ソードアート・オンライン パラダイス・シフト   作:hirotani

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最終幕 グッド・バイ

 

   1

 

 これは、死神の物語だ。わたしや他の誰のものでもない。

 

 後に《隻眼の騎士団事件》と周知されたあの戦いは、人知れず始まり人知れず終わった。

 

 ――と言いたいところだが、読者諸氏は断片的に知っていると思う。空へ昇る黒煙と炎。そして光の柱。火炎を吐き散らす赤き飛竜。その激しさはオブシディアでも目撃されていて、イスカーン総司令官は先遣部隊を編成し調査へと向かわせた。

 

 先遣の暗黒騎士たちが目撃したのは血を被った大地と、そこに転がるおびただしい死体たちだった。四肢を切断された者、黒焦げにされた者。まるでかつての異界戦争のような悲惨さに、新米の暗黒騎士の中には退役した者まで出たという。人界統一会議からも調査員が派遣されたそうだが、彼らが一体誰と戦っていたのか解明は叶わなかった。

 

 判明したのは、死体たちが右目に眼帯をしていたことから《隻眼の騎士団》と名乗るオブシディア襲撃の犯人集団だったということ。

 

 わたしは偶然にも、その調査に赴いていた暗黒騎士と会う機会があった。異界戦争後に暗黒騎士団に入ったその若者について本人の希望でここでは匿名とするが、調査を期に退役してからは人界に移住し農夫として従事していた彼は次のように回想していた。

 

『俺はガキの頃から剣の腕が立ったし、暗黒騎士になるのは当然だと思ってた。異界戦争の頃はガキだったから参加できなかったが、もっと早く生まれてりゃって駄々こねたもんだよ』

 

 自慢気にそう切り出した彼だったが、件の話になると顔を青ざめさせた。

 

『だけど、あれを見た時は脚の震えが止まらなかった。だってよ、少し前まで生きてた奴の身体がバラバラになって転がってたんだぜ。焼け焦げた樹が倒れてるのかと思ってよく見たら、そいつ人の形してたんだ。思い知らされたよ。俺は戦場ってやつを舐めてた。戦いなんてのは殺し合いで、俺もあの死体みたいになっちまうんじゃないかってな』

 

 あなたは死神の存在を信じるのかとわたしが訊いたら、その時の彼は言葉を選ぶように、慎重な語り口だった。

 

『信じるしかねえって感じかな。誰がやったのかは分からねえが、誰かがあれをやったのは確かだ。隻眼の騎士団なんて連中がオブシディアを襲ったときは人じゃねえと思ったが、死神はあんな連中よりもずっと恐ろしいもんだ。ガキまで死んでたんだぜ。あれは人を人とも思わねえ、ベクタがいなくなった暗黒界に現れた神だと言われても、何ら不思議じゃないね』

 

 行き過ぎた殺戮は罪を超越して奇跡のように映る。彼の言葉は、わたしにそんなことを思わせた。

 

 異界戦争後の新体制に謀反を起こそうとした者たちの突然の壊滅は憶測に憶測を呼んだが、最も信憑性が高いとされた説は《死神》による粛清というものだった。

 

 隻眼の騎士団は死神の名を騙る反逆者たちで、怒りを買った死神当人によって滅ぼされたとみられている。根拠としては戦場を飛び回っていた赤き飛竜。後に起こる出来事からこの赤き飛竜は死神の眷属とされ、そこから隻眼の騎士団壊滅にも死神が関わったという推測だ。

 

 この事件が、死神を単なる殺戮者でなく英雄とする根拠とされている。たとえ自身を崇める者であっても罪人ならば容赦なく粛清する。そのような憶測から生まれた偶像が、隻眼の騎士団という一種の教団亡き後も信奉者を集めた。

 

 発見された死体は約300。それらの軍勢をたったひとりで殲滅させたという逸話は、死神伝説の中で最も有名な一節だ。

 

 奇跡とは尊いだけではなく、恐ろしくもある。公理教会の最高司祭が一夜にして人界四帝国を壁で分断したということも、それだけの力を持った者への畏怖を感じさせる伝承だ。

 

 逆に言えば単身で死体の山を気付いた《死神》の伝承も、読み手によっては十分に奇跡となりえるのだ。

 

 

   2

 

 「システム・コール」というわたしの口が紡ぐ声に、手の中にある神聖力の結晶が砕け散る。破片は粒子となって、かざした手の先にある鎌による創傷に集まり出血を止め、裂けた皮膚組織を繋げていく。

 

「おお、治ったあ!」

 

 農夫の男性は大袈裟に歓喜し、傷跡すら残らない太い腕を振り回している。

 

「いやー、これでまた怪我しても安心だな!」

 

 「怪我をしないよう気をつけてください」とシスター・アザリアにぴしゃりと言われ、農夫は「はい……」と肩をすぼめる。

 

「ありがとな、ナミエちゃん」

 

 満面の笑みで礼を言う農夫にわたしは「いえ」と微笑を返し、また仕事に戻っていくのを見送った。

 

「あなたが来てくれて助かっています、ナミエ」

 

 といつもの仏頂面を崩さずシスター・アザリアが言う。まだ治療院を置いていない村では神聖術を使える者さえ貴重で、治療術となると扱えるのはわたし以外だと髪に白髪の混じり始めたシスター・アザリアしかいない。

 

「それだけ術が使えるのに、本当にどこの教会でも教えを受けなかったのですか?」

「ええ、独学です」

 

 探るような視線を微笑ではぐらかした。嘘は言ってないけど、事実は酷く血生臭く他人に話せるものじゃない。剣の腕を磨くのは実戦だけど、神聖術も同じ。習うより慣れろでわたしは自分でも知らないうちに上達していたようだ。

 

 時告げの鐘が鳴った。助かったと思いながら、わたしは「それじゃ、もう帰ります」と脱いだエプロンを壁のフックにかけて足早に出口へと向かった。

 

「ええ、また明日」

 

 その言葉を背に受けながら、今度同じことを訊かれたときは何て誤魔化そう、と思った。

 

 外に出ると、畑から風に乗ってきた麦の香りを感じられる。清々しい空気に深呼吸すると、身体の隅々まで浄化されたように思えた。

 

 あの戦いから1年。わたしとセツナはルーリッド村に身を落ち着けていた。顎門の背に乗って戦場から去ったわたし達は共に疲弊しきっていて、数日間は誰もいない暗黒界の荒野に身を隠しつつ死体から剥ぎ取った物資で食いつなぎ怪我の治療に専念しなければならなかった。

 

 セツナの戦傷が癒え、わたしも右目を再生させてから安息の地として思い浮かんだのが、初めて結ばれた人界の果てにある村だった。

 

 酷く汚れた出で立ちで村を訪れたわたし達を出迎えたのは、初めて訪れた日と同じ衛士長のジンクさんだった。しばらくでいいから村に居させて欲しいとわたしが頼み込むと、ジンクさんはその判断を村長に委ねあの孤独なガスフト・ツーベルクの家に案内された。

 

 事情が事情なだけあって話すわけにはいかなかったが、ガスフト村長は追求することなくわたし達を受け入れてくれた。丁度村の神聖術師が不足していたこと、麦畑の働き手も欲しいという理由で。

 

 ガスフト村長はわたし達に仕事の斡旋までしてくれた。わたしは教会でシスター・アザリアの手伝い。セツナは麦畑の農夫。最初こそ村人から訳ありのふたりとして怪しまれたものの、さっきも述べたように治療術が使える神聖術師は貴重でわたしはすぐに重宝されるようになった。

 

 セツナのほうは上手くやれるか心配していたけど、今のところ彼について悪い噂話の類は耳に入っていない。無愛想だけどよく働いてくれている。そんな評判を聞いた時は思わず笑ってしまった。《死神》だなんて呼ばれていた男が農夫に収まってしまうとは。

 

 目抜き通りを歩いていると不意に「ナミエ」という声が聞こえた。向けば、もうすぐ5歳になる男の子を連れた衛士長が手を振りながらこちらへ歩いてくる。

 

「ジンクさん」

「これ、ナミエにって女房が」

 

 そう言ってジンクさんが差し出した籠には大振りなチーズと瓶詰めされたミルクが入っている。この前も自宅の庭で採れた野菜を貰ったばかりだというのに。

 

「ありがとうございます」

 

 籠を受け取ると、足元でジンクさんの息子がきゃんきゃんと子犬のように甲高い声をあげた。

 

「父ちゃん、お使いなら自分が行くって言っていたよ」

「おい」

「父ちゃんいつも言ってるよ。ナミエさんは美人だって」

「こらハンク、余計なこと言うな」

 

 叱られてむくれた息子を後ろへと追いやり、ジンクさんは誤魔化すように乾いた笑い声をあげる。

 

「じゃあ、またな」

 

 父親の手に惹かれる息子が、わたしに「ばいばーい」と小さな手を振る。わたしも控え目に手を振った。子どもはいつ見ても愛らしい。自分の子となれば尚更にそう思えるのかもしれない。

 

 わたしもいつかは――

 

 そんな願望じみた想いを置き去りにするように歩き出す。高望みというものだ。いつ尽きるかも分からない、そもそも本来なら生まれるはずのなかった生命がわたしという存在なのだ。こうして穏やかに生きていること自体、今でも現実味が湧かない。

 

 村の出入口の門で、彼はぼんやりと立っていた。服が土で汚れている。洗濯はわたしがしているけど、自分でしろと言ったら少しは汚さずにいてくれるだろうか。

 

 わたしに気付くと、セツナは「もう、終わったのか」と無骨に訊いた。

 

「ええ」

 

 簡潔に答えると、わたし達は並んで歩き出し踏み固められた道を進んでいく。北の果てにあるルーリッド村はようやく長い冬を乗り越えたところで、森の樹々に鮮やかな新芽が色付いてきていた。

 

 村での暮らしは季節をひと巡りしたところだけど、やはり人界は移りゆく景色全てが美しい。澄んだ湖の水面も、緑の茂る森も、雪を被った果ての山脈の全てが。

 

「それは?」

 

 わたしの荷物に気付いたセツナが籠を指さした。

 

「ジンクさんからのお裾分け」

「そうか。明日礼を言わないとな」

「そうね。チーズとミルクだし、今日はシチューとかどう?」

「ああ、それでいい」

「そういう言い方、好きじゃない」

「悪かったよ」

 

 ずるい言い方、とわたしは裡で愚痴をこぼす。わたし達の間で痴話喧嘩らしきものは今のところ起きたことがない。わたしが不満を口にすると決まってセツナは「悪かった」とすぐ謝罪してしまうのだ。そんなに素直だとわたしだって何も言えなくなる。

 

 しばらく歩くと森の中に建つ小さな家が見えてくる。ガリッタという、かつてギガスシダーの刻み手を務めていた老人がわたし達にあてがってくれた家だ。

 

 前の住人が去ってから10年近くは経つらしいが、優先度の高い樹で組み上げられたもので造りはしっかりしていた。

 

 ガリッタさんによると、この家には整合騎士になって戻ってきた村長の娘アリスが若い男と一緒に住んでいたらしい。夫婦や恋人、といった間柄には見えなかったとか。男のほうは片腕を失った上に会話もできない屍のように見えたという。

 

 アリスは華奢な外見に似合わずとんでもなく力持ちだった。この家もガリッタさんから建て方を教わった彼女がひとりで樹を切り倒し皮を剥ぎ組み上げたそうだ。

 

 住民の流出が進む村にはいくつか空き家があるけど、わたし達はこの家で良いと言った。森の中は静かだし、何より家の傍には厚く積み上げられた枯草があって顎門のねぐらに丁度よかった。恐らく前はアリスの相棒だった飛竜が使っていたのだろう。

 

 わたし達の帰宅に気付くと、無垢な飛竜は首を伸ばして控え目にくるる、と喉を鳴らした。そんな小動物みたいな巨大生物にわたしは「ただいま」と微笑む。村から離れているのと、あまりうろつかないお陰で今のところ赤い飛竜の目撃情報はない。

 

「あいつ、少し太ったんじゃないか?」

 

 家の中に入ると、テーブルに備え付けの椅子に座りながらセツナがそんなことを言った。

 

「川の魚が美味しくて食べ過ぎたんじゃない?」

「食い過ぎて魚が減ると村の連中に怪しまれるぞ」

「そうね。ちゃんと言いつけておかないと」

「言うことを聞いてくれればな」

 

 「確かに」と笑いながら、わたしはエプロンを付けて夕飯の準備を始めた。

 

 ふたりだけの食事はいつも静かだ。口数が多くないセツナはただ黙々と食べているだけで料理の感想も言ってくれない。たまにわたしが「どう?」と訊くと「美味い」とだけ味気ない感想を言う。

 

「ガリッタ爺さんがバイオリンを褒めてた」

「そう、良かった」

「また聴かせてやってくれ」

「うん」

 

 こんな感じで、たまに口を開いてもすぐに会話が終わってしまう。わたしが楽器を弾けると村の人たちに知られてから、たまに村の広場でバイオリンを演奏している。正直、できることなら知られたくなかったし弾きたくもない。

 

 もし麦畑にまで音色が届いていたら、セツナは本物の《ナミエ》を思い出してしまうだろうから。理不尽なものだ。会ったこともない人物に嫉妬めいた感情を覚えるなんて。

 

 眠る前、セツナは色々な話をしてくれた。リアルワールドで語り継がれる伝承や物語の数々を。

 

「ヤマタノオロチっていう8本の首がある大蛇がいたんだ。そいつは村から若い娘を差し出せと言って、でないと村を襲うって脅した」

「何で蛇が娘を欲しがるの?」

「確か、食うためだった気がする」

「大蛇が人ひとりでお腹いっぱいになる?」

「そういうもんなんだよ。それで村に立ち寄ったスサノオノミコトっていう剣士が退治することになったんだが、スサノオは樽いっぱいの酒を用意して、オロチが酒を飲んで酔っ払ったところを狙うって作戦を立てた」

「蛇がお酒飲むの?」

「さあな。でも作戦通り飲んでスサノオは圧勝してオロチを殺したんだ」

「何か卑怯。そういう話って正々堂々と戦うものじゃない?」

「相手は化け物だ。正攻法で勝てる相手じゃない」

「何か色々と不思議すぎるんだけど、その話」

「神話や伝説なんて大抵そんなものだ。元になった事実があっても、大昔で記録がないのを良いことに後の時代でいくらでも都合よく脚色されて原型がなくなっていく。ようは創作物なんだよ」

「じゃあ、その伝説も元になった事実があるの?」

「本当にあったかは分からない。でも、スサノオがオロチの死体から掘り出した剣があって、それは俺のいた国の王族の象徴として代々受け継がれてきた」

「てことは、本当にその大蛇がいたってこと?」

「さあ。そもそも剣だって実物は王でさえ見られないからな」

「ますます怪しいじゃない」

 

 セツナの語りはわたしの想像力を掻き立て、やがて思考することに疲れてまどろみへと誘ってくれた。

 

 他にも色々な物語をセツナは聞かせてくれた。印象的だったのは神の子として生を受け、病を直し死者を蘇らせる奇跡の数々を起こし、権力を奪われることを怖れた時の王によって処刑された救世主の話。

 

 その救世主は死んだにも関わらず蘇り、人々に自らの教えを授けると役目を終えたように天へ昇っていったという。

 

 

   3

 

 ソルスの光が暖かく照らす季節になっても、まだ井戸の水は凍てつくほど冷たかった。夫や子どもの服を洗う村の婦人たちにとってはまだ厳しい日が続きそう。

 

 洗えば汚れは綺麗に消えてくれるけど、次の日には畑仕事で汚して帰ってくると代わり映えのない会話が井戸を中心に賑わっていた。

 

 わたしもセツナの服を金タライで洗っているとき、横から質問が飛んできた。

 

「ナミエってさ、もしかして貴族のお嬢様だったりする?」

「え?」

 

 唐突な疑問を飛ばしてきたのはわたしと歳の近い、農夫の若者の家に嫁いだばかりの新妻だった。まだ十代の幼さが残る、その手の話題に興味津々といった声音で続けてくる。

 

「だって、セツナさんと結婚はしてないんでしょ? 皆噂してるんだ。もしかしたら駆け落ちなんじゃないかって」

「そんなんじゃないわよ。大体、何でわたしが貴族になるの?」

「神聖術が凄いから、家庭教師とかがいる家で育ったんじゃないかって。あと話し方とかこんな田舎じゃ浮くぐらい上品だし」

「気のせいだって」

「本当かなあ? じゃあ何でセツナさんとは結婚しないの?」

「まだそういうのに興味持てないから、わたしもあの人も」

「何か淡泊だよね。一緒に居ても距離感じるし」

「かもね」

 

 彼女はわたしに顔を近付け、耳元で秘密事のように囁いた。

 

「新しく開墾された花畑さ、もうすぐ開花なんだって。次の安息日にでもセツナさんと行きなよ」

「うん、良いわね」

 

 悪戯っぽい目から逃れるように、わたしは水気を切った服を籠に入れて井戸から去った。教会に戻るとシスター・アザリアが新聞を読んでいた。数年前から羊皮紙に代わる白麻紙という安価な紙が流通し、人界や暗黒界での出来事を書いた新聞が人界統一会議から発行するようになった。

 

 「お帰りなさい」とわたしを迎えたシスター・アザリアはいつもより眉間の皺を深めていて、わたしが「どうかしたんですか?」と訊くと新聞を差し出してきた。

 

 記事に書かれていたのは、オブシディアで《死神教会》を名乗る集団が逮捕されたというものだった。特に何か事件を起こしたわけではないのだが、《隻眼の騎士団》と同じ死神信奉者であることから五族会議叛逆の嫌疑をかけられ聴取を受けたという。

 

 補足として記事には1年前に暗黒界で起きた複数の殺人事件が書かれていた。それを引き起こしたとされる《死神》についても。

 

「恐ろしいものです。殺人なんて惨いことをした者が崇められるなんて」

 

 シスター・アザリアは深く嘆息しながら紅茶を啜った。

 

「戦争が終わってようやく平和になったというのに」

「ダークテリトリーには《死神》を英雄と見てる人たちもいるみたいですけど」

「確かに《死神》によって救われた者もいるでしょう。だとしても、死を肯定する者を英雄や神などと称すのは賛同できません」

「シスターは、《死神》を悪だと思いますか?」

「ステイシアを信仰する立場としては。いえ、この世界に生きる人としても悪と主張できます」

 

 毅然とした聖職者の言葉に、わたしは何も言えなかった。その死神はわたしと暮らしているあの農夫なんです。そう告白したところで何の意味があるだろう。まず信じてはもらえない。

 

 「ですが」とシスターは切なそうに続ける。

 

「何かを信じ救いを求める気持ちに理解できる部分はあります。今後もこのような輩は現れるでしょう」

「神が存在する限り、ですか?」

「ええ。もし彼らの信仰心が失われることがあるとしたなら、《死神》が神などではなくただの人間と証明された時でしょうね」

 

 この時、わたしにはシスターの言葉がよく理解できていなかった。本当の理解が追いつくのは、時が過ぎていくのを待つしかなかった。

 

 この日もいつもと同じように仕事終わりのセツナと待ち合わせて一緒に帰路についたのだが、彼はいつも以上に無口だった。彼も新聞を見たんだな、とすぐに分かった。村中で《死神》の話題が持ち上がっていたから。

 

 家で食後の紅茶を飲んでいるときもセツナは無言だった。湯気をくゆらせる紅茶をひと啜りして、溜め息をつくその顔は物憂げに目蓋を垂らしていた。この日だけじゃない。村での暮らしに慣れたこの頃、彼がこんな顔をしているのをよく見ていた。

 

「まだ、自分が何で生きてるのかとか考えてる?」

 

 変に取り繕うこともなく、わたしは直球で訊いた。セツナかぶりを振りつつ、

 

「いや、そんなんじゃない。ただ、《死神》は何のためにあったのかと思って」

「それはセツナの決めることじゃないでしょ。前も言ってたじゃない。伝説なんていくらでも書き換えがきくって」

「そうだな」

「変に難しいことばかり考えるからこじれるのよ。一緒に畑で働いてる人たちを見てみなよ。皆、自分が何のために生きてるのかなんて考えてると思う?」

「考えてないだろうな。毎日の仕事をこなすのに精いっぱいで、そこまで頭は回らない」

「そう。それがあるべきものなのよ」

 

 強引なわたしの結論にセツナは何か言いたげだったけど、結局何も言わずにお茶を飲んだ。

 

「花畑がそろそろ開花なんだって。明日見に行こう」

 

 その日の夜。セツナはいつものように物語を聞かせてくれなかった。一緒のベッドで目を閉じている彼は、寝息を立てていなかったから眠ってはいなかったのだろう。

 

 わたしの方が先に眠ってしまったから、その夜に彼が夢の中へ往くことができたのかは分からない。ただ確かなのは、明くる朝の彼は普段通りだった。

 

 その日は安息日で仕事もなかったから、わたし達は前の晩に言ったように村の外れにある花畑へ散歩に行った。

 

 人界統一会議が治療院拡大のため神聖術師の育成に注力していたから、神聖力の結晶を実らせる花の需要は高まっていた。ルーリッド村もその流行にあやかり、開墾した土地の一部を花の栽培にあてたばかりだった。

 

 まだ村に来たばかりの頃、耕しただけだった土地の種蒔きに参加したことがある。村に来た行商から高く買い取った種が果たして芽吹くのか村の人たちは半信半疑だった。あれ以来花畑に行く機会はなかったけど、何とか目が出たことは人伝いに聞いている。

 

 花畑として開墾されたのは、かつて悪魔の樹と呼ばれたギガスシダーがそびえ立っていた場所らしい。わたし達が初めて村に来たときに見た、あの巨大な切り株のある場所だ。

 

 大木が周辺の地力を独り占めしていたせいで畑の拡大ができずにいたけど、十数年前の刻み手が切り倒してくれたお陰でルーリッド村の収穫は年を追うごとに増えているらしい。

 

 森の中に伸びる小道を進んでいくにつれて、ほのかに甘い香りが鼻孔をくすぐってくる。香のようなくどさのない、爽やかな匂いだった。

 

 やがて森が開けると、一陣の風が頬を撫でた。そこに広がるのは、色とりどりの花弁を広げ穂を揺らしている花々。どこまでも広がっていきそうな花畑から花弁が舞い上がり空へと昇っていく。

 

「きれい………」

 

 思わずわたしはそう呟いていた。ずっと生命とは惨たらしく血生臭さいと思っていたのに、ソルスに向かって穂を伸ばす花たちの姿は何て美しいのだろう。

 

 わたしは花畑へと足を踏み出していた。靴越しの葉の感触が心地いい。風も、全てが純潔のように清く、それを体いっぱいに受け止めようと両腕を広げた。

 

 花畑の中心にギガスシダーの切り株がある。その傍には打ち捨てられた大樹が巨人の骸のように横たわっていて、その太い幹からも花が芽吹いていた。

 

 朽ちた生命が新たな生命を育んでくれる。全ての生命が輪のように繋がっていく姿は儚いけど、それでも美しい。

 

 わたしは切り株に腰かけ、まだ花畑の外に立ったままの彼を呼んだ。きっと、わたしは笑っていたんだと思う。晴れやかな気持ちのまま。

 

「セツナも来て」

 

 けど、セツナは無反応だった。舞い散る花弁で顔がよく見えず、わたしは彼のもとへ駆け戻る。彼はまだ、森の草地に立っていた。まるで境界に踏み込むまいと留まるように。

 

 花畑を眺めていた目がわたしに向けられる。

 

「自分がどうしてこの日まで生きてきたのか、やっと分かった気がする」

 

 そう言うセツナの顔は、初めて見る穏やかな表情をしていた。こんな優しい顔もできたんだ、と思ってしまった。

 

「多分、このためだったんだなって」

 

 わたしには、その言葉の意味が分かった。彼は償いに行くつもりだ。自らの手で赦しを得るために。

 

 顎門の言っていた通りだ。結局、わたしでは彼を赦すことはできなかった。殺しは誰からも赦してはくれない。赦しを与えてくれる死者はもういないから。

 

 けど、それを唯一赦せる方法を彼は知っていた。それができるのも、彼しかいなかったのだ。

 

 わたしは彼の手を握った。彼も優しく握り返してくれる。わたしにはこれしかできない。全てを受け止めると、彼の罪を知ったあの日に決めたのだから。

 

 その日の夜。わたしとセツナは激しく求め合った。わたしは彼にわたしという存在を刻み込むように肩を噛み背中に爪を立てた。でも、セツナはわたしに何も刻んではくれず優しく包むようにしてくれた。

 

「死亡フラグだ」

 

 事が終わってベッドで横になっているとき、セツナが不意に言った。

 

「どういう意味?」

「何かをする前の願掛けみたいなものかな」

 

 セツナがわたしの手を握った。少し震えているようだった。

 

「怖い?」

「そんなことはない。俺は俺の往くべきところに往くんだ。上手くやってみせる」

 

 セツナはこの世界にエスティーエルという装置を使って来た。わたしの隣にいるセツナはあくまで仮初の肉体で、本物はリアルワールドにある。ヘスティカの言葉が本当ならば、セツナはこの世界で死ねばリアルワールドの肉体も死を迎える。

 

 ならば、セツナにとってこの世界で過ごした日々とは、死の直前に視た幻想なのだろうか。こうしてわたしと求め合った感触も。

 

 わたし自身も、どこか現実味というものが希薄だ。まるで本物の《ナミエ》が視た幻想がわたしという存在なのでは。そんな錯覚に陥ってしまう。

 

「何だか、夢を視ていたみたい。とても長い………」

 

 そう、夢のようだった。彼と出会ってから流れてきた、激動の日々全てが。

 

「俺もだよ。良いのか悪いのかは分からないが」

「わたしは、夢のままでも良いかな」

「そうか――」

 

 わたし達は抱き合いながら眠った。

 

 ソルスが果ての山脈から顔を出した頃、セツナはかつて着ていた黒装束の服をまとい、家の片隅に置きっぱなしだった痴竜剣を手にして顎門と共に央都へと旅立っていった。

 

 無垢な飛竜は主の意図を察していたのかは分からないけど、飛び立つ前にわたしへと寂しそうな瞳を向けた。

 

 早朝に赤い飛竜が現れたと、その日は村中が騒ぎになった。皆が仕事なんて手がつかないほどに。結局その日は何かが起こることなんてなかった。ゴブリンの襲撃も、地震や水害といった災いも。

 

 そして、セツナが帰ってくることも。

 

 《死神》の死。その速報を綴った新聞を行商が持って来たのは2日後だった。《死神》はセントラル・カセドラルに単身で突入したが、代表剣士自らによって討ち取られた。英雄になろうとした反逆者は真の英雄の前では賊に過ぎない。記事にはそう書かれていた。

 

 村人の多くが騒めきたっていた中で、わたしは何の興味も示さないふりをして家に帰り、彼を想って泣いた。

 

 この結末は彼が望んでいたことだし、わたしも受け入れは済ませたはずだった。でも、どうしてもセツナのいない虚無というものは、わたしには重すぎた。

 

 

   4

 

 この手記もようやく終わろうとしている。蛇足かもしれないが、その後のわたしのことについて追記しておきたい。

 

 セツナが死んで1週間もしないうちに、わたしはルーリッドの村を出た。あの家に居たら、きっといつまでもセツナの帰りを待ち続けてしまう。

 

 今、わたしは人界や暗黒界の各地を渡り歩きながら行く先々の宿もしくは教会でこの手記を書いている。幸いにもあの頃に培ってきた治療術で路銀を稼ぐことには困らない。

 

 戦後20年が経っても、暗黒界のスラムでは売春と奴隷売買が根強く残っている。渦中にいる恵まれない人々の間で、自分たちを解放してくれる《死神》の存在もまた語り継がれている。

 

 実を言うと、わたしも身を売ろうと考えたことがあった。かつてのように強制的な快楽を塗り重ねれば、セツナのことを忘れられるかもしれない。けどそれは血迷いと一蹴した。

 

 もう男に身体を差し出そうとは全く考えていない。この汚されたわたしの身体と生命は、セツナに捧げたのだから。

 

 思い出すのは辛いけど、その辛さが彼への想いの証明なのだろう。彼がかつての恋人のために罪を背負うと決めたように。

 

 わたしにとって彼は何だったんだろう。ふとそんなことを考える時が定期的に、思い出したように訪れる。

 

 英雄。

 恩人。

 

 色々とあるけど、1番しっくりくるのは「ひどい人」だ。

 

 わたしを絶望から救い出してくれたのに、正しい場所へ連れて行ってくれるはずだったのに――結局、わたしを放り出してひとり遠くへ逝ってしまった。

 

 本当にひどい人だ、セツナという男は。

 

 この手記は複写を作成し、セントラル・カセドラル行きの申請書類に紛れ込ませておく。無事にカセドラルの者に発見され世に出されるかは賭けるしかない。

 

 もし世に出たとしても、死神信奉者たちには禁書とされるかもしれない。わたしはこの手記で《死神》の神話を終わらせるつもりだ。英雄ではなくただの人間として死ぬこと。自身の矮小さを知らしめること。それがセツナの望みだったのだから。

 

 これを読んで、あなたが《死神》と呼ばれた青年に何を感じるかは任せよう。嫌悪するも、嘲笑うも良い。わたしの文章の拙さに関しては、そこはどうかご理解いただきたい。

 

 何も感じなかったというなら、それが最良だ。それはきっと、あなたが縋るものがないほど幸福という証なのだから。

 

 

                       人界歴400年2月20日

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーどふぁいなる

キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「いやー終わったね!」

キ「終わったなあ。この鬱展開がやっと終わったと思うとほっとするよ」

ア「なーんて、言うと思った?」

キ「は?」

ア「まだしばらく続くわよ!」

キ「ええ⁉ おい今回最終幕じゃないのかよ!」

ア「ナミエの手記として書かれた本編は今回が最終回。エピローグでもう少しだけ続くわ!」

キ「何じゃそりゃ! 終わる終わる詐欺じゃねーか!」

ア「だってナミエ視点で書いたせいで省いた説明とか多いんだもん。その補足をして、後腐れなく終わろうっていう作者の配慮よ」

キ「せっかくしんみりした空気だったのに………」

ア「というわけで読者の皆さん。まだしばらく続きます。お楽しみに!」

キ「できるかあっ!」

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