設定置き場   作:pilot

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MCOB掌編

 2192年、某月某日。フィンランド近海の沖合にて。

空気の揺れる音が鳴り響いていた。

 海は波紋に溢れていて、それに負けじと大気が震えている。

 寄せては引く波と──────鉛。

 鉄。アルミ、チタン、そして炭素──────つまり死体が降り注いでいた。

 海は波紋に溢れている。赤い染みが、それらに合わせて広がっているような錯覚を齎す。

 「緊急発進!緊急発進!カタパルトを準備しろ!」

 海上、戦闘区域から数キロの地点。今、一人の兵士が空に上がろうとしていた。

 戦況は良くないようだ。整備士たちの、ヘルメット下に隠された表情は暗い。あるいは緊迫に苛まれている。船は不安を代弁するかのように揺れ動き、発艦に纏わる手順をより困難にしていた。この中で上を向いているのは……何時もうるさい艦長と、そして今まさに飛び立とうとしている“アホウドリ”くらいであろう。整備士が手元以外を見ていたら大事件だ。

艦載機というのは何時の時代でも、風向きだとか、タイミングなんかに殺される。進路を間違えたものは、自らの母艦に覆いかぶさられて圧死するのだ。

 それでも、飛び立たなければ死んでしまう。そういったものでもあった。

 「よぉし飛ばせ飛ばせ!」

 「圧力正常!固定完了、エンジン点火可能!」

 「了解」

音の乱闘の中へと、甲高い回転音が加わった。

戦闘機というのは──────もちろん、トップアスリートのごとき減量は施されているとはいえそれでも──────随分と重たいもので、それをあの速度で飛ばすエンジンというのは本質的なスケールが馬鹿げている。容易に鼓膜を破り散らかしかねない音をヘッドセット越しに聞くのが、操縦士という職業の日常だった。

電磁カタパルトが作動を開始する。腹の底に叩きつけられるかのような重力。慣性の法則が強く肉体を痛めつける。ただ、慣れっこだった。ギターを弾く指が痛いからとミュージシャンをやめてしまう人間には、適正以前の問題がある。それと同じように、この感覚をある種安心にまで昇華してしまう人間こそが、ようやく大空という土俵に上がれるのだろう。

最も彼女は、土俵の遥か上を飛びたがる。地で拠点を守り踏ん張り合うなど性に合わない。

浮遊感。空母がもたらす垂直抗力は作用点を失い、航空機は遂に、自ら羽ばたき始める。前から後ろへと高速で流れていく気流が羽をがしりと掴み、脚としての役割が切り替わった。

揚力と水力が互いに働きかけ、仕事を失ったランディングギアが少しずつ体内に引き戻されていく頃、大きくフラップを傾け、それは翼を変形させる。

ふわりと凧のように停止するとその後すぐ、機首が急激に上を向き、推力のベクトル全てが飛翔への力へと変換され始めた。重力を振り切るように空を切り裂き上昇するにつれ、気流によって生み出される水面の波紋がどんどんと小さくなっていく。

まさに数秒数える間もなく、機体は作戦に必要な高度へと溶け込むかの如く消えていったのだ。

 

大気中に死と二酸化炭素が滞留している。

何処を見ても飛行機雲と、そしてミサイルの噴煙で埋まっていて、撃墜された航空機がきりもみ回転しながら次々と海へと叩き落とされている。MCOBとダイダロスメディカルの限定戦争は始まったばかりだった。

フィンランド沿岸。その付近の“元”国々で展開されているインプラントの、ダイダロスメディカルとの間に発生した事業もつれによる採算と犠牲の摩擦は、この地の支配者たるMCOBにとっては如何ともしがたい現実として長年頭を悩ませ続ける存在だった。

そして当のダイダロスメディカルというと、これは彼らの元来の気質でもあるのだが、ただひたすらに傲慢で聞く耳を持たない動きを続けていた。他者が存在していないかのように振る舞い、他者は自らの影で生きていくのだと当然のように考えているやつらだから。すくなくとも、MCOBにはそう見えた。疑いと怒りと、とりわけ大きな正義感による非難の目を向ける彼らに対しての弁明は、この時代珍しくもないというものの、全く持って存在していなかった。問題は、MCOBはそこいらの中小ではないし──────その上日和見主義でもないというところだ。

雇用と生産、そして消費。さらに、治安の悪化。それらが閾値を超えたのが、ほんの数日前といったところだ。

そこからはもう、直ぐに火が付いた。おそらく今まで、不況と経済摩擦で死んだ数より多くの兵士と民間人が死んだ。墓より広い範囲の町が消えた。運び出された物資が焼けた。消えた金よりもっと値段の張るミサイルが降り注いだ。

お互いに留め時を計りながら、他者の命をリソースとして落としどころを探り合っている。

ただ最前線にいる兵士に、そういった政治的意図は伝わらない。目の前の敵を全力で殺すか、あるいは自分が墓に入ることになるかのみが判断基準。戦場に国境はなく、あったとして銃撃は、はいそうですかと引き返したりしないからだ。

生きているか死んでいるかの境目だけが全てのその場所に、新たな機影が滑り込んでくる。MCOBの最新機種、輝ける鶏──────

刹那、ミサイルではない暴力が戦場を横切る。弾丸だ。しかし、機銃のようなちゃちなものではない。それが何を引き起こしたのか、一瞬の後に、敵味方全てが理解することになる。

その機種の直線状へと、地平線まで届こうかといった衝撃波が通り抜ける。

それだけでも周囲の人間に与えた威圧感は巨大だったのに、それだけで済むことはない。

遅れて、そこに存在していた航空機が大きな火を噴きあげ爆散した。巨大な運動エネルギー弾、つまり重くてデカいものが空気と機体をぶち抜いていったのだ。

音だけが呑気に響き渡っている。主犯も被害者もきえた戦場に、捕食者の入場音だけが遠く響いていた。

『MCOBの増援だ!二番機がやられた!』

『こちら二番機!脱出に成功、救助を!』

静寂が戻ってきたころ、無線がやにわに騒がしくなった。ひとまずは、ダイダロスメディカル所属機体のパイロットは安心しても良いということだろうか。

直前の戦闘機が出していたスピードに加えて、脱出時上へ上へとかかる速度がかかっていた。ぐんぐんと人間は高度を上げ、戦闘から離脱する。

雲の中へとそれは突っ込んだ。

そのはるか下で残骸を潜り抜けたMCOBの最新鋭機は、爆風を気流と共に巻き上げながら減速する。羽に絡みついた噴煙が、まるで悪魔の皮が棚引いているようだった。

直後、カタパルトから発進したときと同じように翼が変形し、大柄で威圧感を放つ前進翼と、複数枚の尾翼へと分裂する。

形の無い大気に爪を引っ掛けるようにしてぶらり。まるでキャノピーを支点にした振り子の如く体勢を変化させる。奇妙なマニューバは敵対者に腹を見せていて、まるで挑発しているかのようにも見えた。

最初の一機の撃墜を境にフォーメーションを崩した多数のダイダロスメディカル所属機体が、複数角度からその隙を見逃さぬように畳みかける。

『Fire!』『Fire!』

殺意のこもった声が無線に機械的にデジタルデータへ翻訳されて、また音へと再翻訳されて、それでもやっぱり殺意がこもった声。

仲間を堕とした兵士は見逃さない。戦場のモチベーションの一つだ。

MCOBの乱入者はエンジンの回転量を急激に上げながら、極上のシートに座っているかのように背もたれへと体を預ける。実態は慣性に組み伏せられ、脅しつけられているかのような圧力にもかかわらず、ヘルメットの下の口は三日月状にゆがめられ、笑っていた。彼女は空を愛していたからこそ。

進行方向には、先ほど緊急脱出した兵士が紛れ込んだ雲海。

邪魔だった。それは雲が?

振り払うためにもう一度、運動エネルギー弾をぶちかます。次は大気の裂ける姿が、水とチリの視覚化された世界で表現される。そしてもう一つ。

爆音がダイダロスメディカルの無線を駆け抜けた。

機体の進行方向、円形に散っていくもやの先、派手に飛び散る血煙がある。

三十メートル後半はあろうかというその機体に取り付けられた兵器が、たった一人の人間の逃走を許さなかった。

朱いシャワーを浴びながら急上昇していく超音速の悪魔。ミサイルたちは必死に追いすがるが、生身の部分が残っているかも怪しい人間が、Gを気にせず最新鋭戦闘機を乗り回しているのだ。そうそう追いつけない。

ミサイルの破壊的な効果は実に広く、そして深く普及しその結果として陳腐化していたが、ときたまゲームチェンジャーが現れる。兵器とはそういうものだ。

ドッグファイト……というのもおこがましい、あまりにも一方的な追いかけっこが始まる。ダイダロスメディカル側の残る兵士は4人。その誰もが、本能的に逃げ腰となっていた。

雲を抜け、少しずつ空の色が暗く薄くなっていく世界。急激にその場所まで駆け上がって駆け上がって、止まる。エアインテークと一緒になって空の空気を堪能し、触れもしないそれを愛おしく抱く。

ルーティンのようなものだった。同時に、示威行為でもある。

誰が上に飛び誰が地に伏せるのかを、ありとあらゆる人間に刻み付けるのだ。

太陽と重なるように瞳に映るその機影は、ある種の神々しさすら纏っていた。血に濡れているというのに。

機体に大きくピッチがかかり、ぐるぐると天地がさかさまになり続ける。ただ極まった飛行機乗りの世界には、天しかない。

海と空の境界線は上空から見てもわかりづらかった。彼女の強化された認知器官にとって、空間識失調は冗談でもならない症状だが。

その後、彼女へと訪れたのは浮遊感。彼女の体はあらゆる方法で痛めつけられる。

次々に切り替わるその感覚への暴力の数々。

フラップが軋む。敵対者諸氏はハヤブサに狙われた小鳥のように右往左往──────つまり、break機動を取った。

──────孤立するものから狙われる。航空機の世界は矛盾を孕む。固まったままではマトモに動けないのに、理不尽な撃墜王たちはそれを忌む分裂すら利用する。単純な力量で上回れというのだろうが、芽は自分たちで摘んでいるというのに。

高度から速度が補給され続ける。位置エネルギーが速度エネルギーへ移動していく。

敵対者の耳にただただ鳴り響き続けるロックオンアラート。まだ来ない、まだ撃たれていない。だがきっと、既に死んでいた。ぴたりと死がついている。追いつかれていないのではなく、まだ殺されていないだけ。自分の人生がさっと青ざめて、そのあと徐々に色を失って、自分の物ではなくなっていく感覚。もう、どうにもならない領域。

恐怖にやられた構成員の一人は、自分がずっと無茶苦茶に角度をつけて旋回していることに気づいていなかったのか、速度の低下をもお構いなしにそれをずっと続けていた。

訂正しよう、これすらもどうしようもなかった。機首を曲げることをやめればどうなるのか、想像を超えた感覚と本能によって叩き込まれ続ける最悪の未来予想図。

端的に言うと、詰みだ。

ミサイルのロケット噴射が、戦闘機自体のスピードを加えられ最早避けようがない速度にまで加速する。最早旋回率に変換する速度も残っていないダイダロスメディカルの航空機は、横向きだったがゆえに脱出すら出来ない。

ロールを行い、そこで終わった。

海上でまた一つ、爆炎が発生し、消えた。

「やられた────!」

恐慌。残る人員は三人。その中で戦意を保持しているもの────0。

急旋回。誰もが無線を開くまでもなく、逃げることを選んだ。生物としての根幹が、共通点が、生きるために必要な頭脳そのものが、生存のための手段を選択し、シンクロした。

戦場の何もかもは食い荒らされた。雑に食いちぎられた肉片と見分けがつかないくらいに荒れ果てた海。鉄片は塩や胡椒のようにまき散らされていて、その渦中でたった今食事を終えたばかりの鶏がゆっくり旋回していた。まるで腹ごなしでもするかのように。

 

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