ソードアート・オンライン パラダイス・シフト   作:hirotani

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monologue:刹那の英雄

 まるで悪魔のようだった。戦いが終わったあと、デュソルバートはそう言っていた。

 

 春が訪れようとしていた日の昼下がり、それは前触れもなく訪れた。《雲上庭園》に並ぶ桜の樹が蕾をつけ開花も近い時期に、全てを焼き払わんとする赤と、それに乗る黒が。

 

 北の方角から飛竜が接近している。その報告を受けカセドラル内にどよめきが沸き立ったが、混乱とまではいかなかった。《四帝国の大乱》を経てカセドラル襲撃を想定した対策マニュアルを講じていたからだ。

 

 デュソルバート率いる弓隊とアユハ率いる神聖術師団の動きは適切だった。かねてから定期的に行ってきた訓練通りの配置につき、カセドラルにいた他の整合騎士たちも侵入に備え各階で防衛のため待機していた。

 

 皆、護るという意思を抱いていた。カセドラルを、平和へと進むこのアンダーワールドを。一点の曇りもなくあの飛竜に立ち向かってくれた彼らを俺は誇りに思う。

 

 各階の窓に、フロアを囲むように術師と弓隊を配備していた。どの高度、どの方角から飛んできても対処できるように。

 

 俺はすぐには迎撃を命じなかった。接近する飛竜がイスカーンの寄越した暗黒騎士のものである可能性も十分にある。北からやって来たその飛竜は視認できるか否かの距離を保ちつつ、カセドラルの周りを1周した。まるでこちらを観察しているようにも思えた。

 

 いや、その後のことを考えたら観察とみて間違いないだろう。奴は間違いなく、こちらの守りを窺っていた。

 

 飛竜が赤い色をしている。

 

 その報告を受けて、俺は迎撃を決断した。1年前にダークテリトリー南端の遺跡で発生した謎の事件。《隻眼の騎士団》と名乗る集団を一夜にして壊滅させたらしき飛竜と同一個体とみて間違いはなさそうだったからだ。

 

 術師たちの火術と弓隊の矢が放たれたとき、飛竜は既にそこにはいなかった。並の飛竜が出せるスピードじゃない。それだけで敵の力を悟った防衛部隊は、間髪入れずに火と矢をシャワーのように放った。

 

 まるで戦艦の対空砲や機銃のような戦力だ。術師たちには詠唱の長い術は使用せず、数を多く放つよう指示してある。網目のように張り巡らされた射線の嵐を、その飛竜は猛スピードで逃れ、または身を翻してかわしてみせた。

 

 95階《暁星の望楼》でその舞のような立ち回りを見ていた俺は、飛竜の背に跨る黒い影を認めた。間違いなく人のものだ。いや、あれは人と呼べるのだろうか。もしダークテリトリーで語り継がれ《隻眼の騎士団》なる組織を生み出した《死神》と呼ばれる者なら、それは本当に神というべき存在なのではと思えた。

 

 隣に立つアスナが俺の手を握る。震えていた。俺はそんな彼女の手を力強く握り返す。大丈夫、彼らならきっとこのカセドラルを護ってくれる。

 

 どこからか鳳凰のような、火炎で全身を燃やした鳥が飛竜めがけて飛んでいく。デュソルバートが熾焔弓(しえんきゅう)の完全武装支配術を使ったようだ。

 

 追尾能力を持った火の鳥は縦横無尽に駆け回る飛竜を追っていく。赤の後方にぴったりと張り付き、その嘴が尾に噛みつかんとばかりに触れよとしたときだった。

 

 飛竜の背から深紅の炎が噴き出した。瞬く間に火の鳥が呑み込まれ、それでも止まることなく飛竜は背からブレスを吐き続ける。

 

 目を凝らすと火を噴いているのは飛竜ではなかった。影の方だ。あの手に持っているのは間違いなく剣で、そこから炎が出ていたのだ。

 

 炎がやむと、カセドラルの周囲は瞬く間に黒煙が立ち込めていた。それほど濃くはないが、これでは術師たちの照準が数舜ほど遅れてしまうだろう。まだレーダー技術のないアンダーワールドで、戦闘時の状況把握は視覚に大部分を頼らざるをえない。

 

 煙幕、と俺は悟った。あの炎が術の迎撃ではなくこれのために放たれたというのなら、あの飛竜の乗り手は相当に熟練している。

 

 煙が宙に撹拌され薄くなる頃には、飛竜の姿が消えていた。フロアが丸ごと展望デッキになっている望楼のどこから見ても、飛竜の翼や尾は陰もない。防衛部隊も見失ったらしく、攻撃はやんでいた。

 

 整合騎士たちと案を出し合った対策マニュアルは我ながら完璧なはずだった。どこにいようが抜かりなく配備した弓隊と術師たちが補足し撃墜できるように――

 

 どの方角、高度――

 

 頭の中が整頓されていくような錯覚にとらわれる。雑念が排除され、論理的思考がクリアに演算処理されていくように。そこから結論はすぐに導き出された。

 

 話し合いの中で想定されていなかった、死角となる方角。

 

「上だ」

 

 呟くと同時、俺は望楼の縁から身を乗り出して空を見上げた。

 

「敵は上から来るぞ!」

 

 風素術の応用で拡散させた声を飛ばす。太陽を背にして飛竜は上空から真っ逆さまに降りてきた。その姿は飛ぶというより、もはや重力に身を任せた落下と言っていい。

 

 下階から弓と火が真上へと絶え間なく昇っていく。だがそれらは飛竜を掠りもせずそのまま虚空へと消えた。逆行で照準が上手く定まらないのだ。完全に奴の手の内で俺たちは踊らされている。

 

 あちこちへ闇雲に飛んでいく射線で部隊が完全にパニック状態なのが分かった。赤の巨体が近付くにつれてその姿がはっきりと分かるが、それに比例し俺も恐怖していた。

 

 あれは悪魔の駆る生物だ。その姿を見る者全てを焼き払ってしまうほどの。

 

 その恐怖を貫くような閃光が空へ伸びた。ファナティオの天穿剣(てんがいけん)。一瞬にして伸びた一筋の光の柱は、飛竜の右翼を貫き焼き切った。

 

 片翼を失ってバランスを崩した巨体がきりもみ回転を起こす。そこへ追い打ちをかけるように、デュソルバートの放っただろう火の鳥が突っ込み爆発した。包み込むほどの炎から、全身を黒い煤に染めた飛竜が出てくる。

 

 翼膜が焼けただれ、開いた顎からはブレスではなく煙を吐き出している。間違いなく絶命していた。望楼のすぐ脇を過ぎ、カセドラルの壁にぶつかりながら落下していく生物を俺は見下ろす。

 

 下から何かが崩れる音がした。飛竜の落下衝撃による音じゃないのは明らかだった。だが有り得ない。膨大な天命を誇るカセドラルの大理石を破壊するなんて。

 

 背中に冷たい戦慄が走る。絶命した飛竜の背には誰も乗っていなかった。吹き飛ばされた可能性も十分にあるが、もし乗り手がまだ健在だとしたら――

 

 予感を裏付けるように俺の勘が働いた。アンダーワールドのシステムに介入し、気のせいなどと見過ごせない直観が。

 

「様子を見てくる」

 

 「あっ」と呼び止めるアスナの声に「すぐに戻る」とだけ言って、俺は階段を駆け下りた。90階まで着いたら、そこからは昇降盤で一気にフロアを下っていく。

 

 降りていくほどに、背筋の悪寒が強まっていくのが分かった。何かに近付いているのだ。どす黒い、これまで対峙してきた敵たちとよく似た気配が。

 

 これは、殺気。

 

 腰に提げた2本の剣を固く握り締める。1本はこの世界で10年以上もの時を共に過ごした相棒《夜空の剣》。もう片方は亡き親友の形見である《青薔薇の剣》。

 

 ――ユージオ先輩が一緒に戦いと言った気がしたんです――

 

 騎士たちを招集したとき、ティーゼはそう言って俺にこの剣を託してくれた。もうこの剣にあいつの魂は欠片も残っていないはず。けど、不思議とまだ親友の気配を剣から感じ取れるのだ。

 

 ごめんティーゼ、必ず返すよ。ユージオ、また一緒に戦ってくれ。

 

 80階で昇降盤を止めた。扉を開けば、そこには豊かな緑と澄んだ川のせせらぎに満ちた《雲上庭園》が広がっている。

 

 破壊されただろう壁は見事に自動修復されていた。俺が初めてアリスと戦った時のように、どこが壊れたのか全く分からない。

 

 修復に阻まれ侵入できなかった、なんて日和見るにはフロア全域が不穏すぎた。いつもは食事や談笑といった憩いの場として開放しているこの庭園にそぐわない。揺れる草穂は怯えているようにも見える。

 

 その根源は丘の上に立つ金木犀の若木のもとにいた。足元までを覆う黒いロングコートに目深に被ったフードと肌の露出を極限までに抑えているが、影に隠された目で俺の姿を捉えていることは明確に分かった。

 

 静かな、それでいて激しい殺気だった。近付くにつれてそれは強まり、まるで嵐の暴風へ真正面から向かっているような感覚だった。

 

「人界統一会議代表剣士か?」

 

 先に口を開いたの向こうだった。抑揚のない冷たい男の声だった。

 

 「そうだ」と答えつつ、俺も質問する。

 

「お前は《死神》なのか?」

「ああ」

 

 簡潔に答え、《死神》は腰に提げたものを掴む。赤いそれは人工物のような意匠が全くなく、切り落とした生物の尾をそのままぶら下げたようなものだった。

 

 まるで、飛竜の尾のような。

 

 《死神》が抜くと尾から鋼の剣が現れる。下段に軽く振った直後、《死神》が地面を蹴った。

 

 俺はすぐに剣を抜かず、後ろへと引いた右手を振り下ろした。常人ならば滑稽に見えるだろうその動作に《死神》は狼狽えることなく、走りながら剣を横薙ぎに振るい俺の《心意の刃》を薙いだ。

 

 狼狽えたのは俺の方だった。視認すらできない《心意の刃》を理解しそれを弾くとは。その小手調べが命取りで、鋭い肉迫に、俺も《夜空の剣》を抜き奴の剣を受け止める。重い一撃だった。ただ剣をかざしただけでは弾かれていただろう。足を踏ん張りながら俺は問う。

 

「何が目的だ!」

 

 返ってくるのは沈黙。聞き入れる耳を持たんとばかりに、《死神》は更に剣を押し込んでくる。

 

 押し返せる。そう悟った俺は力任せに剣を弾いた。だが直後に足が俺の腹に打ち込まれる。そのすぐまた直後に剣が。

 

 何とか防いでみせたが、上乗せされた身体への衝撃に俺は間合いを取りつつ体勢を立て直す。奴のほうも、いつでも俺を殺せるとばかりに剣先をこちらへと向けている。

 

「眠っている最高司祭を殺すつもりか? それなら無駄だぜ」

 

 軽口を叩きながら俺は思考する。こいつが《死神》で現体制を打倒しようとしているのなら、狙いは公理教会の最高指導者であるアドミニストレータだろう。だが彼女は10年以上前に(たお)れた。混乱を防ぐために休眠に入ったと民衆には伝えているが、ここで真実を告げたところ奴は引き下がるか。

 

 いや、それは無いだろう。新体制の公理教会を率いるのが代表剣士である俺と知れば、標的が俺であることに違いはない。

 

 どちらにしても、俺はここで奴を倒さなければならないことに変わりはないのだ。

 

 《死神》が再び肉迫してくる。右手の《夜空の剣》で攻撃を受け止めた瞬間、左手で抜いた《青薔薇の剣》を抜きざま横薙ぎに振るった。ここで出し惜しみをしたら間違いなくやられる。

 

 だが、親友の剣は奴の眼前で止められた。受け止めたのは、奴が左手に握る竜の尾のような鞘だった。

 

 驚愕で力が緩んでしまう。その隙を《死神》は見逃さず、弾いてすかさず二刀を突き出した。俺は上段から2本とも叩き伏せるが、《死神》は跳躍し真上へと瞬時に移った。

 

 その時も剣と鞘が飛んできて、俺は身を屈めて紙一重で避けてみせた。背後に着地してすぐにまた剣と鞘が絶え間なく繰り出され、それを防いでもすぐにまた跳躍とステップで別方向から攻撃が飛んでくる。

 

 速い。防戦になりながら、俺は混乱もしていた。アンダーワールドでもシステム上二刀流は可能だ。リーナ先輩も剣と鞭を同時に使いこなしていたのだから。それでもあくまで彼女の剣は邪道扱いで、好んでふたつの武器を扱う流派なんてそうそうない。

 

 強く地面を蹴った《死神》が、跳躍と共に突っ込んできた。宙で身体を回転させ、その遠心力に上乗せした剣と鞘を間髪入れず放ってくる。

 

 鋭い連続攻撃に吹っ飛ばされた俺は、着地する《死神》を凝視した。

 

 間違いない。今の動きは《ダブルサーキュラー》だ。俺と同じ《二刀流》ソードスキル。

 

 続けて剣が突き出された。猛スピードで真っ直ぐ俺の心臓を狙う剣は、直前で《青薔薇の剣》を添えて軌道を逸らすことで直撃を逃れた。

 

 今のは《リニアー》だ。アスナの得意技とも言えるもので、その動きは俺もよく見てきた。

 

 そもそも、これまでの奴の剣筋は見覚えのあるものばかりだった。寸でのところで防御できたのは、俺が身体でそれらの動きと対処法を知っていたのが大きい。

 

 この男の繰り出す剣撃は間違いなくソードスキルだ。だけど完全じゃない。あくまでそれを模しただけの動き。

 

 いや、と俺は勘違いに気付く。この男は敢えてスキルの構えを取らずに技を繰り出している。システムに身を委ねたスキル後の硬直時間は命取りになるのだ。1対1での戦い、すなわち《デュエル》においては。

 

 それは俺にひとつの、有り得ないはずの結論を導き出した。

 

「お前は、SAO生還者(サバイバー)なのか……!」

 

 男は応えない。代わりとして、重い剣と鞘を俺に振り続ける。

 

 俺とアスナが取り残されてから10年が経っても現実世界(向こう側)からのコンタクトはない。まだ限界加速フェーズ状態にあるこの世界にはどの回線からも侵入不可能のはずなのだ。仮にできたとしたら、それはオーシャンズ・タートルにあるSTLだけのはず。

 

 それに、奴の疑似的な《二刀流》。あの世界で俺にしか使えないはずのソードスキルを繰り出したということは、単なる模倣ではなく奴もまた剣技を使っていたことに他ならない。

 

 何故。問いばかりが脳内を駆け回っていく。《死神》は答えてはくれず、ただ剣と鞘を振り続ける。

 

 Poh(プー)やガブリエルとは違う。己の欲望のままでなく、その剣には純粋な殺意しかない。俺への恨みもなく、ただ殺そうとするための。

 

 俺は恐怖した。同時に高揚もしていた。自分と互角に渡り合える相手と純粋に剣を打ち合えることに。それはどこか、強制シンセサイズによって俺と相対したユージオとの戦いの時とどこか似た感覚だった。

 

 大技を使うか、なんて誘惑が脳裏をよぎる。だがそれは自分で自分の首を絞めかねない。奴も同じ《二刀流》使いなら、俺の《スターバースト・ストリーム》も《ジ・イクリプス》も見切ってしまうだろう。自分の使える技ほど対策しやすいものはない。

 

「せあっ」

 

 渾身の力を込めた一太刀が、《死神》の剣を弾いた。宙を舞った剣はそのまま地面に落ちるはずだったのだが、鋼の刃が静止しその切っ先が真っ直ぐ俺の方を向いている。

 

 心意の(かいな)――

 

 悟った瞬間、まるで矢のように剣が飛んできた。弾いた剣は再び宙を踊るが、途中でまた静止し今度は持ち主の手中に帰っていく。

 

 これは、いよいよ出し惜しみをしていられる場合じゃない。

 

 俺は両手の剣を構えた。水色の光が灯り、システムという概念によって加速された俺の肉体が奴へと迫る。高速で放った1撃目をバックステップで避けた奴の両手にある剣と鞘が青く光った。

 

 《スターバースト・ストリーム》よく似た高速の剣尖が二刀で襲ってくる。ほぼ同じ技をほぼ同じ速さで、俺たちは火花を散らしながら打ち合った。

 

 頼みの綱は俺の心意だ。こいつを倒すというイメージをシステムに反映させ、もっと速く剣を繰り出さなければならない。コンマ1秒の差が勝負を決する。

 

 もっとだ。もっと――

 

 《死神》の動きも速かった。繰り出される青の剣はまるで流星群のように絶え間なく、1歩も引くことなく。

 

 最後の16連撃目を放った。奴の方も15連撃目を放ち、打ち合った衝撃派で周囲の草花を薙ぎ払った。

 

 奴のソードスキルは15連撃で打ち止めらしい。俺が先に1撃を繰り出したから、出し切った俺たちは鍔迫り合いをしたままシステムに乗っ取って硬直時間に囚われる。

 

 俺の心意は追加の1撃を放てなかった。覚悟が足りなかったのだ。この男を本当にここで殺していいものか。その迷いが追撃を阻んでしまった。

 

 硬直は同時に解けた。ほぼ同時に俺たちは互いの腹に蹴りを入れて、再び間合いを取る。

 

 あちらは俺を殺す気満々らしく、跳躍し二刀を振り上げた。迎え撃とうと敵を見上げたとき、俺の目がくらんだ。天窓から差し込む陽光。それを背にした《死神》の方に地の利ならぬ天の利があった。

 

 一瞬。相手に隙を生じさせるにはそれだけで事足りる。それを作ってみせた奴に、俺は敗北を悟った。敵を殺すためのあらゆる技術を持ち合わせているからこその《死神》だったのだ。

 

 剣と鞘が空を斬る音が耳孔をかすめる。次の瞬間には脳天が両断されているだろう刹那、肉を断つグロテスクな音がした。

 

 宙で《死神》の胸が反り返り、その中央から細い剣が突き出ていて串刺しにされていた。振り下ろされた剣と鞘は俺の両脇を抜け、だらりと提げられた手と共に揺らめいている。

 

「アスナ………!」

 

 俺は《死神》の背後でレイピアを突き出した彼女の姿を認めた。全力疾走してきたのか息が荒い。それに怯えているようにも見えた。

 

 アスナが剣を抜いた。《死神》は胸に穴を開けられながらも着地し、その反動でフードがはだける。

 

 現れた顔は長めの黒髪に黒い瞳の若い青年だった。その目が鋭く俺を見据え、剣と鞘を構えて地面を蹴る。

 

 執念は恐ろしいが、やはり重症なのか動きが先ほどよりも大分鈍くなった。完全に動きを見切った俺は、突き出された剣に身を翻して避け、奴の真横へと移りその両腕を一閃した。

 

 肉体から離れた腕が鈍い音を立てて、赤い剣と鞘を握ったまま床を転がる。

 

 それでも奴は止まらない。2、3歩たたらを踏んだ右足が、力強く床に着くのを俺は見逃さなかった。

 

 次の瞬間にはその右足が勢いよく振り上げられる。だが、俺はそれも見切っていた。眼前に接触する前に剣を一閃し、右足は脛の途中でぷっつりと途絶え宙を舞った。バランスを崩した《死神》は四肢の大半を失って、ようやく仰向けに倒れた。

 

 床に落ちた足の踵から細身の短剣が突き出している。こんな奥の手まで仕込んでいたとは、《死神》の呼び名に相応しいほど殺しへの執念が凄まじい。

 

 アスナが俺の横について腕に固くしがみ付いてきた。震えている。心配かけてごめん、という謝罪を込め、俺は彼女の手を握った。

 

 草地に倒れた《死神》が俺たちを見上げている。端から血を流す口から深い溜め息が漏れた。

 

 何て穏やかな顔をしているんだろう。まるで懐かしい友人と再会したかのような顔だ。さっきまでの殺意に満ちた《死神》と同じ人物とは思えない。俺とアスナはただ困惑することしかできなかった。

 

 そこに倒れていたのはもう《死神》じゃなく俺たちと同じ人間だった。その目には無念も未練も感じられない。

 

 これではまるで、この男は死にに来たようなものじゃないか。

 

 貫かれた胸と失った手足の断面からは血が流れ続けていて、床に血だまりを広げていく。天命は急速に減少していることだろう。

 

 天命が尽きる前に、俺はどうしても訊いておきたかった。問うべきことは多くある。どうやって現実世界から来たのか。あの浮遊城にいたのか。それを差し引いても、これだけは訊きたかった。

 

「なぜ、こんなことをしたんだ?」

 

 逡巡を挟み、《死神》はか細い声で答えた。

 

「英雄は、ひとりでいい………」

 

 野望を携えたかのような言葉だが、俺には別の意味に聞こえた。迫りくる自身の死に恐怖を、それをもたらした俺やアスナに怒りを向けないこの男が新たな世界の英雄を目指したようには、到底思えなかった。

 

 この男が英雄とみたのは――

 

 その確証を得るのはもはや叶いそうにない。男の顔から生気が緩やかに失われていく。

 

 その両目が眠るように閉じていくのを、俺は沈黙したまま見届けた。

 

 

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