PERSONA5:Masses In The Wonderland. 作:キナコもち
51:I feel something strange with it.
「………すぅ…」
大きなスーツケースを携えた1人の少女が、電車内で船を漕いでいた。
車内には少女以外の人間は存在せず、夏休みだというのに関わらず閑散としている。
それもその筈、今少女が乗っているのは東京から遠く離れた田舎町を走るローカル線。
「………」
窓の向こう側の景色がふと、真っ黒に変わる。
トンネルだ。
「…………んっ」
車内に差していた陽の光が遮られ、胸に感じるのは不思議な圧迫感。
まどろんでいた意識が現実に引き戻される。
「……もう、少し…………」
窓の先の暗闇を見つめ、少女…天城雪雫は目を擦りながら呟く。
彼女の言う通りトンネルを通り抜けて数分もすれば、故郷である八十稲羽市。
実に半年ぶりの里帰りだ。
まだ脳がぼんやりとするものの、今から寝る訳にもいかず、雪雫は欠伸を繰り返しながらぼーっと変わらない景色を眺める。
次第にトンネルの出口が近付き、雪雫の眼下の景色も暗闇から再び深緑へ。
「………雨。東京は降ってなかったのに」
ザーザーと打ち付ける雨を見て、「傘、持って無い…」と雪雫は呟いた。
▼
電車を降り、田舎特有の無人の改札を通り過ぎれば、目の前に広がるのは懐かしい風景。
ただでさえ少ない往来は、雨の影響か人の影は一切確認出来無い。
実家である天城屋旅館はここから離れた山の上。とても雨の中、少女1人が歩いて行くような場所には無い。
1時間に2、3本しかないバスに乗るか、費用はかかるがタクシーを呼んで手っ取り早く済ませるか。
「…………もしもし、一台、お願いしたい…です……」
面倒くさがりの雪雫はお金に糸目を付けないのだ。
・
・
・
天城屋旅館まで。と言えば、運転手は何も言わずに車を走らせてくれた。
たまにお喋りな運転手も居るが、今回の人は雪雫の物静かな様子を見て判断したのか、特に話しかけてくることは無く、車内は静寂そのものだ。
早送りの様に流れていく景色をぼんやりと眺める。
住んでいた時と何も変わらない。
ポツリポツリと家屋が立ち並び、たまに見受けられる店の看板は寂れていて何処か退廃的だ。
駅と同じ様に人の姿など確認出来ず、景色を見るのも早々に飽きを覚えてきた頃。
(………外国…の人?)
ふと、とある少女達に目が留まった。
雨の中、傘もささずに、何処か物憂げな表情を浮かべていた2人の少女。
もう確認する由も無いが見間違えでなければ、1人は金髪、もう1人は銀髪という田舎町ではあまり見慣れない髪色だった。
スラリと伸びた四肢から、モデルか何かだと思わず思ってしまう程の。
(……あんな目立つ人、居たかな)
人の顔を覚えるのがあまり得意では無い雪雫だが、十数年住み続け、場所は人の入れ替わりも乏しい田舎町。
多少なりとも、住んでいる人の顔位は覚えるというもの。
(……まぁ顔、よく見えなかったし)
きっと誰かが髪でも染めたのだろう、と。
先程の2人以外に特段目に留まるものは無く、雪雫は景色からスマホへと視線を移す。
特に誰からも連絡は来ていない。
(…雨、か……)
8月16日 火曜日 雨
▼
「雪子居ないの?」
見慣れた実家の暖簾を潜れば、温かく迎えてくれたのは女将である母親と旅館の従業員達。
「お客さんじゃないんだから、そんなに全員で迎えなくても……」と少し照れくさそうに、しかしながら嬉しそうに頬を染めた雪雫は、早々に自室へ荷物を置き、姉の姿を探した。
お風呂、客間、倉庫、自室……思い付く限りの場所を全て探したが、あの大和撫子の体現の様な姉の姿は無い。
聞いた方が早いと判断した雪雫は、調理室で夕食の仕込みをしている自身の母に姉の所在を問う。
雪雫が調理室に入った時、若干空気が張り詰めたのは余談である。
「雪子はまだ帰って無いわよ~。向こうでの生活が忙しいらしくてね。明々後日頃になるみたい」
「……向こう?」
母親の物言いに、雪雫は訝し気に眉を顰める。
「忘れたの? あの子、大学の入学に合わせて家出たじゃない」
「………へっ?」
彼女にしては珍しく、甲高い間の抜けた声が口から漏れた。
おかしい、と雪雫は思った。
姉である雪子は、確かに高校の時は旅館を継ぐのを渋っていたものの、最終的には前向きにそれを受け入れた筈だ。
現に私が上京する時も、大学に通いながら旅館を切り盛りしていた。
「え、じゃあ…女将修行は?」
「それが嫌だから出たんじゃない。雪雫も雪雫で自分の道を見つけたし…子どものやりたい事に親が口を出す時代は終わったのね」
「…………?」
僅かに寂しそうな表情を浮かべる母。
その顔を見て、僅かに罪悪感を覚えると共に、胸中の違和感はますます大きくなった。
おかしい。
以前に姉に電話した時も家を出たなんて言ってなかったし、そもそも電話越しで姉の名を呼ぶ母の声も聞こえた。
それに彼女と親しい千枝とりせも、そんなことは一言も言ってなかった。
しかし、母の顔も嘘を言っている様には見えない。
「……そう、だったね…。うっかりしてた」
これ以上、母に聞いても新たに知り得る事は無いだろう。
胸中に渦巻く違和感をひしひしと感じながらも、雪雫は調理場を後にする。
「……何がどうなって…………」
・
・
・
久しぶりの母の手料理を頂き、自慢の天然温泉で入浴も済ませた雪雫は、自室の隣…姉である雪子の部屋へ改めて踏み入れる。
「…………」
大学の入学に合わせて……つまり2年前に出て行った割にはやけに生活感がある部屋。
机の上に出しっぱなしの文具とノート。本棚に置かれた大学で使っているであろう教材。その一段上には水着モデルの時の雑誌。
「…埃も溜まってない。やっぱり、おかしい」
母親の主張では雪子は2年前に家を出た。
しかしこの部屋は、まるで昨日までここに居ました。と言わんばかりの状況。
ふと、雪雫は部屋の隅に敷かれっぱなしの布団に寝そべり、枕に顔を埋める。
(…雪子の、匂いがする)
姉の温もりを感じながら、雪雫は静かに目を閉じる。
そういえば、昔はよく自室を抜け出して、雪子の布団に忍び込んでいたな、と。
時刻は23:43分。
そんな微笑ましい思い出に浸りながら、雪雫の意識は微睡に沈んでいった。
◇◇◇
8月17日 水曜日 雨
帰省、と言っても特別家でやる事は無い。
夏休みまっさなかで繁忙期の旅館に居た所で、家事も出来無ければ料理も皆無な雪雫が手伝う訳にもいかず。
かといってその時間を仕事に充てる気分でも無い。
だから雪雫は雨の中1人、市内を歩き回っていた。
「あらっ、雪雫ちゃんじゃないの!」
しかし歩き回っていたと言っても、目的も無くフラフラしていた訳じゃ無い。
「…お久しぶり、です」
場所は市内の住宅街。
ぽつりぽつりと立ち並ぶ一軒家の前で、妙齢の女性と雪雫は対峙していた。
「……千枝、居ますか?」
・
・
・
「…………むぅ」
眉間に皺を寄せ、色々黒い噂が絶えない稲羽の特産品ビフテキ串を口へ運びながら、雪雫は唸る。
(結局、千枝は居なかった)
姉である雪子の幼馴染……雪雫からしたらもう1人の姉とも言える里中千枝。
雪子の件の真相を聞き出そうと、彼女の実家に向かった雪雫だったが、千枝の母親から言われたのは「千枝は雪子と同じ大学に入って、稲羽を出た」という、またしても雪雫の記憶とは違う現実。
(千枝は大学には行かず、警察学校に入った筈……)
いや、問題は千枝だけじゃない。
今も市内に住んでいる筈の巽完二、花村陽介……その2人もこの町を出て行ったという。
陽介は「退屈だから」
完二は「ボクを受け入れてくれる場所を求めて」
そう言い残して。
どちらも肉親からの証言だから、間違いは無いのだろう、が。
(違う…出て行ったという人達……全員が私の記憶と違う)
周りがおかしいのか、はたまた自分の記憶がおかしいのか。
強い違和感を感じているのにも関わらず、周りの人間はそれを否定する。
しかし、確かめようにも本人達とは連絡が付かない。
初めは何かの冗談かとそう思っていた雪雫も、流石に焦りの感情が胸中に渦巻く。
何かの事件か…それとも――――
「あー! 雪雫ちゃんだ!!」
ふと、可愛らしい愛嬌のある少女の声が耳に届いた。
釣られる様に顔を上げると、そこには人懐っこい笑顔を浮かべてこちらに駆け寄る少女の姿。
「―――菜々子」
「久しぶり~!」
堂島菜々子。
市内に父親と2人暮らしの…今は小学6年生か。
雪雫とは小学1年生からの付き合いであり、歳上に囲まれていた彼女にとって、数少ない妹の様な存在。
父と2人暮らしというのもあって、歳の割に大人びており、家事や料理も何処かの人任せ人間とは違って卒なく熟せる。
「おう、戻ってきていたのか」
そしてそんな彼女の後ろで、休日なのかスーツでは無くラフな格好を着た、無精髭を生やした中年の男性「堂島遼太郎」。
菜々子の父親だ。
「……また、身長伸びた?」
出会った当初は雪雫の方が大きかった身長も、今やすっかり追い抜かされ、雪雫は既に見上げる側。
見た目も相まって、どっちが歳上なのか、分かったもんじゃない。
「そういう雪雫ちゃんは変わらないね!」
「………まだ伸びる、筈…」
「可愛い~!」と抱き着く菜々子のスキンシップを複雑な気持ちで受け止める。
その光景を見ていた遼太郎は「もう無理だろ…」という様な表情を浮かべていた。
「悠はいつ帰ってくるの?」
ひとしきり菜々子との再会を楽しんだ後、話題は堂島家にとって無くてはならない存在…今は東京の大学に通っている筈の青年「鳴上悠」の事へ。
「どうも大学の課題とかで忙しいらしくてなぁ…。まあ数日もしない内に来るってよ」
「そう…楽しみだね」
悠が稲羽に初めて訪れたのが5年前。
それからと言うもの千枝も雪子、りせも他の皆も。勿論、私も。その彼の存在は私達にとって大きいものになった。
堂島家にとって悠の存在は、私達よりも身近で、親密で。
彼が帰って来る。というのは誇張無しで一大イベントだろう。
その証拠に、菜々子の顔にも満面の笑みが浮かんでいる。
「うん! お兄ちゃんにもう3日も会ってないからね! もう寂しくて死んじゃうよ!」
「――え? ……みっ、か………?」
「こいつ未だに兄離れ出来てなくてなぁ……。ったく」
雪雫の疑問を余所に、堂島親子は話を続ける。
「お父さんだってお兄ちゃん居ないと晩酌がー…とか寂しがっていた癖に!」
「いや、それはまぁ……そうなんだが…」
「悠って、もうこっち帰ってきてるの?」
そう問いかけると、菜々子と遼太郎はキョトンとした顔で首を傾げる。
「いやぁ、だから…今は大学に――」
「そうじゃなくて……東京から戻ってきてたの?」
「何言ってるの雪雫ちゃん? お兄ちゃんは4年前のゴールデンウィークからこっちに住んでるじゃん!」
雪雫ちゃんだって、その時一緒に居たでしょ?
菜々子の無邪気な声が、脳内に木霊した。
▼
フラフラと、覚束ない足取りで雪雫は商店街を歩む。
四目内堂書店、りせの実家の丸久豆腐店、夏は祭りの会場となる神社、肉丼が名物のラーメン屋である愛家エトセトラエトセトラ……。
変わらない街並、変わらない人々。
しかし、必ずどこかで生じる違和感。
故郷の筈なのに、まるで別世界の様な。もしくは自身が異物の様な。そんな感覚。
まるで浦島太郎になったような気分だ。
一度そう思うと、自分が何処に居るべきか、誰と一緒に過ごすべきか分からなくなってくる。
この町に居ない身内と友人達とは相変わらず連絡が付かず、この街に居る知人たちも何処かおかしい。
「………はぁ」
これはもう、何もせずに彼らが言っていた「帰って来る」日まで待つべきか。
そんなことを考えながら当ても無く歩いていた、その時。
「ね、ねぇ! ちょっと良い?」
ふと、肩を叩かれて雪雫はゆっくりと振り返る。
「あ…やっぱり! 雪雫だ!」
後ろに居たのは快活な印象を受ける少女だった。
身長は160cm前半で、雪雫からしたら見上げなければ顔も確認出来ない程。くりくりとした大きな目と、特徴的な赤い髪をリボンで結った、水色のシャツと白のショートパンツを身に着けた少女。
「―――すみれ?」