術師名家の世間知らずなお嬢様が寝取られる話   作:三流木青二斎

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第6話

そして実家へと戻る九重花久遠であったが、彼女の心は空であり、無であり、死人であった。

 

「おぉ、戻られたか、私の愛しい伴侶」

 

柔和な笑み。鮮やかな黒髪。

真っ白な歯に血色の良い肌。

何一つ欠点の無い好青年の様に見えるが、その裏を九重花久遠は知っていた。

 

「申し訳、ありません、わざわ、ざ…お越しいただいた、のに」

 

「構わん構わん、どれ、楽にすると良い…私は気にしていないからな」

 

だからお前も気にするなと優しい言葉を掛ける。

だがそれは、九重花久遠に向けて言われた言葉ではない。

 

目の前に許嫁が愛想よく話していると言うのに、その全ての内容が頭の中に入って来ない。

 

「しかし美しい、これが私の許嫁とは、私は世界一の幸せだ、そうだろう?」

 

許嫁の言葉には彼女を褒める様な言葉が聞こえる。

彼女が遅れてやって来た事を怒る様な事は無いし。

むしろ彼女に対して気配りをしている。

心優しき青年である筈なのだが。

 

「(あぁ…この人の、言葉は、芯が、無い)」

「(空っぽの、言葉、温かみも、冷たさも無い)」

「(虚無)」

 

許嫁の存在、その全ての言葉が嘘である様に、偽りである様に、まるで鏡の前で喋っているかの様に、彼女に向けられる言葉に重みは無い。

何故ならば、その目には九重花久遠を映していない。

 

「(生涯で、自分一人)」

「(この人は、自分だけを、考えている)」

「(私は、彼を、彩るだけ、の、色でしか、ないのですね)」

 

その男、間人(たいざ)胤護(たねもり)

三大陰陽師の一角、間人胤継の末裔。

彼の根底は自己愛でしかない。

 

『己は素晴らしい』

『己が全てにおいて優先的であり』

『全ては己を魅せる為の飾りでしかない』

 

…彼女を愛する振りを見せるのも彼女を愛する己を愛しているから。

誰も彼もを愛する事無く、誰も彼もを愛する自分を愛している。

 

それがこの男の本性。

九重花久遠との婚約も、陰陽師としての責務を果たす己が美しいと思うが故。

 

だから、彼の言葉に重みも含みも無い。九重花久遠はそんな許嫁の本質を理解していた。

 

「(心を空に、すれば、良い)」

「(無知な仔、であれば……苦痛な、時間も……すぐに)」

「(終わる、事で、しょう……)」

 

九重花久遠は目を開いたまま心を閉ざす。

退屈な時間は、苦痛な時間は、絶望の時間は。

ただその行為を行う事で心の平穏を保ってきた。

何も考えなければ、不幸な事など起こらない、何も感じなければ、幸福に価値など無い。

そう考えて、彼女は過ごして来た。

 

だが、今日だけは心を閉ざしても無になる事は出来ない。

彼女の内には細やかな、幸せが芽吹いていた。

 

「(……)」

「(今日は、良き日、でした)」

「(八峡さまは、今頃、何をしている、のでしょうか?)」

 

一人遊びの様に喋り続ける間人。

そんな彼を傍目に見ながらも。

九重花久遠は人間味のある八峡義弥の事を思い浮かべる。

 

目の前に居る男よりもあの気怠い姿が目に写る八峡を想う。

新鮮な体験、衝撃な展開、共に居る心地良さ。

 

「(これが、終われば……)」

「(八峡、さまに。めぇるを……)」

 

 

彼女は間人の言葉を聞き流しただ八峡義弥との思い出を反復する。

八峡義弥との時間、それだけが彼女の小さな幸せと希望になっていた。

 

間人胤護との会話を終え。

夕食を共に済ませると、九重花久遠は自室へと戻る。

 

質素な和室。

娯楽と呼べる様なものは何もなく、あるとすれば書棚にある古典小説くらいだろう。

 

古臭い部屋だが、今日彼女はこの部屋に現代の象徴でもある、ガラケーを机の上に置く。

ぼんやりとそれを眺めて、九重花久遠は昼間の出来事を思い浮かべてゆっくりとガラケーを手に取る。

カチャリ、無機質な音が鳴って開かれる。

 

淡い電子の光が溢れ出すと、彼女の指はメールのボタンを選択。

宛先を登録されたただ一人に選択するとメール内容を作り出す。

 

その内容は何でも良かった。

心に残る靄を晴らす為に彼に助けて欲しいだけなのだから。

 

『こんばんは』

 

とメールを製作するのに十分を費やした。

短いメールを何度も何度も確認して、九重花久遠はそれを八峡義弥に向けて送る。

 

選択ボタンを指先で押すと。

送信表示が出て来た。

彼女はそれを見て心が燥ぎ出す。

 

「(…はしたない)」

「(そう、思われ、ませんでしょう、か?)」

 

妙な心配事を浮かべてしまう。

相手に悪い事をしたかも知れないと嫌な不安が過ってしまう。

メールを送って十秒ほど、その短い時間、彼女は後悔していた。

 

「(送るべき、では、ありません、でした)」

「(八峡さま、に、ご迷惑、だったかも、知れません)」

「(明日、八峡さまに、お詫びを……)」

 

彼女の不安は着信音と共に杞憂であると知らされる。

メールを開き、その内容を確認する。

 

『メールの打ち方』

『分かったか?』

 

彼女の挨拶を無視した様な書き方。

しかし彼女はその文面を見て安堵する。

 

(八峡さま、返事が、来ました)

 

八峡義弥は目の前に居ないのに、彼から来たメールに彼が籠められていると九重花久遠は確かにそう感じていた。

その感動を伝える為に。

 

『へんじが きました』

 

漢字変換の出来ない九重花はひらがなで自らの気持ちを記入する。

それを送信して待つ。

 

メールを打っている間。

ガラケーの画面に注視して体を強張らせているから、メールを送信した時に体の力が抜けてガラケーを机の上に置こうとする。

だが、その一瞬でメールが来る。

 

「っ!」

 

九重花はガラケーを構えてその内容を確認。

 

『そりゃ来るだろ』

『メールなんだからよ』

『まあ』

『まだ漢字変換出来ない感じだな』

『明日にでも教えてやるよ』

 

その文面を見て、九重花は八峡義弥の優しさに触れる。

 

「(やはり)」

「(八峡、さまは、お、優しい)」

「(……もっと、八峡、さまを)」

「(知りたい……)」

 

その気持ちを九重花久遠はメールに打ち込んで。

それを送信した。

そしてすぐに来るメールの内容を確認。

 

『そんな知りたいのか』

『じゃあ明日に備えてろよ』

『きっちり教えてやるから』

 

内容を見て彼女はガラケーを閉じる。

ただのメールの文面でしかないのに。

 

「(あぁ……明日がこんなにも、楽しみだ、とは)」

「(…思いま、せんでし、た)」

「(早く、明日に、なれと、そう、思って、しまいま、す)」

 

八峡義弥と通じ合えたと、九重花久遠は充足に満ちているのだった。

 

 

 

 

 

 

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