そのウマ娘、比類なきもの   作:RudolfA6

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①誰よりも速くなりたくて

「ねえあなた、トレセン学園に入ってみない?」

 

十年前、町内会主催の小さなレースを勝った時。レース後に地元の新聞のインタビューを受けた後、ある人からそう声をかけられたのが、すべての始まりだったと思う。

その言葉をかけられた時、周囲はざわついていた。

「おい、あれって…」

「たしかダイアナソロンだよな、史上初の無敗でトリプルティアラを達成した…」

その人はウマ娘だった。鹿毛の長い髪をたなびかせる、優雅で美しい姿は、今でもはっきりと記憶に焼き付いている。

 

「トレセン、学園…?」

 

初めて聞くその単語に、私は困惑していた。

 

「ああ、まだ知らないわよね」

 

ダイアナソロンさんは苦笑して、そこがどういうものかを教えてくれた。

「速いウマ娘がたくさん集まって、みんなで競い合うところ」、その言葉が私の中の何かに火をつけた。

私は昔から、速いと言われるのが好きだった。強いと言われるのが好きだった。ダイアナソロンさんのその言葉を聞いたとき、私はあること直感し、聞いてみた。

 

「もし、その、トレセン学園に入れば…誰よりも速いウマ娘になれますか」

 

その答えに、ダイアナソロンさんは強くうなづいた。

 

「ええ。目指すことができる。ただ…本当になれるかはあなた次第よ」

 

今ならわかる。あえて挑戦的な言葉を投げかけることで、彼女は私をのせようとしていた。

彼女の目論見通りだった。深く考えるよりも先に、「なってみせます!」と、はっきり言い切ったのを憶えている。

その言葉を聞いたとき、彼女はとても楽しそうに笑って、私の両肩を掴んだ。

 

「それが聞きたかった!」

 

触れたとき、なんだか不思議な感じがした。ダイアナソロンさんとは初めて会うのに、まるで、こう…何か運命的なものがあるような。

少しして離れると、彼女は中腰から立ち上がった。

 

「貴方の来る日を楽しみにしているわ。そうそう、名前を聞いても?」

 

彼女の問いに、力強く答えた。

 

「私の、名前は―」

 

 

「インコンパラブル!先頭で第4コーナーに入ります!」

 

トレセン学園、レース場。今日は自身の能力を披露する模擬レースが行われていた。

8人立てで行われるこのレースは、一人のウマ娘が先頭に立って展開を引っ張っている。

 

その名をインコンパラブル。逃げの戦法でもって最初から先頭に立っているが、その勢いは第4コーナーを超え、最終直線に入っても緩むことはない。

競り合う相手は終始なく、一人での単独逃げ。ここまでは理想的な展開だ。

最終直線に入り、2番手と3番手に控えていた先行策の2人は徐々に後退していった。彼女のペースについていったために、もう足が残っていなかったのだ。

そのため、3番手以降の差し、追込のウマ娘が足を延ばすと後退していったように見える。とはいえ、後方集団と先頭の間にはかなりの距離。何とか詰めようと必死に追いすがる。

 

「集団より抜けたのはイズミオーロラ!しかし先頭との間には、未だ10バ身の差があります!間に合うか!?」

 

中でも、6番のゼッケンの黒鹿毛のウマ娘はいい脚を使って鋭く伸びる。距離は9バ身、8バ身と縮まっていくが―

間に合わなかった。ゴール板を、最初から最後まで先頭を譲らなかった、鹿毛のウマ娘が駆け抜ける。

 

「インコンパラブル、今ゴールイン!強い逃げ切り勝ちです!圧倒的です!」

 

観客席から拍手が起こり、立ち止まったインコンパラブルはそれに向かってお辞儀をする。それに一層の拍手が起こった。

 

正確な着順はまだ発表されていないが、少なくとも2着との間には6バ身以上空いていた。まさに圧勝、強烈な走りを見せつけたインコンパラブルに観衆、もといスカウトにやってきたトレーナーたちの注目が集まる。

 

「これはすごいな…きっと重賞でも通用するぞ」

 

「いやいや、G1も行けそうじゃないか!?逃げでこの強さ、かなりの素質だぞ…!」

 

「強い走りだったわね。でも…」

 

あるベテランの女トレーナーは、盛り上がる観衆に水を差すような、落ち着いた声で懸念を口にした。

 

「ジュニア級ならともかく、クラシックに上がって相手になるのは…"あの世代"よ」

 

彼女のその言葉で、観客席はさっきまでとはうって変わって静かになった。

やがて、落胆にも似たような声がこだまする。

 

「ああ、彼女たちかあ…」

 

「いくらインコンパラブルが強いと言ってもなあ。果たして勝てるかどうか…」

 

皆が言う"あの世代"。それは今クラシック戦線を戦う5人のウマ娘を指す。

スペシャルウィーク、セイウンスカイ、グラスワンダー、エルコンドルパサー、キングヘイロー。ジュニア級で片鱗を見せたその5人の走りは、クラシックに上がっても未だ留まることを知らない。

もしかしたら、最強の世代なのかもしれないという声もあるぐらいだ。

 

「先日の皐月賞、スペシャルウィーク優勢と思わせてのセイウンスカイの逃げ切り勝ち…」

 

「ああ。インコンパラブルも逃げで走ってたけど…成長を加味しても、もしあの場にいたら、2人に抜かれて良くて3着かも」

 

「NHKマイルカップもすごかったな!グラスワンダー、エルコンドルパサー、キングヘイローの3強対決!」

 

「エルコンドルパサーのあの末脚…今のレース、彼女だったらきっと200m前で追い抜いて、そのまま何バ身も差をつけてただろ」

 

話題はすっかり5人へと移ってしまった。

そしてその様子を、最初にゴールしてしまったインコンパラブルは最初から最後まで把握していた。

 

「着順が決定しました。一着インコンパラブル、二着イズミオーロラ…」

 

全員がゴールし終わって、淡々と着順が読み上げられる

電光掲示板に番号とバ身差が表示されるが、1着と2着との間には、正確には7バ身の差。それでやっとトレーナー達は今のレースの話題に戻り、スカウトするために出場したウマ娘達のもとに集まってくる。

一着でゴールしたインコンパラブルには、当然多くのトレーナーが集まった。

その中の一人、中堅といった具合のトレーナーがまず先にインコンパラブルへと話しかける。

 

「インコンパラブル!さっきのレース、見事な逃げ切り勝ちだった!」

 

「…それは、どうも」

 

称賛の言葉をかけられた。しかし、彼女はあまり上気分ではない。

 

「君はとても強いウマ娘だよ。鍛えればいいところも―」

 

「それは、誰と比較してですか?」

 

「…え?」

 

予想外の質問に、中堅のトレーナーは言葉に詰まる。

彼女は知っていた。そのトレーナーは最前列で、あの5人の話をしていたこと。5人と私を比べていたことも。

そのくせして「強い」と言ってくる、それがとても腹立しかった。

 

「誰と比較して強いと判断したんです?現役で走ってる誰か?それとも昔の誰か?」

 

「いや、それは…今日、レースに出てた他の娘と…」

 

「そうですか。では結構です、さようなら」

 

トレーナーの言葉を遮るように、怒った声色でそう告げる。

どうせこの場にいる全員、同じ手合いだろう。そう思った彼女は、これ以上ここにいたくなくて、集団の中を出ていこうとした。

 

「いや、待ってくれ!今日出てた子じゃなくて…そう、セイウンスカイ!君は彼女にも劣らない素質があるよ!」

 

「結構だと言いました」

 

そう言いながら集団の中より出ると、トレーナーたちに向き直った。

 

「興味のある方には後日こちらからお伺いします。それでは、ご足労頂きありがとうございました」

 

インコンパラブルは一礼して、レース場を後にした。

彼女のその態度にほとんどのトレーナーは軽蔑の混ざった目を向ける。だが一人だけ、興味深く彼女の後姿を見つめるトレーナーがいたのに気づくことはなく、インコンパラブルは校舎裏のめったに人が来ないあたりにやってきた。

参加した模擬レースは今日最後のレースで、時刻は夕方。日はすっかり傾いている。

 

その傾きで日陰になっているベンチに腰掛けると、彼女は深いため息をついた。

 

憧れの、いや憧れだったトレセン学園―十年前、あの言葉に背を押されて入ってきたここは、正直想像以上の世界だった。

周囲の実力に圧倒され続ける日々。それでも、自分にも能力はあると示すために臨んだ模擬レース。実力を示すことができたと思っていたが、結果は自分以外の話題で盛り上がるトレーナーたち。

 

小学校の時、ここに来る前を思い出す。地元では一番速いと言われた。

町内会のレース、校内のレース、地域対抗のレース…いくつものレースで勝って、家にはたくさんの賞状とたまにカップが飾ってあった。

家族はどんなレースで勝ってもお祝いをしてくれたし、年末に親戚が集まったとき、みんなにその年に貰った賞を見せて、褒めてもらうのが大好きだった。

周りの人が自分の話題で盛り上がり、笑顔になってくれるのがたまらなく好きだった。彼女の夢もそこから来ていた。

「勝って勝って、皆を笑顔にしたい。そのために、私は誰よりも速いウマ娘になる」

だから彼女は走り続けた。

 

思い浮かんでくる昔の光景。それは今ではとても遠いものになってしまった。

彼女の自信は、もうボロボロになっていた。

 

「思い上がり、だったんだ…」

 

その言葉を言ってはいけないとは一瞬思ったが、ぽつりと口に出しただけで、一気に悔しさと、情けなさ、そして涙がこみあげてくる。

誰もいない校舎裏、彼女は声を押し殺して泣き出した。

 

 

「インコンパラブル!」

 

そこに、水を差すように一人のトレーナーが飛び込んできた。

 

「な、何!?」

 

慌てて返事をするが、急に呼び掛けられて驚いたインコンパラブルは涙も引っ込んでしまう。

そのトレーナーは肩で息をしていた。ここまで散々探し回ったのだろうか、身に着けているワイシャツは汗で湿ってぐしゃぐしゃだ。

 

あっけに取られていると、呼吸をやっと整えたトレーナーは開口一番に叫ぶ。

 

「君は、誰よりも速いウマ娘だ!」

 

「…っ!」

 

その言葉は、今彼女が一番言われたかった言葉。

誰も彼もがあの子より速い、あの子よりは遅いと、そう言われるのには嫌気がさしていた。

彼女は、誰とも比較されたくない。誰かよりはと、自身の能力を限定されたくない。「誰よりも速いウマ娘」になるためにこの学園へ入った。

その思いは変わらなかった。模擬レース後のあの光景を目にしても、変わることのない思い。

言ってくれたのは、あのたくさんいる中でこの人だけだった。

 

でも、まだこの人を信じ切ることはできなかった。

こぶしを強く握り締めながら、勢いよく立ち上がる。

 

「どうせっ!スカウトするための方便なんでしょ、それ!」

 

涙声でインコンパラブルは叫ぶ。

だがトレーナーは臆することなく、すぐに言い返した。

 

「違う!」

 

あまりにも強い否定。ひるんだのはインコンパラブルの方だった。

 

「確かに、今はまだ未熟かもしれないけど…」

 

叫んだせいでまた息が乱れだして、途中で息継ぎのために言葉が途切れる。

 

「誰よりも速いウマ娘に、必ずなれる!」

 

それでもはっきりと言い切った。これが方便だなんて、少なくともインコンパラブルには絶対に言えなかった。その真剣さが、彼女の心を突き刺したのだ。

 

「なんでそう、言い切れるのよ…」

 

「だって、名前がそれを証明してる」

 

「名前?」

 

名前、私の名前のことか。

 

「インコンパラブル…"比類なきもの"という意味だから」

 

そういえば昔、母にこの名前の意味を訪ねたことがあったことを思い出す。

その時にも同じようなことを言われた。

 

「貴方の名前は、誰も比べ物にならないという意味なの。だから、絶対絶対、誰とも比べられないぐらいのウマ娘になるわ」

 

名前が根拠だなんて。正直なところ、呆れた。

ただそれが面白かったのと、なんだか懐かしくて、彼女はクスリと笑った。

 

「ふふっ…なにその理由」

 

「もちろん、君の走りがすごかったのもあるけど…」

 

トレーナーはあわてて取り繕うが、そんな取り繕いも必要なく、彼女の心はもう決まっていた。

一応かしこまって、まず咳払いをする。その後、ほほえみながら口を開いた。

 

「確認したいんだけど、あなたは私をスカウトしに来たってことでいいんだよね?」

 

トレーナーの顔がぱあっと明るくなる。

 

「その通りだ!」

 

喜んでいるのがわかりやすすぎて、彼女はまた笑ってしまった。

その後、大きくうなづく。

 

「うん、いいよ…そのスカウト、受ける」

 

今度はインコンパラブルの方から近づいた。微笑んでいるトレーナーに手を差し出すと、彼も意図を理解したようで出した手を握る。

二人はこれからの数年間を誓い合う、固い握手を交わした。

 

夕日がその姿を、称えるかのように大きく映し出す。

やがて伝説となるウマ娘、インコンパラブル。その物語はここから始まった。

 

 

 

 

 

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