彼は笑っていた。『天才だか何だか知らないが、俺の目の前にいるのはクソ生意気な大梛凛って小娘だ。俺にはお前しか映ってないんだよ』そう言って笑いながら、彼は凛の孤独を土足で踏み荒らしたのだ。

 

腫物のように自分を扱っていた周囲の中で、彼だけが凛の心という荒野に火を灯した。

 

だが、火を灯した当人はその炎が焼き尽くす痛みを知りながら暗闇の中に消えてしまった。残されたのは、以前よりも深く以前よりも冷たい孤独。

 

「夢とか……そんなのあるわけない」

 

耐え切れなかった嗚咽が腕の隙間からこぼれて、空気を僅かに震わせる。無力感と罪悪感で加速する自己嫌悪。

 

呟きは、虚空に溶けて消える。 母のため弟たちのため。そう自分に言い聞かせ家族の笑顔を多い浮かべ、彼女はこの地獄を歩いてきた。そこにはいつしか、夜光がいた。

 

実家の温かな食卓。それと同じく、あの四人で囲んだ食事を、最初に夜光と任務を成功させた日を思い浮かべてきた。

 

血塗れの戦場で自分は死にたくないと叫びつつも、誰かに手を伸ばして、みっともなく周りに協力を頼んで、最後には全員で生きて帰る。夜光のあの背中を、あの少年の瞳に熱を貰って来た。

 

誰もが絶望し、死になれる地獄の中でそれはおかしいと叫ぶ少年を倫理指針にしてきた学園生は多い。

 

自分の中の何かが決定的に損なわれてしまった。あるいは、元々壊れていたものが彼という接ぎ木を失って二度と再生不能なほどに崩落したのかもしれない。

 

凛はベッドから這い出し、壁に立てかけた大薙刀を縋るように抱きしめた。冷たい魔物の骨の感触。それは彼女の相棒であり、命を繋ぐための牙でありそしていつか彼女自身を食い破る墓標だ。

 

もし、校長が言ったことが真実ならば。自分がもっと強ければ。そんな後悔が過る。

 

その刃を、自分の腕にそっと押し当てる。プツリと弾けた赤色が白い肌を汚していく。彼が味わった痛みの一部でもいいから分けてほしかった。

 

夜光や消えていった仲間の顔を描く。獣耳をぐしゃぐしゃにしながら泣き腫らした目で自分の身体を抱きしめる。

 

「……殺して」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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