ソードアート・オンライン パラダイス・シフト 作:hirotani
1
暗闇に踏み入れた瞬間、入口が閉じた。「ナミエ!」という代表剣士の声も閉ざされ、一切の音がなくなる。
恐怖を覚える暇もなく、視界が明転した。あまりに眩しくて目を閉じた。目蓋越しの光が弱くなった気がして、ゆっくりと目を開く。
目の前に広がっていたのは、人界の街だった。いや、本当に人界だろうか。見たことのない街だ。行き交う人々は皆剣士のようで、男女問わず腰に剣や槍といった武器を携えている。随分と物々しい光景なのだが、人々の顔に緊張はなく笑顔ばかりが飛び交っている。
そんな人々の中。広場の中央に私の知る顔があった。
服の上に革の胸当てだけの軽装をした、黒い髪と瞳の少年。シンセシス・ゼロと思った。けどその顔はとても穏やかなもので、思春期のまだ純情さを残したあどけなさを備えている。
少年のもとへ、少女が近付いていく。陽光を浴びて赤褐色の光を帯びた、長い黒髪の少女。
私は目を剥いた。その姿はまさに、10年前の私の少女時代と瓜二つだったからだ。腰に提げた剣が何とも似合わないその姿を認め、少年は満面の笑みで彼女を抱きしめた。
「ここが、すべての始まり」
不意にそんな声が傍に聞こえ、私は軽く悲鳴をあげながら振り向いた。少女が立っている。今少年と抱擁を交わしている彼女――昔の私とよく似た少女が。
「あなたは……?」
消え入りそうな掠れ声で訊いた。「マヒロ・ナミエ」と少女は何の感情もない声音で答える。
「セツナの中にこびり付いた魂の欠片。そしてここは彼の記憶」
青かった空が、急に茜色へと転じた。広場のあちこちで鮮やかな青い光の柱が立ち、そこから人が現れる。
彼らは一様に空を見上げていた。私もその視線を追うと、真っ赤なローブを纏った巨人が人々を見下ろしている。いや、果たして本当に見ているかは分からない。フードの中は暗闇で、そこにあるはずの顔が見えないのだから。
――プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ――
巨人から男の声がした。広場の人々が騒めき出し、それはやがて怒号や悲鳴に変わっていく。
彼らと同じ場にいながら、私も彼女もその絶望を俯瞰していた。
「1万人もの人たちがソードアート・オンラインの世界に閉じ込められた。けどわたしとセツナにとって、一緒にいられる世界は楽園だったわ」
そう言って《ナミエ》が見つめる先には、人々の合間を縫って広場から出ていく少年と少女の姿があった。
私たちを取り巻く景色が変わり、そこは草原になっていた。西の空に沈もうとしているソルスを背に、セツナと《ナミエ》が抱き合っている。
――怖くないのか? ここで死んだら、現実でも死ぬんだぞ――
――セツナがいてくれるもの――
再び場所が変わる。そこは森の中に建つ小さな家。そこで、少年と少女はソファでくつろぎお茶を飲んでいる。まるで夫婦みたい。《ナミエ》が手にしたバイオリンの奏でる音を、セツナは穏やかに笑いながら聴き入っている。
「セツナ、あんな顔して笑うんだね。幸せそう」
「ええ。彼はどこにでもいる普通の男の子よ。強気なくせにわたしがからかうとすぐ赤くなるような、初心で可愛いところもあるの」
「よく、知ってるね」
「愛し合っていたもの。溶け合って、こうして彼の中に残ってしまうほどね」
《ナミエ》はいたずらっぽく笑った。でもすぐに悲しそうな顔をする。
「ここからは、あなたのよく知る彼よ」
1本の樹を中心に花畑が広がっている。いつか私が彼と見に行った、ルーリッドの花畑とどこか似ていた。
花畑の中でふたりが倒れている。昼寝なんて穏やかなものはなく、苦しそうに顔を歪めて互いの手を掴もうと腕を伸ばしていた。
――ゲームオーバー――
黒いポンチョを着た男が、そう言って嘲笑いながら《ナミエ》の背中に赤い剣を突き刺した。彼女の肉体が色彩を失い、まるでガラス細工のように粉々に砕け散った。
悲鳴が轟いた。セツナの声だ。そこはどこかの、光が届かない洞窟らしき場所。そこでセツナは、さっきのポンチョとは別の男に剣を何度も突き刺していた。男に手足はなく、耳と鼻も削がれていた。
不思議なことに血が一滴も流れていない。切断された箇所には、赤い網目模様が張り付いているのみだった。
――助けて! 助けてえええ――
片目も潰されて残った目から涙を流す男に、もはや少年らしき純情さを失ったセツナが冷たく告げた。
――死ねよ、お前――
剣が男の顔を両断する。さっきの《ナミエ》のように、男の肉体が砕け散った。
「わたしが死んでから、彼は復讐に生きることになった」
夜の森を、溶けてしまいそうな黒いコートを着た人物が歩いている。腰に提げた剣が月光を浴びて怪しく光り、それを認めた者たちが一斉に各々の獲物を手に彼へ襲い掛かる。
誰の剣も槍も、男に傷ひとつ付けることができない。迫る剣を弾きつつ、手足を斬り飛ばし首を刎ね、その身体を砕けさせていく。
すっかり静かになった森の中で男はフードを脱いだ。その顔は今にも涙を流しそう。けど、枯れてしまったのか彼の目から零れるものは何もなかった。
「あんな苦しそうな顔して殺していたなんて、知らなかった」
「いくら目を背けても、現実は嘘をついてはくれないから」
《ナミエ》は深く嘆息する。その間も、《死神》となったセツナは移り変わる場所で誰かを殺し続けている。
「彼のしてきたことは、ただの現実逃避。現実でわたしと一緒になれないからエスエーオーの世界に逃げた。復讐も、わたしが死んだ現実に耐えられないから。憎しみで悲しみを誤魔化そうとしただけ。これは、現実との向き合い方を見失った子どもが逃げ続けた物語なの」
助けてと懇願する女の胸に、セツナは無慈悲に剣を突き刺した。まだ幼年学校を出たばかりらしき年齢の少年が勇敢にナイフを突き出すけど、それは掴んでいた手ごと斬り飛ばされた。
黒いポンチョの集団を、剣と鞘の疑似二刀流で斬り伏せていくセツナを見ながら《ナミエ》は呟いた。
「皮肉なものね。わたしはずっと、あの人と一緒にいたのに」
「あなたの声は届かないの?」
「わたしは残骸でしかないから」
景色が花畑に戻った。セツナが対峙しているのはひとり。黒いポンチョを着て鉈を持った男。きっと《ナミエ》を殺した男だと分かった。セツナが《死神》になってずっと追い続けてきた、愛する人の仇。
セツナの剣が、男の鉈を砕いた。獲物を失ったその身体に、赤い光を帯びた剣と鞘を立て続けに振るっていく。血は流れない。男の身体には創傷に似た赤い線が刻まれていく。
剣戟を浴びて、男は笑っていた。この戦いを楽しんでいるように見えた。最後の1撃で、男の肉体は砕け散る。
復讐を果たしたセツナは勝利の雄叫びをあげることはなく、ただ花弁が舞い散る宙を呆然と眺めているだけだった。
彼がゆっくりと立ち上がる。その目が私たちに向けられていた。冷たいが、同時に憎しみという熱を帯びた視線は睨まれただけで殺されるという予感をもたらしてくる。
「おおおおおおおおああああああああああああああああっ」
まるで獣のような咆哮だった。両手に剣と鞘を固く握り締めて、私たちへと歩みを進めてくる。
その姿はまさに獣だった。決して満たされない飢えを抱えた猛獣。
「セツナ、《ナミエ》はここにいる! ずっとあなたと一緒にいたの。聴こえないの?」
「無理よ」と《ナミエ》は私を制す。
「ただの魂の欠片では彼を救えない」
「ならどうやって――」
「あなたよ」
彼女の言葉の意味が分からなかった。次の瞬間、セツナの胸に赤い閃光が突き刺さり、その身体を樹の幹に磔にした。
胸に刺さっているのは飛竜の尾だった。痴竜剣と悟ったと同時、剣がひとりでに胸から抜け宙で炎に包まれる。炎は大きく膨らみ、そこから赤い飛竜が現れた。
「やれやれ、誰がこの場に来たと思ったら、まさかお主とはな」
尊大な口調と共に舞い降りる飛竜に、私は「顎門!」と万感の想いと共に呼んだ。舞い上がった花弁の中に佇む顎門は、父のように力強く母のように優しい眼差しで私を見下ろす。
「久しいな、ナミエ。すっかり大人っぽくなりおって」
何て言葉をかけるべきか、離れていた時間が長くて分からなかった。突如として戻ってきた昔日の存在との邂逅は、募らせていた想いを言葉にできなくしてしまう。
「悪いけど、思い出に浸っている時間はないわ」
《ナミエ》が言った。辺りに散っていた花弁が1カ所に集束していく。それは樹のもとにいるセツナのもとへ。
樹の幹から伸びる繊維が、彼の身体に纏わりつく。力なく項垂れたセツナをその胎に収めた樹に舞い散る花弁が張り付いて、まるで鎧のようになった。いや、鎧というべきだろうか。
それは、樹が人のような形に変貌したおぞましい怪物だった。
「憐れな者だ」
顎門が切ない呟きを漏らす。
「想いに呑み込まれ己を見失い人ですらなくなった。もはや我とそこの者がいくら語り掛けても聞く耳を持たぬ」
《ナミエ》は赤き飛竜に臆せず声を張った。
「彼女を彼のもとへ行かせたいの。手伝って」
「簡単に言う。まあ、善いがな」
飛竜の微笑に微笑を返すと、《ナミエ》は私の手を取った。
「あなたに彼を救ってほしいの。あなたならできる」
「それは、私があなただから?」
代替品でしかない私の問いに、本物の彼女は物憂げに目を伏せた。でもすぐに、私を真っ直ぐに見据える。
「ううん、違う。彼が最期の瞬間に愛していたのは、あなただったからよ、ナミエ」
そう告げた彼女の表情には、一切の迷いが見えなかった。10年前の自分と同じ顔のはずなのに、私のような諦念じみたものがない。年相応の、世界の美しさというものを無条件に信じられる純情さが眩しく、そして愛おしい。
こんな顔ができる彼女だから彼に愛されたのだという確信と、そんな彼が何故私をという疑問に脳がかき回されるような錯覚を覚えた。
「まったく」と顎門が溜め息交じりにまくし立てる。
「お主の卑屈さは見ていて腹が立つほどだ。あやつはお主が他の誰でもない、お主として生きていくことを望んでいた。過去の業に巻き込み縛らせまいと、あやつは死地へと向かったのだ。その想いを愛と呼ばずに何と言う?」
脳裏にあの日の記憶がよぎる。こことよく似たルーリッド村の花畑。
あの日、彼は笑っていた。とても穏やかに。その目は花畑ではなく、私に向けられていた。咲き誇る花畑で無邪気にはしゃぐ幼き日の私を。
ずっと、私の存在が彼を苦しめていると思っていた。私は所詮は模造品で、代替品で、偽物でしかない。共に過ごしていくうちに《ナミエ》との違いを次々と見出して、その度に彼女が二度と戻ってこないという現実に絶望していった。苦悩から唯一解放されるのが死だったのだと。
ならば何故、私を殺さなかったのかという問いが生まれる。
その答えが全てで、そして私の間抜けな勘違いだった。
彼は私を視ていてくれていたのだ。《ナミエ》ではなく、あそこにいた私自身を、真正面から。
だとしたら、最後の戦いへ向かおうとした彼が私に告げようとしていた言葉はきっと――
怪物が無数に生えた枝をこちらへ突き出す。でも、それはすぐに断ち斬られた。どこからか、剣を手にした女が飛び出してくる。褐色の肌に灰色の長い髪を後ろに纏めた剣士が。
「剣を取れナミエ!」
また枝がやってきて、それもまた断ち斬られる。次に飛び出してきたのは槍を携えた騎士だった。銀色の鎧に赤いマントを翻した、21番目の整合騎士が。
「あいつを取り戻すのだろう。手なら貸してやる!」
アーウィン、ユーリィ。彼女らもセツナを求め寄り添いたいと願った魂の一部なのだろう。
これだけの人たちが想ってくれているのに彼ときたら。呆れて思わず笑ってしまう。
「さあ、我が剣となろう」
顎門の巨体が縮こまって、痴竜剣の姿に変わる。手に取った剣は細身だけど、とても重かった。これには全てが詰まっている。殺めてきた生命の重みと、使い手と剣自身の積もらせた想いも。
そこにあった言葉の数々を虚空に溶かしてしまうのは、酷く陳腐に思えた。物語は言葉によって紡がれる。そこに連なる言葉こそが、ここに在る私という魂を形作ったのだ。
怪物が大口を開けた。全てを飲み込もうとするかのように。私はそこへ、剣を手に駆け出した。
もう周囲に花畑は見えない。花弁も尽き、全てが暗闇の中へと還ろうとしている。
その中で、左側にすっかり朧気な影になったアーウィンが私に告げる。
「ナミエ、剣は力任せに振るってはいけない。ありったけの想いを込めるんだ」
右側にはユーリィの影がいる。
「君と彼の旅の思い出や、そこにあった想いを全部注ぎ込め」
手中の剣からは顎門の声が聞こえた。
「派手にかましてやれ、ナミエ!」
思い切り剣を一閃する。技術も何もない無様な一振りだけど、剣から飛び出した炎が怪物の枝に燃え移り瞬く間に焼き尽くす。
怪物の呻き声に混じり人の声がした。雑音まみれで聞くに堪えない、でもずっと求めていた彼の声が。
――やめろ、来るな――
私は構わず走り続ける。声はより明瞭に、私を拒絶してきた。傍にいたアーウィンとユーリィが消えていく。ふたりが背中を押してくれた気がした。
――もう何も視たくない。聞きたくない――
「うるさい!」
撥ねつけるように声を張り上げた私の目から涙が零れる。
「私は決めた。あなたの想いを受け止める。怒りも、悲しみも、虚しさも、罪も。ずるさも、いやらしさも、弱さも、全部受け止めるって決めたんだ!
ふざけないで!
いきなり私の前に現れて、いきなり去っていくなんて赦さない。
あなたがくれた生命なんだから、どう生きようと私の勝手。だから――」
剣を構える。決して離すまいと力強く握り締め、全ての想いを吐き出しながら目の前の大樹へ剣を振り下ろす。
「私のもとに戻ってきなさい! セツナ‼」
炎を纏った痴竜剣が太い大樹の怪物を両断した。断面から黒い霧が噴き出して、全てを覆っていく。手の中で痴竜剣はまだ燃え続けている。その熱さに私は思わず手を離してしまい、黒霧の中で炎は自らを燃やし続けていく。
「さらばだ、我が友よ。達者でな」
剣が形を失い火が消えていく瞬間、聞こえた顎門の声が周囲に霧散していく。
視界が明るくなる。というより白くなった。そこには白以外、一切の色彩がない。いつの間にか私の横に立っていた《ナミエ》が手にしていたものを私に差し出した。それはバイオリンだった。
私が受け取ると、《ナミエ》の姿が白の中へ溶けていく。
「彼をお願い」
穏やかな微笑と声を最後に、彼女の魂は微塵も残らずに消えていった。どこに逝ってしまったのかは分からない。きっと彼女自身も。
今度こそひとりになってしまった。いや、ひとりじゃない。白の中で鳴き声が聞こえ、私はそこに向かって歩いた。
どれほど歩いただろう。どこまでも白いから、距離も時間も朧げだ。そのような概念とは無縁の場所なのだ。私だって疲労も空腹も眠気もない。やがて、白の中でうずくまる人影を認める。
その人影は少年の姿をしていた。膝を抱えてすすり泣いている彼は、傍に立つ私に気付いていない。きっと、どんな言葉をかけても気付いてはくれまい。彼女らがいくら語り掛けても、耳を塞ぎここでずっとひとり泣き続けていたのだから。
これが、彼の本質だったのだ。愛した人の死を受け入れらず、前へ進むこともできずその場で泣き続けるだけの子ども。
私は《ナミエ》から託された、鍵というべきバイオリンを奏でた。どんな曲かは知らない。自分の感情のままに弾いたもので、曲と呼べるかも分からない。ただ、彼が穏やかな顔で聴いていたことだけは覚えている。
何もない空間に響く音色に、ようやく泣き虫な少年は顔を上げた。すっかり大人になってしまった私が誰か分かるだろうか。
「俺は、どこで間違えたんだろうな………?」
少年が訊いた。答えなんて、最初から出ていたのに。呆れながらも少年を抱きしめる。その細い身体には確かな熱があった。
どこからなんて、私と彼は最初から間違いだったのだ。間違いを犯し続けた末にこの世界に来た彼と、彼の犯した間違いから生まれた私。
間違いまみれだ、私たちは。けど、間違えても正しさへと進もうと足掻くのが生きることだと、彼は教えてくれた。
足掻いた先に辿り着いたこの選択もまた、間違いなのかもしれない。赦されないのかもしれない。
けど、それでも良いと受け入れられる。少なくとも私は後悔しないし、後戻りもしない。
ああ、と嘆息が漏れた。これこそが、という確信を胸に抱き、少年の涙を指で掬い取った。
「愛してる、セツナ」
2
大樹か枯れた花かも分からないオブジェクトが、突如として鳴動を始めた。地中に張った根も蠢いているらしく、地面を揺らしている。
俺は咄嗟に傍にいたアスナを抱き上げ、背から心意で翼をはためかせて飛翔した。地表が捲れ上がり、機竜が奈落の底へ飲み込まれていく。
高度を更に上げ、オブジェクトを見下ろせるほどにまで飛んだ。オブジェクトが伸びていき、それに合わせ俺も高度を上げていく。
オブジェクトは雲を突き破るほどにまで伸び、ダークテリトリーの黒雲が晴れ太陽の光が燦々と降り注ぐ青空に至ったところでようやく成長を止めた。
先端が大きく膨らんでいる。完全な球体じゃない。尖っているその姿は花のようだ。太陽に向かって健気に茎を伸ばした頂の蕾が裂けて、ゆっくりと開く。
「行こう」
俺はアスナを抱きかかえながら、雲上に咲く純白の花へ向かった。腕の中でアスナがもどかしそうに言う。
「ねえキリト君。私、これが正しいことなのか、まだ分からないの。セツナにとっては、あのまま死ぬことが救いだったんじゃないかってどこかで思っちゃって………」
アスナの言うことも正しい。というより、これは誰の考えも正しいし、同時に間違いでもある。
「そうかもしれないな。俺たちのしたことは、かえってセツナを苦しめることになるかもしれない。けど、彼は知るべきだと思う」
「何を?」
不安そうなアスナに俺は微笑む。
「自分を想う人がいるってことさ。かつて俺が自分自身を否定して、そんな俺をアスナ達が助けてくれたように」
ナミエの手記で《死神》の正体がリアルワールド人で俺と同じSAO
できることなら、違う出会い方をしたかった。もし別の道があれば、ユージオのように彼とも背中を預けられる親友になれたかもしれない。
「確かにセツナのしたことは赦されない。けど、その罪も受け入れた上で彼を愛してくれる存在がいる。いずれ報いを受けなきゃいけない日が来るけど、一緒に生きてくれる人がいることくらいは、赦してあげても良いんじゃないかな」
こんなことを想ってしまうのは、俺も彼と同じように未だにあの城に魂を引かれているからかもしれない。もしかしたら、俺も今こうして腕の中にいる彼女を失えば彼と同じ道を進むかもしれなかった。そんな矮小な親近感が、ナミエのもとへ向かわせたのかもしれない。
「うん、そうだね」
アスナは頷いた。俺には彼女がいる。その幸福を抱きしめながら、花の中へ飛び込んでいく。
そこには花畑が広がっていた。色とりどりの小さな生命たちが咲き誇っている。その中央で、ナミエが誰かを抱きしめていた。
抱きしめられている青年は眠っているのだろうか。一糸まとわず、力なく腕を垂らしている。
その指先がぴくりと動いた。腕がゆっくりと重そうに上がり、ナミエの背に回る。
彼を少しばかり羨ましく思う。このアンダーワールドでの役目を果たし現実世界に帰還した後も、俺はアインクラッドから始まった因縁の戦いに引き込まれ、または自分から飛び込んでいくだろう。
けどいまこの瞬間だけは、因縁から僅かに解き放たれた者の結末を見届けさせてほしい。
《死神》の物語はここで終わる。
そして始まるのだろう。彼と彼女が紡いでいく、ふたりの物語が。
「俺も、愛してる………ナミエ」
『ソードアート・オンライン パラダイス・シフト』 ―完―