書けば来るって聞いたので初投稿です。

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微妙な距離感のウンスと先生の話

 やはり彼女はそこに居た。暑さよりも心地よさを感じさせてくれる柔らかな日差しと、それを適度に遮る木陰の下。新芽はまさしく天然のベッドで、その上で雲にも似た緑がかった灰色の髪と耳が生温い風に揺れている。寝ているのだろう。

 そこは学園の中でも知る人ぞ知る、というか私と彼女しか知らない場所で、彼女──セイウンスカイ──にとっては絶好のサボり場なのだ。

 

 「また、サボりですか。セイウンスカイさん」

 

寝ていたのか起きていたのか。ゆっくりと開いた瞼から、碧空を思わせる瞳が覗き、目が合う。途端にふにゃりとした笑みを浮かべた彼女は、欠伸混じりに挨拶してきた。

 

 「おはよ〜先生。先生もサボりに来たんですか?きもちいいですもんねー、ここ」

 

 「おはようございます、セイウンスカイさん。ちなみに今は朝ではなく三限目の時間ですし、サボっているのはあなただけです」

 

 少し離れた場所に腰を下ろしつつ、暗に私はあなたを注意しに来たのだと伝えても彼女はどこ吹く風で体を起こし、座ったままで伸びをした。

 

 「セイちゃんに言わせれば、朝も世界史の授業も大差ないんですよねーこれが。授業は子守唄のおまけ付きだし?」

 

 漂う空気の心地よさも相まってか、彼女の声音は随分と柔らかく感じた。纏う雰囲気も普段よりふわふわしていて、思わずこちらも気を緩める。そんな魅力が彼女にはあった。

 

 「先生が聞いたら泣いてしまいますよ」

 

 教師と生徒。私と彼女の関係はこれ以上でも以下でもない。彼女はトレセン学園中等部の生徒で、私はそこで彼女を含むいくつかのクラスで国語科(主に現文)を担当している。彼女の授業態度はやる気を感じさせない事もあるが真面目で、これは私も他の教員も意見が一致している。……世界史の授業を除いては。

 

 「どうして世界史の授業はサボりが多いのですか?授業に何か問題があるのであれば、話を聞きますよ。私で良ければですが」

 

 もっとも、彼女のクラスが受ける世界史の授業を見学した事があるが、特別つまらないという訳でもなかったように思う。彼女に聞いても案の定、「うーん、別に授業は何も悪くないんですよね。強いて言うなら……運が悪い?みたいな」と何とも彼女らしい、雲を掴む様な返答が返ってくるだけだった。……私は理由に心当たりがあったが、まだ確信が持てないでいた。

 

 「セイちゃんが悪いんじゃなくて、ここの居心地が良すぎなのが悪いんだよー。この環境が、私にサボれって言ってるんです」

 

 「ここの居心地が良いのは認めますが、それはいつ来ても変わらないでしょう?何故この時間はサボってばかりなのか、生徒も先生も不思議に思っていますよ」

 

 「それは……」

 

 

 

 ──だってこの時間だけじゃないですか。先生と二人きりで話せるのは。……なんて、言えるわけなくて。少し離れた二人の隙間に吹いた風が、私には冷たく感じた。

 

 生徒と教師。私──セイウンスカイ──と先生の関係は悲しいことにこの一文で完結してしまう。私はどうしようもなく先生のことが好きで、今こうして二人きりでいるってだけで幸せで全身がふやけちゃいそうなのに。先生にとっての私はきっと、受け持つ何十人の生徒の内の一人に過ぎなくて、サボっているのが誰であってもこうやって様子を見に来てくれるんだろうなって思うし、それを考えるとちょっと、いや、かなーり嫌な気持ちになってしまう。でも私はなんとしても、先生にとっての私をもっと特別な存在にしたいし、生徒の一人としてじゃなくて、セイウンスカイとして私を見て欲しかった訳でして。

 

 ……というわけで、私は策を練ったのだ。ここがいくら天下のトレセン学園様といっても、流石に教員一人一人に個室は用意されていない。暇な時、先生は大抵国語科研究室か職員室に居るけど、そこには当然他の先生も居るわけで、二人きりどころか落ち着いて話をするのも難しい。そこで思いついたのが、先生が授業をしない時間に、私が授業をサボるこの作戦だった。そして作戦は大成功。先生は私がそれとなくなく話しておいたこの秘密の場所に来てくた。最初に来てくれた時なんか、嬉しすぎて頬が緩んじゃうのを隠すのが大変だったのを覚えている。それは今でも大変だけど。

 

 ここで二人で、いろんな話をした。私が話せば先生は笑い、先生が話せば私が笑う。どれもこれも他愛ない、けれどもかけがえのない、そんな話を。幸せだった。この時間が一生続けば良いのに、なんて本気で思ってしまうくらいには。

 

 こうして私と先生は晴れて二人きりになれた訳だけど、実はセイちゃん的にはまだ満足には程遠い状況になってる。私としては、まず中途半端に離れたこの距離を、どうにかこうにか一歩縮めたいのだ。幸いにも、先生は私とのこの時間を結構気に入ってくれてる様に見えるし、特に最近はリラックスしてるかなーって思う。きっと先生の中でも、「一緒におしゃべりしていて楽しい生徒」くらいの立ち位置にはなれたんじゃないかと思うんだ。

 

 ……でもね、

 

 「先生」

 

 「どうしました?セイウンスカイさん」

 

 私が空を見上げたまま呼べば、好きな人の瞳がこちらを向いた気配を感じた。吸い込まれそうなくらい青い空には、雲一つ浮かんでない。でも、空に浮かぶのは、別に雲だけじゃないよね?

 

 「月が綺麗ですね」── I love you

 

 私の瞳の先には、遮るもののない碧の中に、灰色の昼の月があって。

 

 私、もっと縮めたいんです。私と先生の、風一つ分の距離を。

 

 

 

 月が綺麗ですね。──彼女の言葉を聞いて、私は頭の中が真っ白になってしまった。これでも私は国語教師の端くれ、彼女の言葉には、その文字からは想像も出来ない意味が含まれている事も知っている。彼女の空色の瞳の中には、月。まるで彼女の瞳は、本物の空の様に見えた。

 

 彼女の先程の声音は、普段からは考えられないほど真面目なものだった。やはり、告白なのだろうか。思い当たる節がない訳では、ない。例えば彼女がサボるのはこの時間……私が授業のない時間ばかりなのだ。もし本当に告白だとして、何と返せばいい。いや、何を考えている。私は彼女の先生だ。教師が生徒に告白されたら、返す言葉は決まっている。いや、しかし……。

 

 私の頭は高速でぐるぐると回っていたが、返答が浮かぶ気配は一向に感じなかった。そんな中、彼女の顔がこちらを向いた。普段は雲の様に、柔らかい笑顔の彼女の顔は、何時になく真剣なものだった。あぁ、疑いようもない、やはり告白なのだ。なんとか言葉を紡ごうと口を開いた次の瞬間、彼女の顔はいつも通りの笑顔に戻っていた。

 

 「先生なら、知ってますよねー?夏目漱石が『I love you』を『月が綺麗ですね』って訳したの」

 

 またも、私の頭に空白が生まれた。「ロマンチックだよねー。何を食べたら思いつくんだろう、こんな訳」なんて続けた彼女の声音は、どこか冗談めかした、先程の真面目さが嘘の様なものだった。思考が纏まらない。彼女が私に何を伝えたいのか、完全に分からなくなってしまった。

 

 「……何が言いたいんですか?」

 

 結局、思考は纏まらなかった。その結果選ばれた選択肢は、直接聞くという何とも原始的な物になってしまった。

 

 「……?何って別に、いつも通りの世間話じゃないですか〜」

 

 そんな筈は無い。さっきの顔も、言葉も、いつも通りとは程遠かった。今だって声音こそ柔らかかったが、目が違った。空を見ている様に錯覚する、星を散りばめた碧色の瞳は、真剣味を帯びていた。

 

 「先生、例えばなんですけど……先生なら、どう訳しますか?」

 

 「どうってつまり、I love youを……ですか?」

 

 「はい。セイちゃんそこんとこ、気になるな〜って」

 

 ……あぁ、なるほど。唐突に彼女の真意を理解できた気がした。おそらくだが彼女は、先程の告白から私の返答まで、全てを冗談の体で進めたいのだろう。この会話は全て唯の世間話なのだから、私と彼女の距離感が変化する事はない。そして、私には確実に伝えることが出来る。彼女の想いを、関係を変えないままでだ。

 

 素直に凄いな。テストの点数とかそういう意味ではなく、頭の良い賢い子だとは思っていた。……私ならどう訳すか、か。これはおそらく、本当に私がどう翻訳するのかを聞いているのではなく、告白に対する返答を聞いているのだろう。先程は確かに迷ったが、私が教師である時点で、既に答えは決まっている。

 

 「手を伸ばしたとしても、私ではきっと届かない」

 ──私と貴女では、きっと釣り合わないでしょう。

 

 その時確かに解った。解ってしまった。彼女の瞳が、その空が、暗雲に染まるのが。

 

 ……教師として、正しい選択の筈だ。こうなると分かっていて話をしたのだ、私も彼女も。ただ、やはり考えてしまう。彼女の瞳を曇らせる事が、本当に正しい選択なのかと。

 

 私と彼女の間に風が吹いた。何故だか酷く、冷たく感じた。

 

 

 

 わかっていた。わかっていましたとも。きっとセイちゃんは、先生に振られちゃうんだろうなーって。そもそもこの告白は私の想いを知ってもらうためで返事には期待してなかったし。これは近い未来、本当の告白のための布石で、だから、返事はどうでも良くて、そもそも、返事なんてわかりきってたはずで……。覚悟してたのに、やっぱり悲しい。今の私、ちゃんといつも通りの顔なのかな。ダメだ、自信ないや。先生を見れそうになくて、私は草の上に寝転んで体の向きを変えた。先生の視線から逃げる様に、先生に背中を向けた。

 

 それにしたって、先生。釣り合わないってどういうことですか?私はそんなの、一度だって思ったことないのに。先生がそうやって自分を卑下して、私が諦めるとでも?それとも、教師と生徒だから釣り合わないとかですか?そんなの、私が諦める理由になるわけないじゃん。

 

 さて、実は先生の訳を聞いたらなんと言うか、それもあらかじめ決めてあった。先生にバレないように、静かに深く息を吸って、覚悟を決めた。顔を見せて話す勇気が出ないから、体の向きはこのままの、背中越しだ。

 

 「ちなみになんですけど〜。理由とかってあったりします?」

 

 「理由ですか?」

 

 「はい。なんでその訳にしたのかって理由です」

 

 今回の告白の目的は主に二つ。一つは、取り留めのない会話の様に見せた告白をすること。今の関係のまま私の想いを伝えるには、これが一番ベストかなって思った。そしてもう一つ。それは、先生が私をどう思っているのかを探ること。さっきの訳の理由がわかれば、作戦を考えられるのもある。けど一番は、単純に知りたい。先生が、私をどう思っているのかを。

 

 「……セイウンスカイさんは、かぐや姫が何故地球に来たのか知っていますか?」

 

 私の背中に先生が声を掛ける

 

 「う〜ん、気にしたことなかったかなー。ていうか、セイちゃんはかぐや姫が理由があって地球に来たのも今のが初耳でしたし」

 

 その理由が関係してるってこと?

 

 「罪を犯したんですよ」

 

 「え?」

 

 「かぐや姫は、罪を犯したんです。私達地球人の生活や、自然。ひいては地球そのものに憧れを抱いてしまったんです」

 

 「それが罪、なんですか?」

 

 「少なくとも月の住人にとってはそうなのでしょう。そしてこの罪は、私の翻訳の理由に通じるものがあります」

 

 それってつまり……

 

 「先生にとって、月に手を伸ばすのは罪になるってことですか?」

 

 今この時間だけ、『月』は私達2人を指す言葉になっている。

 

 「正解です。セイウンスカイさん」

 

 その言葉を聞いた途端安心してしまった私を誰も責められないと思う。先生が私を受け入れてくれない理由は、私に手を出したら犯罪になってしまうから。当たり前だよね。教師が生徒に手を出すなんて駄目に決まってる。法律的にも、倫理観的にも。つまり、理由はそれだけなんだ。私の事が嫌いとかそんな事はなくて、単にそれだけの事だったんだ。

 

 あー安心安心。とりあえず、今日のセイちゃんのサボり作戦は大成功って感じで、めでたしめでたしかなー。やっぱり背中越しでよかったよ。今の私、さっきとは別の意味で普段通りの顔じゃないと思うから。

 

 「それにしても先生。今の訳って即興ですよね?それなのにかぐや姫と関連付けちゃうなんて、先生以外とロマンチストなんだね〜」

 

 「私はロマンチストの前に現文の教師ですから。セイウンスカイさんの方こそ、急に夏目漱石だなんて驚きましたよ。余裕派にでも目覚めたんですか?」

 

 「いやいや〜、そんな高尚な理由ないない。強いて言うなら、私が月が好きって言うのはありますけどねー」

 

 「……そうなんですか。私は別に好きではないですね、月」

 

 「ぇ」

 

 「どちらかと言えば、嫌いな方ですらあります」

 

 え?嘘だ。嘘でしょ?冗談?それとも聞き間違い?この時間だけは、月は互いを指す言葉になっている。なら今の言葉は、先生は、私が嫌いって事?嫌、そんなの嫌だ。脳が理解する事を拒絶する。鮮やかだった私の視界が、どんどん灰色に染まって、そのまま端から真っ黒になるような錯覚を覚えた。実は想っていたのは私だけで、先生にとってはただの生徒、いやむしろ、今の言葉的にはそれ以外の存在だってこと?そんなのおかしいって。信じられない。

 

 何も考えられず、考えたくもない私に、先生はさらに言葉を続けた。

 

 「何も空に浮かぶのは、月だけではないでしょう?私が空で一番好きなのは……青雲ですから」

 

 聞きたくない聞きたくない……え?

 

 驚きで思わず振り返れば、いかにもしてやったり、って感じの先生の顔がこっちをみているわけでして。あーこれは、ひょっとしてひょっとすると……

 

 「いけないんだ〜。もしかして、セイちゃんの事からかって楽しんじゃってますー?」

 

 「からかうつもりはなかったんですがね。教師としても、私としても、やっぱりスカイさんには笑っていて欲しいと思ったので」

 

うわ、これは反則でしょ。こんなの、もっと好きになっちゃうやつじゃん!

 

 「さぁ、そろそろチャイムがなる時間です。戻りますよ、セイウンスカイさん」

 

 そう言って先生は立ち上がって、寝転んでいる私に手を伸ばした。先生の手を、私はしっかりと握り返して起き上がる。口角が上がってるのがわかる。きっと今の私は、とびっきりのいい笑顔なんだろう。いつも通りの顔じゃないかもだけど、きっと今は、これでもいいよね?

 

 「というか先生聞いてよー。ひどいんです昨日のトレーナーさん。もう鬼を通り越して地獄っていうか、悪魔っていうか、邪智暴虐の王だったんです!」

 

 「そんな事言って、先生は知ってますよ。あなたが授業だけじゃなくて、トレーニングもサボっていること」

 

 「いやーサボりだなんて人聞きの悪い。計画的休養と呼んでください。それにこれには海より深い事情があって……」

 

 ふと空を見上げれば、月のすぐ隣まで青雲が、心地良さそうに風に運ばれていて。

 

 並んで歩く二人にはもう、風一つ分の距離はなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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