術師名家の世間知らずなお嬢様が寝取られる話 作:三流木青二斎
昨夜の出来事を八峡義弥は思い浮かべた。
月を背景に少女は胸元に拳を固め、恥ずかしさを忍んで見ず知らずの男に『恋を教えて欲しい』と言われた。
「(美人局かありゃ)」
八峡義弥は宙ぶらりんとなりながら考える。
あの後、九重花は顔を真っ赤にして立ち去った為に、どういう意味であるのか聞けず仕舞いだった。
「(……いかんいかん)」
「(意識を切り替えなきゃな)」
「(今は、殺し合いだ)」
地面に着地する瞬間と同時に真横に体を重心をズラすと、直後真正面から一振りのナイフが飛んで来る。
投擲を回避すると、渋い声が聞こえて来た。
「上手く避けたな」
三十代後半の男性。
名前は
先程まで八峡義弥を投げ飛ばして
「さあ」
「まだいけるだろう?」
コートの袖から蛇腹の刃が飛び出る。
八峡義弥に向けられる一撃を八峡は屈み 蛇腹の軌道から逃れる。
腰を下ろしたままに後方へ退避、教師を認識したままに走り出す。
「またお得意の逃げ足か、懲りない奴め」
「言ってろ」と八峡は教師の言葉に気にも留めない。
真正面から相手をするなど愚の骨頂。
相手は対人戦《タイマン》最強と謳われる教師。
正面から堂々と戦う馬鹿など居ない。
「鬼ごっこは苦手だ、すぐに捕まえるからな」
鼓動を加速、肉体の活動を上昇。
地面を蹴ると同時、三十メートル以上の差があった距離は一瞬で縮まる。
禪《ぜん》に到達したものが使える技術。
距離を詰める瞬間移動の類〈縮地〉を教師は使役。
空中から八峡の背中に刃物を突き立てようとして。
「 (あ、上に居るわ)」
八峡義弥の脳裏に浮かぶ直感、危機察知能力が働く。
八峡義弥は体を回転、左脚で手首を蹴る。
迫り来る刃物は弾かれ、一瞬の怯みを生み八峡はその場から逃走した。
「………汚点だな」
自らの手を蹴られた事に。
教師はそう呟く。
「(もう一回殺されてんだから、別に向かって来なくて良いだろ)」
八峡義弥は既に一度教師に殺害されていた。
その為に『契り』の内容は満たされている。
あの教師が破戒する事は無いだろう。
教師からの追跡を免れた八峡義弥は息を吐きながら校舎へと入って行く。
半年前までは延々と殺され続けたが良い加減、ただ殺されるのも癪であると思い、逃げ回る事にしていた。
それはある女が「逃げれば良い」と言う言葉に感化した為だ、それ以来八峡義弥は教師に出会う度に逃げている。
毎日殺されてはいるが明らかに逃げ足が速くなりつつあった。
それを実感している八峡は教室へと向かっていた。
「(あー)」
「(そろそろよぉ)
「(術式覚えねぇとなぁ)」
そう一日二日で習得できるものでは無いが、早々に術式を覚えなければ命の危機に繋がる。
「(かと言って付け焼刃の無差別術式は嫌だしな)」
「(なんか手軽に習得出来て適当に強くなれる術式ねぇかな)」
そう思いながら八峡義弥が教室に入ると其処には着物を着た女性の姿があった。
「お?」
八峡義弥が美人局と思っていた女性、九重花久遠が机で待機していた。
教室の中、無意識に呆然としている九重花。
何を考えているワケでも無く、ただ机に座って居るだけだ。
しかし教室が開いて八峡義弥の姿を認識すると目を開いて立ち上がる。
「この学園の、ご学生、だったの、ですね」
八峡義弥の姿を確認して柔和な笑みを浮かべる九重花。
「(そりゃこっちの台詞だ、まさか
良い所の出自だと思っていた八峡義弥。
気品溢れる佇まいに美麗な相貌、無価値《おのれ》とは違う人種だと八峡は思っていた。
八峡義弥は一先ず別の教室に移動しようかと。
廊下を左右見回して、視界には人物らしき姿は見当たらない。
が、その変わり。
廊下の突き当りから足音が聞こえて来る。
「チッ」
もしもその足音の人間が贄波阿羅である場合。
八峡義弥の姿を認識すると即座に殺しに掛かる。
ならばこの足音が無くなるまで教室でやり過ごした方が良いと決める。
扉を閉めて教卓の後ろに隠れる。
万が一教室に誰かが入って来ても良い様に 出来るだけ姿を隠す様に徹した。
「(あー)」
「(窓も開けた方が良いか?)」
逃走ルートを確認する八峡義弥。
他に逃走に使えるものがあるか周囲を見回してみると。
「………」
「……――—?」
不思議そうに八峡義弥を見ている九重花。
一体何をしているのか疑問を抱いている様子だった。
「なにを、している、のでしょうか?」
「あ?」
教師に捕まったら殺される。
なんてバイオレンスな事をお嬢様である九重花に喋っても良いのか。
八峡義弥は悩んだが。
「……その、なんだ」
「かくれんぼみたいなもんだ、気にすんな」
バイオレンス部分は避けてマイルドな表現で八峡は言う。
「かくれんぼ、です、か」
「童心、を、感じます、ね」
八峡義弥は指を一本立てて静かにとジェスチャーをする。
九重花久遠は頷いて両手で口を覆った。
廊下から足音が聞こえて来て、足音は教室の前で一回止まったが……すぐにその場から離れて行った。
「……ハァ」
八峡は息を漏らして立ち上がる。
取り敢えず脅威は無くなった。
「あの」
九重花が八峡義弥に喋り掛けた。
八峡は振り向いて彼女の目を見る。
「そういや」
「なんで教室に居るんだ?」
殆どの学生は出席簿に名前を書いたら後は自由に過ごしても良い。
不在の教室に彼女が教室に居る事が珍しかった。
「私は、ある人と、待ち合わせ、です」
「あぁ」
教室で会う約束をしていたのだろう、合点がいった様子で八峡義弥は頷いた。
「分かった」
「これで不思議に思った事は無くなったわ」
「んじゃあな」
八峡義弥はその場から立ち去ろうと、廊下側の扉ではなく窓の方から出て行こうとして。
「ぁ、あの」
彼女の指が八峡義弥の袖を引っ張る。
「あ?んだよ」
振り向いて彼女を見る。
彼女は何か言いたそうで頬を染めていた。
口を開いて九重花久遠は言葉を八峡に向ける。
「あの」
「昨夜の、お話……」
「どう、ですか?」
そう首を傾げて訪ねて来る。
「恋を教えて欲しい」と。昨夜の彼女はそう言った。
八峡義弥はそれを聞いて訝しげに感じている。
何せ美人が恋を教えて欲しいなど疑う以外の選択肢はない。
「はい」などと直球で言える奴は余程の馬鹿でしかない。
「一応聞くぞ」
「はい、なんなり、と」
何でも聞いて良いと九重花が言うので八峡義弥は遠慮なく聞く事にする。
「俺をカモにする気か?」
カモ、と聞いて九重花久遠の頭の中では。
「 (八峡、さまが、鴨?……?)」
何の事だか分からない様子だった。
「あの、仰る、意味が……」
どう考えても彼女の頭の中には。
鴨の恰好をした八峡が水辺を泳ぐ姿しか思い浮かべられない。
「恋を教えて欲しいって言われてよぉ、なんか裏があるかもって思うだろ?」
改めて八峡義弥が説明する事で漸く合点のいった九重花は。
「いえ、その様な事は、断じて」
「なら、なんで俺を選んだ?」
「なんで俺に恋を教えて欲しいと言った?」
九重花は少し考える。
何故八峡義弥を選んだか、そんなものは一目瞭然。
「八峡、さまの」
「顔が、良かった、からです」
単純に顔が良かったから。
その容姿は恋愛小説に出て来る美男子の如く。
日々徒然と恋愛小説の様な妄想を行う彼女にとって八峡義弥と言う存在は恋愛的象徴であったのだ。
自慢ではないが八峡義弥は弱者ではあるが、その容姿は一流。
あまりの容姿の良さ故にホスト崩れなどと揶揄される程。
それ程に八峡義弥は二枚目であった。
「きはっ」
彼女の理由を聞いて八峡義弥は笑う。
「あー、正直だな、いや、まあ笑えるわ」
「まあ?そんな理由なら信じられるけどよ」
自分の顔が良い事は百も承知。
顔の良さで選ばれたのならば信憑性がある。
「いいぜ、教えてやるよ」
「恋って奴を」
笑みを浮かべて八峡義弥は彼女に約束をする。
九重花は途端に笑みを咲かすと。
「本当、ですか?」
「では、これから」
「短い、時間では、ありますが」
「不束者の、私をどうか、よろしく、お願い、します」
深々と頭を下げる九重花。
その礼儀正しそうな彼女を見て。
「(……んぁ?)」
「(恋を教えるって何処まで教えりゃいいんだ?)」
八峡義弥は、どうでも良い部分に悩ませていた。
が、一緒にいればどうにでもなるだろうと軽く考えてポケットを弄る。
「おら、取り合えず、連絡先教えてくれよ」
一先ず八峡義弥は九重花久遠に連絡先を聞く。
が、九重花久遠が出したのは、実家の電話番号が書かれたメモ用紙だった。
「あん?」
携帯電話は?と言う意味合いを以て携帯電話を振るが、彼女は首を横に振る。
「私、は。携帯電話、を、持っては、いません」
九重花家はある事情によって九重花久遠に現代の携帯品を持たせてはいなかった。
八峡義弥は渋い顔をする、流石に今の時代実家に電話をするのはハードルが高い。
まして由緒正しき陰陽師の末裔である九重花家。
得体の知れない悪餓鬼が電話しても久遠に辿り着く前に門前払いを受けるだろう。
「ガラケー買おうぜ」
八峡義弥は彼女にアドバイスとして言う。
個人電話であれば好きな時に電話に出れる、家庭電話だと家内に迷惑が行くだろうと。
「がら、けぇ……」
「聞いた、事は、あります、が」
「私に、使い熟せる、かどうか……」
目を伏せる九重花、どうやら携帯電話を使うのが難しいと思っているらしく、心配した表情を浮かべていた。
彼女の感情を汲み取り、その点は心配無いと八峡義弥が携帯電話を取り出す。
「使い方くらい、俺が教えてやるよ」
指で素早く文字を打ちメール文に「簡単安心余裕」と文字を打ち込んだ。
「で、すが私は、がらけぇ、をどこで、買えば、分か、らないの、です」
携帯電話など持ち合わせていないお嬢様。
当然ながらケータイショップの存在すら知らないだろう。
ならば八峡義弥はごく自然に。
「なら明日にでもガラケー買いに行こうぜ、俺が案内してやるからよ」
彼女をデートに誘う八峡義弥。
もっとも彼にとっては誘ったと言う自覚は無いのだが。
「!、本当、です、か?とても、心、強いで、す」
また、九重花久遠も二人で遊びに行く約束を無自覚で了承していた。