メイド イン 蝕   作:黒チョコボ

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不動卿

 

パチパチと弾ける焚き火の音。空は黒に覆われ、中途半端に欠けた月が木々の隙間から太陽の代わりにしゃしゃり出る。

 

だが、そこに静けさは無い。

 

焚き火を囲むように設営されたテントの前で、甲冑を脱いだ男達がワイワイとジョッキ片手に騒いでいるからだ。

 

騒ぎ立てる声々に叩き起こされたかのように、ポツンと一人離れた男がハッとしながらその目を温もり溢れる方へ向けた。

 

「っ!??」

 

男はまるで目の前の光景が信じられないかの様に目をパチクリとさせ、右手で己の目を擦ろうとする。

 

だが、その右手は大きなだんびらの柄を握っていたが故に、その行動は成されなかった。

 

男のあっけに取られたような表情に思う所でもあったのだろうか。家族に声かける様な馴れ馴れしさで、焚き火を囲う集団が声を上げた。

 

「おーい! 何やってんだよガッツ? 素振りなんて止めてこっちで飲もうぜ!」

 

「ケッ! ほっときゃ良いじゃねえか! あんな頑固野郎は素振りで疲れて死ぬのがお似合いだ!」

 

ガッツと呼ばれた男へ向けられる幾つかの目線。優しさ、信頼、憧れ、嫉妬、色んなものが入り混じるそれに晒された彼は、懐かしさを感じると共に酷く動揺していた。

 

「ジュドー、ピピン、コルカス……? 一体、どういうこった……?」

 

これでもかと固く握られた右手の剣。彼の近くにも火はあるが、それは不思議と今持つ鉄の棒のように冷たく、すぐにでもこちらへと呼びかけるあの者たちの所へ剣を置いて向かいたい衝動に駆られる。

 

しかし、彼の本能が告げた囁きはそんな衝動とは真逆であった。

 

(今この剣を放したら……取り返しのつかねェ事になる。何故かそう感じる。それに……)

 

己の生き様そのものと言っても過言では無いただの剣。どういう訳か手放してはならないと直感し、その柄は更に固く握り込まれる。だが、彼を動揺させたのはそれだけでは無かった。

 

(どうしてだ……! どうして左目で見えるモンが違うんだ!?)

 

右目に映る、焚き火の暖かな光に照らされた仲間達の姿。しかし、何故か目の奥が熱くなるその光景とは裏腹に、左の瞳に映っていたのは沢山の剣が突き刺さり、冷たい雪が辺り一面を覆い尽くす光景であった。

 

見え方のことなるそれに己がおかしくなったと錯覚したのか、無意識に左手を顔へと当てる。

 

 

 

そうして彼は気が付いた。いや、正確には思い出すと言った方が良いだろう。己の置かれた状況を。こうなる直前の記憶を。

 

 

 

 

 

 

偶然にも気付けとなったそれは、酷く冷たい鉄の感触だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!?」

 

ひんやりとした感触と不快な吐瀉物の匂い。最悪な目覚めと共に彼の視界に現れたのは、色々なものに汚れた鉄の義手であった。

 

すぐさまそれを退けると、ガッツの記憶通りの慈悲の無い世界がその目に映り込んだ。

 

「放さなくて正解だったぜ……!」

 

垂壁に囲まれたその世界で宙に浮く足。そんな足の代わりに全体重を支えている、縄を持つ右手。一応、縄が外れぬ様にある程度纏めて手首に縛りつけてある様だが、その結び目は今にも解けそうである。

 

さっさと次の横穴へと登って再度準備を行うべきと考えたのか、唯一動く片手と己の歯を以て縄を登り始めた。

 

そんな中、彼の相棒の焦りを含んだ声が今いるこの世界に響き渡った。

 

 

 

「ガッツ!! 後ろ!! 後ろー!!」

 

「あ? 後ろ……? っ!? こいつはやべェぞ!?」

 

 

 

 

 

幻覚症状から復帰直後の背中へと迫る赤く巨大な影。彼の知る世界では鯨と形容するであろうその巨体は、大口を開けて獲物を食わんと迫り来る。

 

だが、全ての壁が垂直なこの世界で、避ける事は叶わない。

 

 

 

それ故に、壁にへばり付く小さな黒い存在は、空を優雅に泳ぐ血の色をした鯨に成す術もなく飲み込まれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アビスの第二層に存在する監視基地。探窟家達のちょっとした休憩所にもなるその場所で、一人の小さな影が今日も望遠鏡でアビスの世界を覗いていた。

 

「よし、異常無し! お師さまに報告しに行かなくちゃ!」

 

メイド服という中々珍しい格好をしたその者の名はマルルク。今日も今日とて、師匠であるオーゼンの手伝いや雑用をこなしている。望遠鏡を一生懸命覗いていたのも、そんな業務の一環なのだろう。

 

だが、夕暮れが近くなり段々と世界が暗くなる中、その望遠鏡は偶然にも珍しい光景を捉えた。

 

「うわっ! べ、ベニクチナワ!?」

 

今いる二層から三層へと続く大穴。その穴から突然姿を見せる赤く大きな生物。アビスの勉強をした者なら殆どが知っているであろうその原生生物は、空中で体をくねらせてのたうち回ると、突然糸が切れたかの様に穴の縁付近に墜落した。

 

「え、ええっ!? こ、こんなの見た事ない!」

 

このベニクチナワと呼ばれる怪物が上層へ上がってくる事はあまり珍しくは無い。流石に地上付近まで上がってくるとなると話は変わるが、二層のシーカーキャンプに住むマルルクにとって単に上がってくるだけならば何度か見た覚えのあるものだ。

 

そんな、年相応でない経験を持つにも関わらず、今目の前で起こっている光景はその中にない好奇心唆られるものであった。

 

結果、望遠鏡のレンズの先は収納される事なく、食い入る様に三層への入り口へと向けられていた。

 

「よく見たらあのベニクチナワ……血だらけです! 何かと争った後なのかな? でも、三層にそんな生物は居ないはず……」

 

夕暮れの薄暗い光に照らされた観察対象は、不気味にモゾモゾと動き始める。空へ浮きもせず、仰向けのままその行為は続く。

 

その後、幼さの残る瞳に映ったその光景は、信じられない現実を叩きつけた。

 

「えっ……!? あ、あれは人!?」

 

突如として、ベニクチナワの腹から突き出る黒い何か。まるで、空中に縦線を引くかの様にそれは勢い良く動き、その体内から転がり落ちてきたのは間違い無く人であった。

 

暗くなってきた為かどんな装備をしているのかさえ明確には分からない。だが、二本足で立って疲労した素振りをしているのは確かに分かる。

 

アレに食われて生き残るなど、見た事はおろか聞いた事すらない故に、マルルクは平静を保てずに慌てふためいた。そして、とにかく己のやるべき事を口に出し、動揺を振り払おうとした。

 

「えっと、えっと! もし大きな怪我をしてたら大変です! 助けに行かないと!」

 

声出し作戦が功を成し、マルルクは完全ではないにしろ、及第点の冷静を取り戻す。一応生き残ったとはいえ食われたのだ、無事であるはずがないと予想し、大抵の応急処置は可能な救急箱を引っ張り出して駆け出した。

 

 

 

人助けの為に飛び出した小さな背中。監視基地から遠ざかるその後ろ姿を猫背の黒い影が静かに見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色々とショッキングな光景を目の当たりにするだろうと覚悟していたマルルク。だが、生存者の声が聞こえるほどに近づいた彼の目に映ったのは、そんな覚悟を大いに裏切るどこか抜けた空気感だった。

 

「気分はいかがかね……ガッツ君。私は勿論最悪だよ……」

 

「奇遇だな……オレもだ」

 

血と涎と吐瀉物に塗れ、詳細に形容するには抵抗があるそんな状態。流石のマルルクでも掃除場所の床がこうなっていたら、目の光が消え失せるだろう。

 

案の定、似たような表情を浮かべる男へ同情の意を込めながらマルルクは話しかけた。

 

「あの……大丈夫ですか? お怪我とかはありませんか?」

 

声掛けに反応し、視線をこちらへ向ける男。何だか警戒の色が濃く映るそれに射抜かれて、思わずビクリとしてしまう。そんなちょっとした恐れの感情を察知したのか、返ってきた言葉は案外優しげなものであった。

 

「誰だかわからねェが、ありがとよ。ただのかすり傷だけだ。問題ねェよ」

 

所々血が滲むその様子は、確実にかすり傷だけでは無さそうだ。しかし、どこか圧のあるその立ち姿を前にして、それを追及など出来ようもない。

 

「あ〜あ、怖がらせちゃダメじゃんガッツ〜」

 

その様子を見かねたからか、先程声だけ聞こえていたもう一人が男を戒める言葉と共にその姿を現した。

 

だが、声調が導き出す姿のイメージと、実際の姿は天と地ほどの差のようにかけ離れていた。

 

「う、うわっ!?」

 

子供なんかよりも小さい、手のひらサイズのその身長。確実に人でない何かを思わせる、背中の羽とぼんやり光るその体。未知すぎるその存在に驚愕したマルルクは思わず尻餅をついてしまう。

 

「オマエもビビらせてんじゃねェか」

 

「えー! 絶対違うって! 見てよオレの身体! これのどこに怖がる要素があるってんだい!! ガッツが変な目であの子のこと睨むのがいけないんだよ!」

 

「へ、変な目!?」

 

「おい……ヒネって良いか?」

 

人差し指と親指でクイッと何かを捻るようなジェスチャーと共に、怒りを含んだ苦笑がその小さな者へと向けられる。

 

"当店お触りはNGゆえ!"とよく分からない言葉を吐き散らしながらピューンと逃げていくその後ろ頭。無防備なそこへデコピンの痛々しい音が鳴り響いた。

 

頭にたんこぶを拵えた羽虫がポトリと落ちるのを横目に、彼はマルルクへと向き直りちょっとした質問を投げかけた。

 

「悪りィがオレにそう言う趣味は無ェ。それより一つ聞きてェ。今時間はどれぐらいだ?」

 

「は、はい、丁度日没ぐらいの時間ですが……」

 

「っ!? ヤベェな……!」

 

陽が落ちた頃だと伝えた瞬間、男の表情は先程までの柔らかな笑みが嘘のように険しいものへと変貌した。

 

そしてその足は、腰を抜かしたマルルクから遠ざかるように動き出す。

 

「おい、さっさとどっか帰れ! 楽しくくっちゃべってる場合じゃ無くなった!」

 

「ええっ!? お、応急処置は?」

 

「いらねェ、これから客が……!? チッ!」

 

タンッという音と共にマルルクの左頬に何かが掠る。じんわりと熱くなっていくその箇所に引っ張られるように、その視線は自身の背後へと向けられる。

 

「っ……!? これ……なに……!?」

 

幼い瞳に映し出されてしまったのは、得体の知れない謎の生物。髑髏と蛸を強引に混ぜ合わせ、大きな目を付けたようなその見た目は、本や図鑑はおろか、噂にすら聞いた事のないものだった。

 

大きな目玉に突き刺さった小型のナイフを取ろうともせず、ソレは気持ち悪さを増長させるかのようにただただ触手を蠢かせていた。その様子を目の当たりにしたマルルクの背中に本能的な嫌悪感が冷たく走る。

 

「クソッ!」

 

悪態をついた男の右足がソレの脳天を踏み潰し、確実な死を与える。ピクリとも動かなくなったその生き物の臓器らしき何かが飛び散る中、男はあの小さな人のような者を拾い上げてそのまま全速力で走り去ってしまう。

 

そうしてポツンと残されたのは、腰を抜かしたマルルクと地面に転がるナイフだけ。何故かあの得体の知れない生き物の亡骸は元々存在しなかったかのように消え失せていた。

 

ただただ呆然とナイフの落ちた地面を見つめるその瞳。先程まで確かにあったものが一瞬にして消え去るその違和感に脳の処理が追いついていないのかも知れない。

 

 

 

そんな、ぼんやりとしていたその意識を叩き起こしたのは、頬に走った鋭い痛みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うう……まさか自分で使う事になるなんて」

 

あの後、早急に監視基地まで戻ってきたマルルクは残っていた掃除をしながらため息混じりにそう呟いた。それもそのはず、彼が持って行った応急処置用の薬箱は他の誰でもない自分自身に使われる事となったのだから。

 

だが、よくよく考えてみれば謎の生物に背後を取られてたったこれだけの傷で何とかなったのだ。相手にもよるが、下手をしたら一瞬であの世行きの可能性も無くはない。そう思うと、この傷も儲け物である。

 

頬の貼られた絆創膏を片手で弄りながら、マルルクはそのように前向きに考える事にした。

 

「助けて貰ったし、次会った時にお礼を言わないと! それにしても、さっきのあの生き物は一体何だったんだろう? さっき図鑑を見てみたけど、似たようなのは無かったし……」

 

先程見た異様な生物。アビスの原生生物にも異様な見た目をしたものもいるが、何故かアレはそれらとは違うような気がしてならない。

 

形容し辛い違和感に頭を悩ませていたら、唐突に遠くからマルルクを呼ぶ師匠の声が聞こえた。

 

「マルルク、ちょいと来てくれないかい?」

 

「は、はい! お師さま!」

 

彼の頭の中に居たモヤついた思考は師匠の言葉によって外へと叩き出される。きっと、そうして空いたスペースにはこれから文字通りの不動な存在が居座る事だろう。

 

そうして、マルルクは半ば駆け足で部屋から飛び出して、次のお仕事へと赴いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日の朝、日の光が差し込みづらく真っ暗となった二層の端っこで、大剣を片手に明るい中心部を目を細めて見やる一人の男の姿があった。

 

「ガッツ、大丈夫? ひっどい顔してるけど……」

 

「ゲーゲー吐き散らした後にコレだからな。流石に堪えるぜ……」

 

周囲の木々に刺さった大量の矢、その背丈を半分にされてしまった茂み。そして、辺りにポツポツと点在する血の跡。

 

最早、言い訳すら出来ようもない激しい戦いの痕跡がそこにあった。

 

「少し休む」

 

「オッケー! 見張りは任せとけ!」

 

適当な木に寄り掛かりその目を閉じるガッツ。その血相は悪く、特大の疲労が乗っかっているのが見受けられる。

 

それもそのはず、彼らはアビスの三層の最上階へよく分からぬ生物に丸呑みにされながら強引に連れてこられた後、そのまま不眠不休で迫り来る亡霊どもと今の今まで戦っていたのだ。

 

吐き気と幻覚を及ぼす上昇負荷と過労に加え、睡眠不足も付いてくる。そんな状態に晒されて平気でいられる程、人は強くない。平気な者が居たのなら、それはただの怪物だ。

 

(クソ……上に上がれば上がる程どんどん夜がキツくなっていきやがる。ここらで死んだ奴が多いのか、それとも……何か違ェ理由があるのか……)

 

閉じた瞼の裏側で頭に抱いていた疑問を心の中へと吐き出す。仲間の助力のお陰で一度眠れる夜を取り戻したせいなのか、久々に味わう死と隣り合わせの暗闇が酷く辛く感じてしまう。

 

だが、不満を漏らせどもやれる事などただ一つ。夜の闇の中で殺されぬように踠くだけだ。

 

仲間の居ない不安と、大事な者をこの地獄に巻き込まずに済んだ安堵。その両方を抱えながら、彼は一時の眠りを享受したのだった。

 

 

 

 

 

「悪りィ、寝過ぎたな」

 

「ね、寝過ぎ……? まだ全然時間経ってないよ!? やっぱまだ寝てた方が良いって! このペースで頑張りすぎたらいつかみたいにまたへばっちゃうよ!」

 

「なに、問題ねェよ。それに、さっさと帰らねェとあのちっこい魔女さんから色々うるさく言われそうだからな」

 

太陽が見えぬ故に正確な時間は分からない。ただ、確信を持って言える事は未だ朝日は朝日のままである事だ。それ程までに僅かな睡眠は当然その顔色を元に戻すには足りず、最悪よりかは些かマシ程度になっただけであった。

 

だが、当の本人に二度寝の意は全く無い。不安と焦りが混じったような何かをガッツから感じながら、パックは心配そうな表情を浮かべて動き出した大きな背中へついて行くことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

しばらく歩みを続けて辿り着いたのは、昨日チラリと存在を確認した基地。明らかに人が住んでいる痕跡の残るそこへと近づいていくと、ひとりでに一つの昇降機がガッツ達の前に降りてくる。

 

「なんだこれ、乗れって事か?」

 

基地の中へ入るかどうかは別として、どちらにせよ地上へと予定であったからか彼は罠を警戒しつつもそのリフトに乗る。

 

なんだかリフトがギシギシと悲鳴を上げているように聞こえるが多分きっと気のせいだ。

 

「……クソ、相変わらず気持ち悪ィ」

 

この場所での上昇負荷に晒されたからか、その表情は険しくなっている。だが、これまでの負荷と比べれば易しいものだ。それに、道中の水辺で綺麗にしたあれこれを再び汚すのは気持ちの良いものではない。

 

それ故に、吐き出す物など何も入っていないその腹を力ませて彼はその衝動を堪えたのだった。

 

リフトが終点に到着すると、見覚えのある影が彼らを出迎える。

 

「お前は……確か昨日の」

 

「は、はい! この監視基地で働いてるマルルクって言います。昨日は助けて頂きありがとうございました!」

 

勢い良く頭を下げるマルルク。ガッツはそんな突然の行動に対して呆気に取られたような表情を浮かべた後、軽い微笑みと共にその頭を上げさせた。

 

「礼なんて要らねェよ。確かに助けたかも知れねェが、手元が狂っちまったからな……それで足し引きゼロだ」

 

三層の入り口まで巨大生物エレベーターによって強引に連れてこられた挙句、睡眠不足に空腹。そんな状態でまともに物が投げれる訳が無い。ましてや、ボールなんかでは無く投げナイフなのだ。こう言っては何だが、ある程度の誤差は仕方が無いだろう。

 

だが、ガッツにとって己が子供へと刃を向けたという事実はどうやっても変わる事は無い。

 

「やっほー! オレ、パック! こっちの怖い顔がガッツ! こう見えてオレ、この黒金の城ガッツの主人やってんだ!」

 

「え、ええっ!? つまりガッツさんは従者だったって事ですか!? て、てっきり逆かと……」

 

ツッコミどころ満載だがそれをする元気もあまり無いのだろう。彼はただただ大きなため息を吐くだけだった。

 

「なあマルルク。その頬の傷、深いのか?」

 

彼の頬に貼られた絆創膏。未だに少し血が滲んでいるそれを見て、ガッツは唐突にそう言った。

 

言われて意識が向いたのか、左頬のそれを片手で軽く弄ると、彼は思い出すかのようにゆっくりと返答を返す。

 

「見た感じだとそこまで深くは無い筈ですけど……」

 

「そうか。なら何とかなるかもな」

 

何とかなるの一言にマルルクは思わず首を傾げた。正直、とてもじゃないがガッツは医者やそれに準ずる者には見えない。様々な戦いを乗り越えてきたようなその傷だらけの顔は、どちらかと言えばまともな道具が無い中での応急処置などに詳しそうである。

 

「おいパック! マルルクの頬、直せるか?」

 

「フッフッフ、任せておきたまえよガッツ君。このDrパックの手に掛かればどんな患者でも一瞬にして息を吹き返す!」

 

マルルクの予感は間違っておらず、どうやら担当者はガッツではなくもう一人の不思議な存在であった。

 

だが、何故だろうか。

 

なんか不安である。

 

「あ、あの、別に大きな傷って訳でも無いのでそのままで大丈夫です! ぼ、僕、基地の掃除しなくちゃいけないのでこれで!」

 

三十六計逃げるに如かず。何か不穏なものを思い浮かべてしまったのか、マルルクは勢いに任せてその心遣いを断ると、そそくさと基地の中へと戻っていく。

 

だが、悪戯心に火が付いたパックがそれをただ黙って見ている訳が無かった。

 

「あっ! オペはまだ始まっておらぬぞ!!」

 

「うひゃあっ!?」

 

いつの間にかメガネと白衣を身に纏った小さな妖精は、輝く軌跡を残しながらその背中を追いかけて行く。

 

完全に想定外だったのだろう。オペの患者は変な声を上げながら、脱兎の如く逃げ出した。

 

「……適当にぶらつきながら待つか」

 

ポツリと残されたガッツはそんなため息混じりの呟きを漏らすと、監視基地の中へ勝手に入って行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

適当にぶらぶらとほっつき歩くガッツ。マルルクのような子供ではなく、外界を知っている大人が居れば色々と情報を得たいと思っていたが、不運な事に彼の道のりにその姿を見せる者は誰一人としていなかった。

 

「クソ、誰も居やしねェ。他の区画に行くしかねェか」

 

巨大な木の根をくり抜いて作られた監視基地の中をガチャガチャと鎧の擦れる音が響く。歩く度に目にする木質の壁面は、かつての旅の道中で赴いたとある場所をなんとなく思い出させた。

 

 

 

「アンタ、見ない顔だね。一体誰だい?」

 

 

 

突如として投げかけられた高い声。視線を前に移すと、そこには長身の女性が壁に寄り掛かり腕を組んで佇んでいた。

 

(コイツ……いつから居やがったッ!?)

 

確かに少しよそ見はしていた。僅かに気が抜けていた。元々ここは人の気配もあったし、何もおかしいところは無い。

 

だが、そうだとしてもこれ程の接近を許してなおその存在に全く気付かないなど、彼の感覚上あり得なかった。

 

不気味な何かを彼の心に残したまま、その女性は言葉を続ける。

 

「まあいいや、知らない奴が来るなんてここでは良くある事だからねえ。でも、ソッチはコッチの事知ってんだろう?」

 

「……悪ィが知らねえ」

 

ガッツがそんな言葉を返すと、彼女の無表情な顔がチラリとこちらを一瞥する。そして、"フーン、そうかい"と興味無さそうな声が返される。

 

何故だろうか、元の位置に戻ったその横顔の口角が僅かに上がったように見えた。

 

「アンタ、名前は?」

 

「……ガッツだ」

 

不気味を纏った謎の圧がこの空間を埋め尽くす。深い深い闇のような不穏さを感じ、彼の額には冷や汗が滲み始めた。

 

「へえ、私はオーゼン。ここを仕切ってる白笛さ」

 

自らその名を名乗ったオーゼンはどこからともなく取り出した手甲や足甲のような何かをカチャカチャと身に付け始める。

 

「そうそう、今日の朝、面白い物を拾ったんだよ」

 

装備を付け終え、壁に寄り掛かっていた体がゆっくりと戻される。そして、静かにガッツへと向かうその黒い姿。

 

天井が低く見えるその身長。鎧を含めた体の厚さ。信じられない事に、少なくともその二つはガッツと同等レベルだ。真正面で相対してようやくその事実に気付く。

 

「これ、三層の入り口付近に落ちてたのさ。あんまり見ないデザインだろう?」

 

オーゼンの手に握られていたのは、一振りのナイフ。柄の殆どない独特の形状はその使用法を何となく勘付かせる。

 

ガッツはこめかみに汗を感じながら、己の左目をゆっくりと胸元のベルトへと移す。

 

 

 

そこには、全く同じ形状をした投げナイフが革製の鞘に収められた状態で並んでいた。そして、一番上に位置する鞘は空っぽである。

 

 

 

「それにしても、よく研がれてるねえ。人の皮程度なら簡単に切り裂けそうだよ」

 

顔を上げると、オーゼンの不気味な笑みが目に映った。しかし、その視線は彼の顔には向いていない。"ナイフの収納された胸元のベルト"へとただただ向けられていた。

 

息をホッと吐けるような暖かみのあるこの場の空気が、いつの間にか不気味と不穏さで埋め尽くされる。外から明るい光が差し込んでいるにも関わらず、ここだけ闇が立ち込めている。そう錯覚してしまう。

 

己に絡みつくような重い重い空気感を放つ彼女を前にしてさっさと離れたくなったのだろう。彼はその隣を通り過ぎるように廊下の端を歩き始めた。

 

「悪りィが、連れの所に戻らなきゃいけねェ。お喋りはここまでだ。じゃあな」

 

本来であれば色々聞きたい事があった筈だが、このクセだらけの第一村人と円滑なやり取りは望めそうにない。それ故の判断であった。

 

己の錯視した深い闇へ赴くように進む彼の足。

 

だが、二つの黒が交差する時、傷だらけの耳はその声を確かに捉えた。

 

 

 

 

 

「フーン、そしたらアンタの連れは悲しむだろうねえ。もう二度と口が聞けなくなっちまうんだからさ」

 

「何ッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

良く意味の分からぬその発言。

 

まるで殺すとでも言っているかのようなその言葉の真意を確かめるべく彼は過ぎ去ったその者へと振り返る。

 

そんな彼の目に映ったものは、あの不気味な笑みでも、虚無が棲まう瞳でも無かった。

 

 

 

それは、大きく引き絞られた一発の拳であった。

 

 

 

 




烙印
ガッツに刻まれた贄の証。日没と同時に現世と幽世の狭間に彷徨う存在を惹きつけ、眠れぬ夜を作り出す元凶。

だが、アビスの深層での夜は何故か静かなものだった。一体どういう事なのだろう、彷徨う魂が還る場所が幽世以外にもあるのだろうか?
闇に落とされた松明の炎よりも惹かれる場所がこの世界にはあるのだろうか?
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