PERSONA5:Masses In The Wonderland. 作:キナコもち
よく霧が出た日の事だった。
「………んー…」
授業が始まる時間であるのにも関わらず、先生は教室に現れる事無く、何も案内が無いまま放置されること20分ほど。
暇を持て余し、キョロキョロと視線を動かす。黒板、廊下、時計、ロッカー、窓際の方。
「…………はぁ」
居ない、居るわけが無い。今年は同じクラスになれなかったのだから。
「いいなぁ、すみれ」
ポツリと思わずそんな言葉が漏れ出てきた。
羨ましい。狡い。
そんな嫉妬混じりの感情が沸々と湧いてきた時、困惑と焦りが混ざり合った表情の先生が教室の暖簾を潜った。
普段は見せない様子に、教室中がざわめく。
どうしたんだろう。
何かの事件かな。
そんな言葉が飛び交う中、先生は静かに告げた。
臨時休校だと。
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結局、学校側からの詳しい話は無かった。
兎に角、授業が行える状況では無い。と説明を受け、生徒達は全員、自身の親と一緒に自宅へ帰る事に。
帰宅した後も、緊急時以外の外出はしてはいけないらしく、練習も無くなった私は、久々に家でゆっくり妹や母と過ごすことになった。外で忙しなく鳴り続けるサイレンの音を聞きながら。
「え、天城さん、休みだったの?」
「うん…。教室に居なかった……。心配だね…」
私達姉妹が顔を合わせれば、決まって話題に上がる天城雪雫。何時から、と聞かれれば私が目を奪われたあの日からだろう。
家に帰る度に、すみれから彼女の話を聞くのが日課になっていたが、今日はどうやら休みだったらしい。
「……事件、とかに巻き込まれてないよね………」
嫌な想像が脳裏に過ぎる。
大人達は情報を伏せているが、ここは狭い田舎町。町の様子を見ていれば、余程のバカじゃない限りは直ぐに察しが付く。
何か、大きな事件が起きたんだと。
「…まさか………そんな訳。たまたま調子が悪かったんだよ」
「そう、だよね……」
何とも言えない不安と焦燥を胸に抱きながらも、それを解消する手段を持たない私達は、ただただ希望的観測を言い合うしか無かった。
◇◇◇
例の臨時休校から数日後、彼女は無事に登校してきたらしい。
いつもの無表情に、若干の隈を作って。
わざわざ隣のクラスから報告に来てくれたすみれと共に、教室の外から彼女を観察する。
最早、教師陣の中でも暗黙の了解になっているのか、お決まりの隅の聖域。
そこに腰掛ける彼女は、確かに眠たそうに目を擦っていた。
何処か、顔色も悪い気がする。
元々白い顔が、さらに白く、まるで病人の様だった。
今期の保健委員になったらしいかすみが「連れて行ったほうが良いかな」と呟いていた。
◇◇◇
臨時休校の原因は、やはり事件だったらしい。
それも殺人事件。
初めに知ったのは母の口から、詳細はニュースで。正式な御触れとしては学校で。
暫く登下校は集団で行うらしく、警察や学校の先生、地域のおばちゃん達が見守ってくれる様だ。
すみれは「ちょっとは安心だねー」と口元を緩ませていた。
そんな中、私は全く別のモノに興味を引かれていた。
彼女も、同じ様にするのかな、と。
◇◇◇
集団での行動もすっかり慣れ、事件が起きた事など、時折思い出す程度になってきた。
そんな時期。
再び先生が血相を変えて教室に飛び込んできた。
今度はハッキリと「また事件が起こった」と口にして。
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当然、保護者に迎えに来てもらう訳だが、そう都合良く迎えに来てもらえる訳も無い。
タイミングが悪い事に私達の母は現在、隣の沖奈市に出かけており、すぐには来れないらしい。
友人のお母さんや地域のおばちゃん達に送って貰っても良かったのだが、結局家には誰も居ない。緊急時における子どもの留守番程、不安なモノは無いと、学校側は母が来るまでの間、滞在を許可してくれた。常に、先生と一緒に居るという条件付きで。
何処で時間を潰すかは、もう決まっている。
すみれ繋がりで仲良くなった養護教諭が居る領域……、つまり保健室。
清潔な空間で、それでいて空調完備、ベッドもソファもお茶もある。こんなに良い空間、他に思いつかない。
すみれはもう先に行っているらしく、やっと担任から解放された私も一足遅れて保健室へ。
「お世話になりまー……す?」
「…あ、かすみ………」
横開きの扉を開け、何時もの調子で保健室に入ると、真っ先に感じ取ったのは重たい空気。
私の名前を呟いたすみれに目を向ければ、彼女は困った様に眉を顰め、手に何かを握っていた。
すみれの手の中にすっぽりと入った白く小さな手。そこから伸びるしなやかな線を視線でなぞると、その先には頭からタオルケットを被った小柄な体躯をした生徒が。
タオルケットの裾から見える白髪が、僅かに小刻みに揺れていた。
「……人…、死ん…で…。またっ………」
「だいじょーぶ、だいじょーぶだから……、ね、天城さん…」
髪を見てもしかしてと思い、すみれが名前を確信した時、この生徒が誰か確信した。
「……天城…、雪雫………」
天城雪雫。
万能の少女。全能の体現。常に冷静で、私達の住んでいる世界とは違うところに居る人。
そんな彼女が、ただただ身体を震わして怯えていた。
許しを請う罪人の様に。お化けを怖がる子どもの様に。
そんな彼女をすみれは背中をさすってあやす。
大丈夫。そう何度も語り掛けて。
「天城さん…、まだ人が死んだって決まった訳じゃないのよ?」
「でも、サイレン……。鳴って…」
お茶を持ってきた先生が──、この匂いはハーブティーだろうか。
兎も角、先生も努めて優しく彼女に語り掛けながら、お茶を飲む様に促す。
「ね、ねぇ…。どうしたの、天城さん…」
努めて冷静になろうとしたが、困惑は声の震えに現れて出てしまった。
「…それが、私が来た時から……」
「…………」
すみれは横に首を振り、先生は難しい顔をしたまま答えない。
何となく分かる。私達には知らせる事は出来無い。もしくは知らせる必要が無い。そんな顔だ。
「だ、大丈夫……?」
取り敢えず、彼女が普通の状態じゃないというのは良く理解出来た。
目撃してしまった手前、私も2人を見習って天城さんに優しく語り掛け、その小さな肩に。殆ど変化の無いその身体に手を添えた。
「……っ」
ビクリと、彼女の肩が跳ねた。
恐る恐ると言った様子で、彼女の赤い瞳がこちらに向く。
開いた瞳孔、揺れる瞳。その柔肌をつたう冷汗。
今までに見た事の無い、そんな彼女の怯えきった表情。
「────────」
へぇ。
何か、感じるものがあった。
しかし、それを言葉にすることは出来ない。未知の感覚、だったから。
変わらず先生もすみれも、彼女に優しく語り掛けている。
私も私で、肩を擦り続けている。
(………綺麗な顔。初めてこんな近くで見た)
今はそれどころでは無いというのは理解しているつもりだが、そう思わず考えてしまう程、近くに彼女は居た。
何時も何時も、近い様で遠かった彼女の存在。同じ空間に居ながらも、別の世界の住民の様に思っていた彼女。それが、今は手が届く、こんなすぐ近くに。
(本当に綺麗)
肩を擦っていた手が、その白い頬に伸びようとしていた。
彼女は気付かない。それどころでは無いのだろう。すみれも先生も、止める様子は無さそうだ。
ゆっくり、ゆっくりと。壊れ物に触れる様に。
あと数センチ。あと数ミリ。もう少しで───。
「雪雫!!」
その時、勢い良く部屋の扉が開いた。
彼女の名を呼んだ女性は、焦った様子で震える少女の元へ。
以前の彼女にそっくりな艶やかな黒髪。赤いヘアバンドとそれに揃えたであろう制服。映える黄色いリボンが、彼女が八十神高校の生徒だと主張している。
私達はその女子生徒を知っている。
この町に住んでいる者なら、名前くらいは聞いた事ある筈だ。
唯一の観光名所と言っても良い高級旅館。そこの女将の長女。正真正銘の天城雪雫の実姉。
「…雪……子………?」
そんな女性の名前を、震える声で必死に天城雪雫は紡いだ。
「…ゆ、きこ……雪子………。お姉、ちゃん……!!」
「うん、お姉ちゃんだよ…。迎えに来たから。もう大丈夫、だから」
自身の姉を姿を確認した彼女は、縋り付く様に抱き着き、何度も何度もその名を呼ぶ。
安堵と恐怖が入り混じった様な顔。
その瞳の端から、涙がつたっているのも確認出来た。
(家族にしか、見せない表情……)
きっと、さっきまでは気持ちが溢れ出さないようにギリギリのところで我慢していたのだろう。
それが肉親が来たことで決壊した。
彼女が心を許した相手のみに向けられる感情。
私は初めて、彼女からのそれを羨ましいと感じた。
◇◇◇
2回目の事件以降、すみれは少し天城雪雫と仲良くなった様だ。
というのも、度々彼女に気遣って話しかけたり、一緒に保健室行ったりしているらしい。
ついでにすみれから天城雪雫が取り乱していた理由も聞いた。というのも、本人が語ってくれた…らしいが。
なんでも1回目の事件、山野真由美さんの死体の第一発見者らしい。つまり、直接死体を見たわけだ。
道理でその日、学校に来れなかった訳だ。まともな精神状態で居られなかったのだろう。
ましてや、山野真由美と言えば世間の目から逃れる為、実家である天城屋旅館に泊まっていたというのだ。
そして、その傷が癒えぬまま起きた2回目の事件。
私達はまだ小学生だし、いくら彼女だとしても、ああなるのも無理はないかもしれない。
因みに、2回目の事件も彼女の想像通り、殺人事件だった。
世間っていうのは、つくづく厳しく出来ているものらしい。
「でね、
すみれは今日も、私の背中を押しながら彼女の話を楽しそうにする。
私にとっての特別な存在も、すみれの前では同年代の友達。
私は眺めるばかりだった対岸に、すみれは足を踏み入れている。
ジュクジュクと、また心が音を立てた。
◇◇◇
町で雪雫を見かける事が多くなってきた。
大体は姉の雪子さんや、最近こっちに戻って来た久慈川りせさんと。時々、緑色のジャージを着た八十神高校の生徒さんと。
学校外で見かける時、決まって歳上の高校生たちと一緒に居た。
しかし、何事にも例外がある。
その例外と言うのが私の妹、すみれだ。
学校内での関係は、遂にプライベートにまで発展したらしい。
共に勉強したり、一緒に映画を観たり、買い物に行ったり。すみれと雪雫が共に過ごす時間は着実に増えていった。
そして、それは私も例に漏れず。
「あ、かすみ。おかえり~」
委員会の仕事で帰宅が遅くなったある日。家に帰ればリビングのソファに借りて来た猫の様にチョコンと座る雪雫さんとすみれが居た。
目の前のテレビに視線を向ければ、映っているのは去年公開されていた映画。あの有名な童話「不思議の国のアリス」を実写化したやつだ。
「…芳澤、かすみ……さん。すみれのお姉ちゃんの」
「え、えぇ……」
とても色気の無い出会いだが、これが私と雪雫の初めての会話だ。
「聞いてよ、かすみ。雪雫、アリスが怖いんだって!」
「……すみれ」
「そんなにムッとしないでよ~」
まるで仲睦まじい友人同士のやり取り。
そんな姿を見ながら、私の心はただただ困惑と歓喜に満ち溢れていた。
前者は、自分の世界に唐突に天使が舞い降りた事に対して。後者は、その彼女が私を認識してくれている事に対して。
彼女の口から、彼女の声で、しっかりとその赤い瞳で私を捉えて。芳澤かすみ、確かにそう言った。
この時、この瞬間に。
私は知ってしまった。彼女に興味を持たれる喜びを。真っ直ぐ注がれる視線の心地よさを。
「……私も一緒に観ても良い?」
「もちろん。ね、雪雫?」
「ん」
映画の内容は殆ど憶えていない。
憶えているのは映画のシーンが変わる度に僅かに動く雪雫の表情と、その息遣い。
それと。
(全部が自分に注がれたら、どんなに心地良いのだろう)
芽生え始めた独占欲だけだ。
◇◇◇
その後も色々な事が起きた。
それは私達姉妹の事でもあるし、雪雫自身にも。
映画の件以降、雪雫と私達姉妹は3人で過ごす事が多くなった。
同級生からは天城雪雫に対して唯一対等に渡り合える存在として、一目置かれたりもした。
対等?
とんでもない。ただたまたま巡り合わせが良かっただけだ。私はそんなこと一度も思った事が無い。今でも彼女は私にとっての特別な存在で……。
話がそれた。
兎に角、今までの学校生活は何だったんだろうという位、雪雫と過ごすことが多くなった。
関係性で言えば、雪雫本人が大会の応援にわざわざ足を運んできてくれる程に。
たどたどしい口調で入賞出来ず落ち込むすみれを励ましていたのは記憶に新しい。
歳の瀬に近づくに連れて、以前と比べると雪雫本人の口数も随分増えた気がする。
段々と自分の事を話してくれるようになり、プライベートの事も。
雪子さんを通して出会った高校生たちの話。同じ学校に通う一年生の菜々子ちゃんの話。神社のキツネ、愛家でのオススメメニュー……。
本当に沢山の時間を共に過ごした。
そんな折だった。
私は重大な事に気付いてしまった。
それは学校の帰り道。
何時も通り学校が終わり、雪雫と私達2人、それぞれの家に向かっていた。そんな何でもない日。
連日、厳しい冷え込みが身体を蝕む冬の日だった。
その日、たまたまお気に入りのマフラーを忘れたすみれが、くしゅんとくしゃみをした、何気ない日常の風景。
「…………」
おもむろに雪雫が自身の赤いマフラーを解いて、すみれの首に巻いた。
状況を飲み込めていないすみれが、ボーっとした表情を浮かべていたのが印象的だった。
「貸す」
淡々と、何でもない様に雪雫はそう言った。
何を、とは言うまい。十中八九、そのマフラーだろう。
「……え、でも…雪雫も寒いでしょ…。わ、私は大丈夫───」
「ダメ。風邪、引く」
慌てて返そうとするかすみに、雪雫は首を振った。
「私は、大丈夫。だって……。えっと、冬生まれだから。名前も、雪入ってるし」
「……え、え?」
良く分からない理論を、極めて真面目な顔で、何時ものたどたどしい口調で彼女は語る。
「雪で雫。即ち、スノードロップ。冬の花」
「……スノー…?」
「スノードロップ。知らない? ヒガンバナ科、ガランサス属。学名、ガランサス・ニバリス。春を告げる花」
「……えっと、そういう事を聞いてるんじゃなくて……」
「兎に角、それ貸す。私から、少し早い春のプレゼント。それじゃあ」
そうまくし立てるや否や、片手を上げて旅館へ続く山道の方へ。
段々と小さくなっていく背中を、私とすみれはただただ呆然と眺めていた。
「……もう、いつも突然なんだから…」
「まぁ…ああなったら止められないしね…。明日返しましょうか」
そう言って新しくマフラーが巻かれたすみれに視線を送る。
「────っ」
彼女が、妹が浮かべていた表情を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃に襲われた。
マフラーで口元を隠しているが私には分かる。頬を髪と同じ様に赤く染め、熱っぽく彼女が行った山道の方をボーっと眺めている。
「……えへへ…そうだね。明日、返してあげよう」
そう嬉しそうに笑みを零しながら、すみれは言った。
(………まさか)
私は、その表情は何処か見覚えがあるものだった。
それは、彼女の姿を一目見ようと探していた少女の顔と同じものだ。別世界の住人と決めつけて、手を伸ばせずに居たあの少女と。
ああ、そうか。
私はもう既に、雪雫の事が───。
それを自覚したのは、すみれよりもずっと後の事だったのだろうと、今では思う。
そう私は何時だって、彼女の後追いだ。