実際馬にも双子ができることがあるそうですが、母子ともにリスクが高いので途中で片方の胚を潰すんだそうです。
日本では一度だけ、リアルカストルとリアルポルクスという双子のお馬ちゃんがデビューしていますね。
大成せず引退したようですが。その後の馬生が穏やかであることを願うものです。
さて、どうでしょう。史実名馬の双子の架空馬なんて。読みたいです、書いてください。
吾輩は馬である。名前は…あるけどまだない。
コーパルフラウの2008ってのが仮称で付けられてるらしい。
よく分からんけど、お母ちゃんの名前プラス生まれた年ってことかな。
世界が同じなら俺(人間)と俺(馬)が同時に存在してるというタイムマシンあるあるのパラドックスに陥るんだけど…。
今の俺では調べらんないから考えないでおこう。あたまがこんらんしてしまう。
それにしても。俺、名前はあるけど仮称だからか色んな名前で呼ばれるんだ。
渾名かなんかだと思うんだけど遠くにいる時しか言わないみたいだからよくわからない。
近くに居る時はちゃんと呼ぶか、「コーパルの8」とかの短縮形なんだよな。
う〜ん…。俺いつ正式な名前が付けられるんだろう。
競争馬だと馬主が決めるんだっけ、牧場の偉い人が決めるんだったっけ。
ここそんな競馬っぽく?ピリピリしてないから、普通の乗馬の牧場とかだと思うんだよね。
まあ競争馬の環境、それも母馬とか子馬のこととかよく知らんからイメージで言ってるだけなんだけど。
生前は動物園とか観光牧場が生後数ヶ月くらいから宣伝兼ねてウェブで命名募集してるの見たけどなあ。
…いや生前なのか?死んだ記憶ないが…?
でもこうして馬生してるってことは死んだのかなあ…。
…………だめだ、横になってゲームしてたくらいしか思い出せない。
FPSから音ゲー、シミュレーションとか色々やってて、ソイゲのウマ娘もプレイしてましたわ。
…ウマ娘やってたから馬に生まれ変わっちゃったとかある?課金特典とかで?んなバカな俺は微課金勢だぞ。
無理なく楽しく良い距離感で、推しが実装された時は貯金ジュエルと微課金と時の運で勝負…ってウマ娘の話はもういいわ。
んでんで。コーパルフラウの2008(仮称)こと俺は、いつの間にか1歳になってました。
いつの間にかっていうか、生まれて数日経ったら人間達が会うたび会うたび「お前ももう1歳か〜」って感慨深そうに言うもんだから、そうなのか〜と受け止めただけなんだけども。
どういう計算?よくわからんのだが。
当時お外は雪が積もってたし日暮れが早かったから冬の時期だったはずで、昔の日本みたいに生まれたら1歳で年越しで2歳とかそういう感じ?
生まれた時は0歳だけど年越しで1歳?となると俺の0歳期はたった数日で終わり…ってコト⁉︎計算乱暴すぎない?
まあでも今はその謎の誕生日祝いからもうだいぶ経っていて、あっつい時期からちょっと過ごしやすくなった頃。つまり秋。たぶん。
小さい小さいと言われた体もぐんぐん大きくなりました。2009の仮称がついてる春生まれの子馬達よりは小さいけど。う゛う゛…ぐやじい…。
今はお母ちゃんと一緒に放牧された庭でめちゃくちゃ元気に走り回ってます。
ちょっと前まで雪が積もってるし寒過ぎるしで放牧大嫌いだったけど、溶け切って緑いっぱい芝の大草原でスキ!
なーーんにもないだだっ広い芝とか、童心にかえってハシャぎたくならん?
現代っ子だったからか子どもの頃からアニメとかゲームに夢中になってあんまりお外に出ることがなかった気がするんだけど、こうして馬になってみるとただの原っぱに物凄く心がくすぐられる。
ここの端っこからあっちの端っこまで走って、どれくらいの時間でいけるだろうとか。
かかったタイムと距離から時速目算してキャッキャしたりとか。
高低差があるとこ駆け上がって下り坂を滑ってみたりとか。
ちょうちょがいたら追っかけてみたりとか。
なあんかイイ匂いがする芝があったら体擦りつけてゴロンゴロンしてみたりとか。
……俺、人間だよな。退行してない?まあ今は馬だし………ええか!
動き回ってたらその刺激で大きくなれそうだし、俺より遅生まれの子馬達を追い越してはよ年上ぶりたいんじゃい!
他の親子馬達とまとめて放牧されている時なんかは、俺より大きい
数日から数ヶ月の差とはいえ、年上かつ中身人間としては心にクるものがあるわけで。
そん時はクールに「お構いなく」って言って
んでお母ちゃんとだけとか、チラホラ他の馬が数頭居る程度の放牧時は、その鬱憤晴らしも兼ねて興味任せの大爆走だ。
お母ちゃんはちょっと醒めた目で見てくるけどキニシナイ!
そろそろ親離れ時期らしくて、もうすぐお母ちゃんとはバイバイして子馬社会に行かないといけないので。それまで束の間のバカンスなのだ!
子馬社会といえば。俺、お母ちゃんとも周りの馬達ともなあんか微妙に色が違うな〜と思ってたら、おれだけ赤毛だった。正式登録?は栗毛らしいけど。
どっちだよって話だよな。てか赤毛って珍しいの?えっじゃあ赤兎馬は?ってなるよね。知らんけど。
牧場の人じゃない外の人達が来て子馬たちを順繰りに見て触って、ケットートーロク…血統登録?っていうのをした時に言われたんだ。
両親の名前を確認しながら、体さわったり色々して書類になんか書いていくあれだ。
みんなサクサク進んでたのに、俺の番になったら急に止まっちゃった。なのに一緒に居る牧場の人は苦笑いしてて。
「赤い!えっ、赤い⁉︎」
「なんですかこの子…!」
「いやあ、生まれた時からやたら赤いなあとは思ってたんですけど。いずれ落ち着くかと思ったらより派手になっちゃいまして」
「……栗毛と黒鹿毛の子ですよね。どうしたらこんな真っ赤に……⁉︎」
「光の加減で赤く見えるとかってレベルじゃないですよこれ!」
「僕ら毎日見てたから慣れちゃってましたけど、いやあ…改めて見るとほんとキレイな赤毛ですよねえ、眩しい眩しい」
「確かにキレイですけど!赤毛って…えええ……。あっ、芦毛の可能性は?先祖にいるでしょ!刺し毛は?」
「…無いですよ、額の流星以外どこ掻き分けても真っ赤で…。全部、全部真っ赤っかですよ…!」
そのまま外の人達は頭付き合わせたりどこかに電話したりしてうんうんと首を捻った後、
「栗毛で登録しましょう…真っ赤だけど……。広義的には栗毛ですよ…真っ赤だけど…。栗毛ってなんだっけ……」
と言って、宇宙を背景に背負った猫みたいなお顔で帰っていきました。
というわけで俺、栗毛(仮)です!…仮称多過ぎね?
赤毛なら赤毛って登録すればいいのにと思ったんだけど、そういう種類は無いんだそうな。お母ちゃんが教えてくれた。
あるのは、鹿毛、黒鹿毛、青鹿毛、青毛、芦毛、栗毛、栃栗毛、白毛の8種類だけなんだって。赤毛ナイ!ナンデ⁉︎赤兎馬は⁉︎
青毛があるなら赤毛もあるのでは?って聞いたけど、青毛って青色じゃなくて、全身真っ黒の馬のことらしい。
まあたしかに青色のお馬さんは見たことない。居たらやべえ。
じゃあお母ちゃんは青毛…と思いきや黒鹿毛だそうで。
ほとんど黒なんだけどよく見ると黒味掛かった褐色で、脇とか股とかが褐色だかららしい。
青鹿毛はそれよりも黒くて、でも一部に褐色があるとかなんとか。んん?ややこしさの極みなんだが。
んで鹿毛が体が褐色で足とかタテガミや尻尾が黒くて、栗毛が足もタテガミも尻尾も褐色な馬のことを言う、と。
俺は褐色どころか真っ赤!って感じで、どこも黒くなくて、だから一番近い栗毛ってことになったみたい。
自分じゃよく見えないから分からないけど俺そんな赤い?ヘン?
もしかして
………いじめずに心配するとか、心の広さを見せつけてくれるじゃねえか…。
やだ…もっとボッチ充しちゃう…。
うーうまぼっち!…やめようかなしくなる。
しかしそんなボッチな俺でも完全にボッチなわけじゃない。
俺がそうやって馬達から栄光ある孤立をしてると、いそいそと構いにきてくれる生き物が二種類。
一番は人間。牧場の仕事しながらだからそんなに長い時間じゃないけど、おっかけっこしたりされたりで結構楽しい。
一人一人の時間は短いわりにみんな毎日一回ずつは構ってくれるから、トータルするとめちゃくちゃ多い。
次点は猫ちゃん。なんと、この牧場には猫ちゃんがいるのである。しかもたくさん!
犬もいるんだけど、しっかり躾られてるからかエリアがきちっと決まってるみたいだし柵を越えてくることもないから、移動で会った時にちょっと遊ぶくらいだ。
その点猫は遠慮なしにやってきてくれる。
小さい頃の俺は馬房でふかふかの寝藁の上でお母ちゃんにくっついてても寒くてしょうがなくて、人間に服を着せてもらって湯たんぽまで貰ってた。
それでも寒いなあと思ってたら急にふわふわあったかくなって、なんだあと思ったら猫ちゃんがくっ付いてたんだ。
湯たんぽに惹かれたんだろうけど、そこからは色んな猫ちゃんが何処からかやってくるようになって、猫だんごでポカポカだった。
成猫だけじゃなくて子猫もいて、お礼がわりに尻尾でじゃらしてあげたりした。
そしたら俺が放牧に出てても、日が出てて周りに馬がいなかったら俺にじゃれつきにくるようになった。
子猫は特にあんまりにも小さいもんだから踏んじゃわないか時々怖くなるんだけど、可愛いから遊んであげちゃうんだよね。
また冬には猫だんごよろしくなー。
◆◆◆
北海道で学会なんて、最初は避暑気分だった。
来てみたら夏はもう過ぎ去って、涼しいどころか少し肌寒い季節になっていた。
「北海道の牧場ってこんなに広いんですね」
「ここは普通くらいかな。大きいとこだと100万坪はあるよ」
「ひゃくまん…??……へえ、でっかいどう…」
「井上君、賢いのに時々アホだよね」
想定外のさむ…涼しさに避暑スケジュールを崩された私は、学会で久しぶりに再会した大学時代の先輩に誘われて牧場に来ていた。
競走馬の庭先取引とやらをしに行くそうで、牧場でのふれあいも兼ねて北海道観光っぽいものを味わって欲しいんだそうな。
自慢に付き合わされている感もあるが、まあいい。
確かに地元の中途半端な田舎ではそういう規模の大きい牧歌的な風景を見ることは少ない。
私は競馬どころか特に目立った趣味もなく過ごしてきたから、社会経験のひとつとして見ておいてもいいだろう。
そんな壁一枚隔てた観察者気分で誘いに乗った。
確かに、こんなに山が遠く地平が緩やかで、青々とした芝が広がっているのは圧巻だった。
そのなかにのんびりと歩いてる馬もいると絵画の一枚でも見ているような気分になる。
どこを見ても空と芝と馬ばかりで、日常を忘れて耽るのに丁度いいなと思った。
と言うのも、次々に子馬を連れてくる牧場主とそれを値踏みしながら談笑する先輩に、私は早々に飽きてしまっていた。
初めて間近で見る馬に物珍しさと可愛らしさは感じるものの、トモだの胸だの繋ぎだの、解説されても違いがさっぱり分からない。
それに、生き物に人間基準の価値をつけて目の前で売買する生々しさに少し引いてしまった。
興味もない一見の疑問に時間を掛けさせるのも悪いと思い、私は彼等に一言断ってふらふら散策させてもらうことにした。
ここから姿が見える範囲で、柵を乗り越えさえしなければどこへ行っても良いとのこと。
うっかりすると迷子になるから、見える範囲、ということだそう。やっぱりでっかいどうだ。
ありがたく散策させてもらうことにして、一度胸ポケットの携帯を手繰る。
家人からメッセージが来ていた。
『もう牧場かな?どう?楽しい?』
「…可もなく不可もなく、…っと」
返事とともに、風景を一枚撮って添付。
そのまま再度胸ポケットにしまって、手ぶらでほてほてと辺りを散策する。
結構歩いても見える草原の風景が全然変わらないのが不思議な感じだ。
少し歩きつかれて、柵にもたれて一息つく。
「たまにはこういう所もいいなあ…」
いつもなら院内を忙しく駆け回っている時間だ。
北海道に来たのも仕事の一貫で、論文の作成に査読依頼、指摘事項の加筆修正に、パワポと原稿も作って、前日から挨拶回りもして、と大変ではあった。
今だって付き合いの範疇ではあるが、こうしてのんびりできる時間があるとは思ってなくて。
忙しいのもそれはそれで充実してはいるが、たまにはこういうのもアリかもしれない。
家族や同僚からは私に趣味が無いのを心配されているから、
明日には地元に帰る予定だったけれど、滞在を数日伸ばして辺りの自然公園でも行ってみるか。
なんて考えていると、不意に足元を何かが掠めた。
「猫?」
ふわふわの小さな黒猫だった。
猫は私には一瞥もくれず、目の前の柵をすり抜けて芝の向こうに掛けていく。
何があるのだろう、と目で追うと、少し先に真っ赤な生き物がいた。
馬だろう。どう見ても馬、それもおそらく子馬なんだけれど。
「真っ赤な馬って、いるんだっけ…」
私の知識の中には茶色や黒、白のイメージしかないけれど。ああでも赤毛の馬とか聞くもんなあ。
その物凄く真っ赤な毛色の子馬は、数匹の猫達とじゃれあっていた。
遊び慣れているのだろう。猫にちょこまかと足元をウロつかれても焦ることなく器用に避けたりピョンピョン跳ねたりと動き回っている。
馬も猫も楽しそうな雰囲気だ。
その様子をぼーっとを眺めて、そうだこれも撮っておこう、と思い立ち携帯を構える。
フラッシュがオフになっていることを確認して、パチリ。
「あ、」
シャッター音にビックリしたのか、一瞬で猫達は蜘蛛の子を散らすように走り去った。
置いていかれた子馬はそれにワアと驚いたような表情をして、足元に猫が残っていないことを確認した後こちらを向いた。
今度は、おやマズイところを見られたぞ、とでも言いそうな顔になって、あわあわと芝の向こうに駆けて行く。
「馬って結構表情豊かなんだなぁ…」
見る間に遠くなっていく後ろ姿を見ながら、構えたままだった携帯を確認する。
きちんと撮れているようだった。
楽しそうにじゃれあっている馬と猫が画面いっぱいに映っている。
折角楽しく遊んでいたのに悪いことしちゃったかな。
なにかお詫びとかできるだろうか、と思い、少し離れた所で作業しているスタッフに声を掛けた。
「ああ、ウサちゃんですね。いつものことなので大丈夫です。恥ずかしがり屋なんですよね」
「ウサちゃん?」
馬じゃなかったのか?それにしては大きかったが。
「あっ、すみません。渾名みたいなもので…ええと、コーパルフラウの2008ですね」
随分と機械的な名前だけれど、そういえばさっき紹介されていた馬達もそんな呼び方をされていたなと思い出した。
「じゃあ、あの馬も将来は競走馬になるんですね」
私がそう言うと、彼女は困ったように眉を下げる。
「それは…分かりません。あの子は12月生まれなので…」
12月生まれがなんだと言うのだろう。
私は馬関係のハイコンテクストを解さんぞ、と首を傾げていると彼女は察して説明してくれた。
12月生まれのこの馬は同年の春生まれの馬達とデビュー戦を競わなければならず、若い時期の成長速度が激しい馬にとって半年以上の遅れがあるのはとても不利であること。
当歳の馬と比べても体軀が小さく、デビュー以前にそもそもこの馬を買って出資してくれる人が付くかどうかも怪しいこと。
育成しつつ何度かのセリにかけそれでも買われなかったり、馬主がつくか牧場所有でデビューできても成績が振るわなかったりすると、乗馬クラブや医学獣医学の研究、果ては肥育場にと移っていくこと。
「…でもこの子、走るのは凄いんですよ!」
待っててくださいね、と言って彼女は何処かへと駆けていって、あっと言う間に見えなくなった。
その姿があんまりにもさっきの馬と似ていて。
馬が人に似るのか、はたまた人が馬に似るのか。
そんな益体も無いこと考えていると、そう大した時間もかからずトトトトと軽いエンジン音をさせてトラクターがやってきた。
運転しているのはさっきのスタッフだ。
「ここがゴールなんで、まっててくださいね〜」
そのまま芝の向こうに行って、少し待っているとまたこちらにやってきた。
今度は隣にあの赤い子馬を連れて。
最初は並走して、そこからどんどんトラクターがスピードを上げていくのに子馬も速度を上げついてくる。
少しずつ子馬のほうが前を走るようになり、私のいる柵の辺りに来る頃にはもう完全に追い越していた。
目印がないので分からないがどうやらゴールしたらしい。
子馬はゆるゆると速度を落とし、トラクターを振り返ってぴょんぴょんと跳ねている。嬉しいのだろう。
「見えました〜?速いでしょう、この子」
スタッフも嬉しそうにそれを眺めている。
なるほどこれでウサちゃん呼びなのかと合点がいく。
速いもなにも、私には馬の平均速度もトラクターの速度もさっぱり分からないから返事のしようがないけれど、そうですね、と返す。
でしょう!、と自分のことのようにいっそう喜ぶスタッフの顔の綻びようと言ったらもう。
とても不利な生まれのこの子は、それでもとても大切に愛情を込めて育てられてるんだ。
そう理解した時にはもう言葉が口をついて出ていた。
「私が買います」
「え」
「私がこの子の馬主になります、お願いします」
「井上君、まずは馬主資格がないと馬は買えないんだよ」
先輩はそう言って牧場主と見合わせる。対応に悩んでいるようだった。
「馬主資格…。どうすれば取れるんですか」
医者をやっていて資産も収入もそれなりだし、犯罪歴はないし、破産もしたことがない。
なにか物凄く厳しい条件があったりするのだろうか。
「ほら、これ見て」
先輩が自身の携帯の画面を見せてくれる。
競馬の公式ホームページのようで、馬主になるための要件が表示されている。
「………、こんな厳しいんですか…?」
「厳しいよ。地方だとだいぶ条件は下がるけどね」
桁がひとつ違うんじゃなかろうか。もう一度数えるが、やはり同じだった。
いや、しかし。私がどうあがいても無理なのに一つしか違わない先輩が資格を取れているというのはどうにも不可解だ。
今となっては学会くらいでしか会う機会はないが、株や土地を転がしているという話も開業医になったという話も聞いたことはない。
そう思ってチラリと伺うと、彼は苦笑いしながら私の手元の携帯に指を向けてきた。
「その下、ここに載ってるんだけど、組合馬主ね。僕はそれ」
ふむ。なるほど、これなら条件も緩いし数人集めればいいだけならクリアできそうだ。
早速家人に連絡しようと携帯を手繰っていると、彼が手を翳して静止してきた。
彼は、大前提をまずは理解してほしい、と続ける。
「馬は今買って終わりじゃ無い。デビューまでの飼育費も毎月掛かるし、調教と言って競馬に出るための訓練と世話の預託にもお金が要る。移動の輸送費も出さないといけない。勝っても負けてもお金が必要で、そこらのペットの世話代とは桁が違う。勿論、引退した後も死ぬまで面倒を見る必要があるんだ。元気なら馬は30年以上生きる。馬主ってそりゃあ夢があるけれど、生身の馬の一生を自分達のエゴで左右するのだから、責任を持たないといけないんだよ」
それでも買う気はある?
と、真剣な顔で私を見詰める。
私は一瞬呼吸を忘れた。
むしろ、それこそ私が望んだことだったから。
「買います。私は、あの子がたくさんの人の前で楽しそうに走っているところが見たい。それが私が出資したものだとなお嬉しい。勝てなくても、楽しく過ごしてくれたらいい。そうして、きちんと最後まで面倒を見たい」
少し日が暮れかけた頃、牧場を後に帰途に着く。
結構な距離を運転しているはずなのに先輩は疲れた様子もみせず、ニコニコと笑みを浮かべている。
「良かったねえ、待っててくれるなんて」
「ええ、本当に」
あのあと家人にすぐ連絡をして、組合馬主になるには3人以上の組員が必要だそうなので両親にも相談した。
最初の条件さえクリアすれば後は私個人の収入のなかで無理なくやれそうだが、額が額なだけに数日をかけて話し合わないといけないだろうと思っていた。
しかし、予想に反して家人も両親もすぐに了承してくれた。
なんでも“勉強と仕事以外てんで興味を示さなかった貴女がやっと我が儘を言ってくれた”のだそうだ。
私達にも応援させてほしい、と出資も約束してくれた。
無趣味で良かった。
あとは早く地元に戻って申請を用意して審査を待つだけだ。
結果が分かるまで数ヶ月かかるが、牧場主はそれまであの馬を売らずに待つと言ってくれた。
先輩との信頼もあったのだろう。今更ながら彼にも礼を言っておく。
「いやこっちこそ、馬主仲間が増えそうで嬉しいよ。…さっきはごめんね、偉そうなことを言ってしまって」
「ああ、いえ。当然のことだ思います」
むしろ謝るのは私のほうだ。さっきまで無関心だった人間が急に馬主になりたいだなんて、軽々しく考えているように見えても仕方ない。
私自身さっきまでこの先輩のことをそう見ていたのだし。
「ああ…そういえば私、貴方のこと今日初めて尊敬しました」
「井上君…今まで僕のことどう思ってたのかな…?」
◆◆◆
めちゃくちゃはしゃいでるところ2回も人様に見られちゃった恥ずかし〜!と思ってたらその人が俺の馬主になるんだって…?
えっ何が良かったの?っていうかここ競馬の馬の牧場で合ってたんですね…?
最近やたら色んな物装着させられるなあと思ってたらそういうことね、完全に理解した。
じゃあ俺走るのか…?うん、まあ……走るか!
しかしまあ牧場に来るには珍しい生真面目なインテリっぽいというか、宝塚の男役みたいなイケメンの女の人だなあ。
初対面から数ヶ月振りの再会なんだけど、お陰でしっかり覚えてたぞ。
今スタッフさん達と話してるのも聞いて名前も覚えた。井上美鶴さん。キラキラじゃない。意外と普通の名前だ。
消毒液の匂いがする。病院関係の人?馬主になるからには、お医者さんなんだろうな。
「数ヶ月しか経ってないのに、馬ってこんなに大きくなるんですね…」
「子馬の成長は早いですからね。それでも小さいほうですけど」
もおお、当人が…当馬が気にしてること言うなよな!俺は成長期が遅いだけなんだよ。知らんけど。
…小さいからって馬主になるの辞めるとか言わないよね?
俺が確認するように美鶴さんに首を向けると、そろそろと小さな手が動いて俺の頬を優しく撫でてくれた。
どう見ても馬に触れたことがない初心者がおそるおそる触ってますって感じだ。
この人、どうして俺の馬主になろうなんて思ったんだろう。
分からない。でも、優しい目で俺を見るこの人になら俺の一生任せたって大丈夫だって思えた。
「これからよろしくね、えっと……」
「ああ、名前ですね。もう考えてこられました?」
「…すみません、全く知らない分野だったので勉強するだけで精一杯で、そこまで考えが及びませんでした…」
そうか馬主って馬の名前も決めるんだ、と呟く美鶴さん。…意外と天然なのかな。
コーパルフラウの2008(仮称)にはもう飽きたから、いっちょカッコいいやつを頼みますよ!
「大丈夫ですよ、しばらく悩む馬主さんもいます。競走馬登録して入厩する時に決まってればいいんです。まだまだ先ですね」
まじか。えっまだこの仮称使うの?
「いえ…、新生児のタグみたいな物ですよね。早くこの子だけの名前を付けてあげたいと思います」
「系統や両親の名前を参考にする人も多いですよ。…ああ、あった、コレが五代血統表です」
良かったあ。ホッとしながら、美鶴さんに渡された紙を俺も覗き込む。
…家系図の横向きみたいな感じ?ウマ娘の元ネタまとめとかでこういうの見たことある気がするわ。
うわ英字ばっかり。外国馬ってこと?ちっちゃくて読みにくいし、う〜ん…。
「血統表…」
「そういえば一度も血統についてお話してなかったですね、申し訳ない」
「ああ、いえ…」
「テイエムオペラオー産駒でノーザンダンサーの4×3…奇跡の血量ですね。早産で最初は大変でしたが大きな異常なく育って…まあまだこんなチビですが、足が長いのでもう少しは大きくなるでしょう。デビューの不利を切り抜ければ化ける可能性は十分あります。今も良く走ってますし」
めっちゃディスるやん、喧嘩売っとんのかワレェ!えっ、オペラオーって言った⁉︎俺オペラオーの子⁉︎
ああもうちょっとしっかり元ネタ見とくんだった、すげー無敗で世紀末覇王ってことしか覚えてないよ!
それに、よんかけさん…?きせき…?駄目ださっぱり分からん。
美鶴さん分かる?
…って、美鶴さんもポカンとしてるな……?
「あの、井上さん…つかぬことをお伺いしますが、さっき言ってた勉強というのは一体何を…?」
「馬生理学と馬病理学です。…すみません、医者としての興味が勝ってしまって、競馬の勉強をすっかり忘れてました…」
……大丈夫かな俺。
主人公(ヒト)はそこそこ病弱で、一応大人になって社会人もやりましたが長くはもちませんでした。
でもあんまり覚えてないからツラくないね。
馬主さんは井上美鶴、人間のお医者さんです。既婚です。
頭は良いけど無趣味で勉強一辺倒だったのでちょいちょいポンコツです。
馬の輸送費について。
正確なことを言うと、本馬が出走する中央の競馬場とトレセンの往復はJRA負担で、その他の移動は馬主負担だそうです。地方競馬は全て馬主負担です。
そらお金ないと馬主やってられん。