ソードアート・オンライン パラダイス・シフト 作:hirotani
1
やけに甘ったるい香りが鼻孔を刺激し、わたしの意識を眠りから引き上げる。
重い身体を起こすと、ベッド脇の机から一筋の細い煙が昇っているのが見えた。贅沢を忘れられない貴族秘蔵の香だ。人界東域に咲く花の香りらしいのだが、不毛の暗黒界育ちのわたしは花というものを知らない。
視線を流すと、机に据えられた椅子でウンベールがお茶を飲んでいた。わたしよりも随分と早い目覚めだったみたいで、正装らしき豪奢な装束を身に纏っている。土地の空気に晒されてか、少しくたびれているけど。
「ようやく起きたか」
言うと、ウンベールはベッドの隅に畳んである布地を指さし、
「今日はそれを着ろ。格式ある儀式は厳粛に行わねばな」
手に取った服にも、香の匂いが染みついている。ドレスというものだろうか、服の構造が分かり辛くて、見かねたウンベールに着るのを手伝ってもらった。身体をべたべたと執拗に触ってきたから、これを狙って用意したのだろう。
「ふむ………」
ようやく服を着たわたしを、ウンベールは値踏みでもするような目で眺める。
「まずまずといったところか。さっさと食事を済ませてしまえ」
用意されていた朝食――固いパンとしなびたふかし芋――をわたしが食べている間、ウンベールは鼻歌を歌いながら剣に油を塗っていた。
あの男を殺すための剣。
油で照りつく刃は、来るべき時を今かと待ちわびているようだった。
「ライオスの馬鹿はその場で罪人を殺そうとした。だから奴は反撃され死んだのだ。俺は奴とは違う」
ウンベールの口から何度も出たそのライオスなる人物について、わたしはこの手記のために追跡することができた。ここに簡単だが、わたしが聞いた情報を記載しておく。
ライオス・アンティノス
人界ノーランガルス北帝国の三等爵家長子として生を受けた彼は、青年に成長すると騎士養成機関である帝立修剣学院に入学した。
この経歴に、当時として特に異端さは見当たらない。人界において爵家の者は子の経歴に箔をつけるため、騎士にするつもりがなくても幼い頃から剣の稽古をつけ修剣学院に入れるものだった。それは彼の「学友」だったウンベールも例に漏れない。
学院の教官として当時のライオスとウンベールを知るアズリカ女史は、彼らのことをわたしに話してくれた。
『ええ、ある意味で印象的な生徒でした。修剣学院で序列を決めるのは成績――即ち剣の腕です。家柄に縛られることなく、己の意志と身ひとつで名を上げることのできる、当時の人界では唯一の場でした。確かに在籍していた生徒は爵家の嫡子が大多数を占めていましたが、平民出身の者もいたことは事実です』
アズリカ女史は厳かな声色で話してくれたが、ライオスの事になると落胆が言葉や声の端々から読み取ることができた。
『ですが、ライオスやウンベールは自らの家柄を笠に着た振る舞いを慎もうとはしませんでした。そのような生徒は珍しくはありませんでしたが、彼らは特に、下位の爵家や平民出身者に対する蔑みの言葉が出なかったところを見たことがないほどです。私も目に余る行為を見つければ指導するつもりでいましたが、彼らは決して学院則を破ることがありませんでした。規則や法の抜け穴を見つけ出す狡猾さは、上位爵家の者ならではのものだったのでしょう』
窺い知れる人柄に、わたしはライオスとウンベールが何故交友関係にあったのか得心がいった。類は友を呼ぶ、という言葉の通り、上流階級の暮らしを謳歌する者同士で引かれ合うものがあったのだろう。
もっとも、他者に敬意などという感情を持たない者同士だ。ウンベールがわたしの前でライオスを侮辱していたことからも、ふたりが本当の友情で結ばれていたのかは首を傾げる。
『何より彼らは、剣技も確かなものを持っていました。特にライオスは、上級修剣士への昇級試験を主席で合格しています。学院に爵家の者が多いのは階級の特権に見えるかもしれませんが、貴族出身者は剣の腕に秀でている者が多いのです。学院入学前、幼い頃より親から剣を与えられ私領地という稽古場もあります。親も修剣学院を出ていて剣の心得があるわけですから、指導員にも困ることはありません。まさに剣の道を志すには至れり尽くせりな環境が生まれながらに出揃っているのです』
修剣学院の序列は家柄ではなく剣の腕、とアズリカ女史は言っていた。学院内ではそうでも、家柄による優位性というものは切り離せないものだったのだ。天職の義務がある平民には、衛士以外では剣に触れる機会すら殆どなかったという。一見すれば修剣学院は平等だが、その門戸は根本ではやはり階級社会の傘下にあったと言える。
『人格に難はあれど、彼らもまた将来有望な修剣士だったことに変わりはありません。残念でなりませんよ。まさか、同じ修剣士に殺されるなどと――』
アズリカ女史から明かされたライオスの死――というよりも、死の場面がウンベールの人格に影響を及ぼしたとわたしは推測している。
殺人事件など、ノーランガルス帝立修剣学院始まって以来の出来事だったのではないだろうか。少なくともアズリカ女史からは、殺人事件どころか規則違反行為があったこと自体皆無だったと聞いている。
まず殺人事件の経緯だが、その発端と言えるのはウンベールだった。修剣学院では成績上位者に数えられる上級修剣士には専属の指導を教授する代わりとして、身の回りの世話係となる《傍付き錬士》と呼ばれる生徒が存在した。要は学院内における子弟関係なのだが、ウンベールは傍付きとした少女に職務から逸脱した不適切な業務や懲罰を命じていたのだという。
それを見かねた傍付き錬士の学友ふたりがウンベールと彼と寮の同室だったライオスに抗議したところ、上位爵家に対する逸礼行為として学院則より上級法である貴族裁決権を行使した。
そう、わたしにも行使した、罰の内容に際限がないあの貴族裁決権である。
ライオスとウンベールは下位爵家の者だった生徒ふたりにわたしと同様の懲罰を課そうとした。
だが幸運にも、彼女たちが身を弄ばれることはなかった。行使寸前で彼女たちが傍付きを務めていた上級修剣士たちが現場に乱入し、その場でウンベールは左腕を斬られ、ライオスは両腕を斬られた上に天命を全損し死亡した。
このとき現場から逃げ出し、斬り飛ばされた腕から血を垂らしていたウンベールを保護し治療を施したのが、アズリカ女史だったのだ。
『あの時のウンベールは、酷く怯えていましたよ。化け物に襲われたとか、何度も泣き叫んでいました。彼を見て、怖れていたことが起こってしまったと悟りました。それも最悪な形で』
ウンベールを負傷させ、ライオスを殺めた実行犯の上級修剣士ふたりは、事件の翌日に公理教会の整合騎士に連行されていった。その後のふたりがどうなったかアズリカ女史から聞くことはできなかったが、処刑されたと考えるのが妥当だろう。民衆に法を守らせるには、法を行使しなければ意味がない。
『有望な修剣士を、同じく未来ある修剣士に手を掛けさせてしまいました。事の一報を受けて実行犯の者たちと会ったとき、私は己の愚かさを思い知らされました。私が教官として、何故生徒たちを育てていたのか。彼らに何のために剣を取らせるのかを全く考えてもいなかったのです。そんな私の怠慢が、ライオスやウンベールにあった邪心を育んでしまったのでしょう』
アズリカ女史はこの一件の責任を取って教官の職を辞そうとしたのだが、生徒たちの嘆願運動によって職を続役し、わたしと会った頃も現役で教官を務めていた。
ノーランガルスの修剣学院から人界守備軍で名将と謳われるソルティーナ・セルルト、ウォロ・リーバンテイン、ゴルゴロッソ・バルトーを輩出したことからも、彼女の指導力を物語っている。
2
屋敷前の広場には、村の私領民全員が集められていたようだ。小さな村と思っていたけど、集合してみると案外多かったんだな、と今更ながらに思った。
広場を囲うように置かれた松明の火が、昼間でも薄暗い空へ火の粉を飛ばしていた。まるで神への供物みたいだ。
群衆の視線の先には、杭に縛られた罪人が立っている。ただ昨日見たものと同じ光景とはならず、杭に縛られたのはセツナに加えてもうふたりいた。
ベルトを絞めたズボンから零れそうな腹の中年男性と、対称的に痩せ過ぎた中年の女性。
「これは………」
わたしが困惑の目を向けると、ウンベールは愉快そうに笑いながら、
「ああ、侍従長はどうやらお前に狼藉を働いたそうではないか。いたいけな乙女の肌に触れる重罪行為を見逃していたなど、領主としては大変遺憾だよ」
「違う――」
「ん、もしやエメラか。エメラは大罪人を家に匿っていたのだ。これは重大な禁忌と言えるだろう」
饒舌なウンベールに、わたしは開いた口が塞がらないまま縛られたエメラへと目を向けた。捕縛の際に抵抗したのだろうか、服は破られ腕の切り傷からは血が滴っていた。
同じような傷が侍従長にも刻まれているのだが、彼はそれに加えて口に布を嚙まされていた。よほど耳障りに喚き散らしていたのだろう。縛られた3人の中で最も重い罪を犯したセツナがほぼ無傷なのは、何とも皮肉だろうか。
昨日、セツナの処刑を言い渡した時にウンベールが何故にあそこまで愉悦の笑みを浮かべていたのか、ようやく分かった。
「その顔だ」
その時と同じ笑みで、ウンベールはわたしの顎を摘まみ上げて接吻しそうなほどにまで顔を近付ける。
「お前のその顔が見たかったのだよ。いくら俺が屈辱を与えようとも、お前はいつも澄ました顔をしていたな。生意気な小娘が全てを見透かしたように」
歪んでいる。
ウンベールの心にある歪みは何処から生まれたのだろう。貴族という階級社会か、それとも彼自身の魂が元からそうだったのか。
「俺の思い通りにならないものなど無いのだ、ナミエ。お前の身体も心も全てな」
顔を背けようとした。けど、ウンベールの手はそれを許さずわたしの顔を自身に向けさせ続ける。
「その絶望を
ようやく手を離し、「見よ!」とウンベールは私領民たちへ声を張り上げた。
「これが罪人の姿だ。我が誇り高き衛士隊を殺めた者。その大罪人を匿った者。無垢な少女を辱めた者。このような神をも怖れぬ所業、私の手で罪を祓わなければならぬ。この四等爵士当主、ウンベール・ジーゼックの手で」
ウンベールの口上を、この時のわたしはまるで聞いてなどいない。こうしてここに綴ることができたのは、当時現場にいた青年が覚えていてくれたからだ。わたしがこの時考えていたのは、全く別のこと。
その絶望を肴に――
ウンベールはわたしの顔を見てそう言っていた。わたしは絶望の表情を浮かべていたのだろうか。だとしたら、一体どうして。
エメラへの情なんて無いはずだ。彼女はわたしに都合よく母親面するだけの同居人。わたしの求めているものを知っているはずなのに、それを与えてくれない。そんな彼女はむしろ疎ましいはずだったのに、この胸の疼きはどうして起こっているのか。
「まずはオスホ、貴様だ!」
侍従長の杭に巻かれていた縄を、衛士が剣で斬った。別々の縄で縛られているらしく、後ろ手で不自由なまま地面に倒れ身をよじらせている。必死な形相で叫んでいたが、猿ぐつわに言葉が阻まれている。
中年男がまるで水揚げされた魚みたいに暴れ泣き叫ぶ姿に痺れを切らしてか、衛士が脇腹を剣で突いた。先端だけだから大した怪我じゃないはずだけど、侍従長は金切り声らしきものを猿ぐつわの奥であげた。
暴れはしなくなったけど、今度は動けずに震え始める。膝は笑い、今にも崩れ落ちてしまいそう。溜め息をついた衛士ふたりが両脇から腕を持ち上げ、もはや荷物のように処刑台へと運んでいく。
罪人が処刑台で膝を付けさせられる。処刑台には膝の高さくらいの枕木が置かれていて、そこに頭を乗せれば丁度よくなるのだ。頭を落とす側も、落とされる側にとっても。
ウンベールは威風堂々とした佇まいで台の階段を上り、侍従長の傍らに立った。腰にある剣を抜くと、離れたところにある松明の火を反射した光が揺らめく。
「今までご苦労だった、オスホ」
衛士によって頭を台に縛り付けられた侍従長の縋るような目は、傍から見ても憐れなものだった。涙と鼻水で顔を汚し、猿ぐつわのせいで最期の言葉さえも紡がれないなんて。
ウンベールは狂暴な光を反射する剣を高々と掲げる。その顔に満面の笑みを浮かべながら、一直線に振り下ろした。
その瞬間、淡く炎を反射していた刃がその赤を一層濃くして輝いた。あれは《秘奥義》の輝き。剣の道を修めた者が習得できるとされる、剣の鋭さと肉体の強さをより高めることのできる技。修剣学院でライオスの次席だったウンベールにとって、秘奥義の習得は容易だっただろう。
赤の光が弧を描き、侍従長の首を通過した。振り下ろされた刀身が輝きを失うと同時、侍従長の頭がごろん、と軽い音を立てて処刑台に転がった。
見物していた誰もが、首を失った侍従長の身体に視線を釘付けさせていた。目の前で繰り広げられた死の舞台。ひとりの断末魔と天命を奪った音というのは、魂の深淵にまで響き渡る。あの瞬間、あの場にいた者たちは皆魂の奥底から湧き出る恐怖に打ち震えていたことだろう。勿論わたしもそうだ。
ただし、ひとりだけは違ったらしい。
侍従長の離れ離れになった首と胴体を処刑台から蹴落としたウンベールが、剣を指揮棒のように残った罪人たちへ向ける。
「さて、次はどちらにしようか?」
どちらも殺すつもりだというのに嗜虐的なことを。エメラが侍従長と同じ姿にされる。首を落とされ、虫けらみたいに打ち捨てられる様を想像すると、胸の疼きが増して締め付けられるように痛んだ。
「お願い、エメラは見逃して!」
控えていた衛士たちの中から飛び出した声が自分のものだと気付くのに、しばしの時間を要した。衛士たちは怪訝な目をわたしに向けている。
「ナミエ、黙ってな!」
大人しく最期の時を待っていたエメラが怒号を飛ばした。余計な事を言えばわたしも処刑されると思っての言葉だったのかもしれない。でも、それが焦燥に溢れていたわたしに苛立ちを加えさせた。こんな時でも母親面を貫こうとする。
「お願いします、どうか………」
エメラへの情とか、そんな綺麗な感情なんかじゃない。意地と言っていい。この気持ち悪いものがない交ぜになった感情をあの女にぶつけないと気が済まないのだから。
この時のわたしはどんな顔をしていたのだろう。ウンベールはわたしを見て、ふむと顎に手を添えた。その顔にほんの微かな思考の色を浮かべて。
「お前は優しい娘だ。ああ、助けてやるとも、他でもないお前の望みならば。さあ、母の縄を解いてやれ。抱擁しその温もりを確かめ合うといい」
芝居がかったウンベールの弁に毒づきたい衝動を抑えながら、エメラのもとへと走った。
近くで見たエメラの顔は酷くやつれていた。たったひと晩で人間の顔とはここまで変わるものだろうか。いや違う。彼女は元からこんな顔だった。変わったと感じたのは、わたしが普段から彼女の顔を見ようともしなかったから。
それでも、わたしからは憎まれ口しか叩き出せない。
「あなたは……あなたは何をしてるの? こんなところで!」
自分でも何を言っているのか、まともな理解なんてできなかった。
「よしな、助かるはずがない。あんたまでこっち側になるよ」
「黙ってよ!」と撥ねつけながらわたしはエメラの手首にかけられた縄を解こうとするけど、結び目が固すぎた。衛士隊からナイフの1本でも要求すれば良かったけど、そんな判断が鈍っていたわたしは素手で懸命に結び目を緩めようとした。
「………こんな時でも、こういうのは嬉しいもんだね」
呟いたエメラの声は場違いなほどに穏やかだった。
「やっと分かったよ。子供を気遣ってやることは誰でもできる。子供のために死ねるのが、親ってやつなんだ」
一体何を言っているのか、真意を訊こうと見上げたエメラの目からは涙が頬を伝っていた。
「ごめんよナミエ。あたしじゃ、あんたの母親になれなかった――」
空を切る音がした。
瞬間、エメラの顔が何かに押されたように右へと傾き、そのままだらりと垂れた。側頭には左方向から飛んできたであろう矢が刺さっていて、突き出した右側の先端からは血が滴っている。
目の前にいるのが、一瞬前までエメラだった骸と理解できたところでウンベールの高笑いが響いた。
「これは失敬した。飛んでいる鳥が邪魔だったので撃ち落とそうとしたのだが、いやはやまさかエメラに当たってしまうとは。衛士隊も弓の訓練を強化せねばなるまい」
彼に同調するように笑っているのは、敢えて狙っていたのだろう衛士隊のみだ。私領民たちの方から笑い声はせず、かといって怒声も聞こえなかった。
「さあ、本命を片付けるとするか」
ウンベールが指示すると、控えていた衛士のひとりが弓を降ろした。剣を抜きながら杭へと歩いてきて、セツナの縄を切る。
「来い」と不躾に彼を処刑台へ歩かせようとしたのだが、ほんの僅かでも彼に自由を与えてしまったことが、この衛士の運命を決した。
衛士の身体が、突然倒れたように見えた。それはセツナが彼の脚を引っかけたからなのだが、衛士自身それに気付かず転じた視界に戸惑いの表情を浮かべているように見えた。
その身体が仰向けになった瞬間、セツナの脚が衛士の首元へ刺すように突き立てられた。硬いものが折れる音がして、びくんと身体を震わせた衛士は動かなくなった。転がった剣に縛られた手を近付けたところで、傍にいたもうひとりの衛士が状況を理解し剣を抜く。
「このおっ!」
それが彼の断末魔になった。声を発した彼の口には剣が突き刺さっていて、それがさっきまで転がっていた、もうひとりの衛士が持っていた剣。それを握るのは、縄から完全に解き放たれたセツナだった。
「奴を殺せ!」
ウンベールが叫ぶように指示を出した。
「しかし私領民に――」
異議を申し立てた衛士を「構うものか!」とウンベールは一蹴する。そんなやり取りをしているうちに、剣を食わされた衛士の僅かに残っていた天命が完全に削がれた。白眼を剥いたその骸は口から剣を抜かれると糸が切れたように崩れ落ちた。
エメラを撃ったのと同じ音が、今度は立て続けに聞こえた。わたしは咄嗟に近くにあった衛士の死体に隠れる。死体の陰から見上げたセツナはというと、彼は殺したばかりの衛士の死体を盾のように掲げている。衛士の鎧は飛んでくる矢をある程度は防いでくれたけど、鎧の天命が尽きると容赦なく肉体へ矢が突き刺さる。もっとも、それは死体なのだけど。
「システム・コール――」
《神聖術》の詠唱が始まった。ただでさえ空間神聖力が薄い暗黒界だと、1発放つのが限度だろう。
衛士を投げ捨てたセツナの持つ剣が、澄んだ水色の光を放ったように見えた。
急接近されて術師が動揺したのか、素因が周囲を巻き込んで暴発した。爆炎と煙の中から聞こえたのは衛士たちの雄叫びではなく、悲鳴だった。
素因の炎が、ジーゼック家の屋敷に被っていた藁屋根に燃え移った。瞬く間に炎は広がり、屋敷を飲み込むように覆っていく。
一際大きな悲鳴が聞こえた。咄嗟に目を向けると、こちらへと何かが飛んでくる。血に塗れたそれは腕だった。遅れてまた何かが飛んできて、今度は右腕を失った衛士だった。胸にぽっかりと穴が空けられていて、まだ息があるけどか細い呼吸だ。天命が尽きるのも時間の問題だろう。
燃え盛る炎の中で、水色の光が瞬いた。光の軌跡が衛士の肩から脇腹を袈裟懸けに走り、一瞬遅れて衛士の身体が光の軌跡に沿って分断された。
ふたつに分かれた衛士の死体を跨ぐその姿を何と形容したら良いのか。まだ死神と呼ばれる前の彼を表すに相応しい言葉を、わたしは未だに思いつかない。
見れば、もうセツナの背後に生きている者はいなかった。誰もが首や手足を斬り飛ばされ、胸や腹に空けられた穴から血を零している。セツナの服も血で染まっているのだが、それは殆どが返り血だろうか。彼自身は手傷を負った様子はなくしっかりと背筋を伸ばして歩いている。
歩みを止めたセツナが剣を掲げた。その剣先が向く先には、処刑台の上でただ惨状を見物していただけのウンベールがいる。
本来なら自分が首を撥ねるはずだった罪人が、誉れあるジーゼック家の衛士隊を全滅させた。その事実にウンベールは歯が折れてしまいそうなほど食いしばり、憎悪を込めた目をセツナに向けている。
対してセツナの方はというと、その目に感情らしきものが全く感じられない。無だった。無機質な眼差しがウンベールの神経を更に逆撫でたらしい。処刑台から降りたウンベールが抜いた剣から、不気味な陽炎らしきものが揺らめいていた。
「この大罪人が、俺の私領地を荒らしおって………。貴様ベクタ神の眷属か?」
「知るか」
抑揚のない声で返したセツナも剣を構えた。そう、彼には記憶がない。自分が何者なの彼自身にも分からないのに、ベクタの迷子やら眷属やらと勝手に呼び名を出されて迷惑だったことだろう。
彼の不遜な態度に、しかしウンベールは笑っていた。
「貴様の首を持ち帰れば、俺はまた返り咲けるな。二等、いや一等爵位の座を得ることもできる」
もう貴族制度はなくなったはずなのに、ウンベールの階級社会への執着は妄信の域に達している。こんな荒野に村を開拓できるなんて思い込んでいた時点で、彼はもう手遅れだったのかもしれない。
「
構えを取ったウンベールの剣が赤い光を放つ。秘奥義で一気に勝負を決めるつもりだ。一方でセツナの剣は輝くことなく、衛士から奪った鈍色の刃は無骨な金属の光沢を振り撒くだけ。その光沢も血を浴びて微々たるものでしかない。
吼えながら、ウンベールは一気に距離を詰めた。射程圏内に入り、真っ直ぐに赤の帯を引いた剣がセツナの脳天目掛けて振り下ろされる。
迫りくる刃をセツナは自らの剣で受け止めるものと思っていたが、彼はそうしなかった。自らの剣を引き、半身を翻すことでウンベールの秘奥義を避けてみせた。
標的を見失ったウンベールの剣先は、空振りして地面を抉っただけだった。秘奥義を放った後は反動で動けなくなる。その理に抗うことのできないウンベールに、あの男は容赦がなかった。
丸腰になったウンベールの両手首の少し先。そこへ、セツナはするりと自らの剣を滑らせた。真っ当な剣の打ち合いではなく、攻撃を躱されただけ。卒業はできなかったが、修剣学院で剣の道を進んだ者にとってこれほど屈辱的な敗北があるだろうか。
両腕を失ったことで重心がずれたのか、ウンベールは後ろへとたたらを踏んだ。
「この……卑怯者が――」
「殺し合いに卑怯もあるか」
侮辱なんて意に介さず、そう返したセツナは殺すと決めた相手の胸に剣を刺す。今度こそうつ伏せに倒れたウンベールは、口から血と一緒にうわ言を吐き出していた。
「認められるか、こんな………。俺は貴族だ、流れ者のベクタの迷子などに負けるなどあるはずがないのだ………」
痛いはずなのに、ウンベールにはその感覚すら認識できないようだった。痛みよりも絶望が勝っているというほうが正しいか。
溜め息をついたセツナが、ウンベールの髪を掴んで頭を僅かに持ち上げた。その首筋に剣を当てると、痛みが戻ったのかウンベールがまくし立てる。
「やめろ! 俺が誰か分かっているのか! 俺は貴族だ。四等爵士当主のウンベール・ジーゼッ――」
その口上を最後まで告げるのは叶わなかった。喉元を切り裂かさたウンベールの口からは言葉の代わりに血泡が溢れ、目は飛び出さんばかりに見開かれ全身が痙攣を始めている。
一発で切断できなかったセツナは、ノコギリで樹を伐採するように何度も刃を押して引いてを繰り返しウンベールの首を切り離した。斬っている途中で、痙攣していたウンベールの身体は動かなくなっていた。
物言わなくなったウンベールの顔を、セツナはまじまじと見つめている。表情はどこまでも無だ。ウンベールへの怒りだとか憎しみだとか、殺し方の残酷さに対して不気味なほど淡泊な顔をしている。
すぐに興味を失ったらしく、セツナはウンベールの頭を燃え盛る屋敷の炎の中へ放り込んだ。ずっとわたしを弄んできた男の死はあまりにも唐突なもので、どうにも現実味というものが沸かなかった。
随分と静かになった村を見渡すと、私領民たちも結構な数が死んでいた。衛士隊が弓を放ったとき巻き添えになったのだろう。逃げた者はいたのだろうか。ぼんやり思いながら顔を伏せると、視線の先には頭を貫かれたエメラの亡骸があった。死の瞬間を固めた目は虚ろで、自分の身に何が起こったのか理解できていないように見えた。
胸の奥から込み上げるものを、抑えることができなかった。込み上げたものはわたしの目から涙になって溢れ出してくる。
理解してしまった。今、こんな今更になって。
ああ、わたしはエメラの想いに応えたかったんだ。いつか受け入れて分かり合えることを期待していて、その機会はもう来ることがない。気付きの遅さに、わたしはただ泣くことしかできなかった。
母と別れて泣くなんて、まるで幼子だ。そんなわたしを、この殺戮劇を繰り広げた男の影が覆う。
振り返れば、セツナはまだ剣を握っている。恐ろしいけど、その姿がこの地獄から解放してくれる糸口のように思えた。
「殺して」
しゃくりあげながら、わたしは言った。
「これが人のすることなの? こんなの、耐えられない。殺してよ………」
「駄目だ」
セツナはただ無感情に告げるだけだった。
「その女にあんたを助けて欲しいと頼まれた。あのウンベールとかいう男を、出来る限りの屈辱を与えた上で殺してやって欲しいと」
それはきっと、セツナが森で衛士隊を殺した罪人と見込んでの頼みだったのだろう。人を殺せるのなら、状況はどうあれウンベールも殺せるはずだと。でも、その願いがこの惨状を引き起こすと、彼女は分かっていたのだろうか。
「エメラは、わたしのことを何か言ってたの?」
「自分が勝手に娘と思っていた子だ、と言っていた。そいつはあんたの何だ?」
死体という物体に変わったエメラの硬直した顔を見つめた。形容する言葉はいくらでもあるけど、相応しいものはひとつしかない。
もう叶わない願いとも言える言葉を、わたしは絞り出した。
「お母さんになって欲しかった人………」
そーどあーと・おふらいん えぴそーど3
キリト=キ
アスナ=ア
ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」
キ「解説のキリトです」
ア「いやー今回は荒れましたね!」
キ「荒れ過ぎだろ! てかもう大量殺人じゃん!」
ア「原作だって戦争で大量殺戮してたじゃない。アリスなんて空からビームで凄い被害出してたし」
キ「いやあれ戦争だから。単純な人殺しと一括りにしていいものじゃないからね」
ア「まあ戦争時の殺人なんてテーマはこのコーナーじゃメンド臭いから一旦置くとして――」
キ「ここじゃ真面目な方が浮くのか………」
ア「劇中だとセツナが無双してたけど、セツナって俺TUEEE系なの?」
キ「作者曰く、取り敢えず読者がスカッとする展開を考えたら劇中の大量殺戮とウンベール首ノコギリになったみたいだ」
ア「確かにスカッとはしたわね。因みに侍従長の処刑は予定にはなかったみたいだけど、書いてるうちに作者がムカついたから殺すことになったそうよ」
キ「作者に嫌われたら殺されるのかよこの作品………」
ア「まあモブは即殺されると思ったほうが良いわね」
キ「えー胃もたれしそうなんでセツナの強さに話を戻すけど――今回のエピソードはウンベールや衛士が雑魚だったのもあって無双状態になったけど、作者としてはセツナが苦戦する場面も入れたいみたいだな」
ア「いくらウンベールたちが雑魚でもセツナが強すぎるんじゃない? 例えたらレベル1で装備品も『布の服』とか『銅の剣』みたいなものでしょ?」
キ「それなんだけど、セツナは目覚めた直後に森の中でオークを襲ってた衛士たちを殺しただろ。その時に結構な経験値を手に入れてステータスも一気に上がったんだ。しかも今回で衛士やウンベールを殺しまくったから、この時点でセツナは結構なレベルに達してるな。少なくとも修剣学院で剣を習ってたウンベールに圧勝できるくらいには」
ア「アンダーワールドは、確か動物を殺すと権限レベルが上がるのよね」
キ「その通り。動物の中でも特に人間や暗黒界の亜人はかなりの経験値になるんだ。これはあくまで本作の独自設定だけどな」
ア「てことはもうセツナはほぼ最強クラスになってるってことじゃない。萎えるわあ」
キ「まあ作者も戦闘描写は単純なステータスで勝敗を決めさせるつもりはないみたいだ」
ア「どういうこと?」
キ「技の打ち合いよりもテクニックや読み合いとかをやるつもりみたいだ。今回もセツナはウンベールと技を打ち合わずに躱してカウンター攻撃しただろ。アンダーワールドの、特に人界の剣技は演舞的なものが主流だから、攻撃を躱そうなんて発想がそもそもないんだ。真っ向勝負が美徳とされてるからな」
ア「まあ確かに、ソードスキル発動後は硬直時間あるのに大技繰り出そうとしたウンベールってかなり間抜けよね」
キ「言い方……。あれもウンベールはセツナが迎え撃ってくると思い込んでいたから、その不意を突かれた形だな。実戦と思えばセツナの動きはそんなトリッキーなものじゃないんだけど、アンダーワールドじゃ邪道だな」
ア「まあ人界じゃ剣の立ち合いなんて殆ど技競うだけのチャンバラごっこだものね」
キ「いや現実世界から来た俺たちも似たような戦いしてたけどね………」
ア「それはわたし達がアンダーワールドじゃチート級に強いからじゃない。わたし女神アカウントだしキリト君はシステムに介入しちゃってるし」
キ「確かにまあ、俺たちクラスだと技打てば敵は死ぬくらいだったからなあ。技術ってステータス不足を補うために編み出すものだし」
ア「ん? てことはもしかしてセツナって実は弱いの?」
キ「いや強さは本物だよ! ――とはいっても作者も技重視じゃないからオリジナルのソードスキルとかも面倒で考えるつもりないらしいし、修行編とかもするつもりはないみたいだ」
ア「そんなあ、ラノベは友情・努力・勝利を書くものじゃない!」
キ「この作品そんな健全なものじゃないから! 作者が次はどんな残虐描写するか四六時中考えてるようなもんだから!」
ア「わたしは信じるわ。きっと笑いあり涙ありな作品になる、て」
キ「今更テコ入れきくか! サイコパス主人公が熱血になったら気色悪いわ!」
ア「キリト君が陰キャから陽キャにシフトチェンジするくらい?」
キ「その例えやめて! 俺わりと豆腐メンタルだから! 劇中でしばらく要介護状態だったからね!」
ア「えー因みにセツナが殺人に平気な鋼メンタルなのはキリト君との対比として入れた描写だそうです」
キ「余計な解説入れんでいい!」
ア「さあというわけで早くも主人公が最強系サイコパスという迷走状態に入ってきました。これからどんなカオスにはまっていくのか、お楽しみください!」
キ「いやちゃんとした話書くから、次回も読んでくれよー!」