術師名家の世間知らずなお嬢様が寝取られる話 作:三流木青二斎
静かに眠る八峡義弥に九重花久遠は見惚れていた。
彼の長い金色の前髪に、自然と彼女は手で触れている。
「(八峡、さまの、髪)」
「(吐息、に、寝顔……)」
「(八峡さまの、知らない、部分)」
「(それは、きっと)」
「(私に、心を、許して、いる)」
それが嬉しく感じつつも、心の底では悲しく感じていた。
「(もっと、もっと)」
「(私は、八峡さまを、知り、たい)」
「(何が、好き、なのか)」
「(渇望する、物が、あるの、か)」
「(昔話も、これから先の、未来も)」
「(語り、合い、知り、合って)」
「(もっと、八峡さまを)」
「(好きに、なり、たい)」
「(愛して、み、たい)」
けれど。
彼女のその願いが叶う事は無い。
九重花久遠の将来は決して八峡義弥と結ばれる事は無い。
陰陽師直属の祓ヰ師。
高い能力と優秀な遺伝子を持つ彼女は陰陽師との結婚を認められた唯一の存在。
それは誉れ高い事であり、その一族は幸福になるだろう。
しかし、彼女だけは幸福になる事は無い。
優秀な肉体を更に改良し、優秀な子供を産む為だけの存在となる。
其処に幸せなど無く、あるのは苦痛と精神を擦り減らすだけの未来のみ。
それが、彼女の、九重花久遠の末路であるのだ。
「(……重々、承知、して、おりま、す)」
「(私は、八峡さまと、共に過ごす事は決して、出来な、い)」
「(永遠に、暗い、暗い生涯と、なる、でしょう)」
「(それでも、良い、のです)」
「(私の、生涯は、今、この瞬間、八峡さまと、共に過ごして、いる)」
「(この、一瞬が、私の、生涯、なのです)」
「(八峡さま、と、この一瞬を、分かち合えるの、ならば、私の、残りの人生は灰色でも、良い、ので、すから)」
九重花久遠は眠る八峡義弥を良い事に耳を近づけてか細く声を漏らす。
「もっと……もっと……」
「教えて、下さい」
「八峡さまを、教えて、下さい」
「深く、深くと」
「八峡さまの、隅々まで」
「私は、九重花、久遠は」
「八峡さまの、全てを、知りたい、のです」
知れば知る程に八峡義弥を知る程に彼女は八峡義弥に好意を抱き、愛してしまうのだろう。
けれど愛すれば愛する程、恋すれば恋してしまう程、その別れは辛く、苦しく、悶える程に、切ないものになる。
それでも彼女は今を生きると決めた。
この一瞬、八峡義弥を愛していたい。
だから九重花久遠は八峡義弥を求め、知りたがっていた。
それはきっと後悔になる選択だ。
それを承知していたとしても、九重花久遠はその選択をしてしまった自分を呪うだろう。
それでも九重花久遠は今この一瞬を好んだ。
軽く眠った八峡義弥は、彼女と共に外へ繰り出していた。
午後からは実家に用がある為に名残惜しくも、八峡義弥と別れるのだった。
校門前まで彼女を送る為に二人は外に出たのだが。
「あ……」
校門前にその男は笑みを浮かべながら立っている。
「やあ、久遠、迎えに来たぞ」
間人胤護。自己を愛する陰陽師の末裔。
彼は九重花久遠を認識すると腕を振って優しい表情を浮かべた。
「間人、さん」
彼は九重花久遠を迎えに上がったらしい。
それは決して彼女の為ではない、彼女を迎えに行く自分は素晴らしい。
自己愛に満ちた男は彼女は自分を魅せる為の道具に過ぎない。
愛情も恋慕も好意も無い男の自己愛。
九重花久遠は自分を愛さない男を見て八峡義弥に頭を下げた。
「八峡、さま」
「どうやら、お迎え、が、来た、様子、です」
虚ろな笑みを浮かべて、二人だけの時間はここまでだと。
八峡義弥は間人胤護を見た。
「あれ、誰?」
八峡義弥が指を差して言う。
九重花久遠は、彼の指を差す手を取って。
「あれ、は」
「私の……婚約者、です」
「私が、何れ、結婚する、人、です」
その言葉を捻り出すのに、これ程心が痛む事は無い。
八峡義弥は一体、その言葉を聞いてどう思ったのだろう。
「(……上手く、顔が、見れま、せん)」
彼女は顔を伏せる。
八峡の表情を見るのが怖かった。
彼が動揺してくれるのならばそれは嬉しい事ではあるが。
無反応であるのならば彼女に興味が無い事と同意。
深く、彼女の心を傷つける。
八峡義弥は。
「はぁん、あれがねぇ……」
興味が無い様な声を発する。
それを聞いて九重花久遠は八峡義弥が興味無いのだと思った。
顔を上げて、その顔を確認すると。
「……へぇ」
その表情は、少なからず許婚を敵視している鋭い眼光が光りつつあった。
「……気に入らねぇな」
「え、八峡、さ」
最後まで言い切る事無く八峡義弥は彼女の肩を掴み、強く引き寄せる。
「え、あ、八峡、さ、ま」
急接近する八峡義弥に、九重花久遠の心臓が跳ねた。
「……気に入らねぇよなぁ」
「あの薄っぺらい笑顔」
「あれが愛する女ァ迎えに来る顔か?」
「ざけんじゃねぇよ」
八峡義弥が彼女を抱く様を間人に見せる。
間人胤護は、手を下ろしてその薄ら笑いを剥がした。
自らの想定を崩された為に気に食わない表情を浮かべる。
本来ならば九重花久遠は、八峡義弥の抱擁から逃れなければならない。
間人胤護に対する不義があるが何よりもその行動で身を亡ぼすのは八峡義弥本人。
陰陽師の末裔と言うビッグネーム。
その許嫁を抱き締めると言う行為は、咒界に対する反感を買う行為に等しい。
今夜中にでも消される可能性がある。
無知ゆえにその様な真似をする八峡を彼女はどうにかしなければならなかったのに。
「(八峡、さま……)」
九重花久遠は。
既に間人胤護などどうでも良かった。
八峡義弥の胸に自らの頭を近づけて。
「(八峡、さまの、鼓動)」
「(体温、匂い、……あぁ)」
「(紅潮、して、しまい、ます)」
「(八峡さま、八峡、さま……)」
彼女は自然と八峡義弥に体を預ける。
彼の全てをその肌で感じ恍惚な表情を浮かべるのだった。