メイド イン 蝕   作:黒チョコボ

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再会

 

輝く朝日が照らす深界第四層。そんな四層の中腹に生える巨大な植物ダイラカズラ。その内の一つの葉の上にて、ガッツは一つの山を前に膝をついていた。

 

「ゼエッ……ゼエッ……ゼエッ……!」

 

植物が皿のような葉に溜め込む水が激しい呼吸に伴う動きで揺らされる。滴る汗が幾つもの波紋を作り上げ、水面は嵐の時の海のように荒れ狂っていた。

 

だが、水面を揺らす嵐は一つだけ。

 

それ以外は全て、物言わぬ山と化している。

 

「うっわ……大惨事……」

 

彼のポーチから顔を出した妖精は、目の前の光景に顔を歪めた。

 

地面はまるで血溜まりのように赤く染まり、場所も分からぬ臓物が至る所で浮いている。

 

そして、目の前に作り上げられた山は、赤や青や白の生物で構成され、見た目や匂いともに形容し難い不快さを感じさせるものであった。

 

そんな代物を前にすれば、パックの反応も当然と言えよう。

 

「クソッ……どいつもこいつも血相変えて襲い掛かってきやがって!」

 

時は数時間前、昨日の夕刻まで遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が沈みかけ、アビスにも赤みがかった光が差し込み始めた頃、ガッツ達はもう既に第三層の大穴を降りている最中であった。

 

「ねえガッツ、お別れぐらい声掛けてもよかったんじゃないの?」

 

「しょうがねェだろ、時間が無かったんだ」

 

「誰かさんがぐっすり寝てたからね〜」

 

「……まあな」

 

傷が塞がりかけている頬を歪め、何とも言えない表情を浮かべるガッツ。だが、今更戻る訳にもいかない。

 

首元の烙印はとうに疼き始めている。

 

彼は左腕に巻き付けた鉤縄を使い、慣れぬ手つきのまま降りる速度を早めた。

 

せめて、余裕がある地点まで降りられればと思い。亡霊達の魔の手が届きづらい場所まで行ければと思い。

 

 

 

だが、日が沈み切った瞬間から、そんな思考の余裕すら彼は奪われる事となる。

 

 

 

「ッ!? クソッ!」

 

岩壁を向く彼の背後から襲い掛かる青い影。マドカジャクと呼ばれるその原生生物はガッツという名の餌に誘われたのか、その顎を彼の義手へと向けた。

 

激しく咬まれる鋼鉄の腕。尋常ではない鉄の厚みはどうやら彼らの牙すらも跳ね除けるらしく、噛み砕かれる気配は無い。

 

しかし、巻き付いていた縄に関しては別だった。

 

「コイツ、縄を!?」

 

命綱が千切れ、落ちる身体。辛うじての所で右手が切れたロープを万力の如き握力で掴み、垂直落下だけは避けた。

 

しかし、足は文字通り地着かず。手の中のロープがいつまで保つかも分からない。

 

そして、何か打開策が無いかと彼が周りを見た時、そこに広がるのは絶望的光景であった。

 

「が、ガッツ……? こ、これゼッタイやばいやつじゃない!?」

 

「ああ、やべェな……!」

 

彼の左腕に噛み付くヤツだけでは無い、上下左右からまるで餌を見つけた魚のようにやってくる青、青、青。

 

そして、ようやく彼は気付くのだ。

 

 

 

烙印を持つ者がこのアビスという世界にて、闇夜に警戒すべきは亡霊だけでは無いのだと。

 

これまでの夜に出会ってきたのが亡霊だけだったのは紛れも無い偶然だったのだと。

 

 

 

「パック、どっか掴まってろ」

 

「あ、アイアイサー!」

 

遥か下、真っ白な雲の隙間に漂う赤色を一瞥した後、彼は確かにそう言った。一筋の迷いすらないその目を見たパックは超特急でポーチへと帰宅を済ませる。

 

 

 

そして、彼は右手の中の命綱を手放した。

 

 

 

「食らいやがれ!」

 

空いた右手で握ったナイフを腕に食いつくマドカジャクの脳天へ突き刺しながら、彼の体は落ち始める。

 

それでもなお腕を咬んだままのしつこい生物の顎付近をさらにナイフで切り、そしてブン殴る。細かい傷だらけとなった義手がようやく解放されるが、もはやそこに意識を向ける暇すらもう残されていない。

 

生物の本能が悲鳴を上げる速度で落ちる己の肉体に鞭を打ち、彼は空中で巨大な剣を解き放つ。

 

腕力と体幹で強引にそれを盾のように構えると、彼は己に降り掛かるであろう衝撃に備えた。

 

「ぎゃっ!」

 

「ぐっ!?」

 

落ちるガッツの体を不運にも受け止めてしまったのは、赤色を基調とした原生生物であるベニクチナワだった。本来、三層にて幅を利かせているその存在にとって、己の背中に人間が一人乗ろうともなんて事はない筈だ。

 

だが、今回ばかりは違ったらしい。

 

身を包む厚い甲冑に規格外の大剣。そんなほぼ鉄の塊に等しい存在が、数秒とはいえ垂直落下による加速を以って衝突してくるのだ。いくらアビスの生物が地上のものと比べて特殊とは言え、無傷で済むはずがない。

 

それを証明するかのように、脳天に大きな凹みを作ったベニクチナワは持ち合わせている獰猛さをどこかへ放り捨ててしまったかのように、ガッツを背に乗せたまま落下し始めた。

 

どうやら気絶したらしい。

 

「ヘッ、丁度いい。ちょいと足場に困ってた所だ。さて、そろそろ反撃と行こうじゃねェか!」

 

かの生物の大きな体は擬似的にパラシュートの役割となったようで、その落下速度は彼が隕石のように落ちた時よりも遥かにゆっくりであった。ただ、それでも一般的な探窟家の進行速度よりかはずっと速い。

 

そんな不安定極まりない足場の上で彼は左手にボウガンを取り付けると、口角と共にその矛先を空へと上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

空を染める青色が殆ど地に落ちた頃、ガッツの乗るベニクチナワもとうとう地面へ激突する。その衝撃は彼にも平等に襲い掛かるが、肉厚で柔らかな足場のお陰で大部分は打ち消され、そこらの水場に吹っ飛ばされるだけで済んだ。

 

「ゲホッ! ゲホッ! またここか……嫌な思い出しかねェな」

 

咳き込みながらも立ち上がり、僅かに霞む目に映ったのはとんでもない湿気が支配する第四層の入り口、巨大な植物の群生地であった。

 

色々と世話になってしまった記憶が蘇るその場所を前に、彼はなんとも言えない表情のままため息を吐く。

 

「おい、パック! チッ、ダメか。完全にのびてやがる」

 

激しい動きにポーチの中は大惨事となっていたのだろう。呼びかけられた当人は同居人?の石ころの下敷きとなって、見事に目を回していた。

 

似たような地形だらけのこの場所で地図もナビも無しで進んでいくしか無さそうだ。

 

「……ッ! 来やがったか、ハリネズミ野郎」

 

チャポンと水面を叩く音。己以外が発するその足音に、ガッツは当然のように振り向きその剣を構える。

 

あまり戦いたくない面倒な相手であるそれは、赤い顔と白い棘を携えて不運にも向こう側からやって来てしまったようだ。

 

なお、この短期間に出会い過ぎなのは言うまでもない。

 

だが、不運の波はそれだけに収まらなかった。

 

「……ッ!? テメエも起きんのかよ……! このクジラ擬き……!」

 

意識を刈り取られた報復か、はたまた手頃な獲物だからか、目の前の存在を喰らわんとその赤く大きな体は起き上がる。

 

 

 

前門の虎、後門の狼。

 

 

 

いや、前門の針鼠、後門の鯨とでも言うべきか。

 

少なくとも、この脅威は"針鼠"と"鯨"というただの文字からでは到底理解出来ないことは確かであろう。

 

「悪りィが、こちとら先急いでるんだ。退かねェってんなら、テメエらで死体の山作ってでも進ませてもらうぜ!!」

 

そして、相対する者もまた、ただの"獲物"ではない事も同様に確かであった。

 

 

 

擦れば終わりの毒槍と人の体など簡単に噛み砕けるであろう大顎を前に、小さな小さな獲物の人間は己の身の丈ほどの大剣を両手で地面に突き刺した。

 

そして、大剣を盾代わりにして毒の針を受け止めつつ、義手である左手を後方から迫る大顎へとまっすぐ伸ばす。原生生物達はおろか、正常な思考を持つ探窟家でさえその意図を読み取る事は出来ないだろう。

 

 

 

口端から伸びる細い紐。

 

 

 

機械仕掛けの手首がガコンッと折れる。

 

 

 

人の道を外れた怪物。人間などとは比較にもならぬ超常の存在。そんな恐ろしい者共への足掻きの象徴の一つが、爆炎と鉄球を携えて唸りを上げた。

 

 

 

 

 

夜の闇に照らされた暗い世界が、ほんの一瞬だけ昼の世界に変わる。突然の轟音と同時に起きるその現象に野生の者共は驚愕する。そんな最中、爆風を全身で受けたタマウガチは不穏な意識を察知した。

 

だが、両足に力が篭るよりも速く、野生動物の回避行動よりも速く、その命は刈り取られる。

 

野生の本能を凌駕したそれは、力場を利用したトリックなどでは無い。もっと単純極まりなく、そして理解に苦しむものである。

 

 

 

 

 

地面から剣を抜く際に発生する反動、左腕に仕込まれた大砲の反動。それら全てを己の力で制御し、剣に乗せただけ。

 

ただ、それだけだった。

 

 

 

 

 

大砲の反動を利用した一撃で地に伏せた二体の獣を前に、ガッツの体は返り血に染まる。その目はまだ安堵に染まってはおらず、青い影が点々とする空へ向けられていた。

 

案の定、朝日が差し込むその瞬間まで剣が乾く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地獄のような耐久戦を繰り広げ、ようやく向けた朝。凄惨と化した戦いの場を逃げるように去ったガッツ達は、一時休息の場としてナナチ達がいたあの拠点へと向かっていた。

 

だが、そこに良く知る姿は一つも無く、僅かに埃の被った家が一人寂しく立っていただけだった。

 

家主が不在ではあるが、この安全な施設を使わないという手はない。

 

「悪りィな、借りるぜ」

 

誰も返さぬ小さな呟きを吐きながら彼はその家の壁面にもたれ掛かり、そして気絶するかのようにその意識を手放したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、やっと起きたか!」

 

覚醒した意識に流されるように重たい瞼を開けたガッツ。そんな彼の眼前に広がるのは逆さに映る妖精の顔。

 

「どれぐらいだろ? とりあえず結構待ってたんだぞ! ほっぺた叩いても、髪の毛数本引っこ抜いても起きなかったから一体どうしたのかと」

 

「てめェそんな事してたのかよ……」

 

呆れ半分、気だるさ半分な気分のまま彼はスッと立ち上がる。右手が首に添えられており少し辛そうに見えるが、ここのところまともな睡眠も寝方も取っていない故仕方ないと言えよう。

 

「まあまあ、傷はあらかた何とかしといたからさ! それに比べれば可愛いってもんよ!」

 

「自分で言うな。まあ、傷に関しては助かった。ありがとな。この後も道案内頼むぜ? 生憎、ここから先はあんまり覚えてねェ」

 

「あいあいさー!!」

 

薄皮一枚と言った感じではあるが、痛々しく体に刻まれていた生傷の大半は一夜にして塞がった。旅の再開には申し分ない状態である。

 

身支度を手短に終え、食事は道中にいた背中にキノコの生えた豚のような生き物と元気の良い川魚で済ませた。焼いただけだが味は悪くなかったようだ。その証拠にパックは美味しそうに肉に齧り付いている。

 

だが、もう一方はそんな表情など浮かべず、ただただ胃に食物を押し込むように食事をしていたのだった。

 

 

 

 

 

腹を満たし、軽快な足取りで辿り着いたのは、ガッツが不運にもこのアビスに入り込んだ場所。深界五層の不気味な世界であった。

 

リコから貰っていた頑丈な鉤縄を失ったせいで、ここまで降りるのに非常に苦労したようだ。彼の額には幾つもの汗が滴っている。

 

「はあ〜! 休憩休憩!」

 

疲れた様子で地べたに寝っ転がる相棒の傍らで、土に汚れたナイフを綺麗に拭き取るガッツ。左手で握ることが不可能な者は、縄か何かで刃物を左手に固定してアンカー代わりにしなければ単身での垂直移動は厳しいものがある。この作業はそれ故のものだろう。

 

「よし、行くか。案内頼むぜ」

 

「ええ〜……もう行くの? もうちょっとぐらい休憩しても良いんじゃないの?」

 

「いや、このぐらいだったら問題ねェ。夜通しバケモンとやりあってるよりはマシさ」

 

「……比べる相手おかしくない?」

 

どうやらパックはもう暫く休む気満々だったようだが、その希望は手慣れた様子でナイフの掃除を終わらせたガッツによって打ち砕かれる。

 

残念ながら、主人と違ってこの黒い城は相当の事が無い限りへばったりなどしないのだ。そんな事実を突きつけられ、半ば呆れ顔の妖精を横目に彼はその足を動かし始めたのだった。

 

 

 

 

 

暫く歩き続けた後、先頭を飛ぶパックがその動きをピタリと止める。同様に足を止めたガッツの視線が、その背中へと向けられた。

 

「おい、どうしたパック?」

 

「あのさ、ガッツっていっちばん最初の洞穴の場所って覚えてる?」

 

「いや、覚えてねェ。ここら一帯似たような景色のせいで記憶が結構ごちゃ混ぜだ」

 

「だよね〜……」

 

何とも言い辛い様子を見せるパックに、彼も薄々と不穏な空気を感じ始めた。

 

「一体どうした?」

 

「えっとね、この……五層だっけ? ここに来るまではなんとか気配が辿れたんだけど、来てからはもうさっぱりってカンジ。だから取り敢えず、リコ達のやつを辿ってるんだ!」

 

「まあ、結構時間が経ってるからな仕方ねェさ。どのみち、こんな浅瀬じゃ無かった事は確かだ。一旦深いとこまで進むだけなら別にそれでも問題ねェだろ?」

 

「いや、うん……まあそうなんだけどさ。リコ達の気配が続いてる方向が……こっち……なんだよね」

 

何とも言えない表情と共に指差された方にあったのは、眼下に広がる奈落への入り口を橋のように跨ぐ氷の道であった。

 

もし、ただ単に氷の橋が架けられているだけなら、彼は二つ返事でこの道を進むことを決めるだろう。返答代わりに返された躊躇いの混じった沈黙が、それがただの道ではないことを嫌でも証明していた。

 

「おい、本当にここ通ったのか? お前の勘違いって訳じゃねェよな?」

 

「ホントだって! ぜーーーったいにリコ達はここ通ったよ!」

 

谷を跨ぐその道は氷で出来ているだけではなく、子供ですら一列にならなければ渡れない程に細かった。当然、ガッツにとってこの道は綱渡りと同義である。

 

氷の上を薄く覆う雪を一瞥すると、彼は覚悟を決めたかのように芯の通った声でもう一度答えを返す。

 

「なら、行くしかねえ。パッと見だが、足跡っぽいモンは残ってる。もしかすると近道なのかもな」

 

心のどこかで生まれた焦りが彼を危険な道へと誘った。片足だけ先に前に出し、ゆっくりと己の体重をかける。嬉しい事に氷の橋はミシリとも言わず、静かに彼の体重を受け止めた。

 

崩れない事に安堵しつつ、その歩みを進めていく。

 

 

 

しかし、足が滑る事もバランスを失う事もなく順調に進んでいき、ようやく半分という時にそれは起こった。

 

 

 

 

 

パキリッ!

 

 

 

 

 

凍った湖の一番脆い場所は中心部。同様の原理がこの氷の橋にも適用されたのかもしれない。又は、どこかの誰かさんの重量が子供数人分より遥かに重かったのかもしれない。

 

もはやどちらか思案する暇もないまま、ガッツは己の本能に任せて全力で走り出した。

 

後方から鳴り響く崩壊の音色。彼を追い越すように走る亀裂。流石の彼でもその額に冷や汗が流れる。

 

「やばいってガッツ! もっと速く走らないと落ちちゃうよ!」

 

「言われなくともわかってる!」

 

とてつもない装備をしているにも関わらず、その動きは凄まじく速い。きっと真夜中ならば誰かのすぐ隣を通ったとしても気付かない程だろう。だが、崩壊の速度はそれすらも大きく超えていた。

 

「が、が、ガッツ! 足元! 足元やばいよ!」

 

「チッ!!」

 

もはや彼が対岸に辿り着くまでその足場は保ってはくれないらしい。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、彼はヒビだらけの足場を大きく踏み込んで対岸に広がる大地へと大きく跳んだ。

 

だが、その距離は崖側に手を掛けるにはほんの僅かに足りなかった。

 

 

 

その最中、鳴り響いたのは悲鳴では無い。

 

 

 

バリバリという異様な歯噛みの音だった。

 

 

 

まるで、地面そのものを叩っ斬らんとするかのように背中の剣は振るわれる。落下を交えたその一撃は崖の岩肌を当然のように切り裂いて、剣身を見事に壁面に埋もれさせた。

 

そして、突き刺さって固定された剣に追い討ちのようにのしかかるガッツの重さ。並の剣どころか、頑丈なだんびらでさえ折れるであろうこの一連の流れ。しかし、常軌を逸する彼の剣は何事も無くそれを耐え抜いていた。

 

持ち主と同様に頑丈な剣を握ったまま、ガッツはホッと安堵の息を吐く。

 

その下では、アビスの闇が残念そうに氷の塊を食らっていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、巨大な何かに襲われたり、自然の脅威に晒されたりといった事はなく、不気味な程にすんなりと彼らは歩みを進めていった。

 

過去の己の足跡は消えた故、先駆者の歩んだ道のりを辿っていたのだが、それもとうとう打ち止めのようだ。やはり、アビスという自然の世界は移り変わりが激しく、彼らが道標としている気配を綺麗に消し去っているのかもしれない。

 

何の明かりも無いまま真夜中を彷徨い歩くかのように右往左往しているガッツ達。そんな彼らの元へちょっとした救いの手が差し出された。

 

「おや、貴方は……ここで再び会うとは思っていませんでしたよ」

 

「お! 仮面の人!」

 

眉間に皺を寄せたガッツの前に現れたのは、彼と同じように黒い装備を身に纏い、仮面のスリットから不穏な紫色の光を放つ人物。

 

そう、その者はまさしく彼らがこの世界に迷い込んだ際、初めて出会った人間だった。

 

「ふむ、"仮面の人"ですか。そんな呼び方をされたのは初めてですよ」

 

「そーなの? じゃ、なんて呼べばいい?」

 

「黎明卿、あるいはボンドルド。好きな方で呼んで頂いて構いませんよ」

 

「おっけー!」

 

パック達の居た元の世界の人間は下水を煮詰めたような性格の者が多い傾向がある故に、このボンドルドという男がとても真面目そうに思えた。

 

「もし良ければ、あなた方の名前を教えて頂いても良いでしょうか? このアビスの深淵で再び出会えたという事はかなり優秀な人材ですからね。名前ぐらいは知っておきたいのです」

 

「ゆ、優秀!? ほうほう、ボンとやらはオレ達の事がちゃんと分かってるじゃないか〜! オレ、パック! そんでもって、こっちはガッツ!」

 

「成程、ガッツとパックですか。覚えておきましょう。ところで、先程からかなり無口ですがどうされましたか?」

 

何故か全く喋らなくなったガッツに向けて、ボンドルドが呼びかける。黙る彼の右目は半ば睨んでいるに等しい状態であるが、その圧を仮面の彼は平然と受け流していた。

 

「いや、なんでもねェ。ここの呪いやらなんやらでちょいと疲れてただけだ。気ぃ使わせて悪かったな」

 

「これはこれは失礼しました。そんな状態だとは気づきませんでしたよ」

 

嘘か真か分からぬその返しを素直に受け取ったのか、ボンドルドは丁寧な口調で己の非を詫びた。

 

悪意など感じず、ただひたすらに敬意の篭ったその態度は誰が見ても非の打ち所など無いと言える。だが、何故かガッツだけは不穏な何かを感じているのか、その警戒を解く事はなかった。

 

そんな事露知らず、パックは呑気に彼らの苦労を部外者のように話し始める。

 

「いや〜アビスの呪いだか上昇負荷だかでホント大変そうだよなぁ。いきなりぶっ倒れたり、出血大サービスしたりさ〜」

 

「ええ、厄介ですよね。アレ。私もなんとかする良い方法が無いか常に探していますよ。今私がここにいるのも、役に立つ可能性がある遺物を回収する為ですからね」

 

「へえ〜。ま、オレにはあんまり関係無いけどね! だってこのパック様には上昇負荷は効かないからな!」

 

「……ほう? それは本当ですか?」

 

歩いていた足を止め、スリットから漏れる光がパックへと向けられる。そして、その声色はまるで興味を持つ子供のように好奇心に溢れていた。

 

「そうそう、ガッツがへばってた時もぜーんぜん平気だったからな!」

 

いつの間にか額に"無敵!!"と書かれたパックがボンドルドの頭の上で決めポーズをする中、仮面の中の彼は突然感激したような震えた声で感謝の言葉を述べた。

 

「ああ……!! 本当に感謝しますよガッツ。きっと、あなたが居なければ私はパックという存在に出会える事はありませんでした。

 

"奈落の至宝"である彼とはまた違い、生身の身体と平常な人間性が残っているにも関わらず上昇負荷を受けない。そんな存在がいるとは驚きでしたよ。

 

 

是非とも、その体……

 

 

 

 

 

 

"欲しい"

 

 

 

 

 

一人の男の第六感がドス黒い何かを告げた瞬間、一匹の妖精の輝きはアビスのように深い黒色に飲み込まれた。まるで、蜘蛛の巣に絡まった蝶のようにその身には黒く得体の知れない何かが絡み付く。

 

「おわっ!? な、なんだコレ!? う……うーごーけーなーいー!!!」

 

「これは、"月に触れる(ファーカレス)"。少し癖がありますが便利な遺物です。相当な力を掛けても千切れないですからね。そうそう、あまり暴れない方が良いですよ。どこかぶつけて怪我などしたら大変です。」

 

己で乱暴に動きを封じておきながら、優しさのこもった手でパックの頭を撫でるボンドルド。チグハグすぎる態度と行動は見る者全員を唖然とさせる事だろう。

 

 

 

「おい」

 

 

 

ドスの効いた呼びかけと同時に、パックを掴むボンドルドの左腕は肩から肘を残して元の体に別れを告げる。分かたれた腕はパックを握ったままクルクルと空中で回り、地面に広がる雪へと落ちていった。

 

「おお……! 素晴らしいですね。今まで様々な探窟家を見てきましたが、剣をここまで素早く振るったのは貴方が初めてですよ」

 

目の前にいるにも関わらず、反応すら出来ないその剣速。それが、ただの剣ではなく大きすぎる大剣で行われている事に、ボンドルドはただただ感激していた。

 

だが、腕を失って痛がる素振りも見せず、何事も無かったかのような振る舞いは彼をより一層不気味に見せたようだ。

 

「……っ!? なんだコイツ!? 腕落とされて平然としてやがる……! 本当に人間かよ」

 

人は痛みという刺激に対して反射的に行動を起こすものだ。足の小指をぶつけるだけでも、飛び上がったり、一瞬体が硬直するのだ。腕一本ならどうなるかなど言うまでもない。

 

しかし、ガッツの目の前に広がる現実はそうではなかった。それ故に、その意識は驚愕に支配され、隙が生まれてしまう。

 

「ええ、私は今でも人間ですよ」

 

左腕から滴る血を抑えようともしないまま、ボンドルドの右肘がスッとガッツへ向けられる。

 

生じた隙を突かれたその行動。だが、"ただ肘を向けるだけ"という不可解さに己の本能が警鐘を鳴らす。

 

恐らく何か来るのだと直感した彼は分厚い鉄の塊の背後へ身を隠し、反撃の時を待った。

 

 

 

 

 

だが、それが悪手だと知ったのは全てが終わった後だった。

 

 

 

 

 

鉄塊越しに放たれる光、満を持して放たれる全てを殺す横薙ぎ。

 

 

 

何故か力が入らず、その剣は胴体ではなく仮面へと逸れ、ただただ大きな爪痕を残して終わる。

 

 

 

雪にボタボタと粘性のある液体が滴り落ち、大地の白いキャンパスが赤一色に染まりゆく。

 

 

 

だが、その絵の具は相手のものではない。そんな大きな違和感に誘われるかのように、彼の視線はゆっくりと己の腹部へと向いた。

 

腹部の右側。丁度、脇腹に近い辺り。本来なら、甲冑に覆われている筈のその場所に空く細長い穴。

 

 

 

まるで、剣の刺し傷のような形をしたその穴は真っ赤な命の液体をドクドクと涙のように流していた。

 

 

 

「がっ……!? バカな……! なにを……しやがった……!?」

 

自覚した痛みは洪水のように彼の意識へと流れ込む。歯を食いしばり脂汗を滲ませながら何も答えぬ狂人へ刃を向け続けていたが、とうとうその右膝を地につけてしまう。

 

そして、あっという間に剣を杖代わりにしなくてはならない程に彼の体は言うことを聞かなくなっていた。

 

「おやおや、随分と苦しそうですね。楽にして差し上げましょうか?」

 

「ハァ……! ハァ……! ハァ……! クソッ……!」

 

本人にとって完全な善意での発言に返されたのは言葉ではなく、根性だけで放たれた横薙ぎの剣だった。

 

「おっと、心配無用でしたか。では、私は先に失礼しますよ。ああ、安心して下さい。パックを連れてきてくれた礼もありますからね。身体が残っていれば埋葬ぐらいはしてあげますよ」

 

「ガハァ……! て……てめェ……!!」

 

手負いの獣の怖さを知っているのか、ボンドルドはガッツにそれ以上近付く事はなく、背を向けてゆっくりと歩き出す。そして、もう冷たくなった左手に握られたパックを丁寧に回収すると、優しさの籠った声で呼びかけた。

 

「さて、パック。一緒に行きましょう。きっと、貴方はこのアビスを解明する鍵となります。楽しみですね」

 

「え? え? ちょ、ちょっと待ってよ! ガッツは? ガッツはどうしたの!?」

 

頭から雪に突っ込んでいたからか、パックは未だにこの状況を掴めていない。だが、図らずとも親切な彼が気を効かせ、この小さな妖精の心を虐げる。

 

「おっと、忘れていました。パック、今のうちに彼にお別れを言った方が良いですよ」

 

当然、彼に自覚も悪気もない。ただただ、最期の別れを勧めているだけに過ぎなかった。

 

「が、ガッツ……?」

 

見開かれた目に絶望が浮かぶ。辛うじて倒れずにいる己の相棒の凄惨な状況は、パックを錯乱させるには十分すぎた。

 

「ああくそー! はーなーせー!! 早く治さないとガッツが……!!」

 

「さて、さようなら。ガッツ。またいつか会えると良いですね」

 

 

 

「………じゃ……ェ」

 

 

 

暴れるパックを掴みながら、去っていく背中。

 

 

 

「ふ………ん……じゃねェ」

 

 

 

仲間を失った"あの時"がふと脳裏に蘇る。

 

 

 

「ふざけんじゃねェ!!!!」

 

 

 

記憶の中の悪夢が起こした微かな火花は、挫けぬ彼の精神に引火する。

 

傷ついた臓腑が送る痛みを忘れ、怒号と共に彼は飛び出した。もはや、重傷を負った者とは思えない力強いその踏み込みは、探究に狂う者ですらその芯に冷たいものが走る。

 

だが、ガッツにつきまとう運命は残酷だった。

 

バキリと嫌な音を立てる足元。踏み込んだ軸足がスルリと地面の奥へと抜け落ちる。雪に隠されたこの場所は土や岩で固まっている訳ではなく、巨大な氷の上だったようだ。きっと、甲冑も重すぎる剣も持たぬただの探窟家なら特に問題は無かっただろう。

 

万全な状態で耐えられぬ重量に欠けた身でどうにかなる筈も無く、バキバキと音を立ててガッツの足元は崩れ落ちていく。

 

抗う間も無くクレバスへ落ちていく黒い剣士の行く末を仮面越しの瞳が冷たく静かに見下ろしていた。

 

どうなっているか分からぬ奥底の闇が同じような黒き存在を歓迎するのを皮切りに、頭上で見下ろすその仮面は興味を失ったかのように背を向けて何処かへと消え去った。

 

 

 

怒りか、絶望か、奪われた痛みか。そんな煮えたぎるドス黒い感情に見開かれた目の片隅に、ドラゴンころしがチラリと映り込む。

 

 

 

そこには甲冑と同様の細長い穴がいつの間にか空いていたのだった。

 

 

 

 

 

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