一人ぼっちの文学少女が孤独を埋めてくれる相手を見つけた話   作:ジョク・カノサ

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融点

「あのー」

 

 翌日、彼は再び部室を訪ねてきた。

 

「……忘れ物でしょう」

 

「すいません……」

 

 機嫌を伺うような仕草で部室内へと入った彼に対し、私は鞄から例の文庫本を取り出した。

 

「あれ、もしかして読んでくれたんですか?」

 

「施錠してるとはいえ、部室に置きっぱなしなのはどうかと思っただけ」

 

「ああ、なるほど……」

 

「……いや、ごめんなさい。本当は読んだ」

 

 昨日彼が部室を出た後、冒頭を軽く覗く気で開いたつもりがいつの間にか読み切ってしまっていた。

 

 それを告げた途端、彼の表情は面白いくらいに明るくなった。

 

「本当ですか!? なら謝ってもらう必要なんてないですよ! 元々読んでもらいたいなーって思いながら持ってきたヤツですし!」

 

「……本当に君の物だったの?」

 

「そうですよ? 何回読んだかなー、何十回かな? 事あるごとに読み返しちゃうんですよねー」

 

 家族か友人から適当に借りたものかと思っていたが、どうやら違うらしい。確かにこの文庫本は年月と何度も読まれた事が原因か所々が痛んでいた。

 

「で」

 

 彼はやけに楽しそうにそう言って私に顔を寄せた。身長も相まってか年齢よりも遥かに幼く見える。

 

「面白かったですか?」

 

「……好みではあった」

 

「どんなところが?」

 

「っ、ちょ……」

 

 詰め寄られたようにも感じる言葉の圧。興奮しているようだけど、何がそんなに楽しいのかまるで分からない。

 

「ぶ、文体は軽いのに心情表現がしっかりと描写……あ」

 

 私は軽く仰け反りながらそう答え、言った後にそれに気が付いた。

 

 普通、面白かった点を挙げるとすれば登場人物の掛け合いやストーリーを挙げるべきだろう。普通は文体の感想なんて求めていない。

 

 というか、まともに他人と会話をするのが久しぶりだった。

 

「分かります分かります! なんかこう、スルッと文が頭に入ってきますよね」

 

 しかし、彼はその答えに対して頷きながらそう言った。適当に同調したという感じでもない。

 

「僕、性に合わなくてあんまり小説は読まないんですけど、この人の小説は読みやすくて中学の時にこれを読んでからファンなんですよ」

 

「……そう」

 

「でも僕の周りってこういう事話せる人が居なくて、誰かの感想を聞いたりするのって新鮮なんです」

 

 彼──日宮小暮は私が想像していた人物像とは少しズレていたようだった。

 

 といっても特定の作家の小説が好きなだけで、根っからの読書好きという訳でもない。

 

「……あの、蓮見先輩さえ良ければこれに関してもっと話してみたいなと」

 

 彼の不安げな顔と言葉には最初のような不躾さは無い。邪な目的ではなく、ただ純粋に小説について語り合いたいという姿勢が見えた。

 

「……」

 

「……蓮見先輩?」

 

 この部室には、いつも私だけが居る。この状況は私自身が望んだ事だった。

 

 一年の後期から変わらなかった日常。それが変わってしまうような予感。

 

 拒絶するのは簡単だ。昨日のように冷たい態度を取れば良い。

 

 ただ。

 

「分かった、話しましょう」

 

 私も、ただ純粋に読書が好きな訳では無かった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

『暮れ』の主人公は不真面目な大学生だ。円満に別れた筈の元恋人の事をどうしても忘れる事が出来ず、奇妙な友人達と奇妙な出来事を含んだ日常の中で元恋人との縁を何とか復活させようと奔走する。

 

「──あっ、鈴木が自転車事故に遭ったシーンとか面白くなかったですか?」

 

「その場面は覚えてるわ。結構な怪我をしてるのに悲壮感がまるで無くて不思議だった。文体は軽いけどギャグ調って程ではないのに」

 

「この人の文って大体そんな感じなんですよ。んー、真顔で面白い事言ってるみたいな?」

 

「最終章の展開とかはモロにそんな感じね」

 

「あそこ面白いですよね! 中学生の時とか思わず真似しようとしちゃいましたよ」

 

『暮れ』に関する語り合いは思いのほか長く続いた。彼は常に話題を提供してくれるし、私の感想に対しても自然とレスポンスをしてくる。

 

 言ってしまえば話し上手で、いつの間にか私は自分のコミュニケーション能力の程度をすっかり忘れて会話を続けていた。

 

「それで、ここが──」

 

 最初の方こそ多少の緊張は視られたものの彼は終始笑顔を浮かべていた。私との会話を純粋に楽しんでいる。そしてそれが伝わり、私自身の緊張も解されていく。

 

 他人との会話を苦に感じたのは、思えば久しぶりだったかもしれない。

 

「うーん……あ、そうだ。蓮見先輩はラストシーンをどう解釈しましたか?」

 

 彼は携帯で時間を確認した後、私にそんな質問をした。

 

『暮れ』には多少のファンタジー要素が含まれている。ラストシーン、夢とも現実とも取れる空間で主人公が二人の思い出の場所に座る元恋人を発見し、そこに向かって歩いていく場面で物語は終わる。

 

「解釈? 私は復縁とか歩み寄るだとかそういうラストだと感じたけれど」

 

「そうですよね、そうなんですよ。でも、僕は何回も読んだ中で違う答えが浮かんだんです」

 

「へえ」

 

「あれは夢で、思い出なんですよ。なんかこう、思い出を思い出として受け入れる事で未練が無くなったというか。あ、もちろんこれは僕個人の意見ですけど」

 

「あな……日宮君にしてはかなり悲しい捉え方じゃない? 私の解釈の方が希望的だとは思うけど」

 

「僕はそういうのってスッパリ諦めた方が良いと思ってるんで、そのせいかもしれませんね。お互いに()に行った方が良いと思うんです」

 

「成程ね」

 

 ドライな考え方だ。物語や描写の解釈は時として読み手に委ねられる時がある、というのを実感する。

 

「……すいません、時間がヤバイのでこれくらいで失礼します」

 

「時間?」

 

「部活サボってるんですよ。まあ、もう先生にはバレてるとは思いますけど」

 

「……でも、早く行った方が良いでしょう」

 

「ですね」

 

 彼は苦笑しながらそう言った。荷物を素早くまとめて席を立ち、私に向かって大仰に頭を下げる。

 

「今日は楽しかったです! こんなに人と小説について喋ったのは初めてでした! 失礼します!」

 

「──日宮君」

 

 扉を開けて立ち去ろうとする彼に向かって、私は思わず声をかけた。無垢、といっても良いような表情で彼は疑問を浮かべて振り返る。

 

「?」

 

「その……同じ作者の著書で他にも面白そうなのがあったら、教えてほしいの」

 

「……! 分かりました! 家からいくつか持ってきますね! 僕、木曜日は毎週部活が休みなのでその時で良いですか?」

 

「ええ、それで」

 

「了解です! じゃあ来週の木曜日にまたお邪魔します!」

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 私は毎日文化部に規定されたギリギリの時間まで部室に残っている。だから帰宅時間は決まって同じ。夏はともかく、秋に差し掛かってくるようなこの時期は夕暮れ時に自宅に到着する。

 

 鍵を開けて靴を脱ぎ、無駄に長い廊下を歩いてリビングに。テーブルに置かれたお金を手に取り自室へと向かう。

 

 自室に荷物を置いて、お風呂場で汗を流す。その後はその日の授業の復習をして適当にデリバリーで食事を済ます。

 

 それが終わればまた、私は本を開く。

 

「……」

 

 現代には沢山の娯楽があるけれど、私の場合その中で一番時間を忘れて没頭できるのが読書だった。

 

 文字を追う。ページを捲る。この行為が私には合っているのだろう。気づけばいつも本を手に取っている。そして、その間だけは私を取り巻く煩わしい問題を考えなくて済む。

 

 だから私は、自分をただ純粋に読書が好きな人間だとは言えない。

 

 高校生になってから、こういう時間が増えた。次第に周囲との関わりも煩わしくなって、一人になれる場所を探して、そこに身を置いた──筈だった。

 

「……日宮、小暮」

 

 私はその日、没頭の中で初めて他人(ひと)の名前を呟いた。

 

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