赤毛馬、グラナトラピート   作:餅哉

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10話 フラッシュバック


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激闘の2頭、三冠馬は初心を忘れず?/菊花賞

[2011年10月24日9時22分 誌面から]

〈菊花賞〉◇23日=京都◇G1◇芝3000メートル◇3歳◇出走18頭

 

 史上7頭目の三冠馬が誕生した。単勝140円の断然人気に支持されたオルフェーヴル(牡、河江)が直線で危なげなく抜け出し、追い上げてきたグラナトラピート(牡、静山)と接戦、13分間にもわたる写真判定の末に勝利を挙げた。これだけ時間を要したのは2008年の天皇賞秋でのウオッカの勝利以来3年振り。3着ウインバリアシオンに2馬身半、先頭2頭の激闘だった。判定の結果については未だ議論が絶えないが、一度決まったものは覆らない。川添健二(32=フリー)は史上6人目のクラシック完全制覇騎手となった。

 

  ゴールインしてしばらくしたところで、快走に喜び跳ねるグラナトラピートの横で川添騎手がオルフェーヴルに振り落とされるアクシデントがあった。「並んで流していたらラチに飛ばされて…。たいした馬なんですけど、ヤンチャですね」と川添。新潟でデビュー戦を圧勝した時もゴール後に落馬しており、「僕とオルフェーヴルらしいですね」とパートナーに苦笑いを浮かべていた。

 


 

 

 

◆◆◆

 

 

 

自分がいま夢を見ている、と自覚して夢を見ている状態のことをなんて言うんだったっけ。

小綺麗な白い部屋。多分病室かな。

ベッドには中学生か高校生くらいの男の子がいて、傍のパイプ椅子には両親だろう二人が並んで座ってる。

母親は俯いて黙っていて、父親はそれを一度横目で見たあと口を開いた。

「先生から話は聞いたかな。僕も母さんももう聞いたんだけど」

「うん聞いた。倒れはしたけど、一応持病には影響ないって」

持病。見た目にはなんともなってなさそうだけど。大きな病気なんだろうか。

持病ってことは治んないのかな。

「…充分頑張って楽しんだし、もういいんじゃないか」

「……?、え、どういう…?」

「競技。もう辞めないか」

おお…そういう話。何をしてるんだろう。

競技ってことはなんかスポーツだよな。

「まだやりたい。俺、次の大会も出たい」

「…そのせいでこの先病気が進んでも?」

「…うん」

「いま体を壊したら、ずっとずっと苦しむかもしれなくても?」

「……うん」

「…僕は、お前には今だけじゃなくこれから先の人生も考えてほしいと思ってる。お前は小さい頃から体が弱かったから、気分転換と体力作りにでもなればと思って競技をすすめたのは僕だ。最初は水泳だったね。確かに勉強以外にも一生懸命になれる何かはあってもいい。だけど、それはそんなになってまでやるべき事か?この先必要か?社会に出て役に立つか?プロの選手になるわけでもないのに」

なにを。

なにを言っているんだろう。

分かるけど。わかるけど、でも。それはだって。

大人の理屈じゃないか。

「頑張ればある程度はできて当然だ。お前は努力家で賢いから。だからこそ、僕達の言うことも分かってほしい」

男の子が俯いて、自分の手をぎゅっと握る。

指先や節が真っ白になってる。

分かってるんだよな。分かってるからこそ、自分の我が儘(・・・)だけを叫ぶこともできないんだ。

だよな。

…アレ?なんで俺わかるんだ?

「もう充分だろう。もう少ししたら受験もあるし、将来のためにも早めに辞めて勉強に専念した方がいい」

「…でも、アイツと次の約束してて。俺も頑張りたくて。だから、まだやりたい…です」

「アイツ…ああ、あの子か」

父親のあの子、という言葉にこれまでずっと横で黙ってやりとりを眺めていた母親がパッと顔を上げた。

「あなたが。あなたが頑張ってるのは知ってる。私たちも、できる限り応援に観に行ってる。それはあなたも知ってるわよね」

「…うん、だから…」

 

「どの試合でも、いつだってあの子が一番じゃない。あなたが出てなにか意味があるの?」

 

あ。

思い出した。明晰夢。

ああでもこれ明晰夢っていうかアレだ。過去の追体験だ。

これ、前の俺だ。

それで、どうしたんだっけ、俺。

どうしたんだっけ。

 

 

 

「ナッちゃん⁉︎、ナっちゃん!」

 

へあっ。

えっ。あっ、ツグミちゃん。あ、俺馬だあ。アレ?馬で合ってるよな。

まだ早朝だろう薄暗い景色に見慣れたいつもの馬房。

四つ足でうつらうつらしてた俺の視界いっぱいにツグミちゃんの顔が映ってる。

ツグミちゃんいつも早いね、おはよお。今日はすごい近いね。チューしちゃいそう。

「ナっちゃん、どこか痛い?お腹?脚?蹄かな?」

どうしたのそんなに慌てて。なんかあったっけ?

ツグミちゃんが俺の身体のあちこちにそっと手を当てて検分していく。

大丈夫だよ、俺平気だよ。

真冬で寒いのは寒いけど、故郷の北海道ほどじゃないし厚いパジャマ着せてもらってるから風邪も引いてないよ。

猫達もいつも通り…あれ、背中にいない。あ、馬房の端っこで固まってこっち見てる。んん?

「(お前、うなされてたんだよ。俺が何回呼んでも起きねーし)」

隣の馬房からギュスターヴクライも顔を寄せてきた。

「(そうなんだ、うるさかった?ごめん)」

「(うるさくはねぇけど。どっか悪いのか)」

「(ううん、ヘーキヘーキ。夢見てたみたい)」

なんか…。なんだっけ。

なんとなく嫌な夢だったのは覚えてるんだけど。

 

「(忘れちゃった)」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

『第56回有馬記念。さあ、ファンファーレが鳴り響くなか、各馬ゲート入りです。三冠馬が三歳で四冠馬となるのか、ブエナビスタがラストランを飾るか。それともグラナトラピートが幻のGⅠ馬から真のGⅠ馬となるのか!』

 

有馬記念。一番大きなレースだ。

前の菊花賞より、もっともっと観客も歓声も多い。

外回りの離れたところからの出走で、観客からはすごく遠いはずなのに歓声がビリビリ聞こえてくる。

緊張は…しないわけがない。

でも、調教も追い切りも頑張ったし、ハヤブサもちょくちょく俺に乗って前よりもっともっと息が合うようになった。

できることは全部やった。今度こそ、今度こそオルフェーヴルに勝ちたい。

前回はめちゃくちゃ僅差で、俺が勝ってるんじゃないかとか2頭同着なんじゃないかって抗議する人も多かったみたいだけど。

今度は俺が勝つ。判定になんて持ち込まないくらい、誰がどう見たって分かるくらいに勝つ。

そのオルフェーヴルとは、今回やっとこさ俺の願いが天に届いたのか初めて隣じゃなくなった。

俺が4番でオルフェーヴルが9番。

それでもパドックでのカーブで視界に入るたびにやけに強い眼光で睨まれたんだけど。

ほんと、相変わらずだ。

お陰でちょっと安心するとこもあったけど。これは内緒。

有馬記念だけあって俺でも知ってる人や馬が勢揃いでちょっと圧倒されてたんだ。

自動的に買えのルムールさんとか、レジェンドの為新(ため あらた)騎手とか、エイシンフラッシュとか、ボスノジョー…違った、栗東(うち)のボスのトーセンジョーダンとか。

マジでこんな中で俺が走るんだな。

 

「ナトラ、行くぞ」

「(おうよ!)」

 

 

『スタートしました!14頭見事なスタートを切りました!』

 

よし!良い感じにスタートできた。

ハナを進む気はないから、慣らしがてら緩めに走っていつも通り最後尾につける。

んん、今日は逃げ馬がいないのかな、先が伸びないからちょっと詰まってて走りにくい。

オルフェーヴルは俺のちょっと前、馬群の後ろにいる。いつもはもう少し先にいるのに。

んぎゃ、前の馬が跳ねた土が顔にい!ペッペッ、近すぎた。もう少し離れとこ。

ハヤブサがちょっと呆れてるけど、怒ってないみたいだし大丈夫でしょ。

 

『1番ブエナビスタはちょうど中団あたり、良い位置につけました。そしてオルフェーヴルは後ろから3頭目という位置。さあこのポジションが果たしてこの後どんな展開を生んでくるのか!』

『これから最初の正面スタンド前に各馬が近づいてきますが…外からスーッと12番アーネストリー、アーネストリーが先手を奪おうとしています』

 

なだらかなカーブに沿ってそのままコーナーへ。

下り坂で少し前が加速していってる、かな。詰まりが緩くなって助かる。

 

『スタンド前、10万の大観衆が待ち受ける今、各馬が出て参りました。アーネストリー、ヴィクトワールピサ、そしてブエナビスタが早め3番手、トーセンジョーダンと並んでいる。さらにはエイシンフラッシュがいてヒルノダムール、さらに外目をつきまして13番、トゥザグローリーがつけています』

『キングトップガンがいてジャガーメイル、後ろに同じ勝負服が続いている、ローズキングダム、オルフェーヴル、ルーラーシップ』

 

こっから直線、おお、スッゲエ上り坂!

大歓声も間近でめちゃくちゃ迫力ある。

ピッチ上げて、でも馬群に入らないで済むように、かつスタミナ無駄に消耗しないように加減して走る。

ああでも凄いドキドキする。練習通りできてるかな。どうかな。

オルフェーヴルは少し馬群を進めたみたい。でもなんかイラついてる?

「(出れねえ!クソ、前に行かせろよォ!)」

めちゃくちゃ元気じゃん。流石にレース中に上の人振り落としたりはしない…よな。俺轢きたくないよ。

 

『さあ1コーナーから2コーナーへと向かっていきます。1000mの通過タイムはなんと1分3秒8。超スローペースで押している今年の有馬記念、ペースを作っているのはアーネストリー。まだゆったりとしたペース。2番手早めに上がって行ったヴィクトワールピサ、その後ろインコースにブエナビスタ、ちょっとやや掛かり加減になっているか』

『トーセンジョーダンがいて、レッドデイヴィス、間にエイシンフラッシュ、ジャガーメイル上がっている。トゥザグローリー、キングトップガン、外目をついてオルフェーヴルはこの位置、後ろから4頭目。14番ルーラーシップ、6番のローズキングダム、4番グラナトラピート』

 

コーナー入ってもずっと上り坂で、山が終わらんのだが!

あ、よかった、こっから下りだ。しかし下りも長いな。なんだこのコース。

めっちゃ体力使うやつじゃん、後ろの方でためといてよかった。

 

『さあスローペースのなかどこで動くかオルフェーヴル!まだ後ろから5頭目、先頭から7,8馬身の位置。

先頭は依然としてアーネストリー、トップをキープ。ヴィクトワールピサ、そしてトーセンジョーダン!』

 

『外から為新、レッドデイヴィスやってきている。オルフェーヴルが外に持ち出した、ブエナビスタはインコースから!』

 

数頭前に居るオルフェーヴルが外に出た。

っしゃ、俺も行くかぁ!

グンと力を入れようとしたタイミングで、それを押し上げるようにトモに鞭が入る。

分かってるよハヤブサ、こっから俺達で追い上げていこう!

カーブ途中から、しかも下りでの加速で外目に行っちゃうけど、これでいい。

目の前正面に誰もいない分、遠慮なく加速できる!

 

『さあ最後の直線、最後の有馬記念!インコースにブエナビスタ、依然として先頭はアーネストリー、アーネストリーが先頭!ヴィクトワールピサがやってきている、更に外からはエイシンフラッシュ!』

『…来たッ!外からオルフェーヴルが来たッ!オルフェーヴルが先頭に進むっ!更に外からグラナトラピートも猛追、先頭争い菊花の再戦か!』

 

ぐんぐん抜いて行って、よし、もう少しでオルフェーヴルに並ぶ!

んでもアイツも更に加速してるから簡単には並ばせてはくれない。

マジ速え。しかもなんかブイブイ言ってるのが聞こえるんだけど、なに。

 

「(どいつもこいつも邪魔なんだよォ!オレが走んだ!)」

 

うお元気ぃ。いつもあんま喋んないのにレースの時はほんと賑やかだな。

声出したほうが気合入るタイプだっけ。

お前がビビってるトーセンジョーダンが近く居るからいつも以上に気ぃ張ってんのかな。

ん?いま一瞬こっち見てニヤっとした?なんで?

…いや、それよりも今は自分の走りに集中しよう。

最後の最後の上り坂!

あああ、きっつい!

息が切れる。

脚ももうガクガクだ。

でも、これを抜けたら、先頭のオルフェーヴルを抜いたら。

絶対気持ちいいに決まってる。

久しぶりに見てやるんだ。

前に誰もいない景色を、ひらけた芝の景色を。

なりたい。一番に、一番に、

 

「(オレ様が勝つんだ!いつだって、オレが一番なんだ!)」

 

 

ーーいつだってあの子が一番じゃない。あなたが出て、なにか意味があるの?

 

 

あっ。

そうだ。そうだった。

俺、なんでこんな頑張ってるんだっけ。

ずっとアイツが一番なのに。

一度も勝てたことなんてないのに。

アイツが一番に決まってるのに。

なんで、こんなに必死になって。

 

「っナトラ⁉︎」

 

ごめん。

俺、お前の邪魔しちゃいけなかったんだよな。

ごめんな。

 

『オルフェーヴルが先頭だッ!オルフェーヴル先頭、続いてエイシンフラッシュ、更に外からトゥザグローリー!』

『…っ勝ったのはしかしオルフェーヴル‼︎強い!間違いなく強い!3歳四冠達成です!古馬の壁はありません、日本に敵なし、オルフェーヴル完勝ですッ!』

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「…静山先生、あの…ナトラ、調子はどうですか」

「ああ杜君。大丈夫、元気にしてるよ」

「そうですか…」

 

年の瀬の厩舎に一体誰がやってきたのかと思ったら、杜君だった。

グラナトの馬房にまで行く気はないのか、僕が厩舎の倉庫の整理をする近くに立ってじっとしている。

少し痩せただろうか。

あの時の、有馬の時の杜君の慌てようといったらなかった。

慌てて駆け寄って行ったツグミと二人して涙目でグラナトを取り囲んで身体中触ってたっけ。

もしオーナーも来ていたら、人医なのに診療しようと混ざり飛び込んでいたところだろう。

まあ、それを言ったら「静山先生も相当でしたよ」と言われてしまうのだろうけれど。

それくらいにはこの馬とこの騎手に自信があった。

実質ちょうど3歳の小柄で苦手なことが多い馬と、まだまだ若手で経験の浅い身で。

たとえ掲示板は逃したとしても、良い経験、良い勝負ができると期待していた。

それがゴール直前先頭争いからのまさかの失速最下位で、すわ故障かと思ったがどこも異常は無く。

初めての中山で休息が足りなかっただろうか、東京とほぼ距離は変わらないとは言え最長時間の輸送となって負担が大きかったのかもしれない。

そう考えもしたが、前日入り明けの様子は良好だった。

グラナト自身も張り切っていたし杜君もそうだった。

オルフェーヴルとの格付けが済んだ、と言われれば確かにそうかもしれない。

誰からもそう見えてしまうくらいには奇妙な失速の仕方だった。

しかし直前までの猛追はどうだ。前の菊花でのあの目を見張る追い込みは。

12月生まれの不利な捨て馬だ、育ちきらない未熟な馬だと野次られた彼の様はどうだった。

井上オーナーは、彼が楽しく走れるのならグレードは問わないと言っていた。

走る気力がなくなったのなら、乗馬クラブでもなんでも過ごしやすい所で生きられるよう援助するとも言っていた。

しかしグラナトは走る意欲はある。調教も今まで通りきちんとこなしている。

オルフェーヴルが絡んだり近くに見えたりすると途端に調子を崩して失速するだけで。

これからオルフェーヴルは益々活躍するだろう。

グラナトをGⅡやGⅢに出すか?毎回オルフェーヴルを避けて?

GⅠで戦う能力は充分にあるのに、それはあまりに惜しいことじゃないか。

どうしたらいい。

どうしたらこの馬を、騎手を、輝かせることができる。

観客全員を圧倒させて、彼らの実力を認めさせてやることができる。

 

「あ」

「…え?」

 

ふと、瀬貝調教師との雑談を思い出した。

…その道もアリかもしれない。

 

 

「杜君、きみ確か障害の免許持ってたよね」

「え?は、はい。……はい?」

 

 

 

 




今回のレースについて。
2011年11月25日中山10R有馬記念、2500m。
挫石発症のため出走取消となった4番ペルーサに代わってグラナトラピートを捩じ込み。
今回はほぼ史実通り。オルフェーヴルが向こう正面で馬群後方から外に抜け出てスパート、最強の四冠馬になったレースでした。

ちょっと(ちょっと?)強引だけれど、ここで平地は一旦終了。
両親はいわゆる毒親ではないんだけど、先を見過ぎてて目の前が見えないタイプ。あとスポーツショー的な物に価値を見いだせない人達。たまに居ると思います。
ごめんね栗毛のアレさん、悪いのは赤毛馬のトラウマとお互いのディスコミュニケーションなんだ。後のほうでちゃんと回収するからね。

次は掲示板回です(多分)。
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