無数の小さな島に囲まれている中央にある場所。他の島とは一線を引く程の……巨大で、壮大な島。
オレはその島に、国に。到着してすぐに言われるがまま下船して、人でない者に案内されながら後を着いて歩いていた。
山よりも高そうなその建物はなんとも奇妙な形をしていた。溶けたような白色が壁を覆い、周りを果物の断面が飾っている。果物などラネール島においては実物など殆んど見た事が無い。なのに数十メートルできかない程大きなサイズに作られた偽物の飾りを見る事になるとは。
……我らゾーラの里の建物を飾り付けるラネール島にいる魚や、遥か昔にいたと云われる巨大な守り神の飾りに似たようなものだろうか。
建物内に入ればくらりとする程の甘い香りが辺り一面に充満していた。
オレは鼻が良い。水の中より利かないというのに、体内を支配しそうな程の甘い匂いが強烈に香って……ああ、凄いゾこれは。
意識を逸らすように壁を飾るありとあらゆる甘そうな物を眺めながら、大きな大きな建物の中を眩暈がしそうな程の香りに当てられながらただひたすら歩いていた。
天井からぶら下がる明かりの一つ一つはきらびやかに、そして不可思議な灯りを灯している。
見上げる遥か高い場所まで天井は伸び、例のあの
人でない、石なのかそれ以外なのかもわからない者は大きな大きな扉の前に立ち止まり手のひらで指差した。
……そして、まるでその合図に合わせるかのように扉がゆっくりと開かれる。
キラキラと光を反射し輝く床、天井、壁。きらびやかな室内には、数名の人物が机を囲み椅子に座っていた。
一人は忘れもしない、我らがゾーラの里を襲いオレをこの場に招く事になった大元の、大きな女海賊。この国を治める、女王陛下。
その女王を囲うように無数の人でない者達と数名のニンゲンが立っており、やる予定も道具もないがオレがこの前と同じように槍を突き刺す事は出来ないようになっていた。
大人しく案内されるがまま椅子へと向かう。そして……気付く。おれの横に当たる場所に座っている人物に。
ここに来るまでの船旅の間、もらったウツシエを何度も何度も眺めた。その場に間違いなくあった景色と全く違わないだろうその、完璧な絵を。
その絵に描かれていた同じ顔を持つ人物が、そこに座っていた。二つの目、鼻先、口元を隠す、布切れ。
鱗の無い皮膚の色は咲く前のゴーゴーハスの花色のようで、登頂部にあるヒレ……じゃなく、えっと、そう髪の毛はマックスラディッシュよりも鮮やかな色をしている男。
目を閉じ腕を組み、オレの存在の一欠片も認知していないような素振りで……彼は、その場に座っていた。
間違いない。本当に……閉じられている瞳の色は確認出来ないがあのウツシエは切り取ったかのように正確に描いていたのだな。
素晴らしいその芸術の絵を描いた職人に会えるだろうか、訊ねれる瞬間が出来たら聞いてみよう。
「来たねゾーラ族」
そんなオレの思考を弾け飛ばすように、机を挟んで向かいに座る女海賊が語りかけてくる。どうにも友好的な言葉を感じない、それでニヤリとした笑みを浮かべてオレを見下ろしていた。
取り敢えず引かれた椅子に腰掛ける。しかし高いそれでは床にオレの足が届かず宙ぶらりんになる。横目で彼を見れば彼も高さが合わないとばかりにオレの何倍もある脚を放り出し組んでいた。
辺りに立つニンゲンを何人か見れば脚の長さがそれぞれ違う。殆んど変わらないゾーラとは大違いで……ふむ、ニンゲンにとって平等で丁度良い高さとは難しいのだな。
「ペロスペローから連絡受けてるだろうがその横にいるのがお前の相手だよ。あの平べったいゾーラから言われた年功序列で選んだ、息子だ」
「ゾ……」
確かに姿はウツシエで貰い、名前も船の中で聞いている。彼もオレの姿の確認は無理でも口頭でゾーラ族の特徴や散々呼ばれていた名前くらいは聞いているだろう、だが改めて名乗った方が良いだろう。
「まァ今日は二人で軽い顔合わせをするだけで良いさ、何をする事もない」
だがオレが口を開く前に女王は話を続けた。オレがその相手となる息子の方へ向き何かを言おうとしている事に気付いていないのだろうか、それとも誰がどうしていようが関係無いのだろうか。
最もその息子自身すら微動だにも動かず、また目を開いてオレを見る事すらしない。政略結婚相手に興味がないにしても……普通のニンゲンでも女性でもないのにな。うーむ、不思議だ。
「招待客の選別や結婚式の日時や段取りは甘ァいケーキの材料手配と同時にもう行ってる、すぐに連絡出来るだろうよ」
「父上達も呼ぶのだろう、式の前に。ここに」
「勿論だとも、式の前に親族顔合わせや結納をやる時にいないといけないからね。迎えの船を寄越そう。それにしてもああ楽しみだね、ウェディングケーキ……!!」
「………」
顔合わせや結納、そんな言葉はわかる。殆んど同じ場所に固まり暮らしている我らゾーラ族でもする事だ。
だが
そんな事を考えていればすぐ目の前にカチャカチャと金属か陶器の擦れ合う音を立てながら小さな顔のある生き物達がこちらに向かってきているのが見えた。
動いているそれはホーミーズとやらなのだろう、同じ動きでやってきた二個組はオレの目の前で立ち止まり元気一杯の声色で話し掛けてくる。
「いらっしゃあい!紅茶にする!?」
「それとも緑茶か?」
「……ゾ、何の話、だゾ?」
聞かれている意味がわからなかった。
……こーちゃ?りょくちゃ?それは、なんなのだ?オレはこの小さな生き物に何を聞かれているのだろう。二択という事はわかる、どちらかを選べば良いのだろうが選んだらどうなってしまうのか。
ああ、どうすれば良いのだろう。わからない事が多すぎて完全に混乱している。頭が熱くなりグルグルと回転して今にも破裂しそうだ。元々考え込んで悩む事は得意じゃない。
下海で見て聞いて、わからない事は今までは船内の責任者ペロスペローに聞いていた。答えが返ってくるかは半々だったが、それでも良かった。だが今は誰に訊ねれば……
「紅茶を」
会心の一撃に似た低い声色が隣から放たれたのはその時だった。
「はぁい!どうぞ!」
「……の、飲み物、か?」
オレの結婚相手、彼が机の上ではしゃぐように動いていた者達に声をかけていた。答えるように器に飲み物らしきものが注がれている。
彼は今の今まで閉じていた目を開けていた。その目はウツシエで見たものと同じ、夕焼けよりも淡い炎の色。
視線からしてオレに対して訊ねていたと思っていたが彼に対しても聞いていたのだろうか。だから彼は答えたのだろうか。
それともオレの次に訊ねる事になっていたから先に返事をしたのだろうか。それとも、まさか……困っているオレを……。いや、まさか。
そもそも彼は目を閉じていたのだから。オレがどうしているかなんて気付いていた訳がない筈だ。
「……あ、オレも同じ…こーちゃ、で良いゾ」
「はぁい!紅茶をどうぞ!」
とにかく今の好機を逃す訳にはいかない。すかさず返答をすれば机に座る者全員の前に置かれている、オレの前の陶器に注がれていく水分。そして同時に共に空気中に漂う濃厚で柔らかな香り。甘ったるいだけの香りとはまた違うこーちゃの香り、鼻腔を微かにくすぐるそれは案外好ましく悪くない。
とぷん、と注ぎ終わったそれ。注いだものに囃し立てられるまま手を伸ばす。出された飲み物にすぐ手を出すのは……どうなのだろうか。
隣にいる彼と同じものにしたしここまでして招いた相手に出す物に毒、が入っているとは思わないが……ほのかに湯気がたっているそれに口付けるのは単純に恐ろしい。舌が馬鹿になりそうで。
吹いて冷ますのはマナー違反になるだろうか、温かい飲み物など殆んど口にした事がないからどうすれば……
「そうだ、ゾーラ族。あの島には何か美味しいお菓子はないのかい?甘い果物や、お菓子の材料になるものは」
覚悟を決めて唇をつけようとした瞬間、向かいの女王から再び声をかけられる。話し掛けられている今、口にするのは失礼だろう。ひとまず机の上に手に持っていたそれを戻す。
聞かれたその言葉を噛み砕き……一瞬戸惑った後正直に返す。
「……いや、貴女は島を見たから気付いてはいるだろうが島にはほぼ水産物しかないゾ。湿原には獣がいるのはいるが」
「そうかいそれは残念だね、あむっ」
「!?」
オレの言葉に女王はつまらなそうに机に肘をつき、いつの間にか机の上に沢山いたフワフワしているホーミーズを手に取……えっ。……食べた。
……動いて、喋って、意思を持っていたというのに。あれは、食べれるものだったのか……?。確かに香りは良かったが……いや、でも。
その衝撃についていけていないのは恐らくオレだけだ。この部屋にいる誰も何も……反応していないのだから。これは、普通の事なのだろう。寧ろオレにも食べろと言わんばかりに笑顔で寄ってきている。
恐ろしいのは当然に、それらについていけない知識のなさが恐ろしい。例えここでオレの常識外な何かが起ころうともオレ以外の皆は平然としているのかもしれない、それが……ああ、何とも恐ろしい事だ、ゾ。
膝上に握り込むしか無い拳をそのままほどき、膝を撫でる。ラネール島から離れて数日経つがどうにも鱗がざらついて来た気がする。出来るのならば、美しい源流に潜り目一杯水浴びをしたい。
「取り敢えずしばらくはこの城に居て来る日に備え……ん、いやそれよりアンタの所に居させようかね?」
「どちらでもおれは構わない」
「そうかい、なら持って行きな。別に男女の仲でも無いが、生活と交流に支障が出ないくらいは仲良くしな」
女王が口一杯に悲鳴をあげるホーミーズを頬張りながらオレの隣に話しかける。解ってはいたがオレに決定権はないらしい。
彼の心の籠っていないような低い声を、机の上からオレに向かい食べろとねだってくるホーミーズ達の声を、吐き捨てるように言った女王の声を聞きながらオレは息を吐いて飲み物を口にした。
濃厚ながら爽やかな香りが口に広がるも、未だに残る熱さに体がびくりと跳ねた。熱いものはやはりどうにも慣れていない、舌先を火傷していないだろうか。
*
顔合わせだったのか何なのか良くわからない話し合いが終わり、オレと彼は部屋を出て花の咲き誇った美しい庭を歩いていた。
見合いにありがちな後は若い二人だけで、というヤツなのだろうが室内に食べられるホーミーズが無くなった為に体よく追い出されたようにしか感じない。
そもそも選択肢のある見合いでもないし、若い二人でもない。恐らくあの部屋にいた誰よりもオレは歳上だろうから。
ちらりと彼の顔を見上げる。
見合いや結婚……そんな事はひとまず置いといて、オレはこの男がどんな人物なのか知りたかった。
姿形や種族や寿命が全く違うというのに性別だけが同じで、無理矢理に政略結婚させられるオレを歓迎や歓喜しないは当然に、拒絶や嫌悪の顔すらせずそれどころか存在しているか気付いているかすら怪しい程に全く見る事すらしない彼を。
全てを把握したい訳でも、否定したい訳でもなく……ただ、全てのしがらみを除いた彼という人物そのものを知りたかった。
しかしどうにも上手くいかない、何度か話し掛けはしたものの返事は一つ足りとも無かったのだから。
オレと彼はそのまま特に会話をする事もなく歩いており、その内に自然に興味は周りの景色に移っていった。
うむ、綺麗だ……手を入れて整頓してはいるものの、ある程度は自然に任せている庭のなんと美しい事だろうか。
ラネール島には無い鮮やかで様々な形の花弁。それらは通路として敷かれた石の道から一歩外れた場所から咲き乱れ、お辞儀をするように風に揺れている。
オレは気になる物が目に入る度に小さく声をあげ、時折走りその場へと向かう。
見て、嗅いで、時に触れてと、している間に後ろからゆっくりと歩いてきた彼が合流する。下穿きにあるポケットに手を突っ込み、付かず離れずの距離で立ち止まる。
見張りの兵も、不可解に動く生き物も、押し潰すような重圧を与えてくる女王もいない。
いるのは恐らくだが、見張りとして一定の距離に立つ政略結婚相手の婚約者。彼の事は何も知らないが立ち振舞いからわかる、その強さが。
彼一人いればオレが何をしようとも止められると考えられて放置された。その彼は興味の無いオレに悪意の感情の一つすらぶつけようとしない。
そうして、結果的に残り見えるのはどこまでも広がる青い空と蒼い庭。
「……ゾ…」
日の光を浴びて風が吹く度に揺れる草木の爽やかさに、息が漏れた。小さく息を吐き、そして沸き上がってきた妙な笑いと共に息を吸う。
ああ、これはなんだ。可笑しい、楽しい訳ではないのに笑みがこぼれる。言い様の無かったモヤモヤとした感情が体から抜けいく気がする。
呼吸がやっと出来た、そんな気がして大きく息を吸う。
どれだけ広かろうと、どうしても感じていた閉じ込められている閉塞感からやっと解放された気がする。
それは船内や室内という訳ではなく……言葉に出来ないそれをやっと理解した。オレは……うん、そうだ。オレは目に見えない不安にゆっくりと纏われていたのだな。
「おい、ゾーラ族」
「……ゾ?」
何だかソワソワする気分を発散したくなり足取り軽く歩き出した。近くに川でもあれば飛び込んでいただろうオレの脚を止めたのは今まで数単語しか聞いた事の無い声。
振り返れば真っ直ぐにこちらを見ている赤い瞳と初めて視線が重なった。
「始めに言明しておく。政略結婚の上男同士だ、まどろっこしい建前も言葉も関わりも必要ないだろう」
長い脚を動かし……一、二、三、四歩で立ち止まる。オレなら十歩近く動かさないと移動出来ない距離を軽々と詰めてきた。
「稀少な種族や王族だからと特別視するつもりも一切無い、おれの邪魔をする者は排除する」
布切れ覆われ喋っている口元は見えなかった。ただ代わりにしかめられた眉間と細められた目が口程に感情を表している。
嫌悪……というより、怒り。
「お前の事情など関係無い、同情も哀憫もする気はない。余計な知略をせず大人しくしていろ。もし弟や妹に対し悪意のある企みなどしてみろ」
ポケットから手を抜き出し、動かした指先からボキボキと派手な音が鳴る。威嚇音。低く低く、唸るような声色がそれを示している。
「手足をもぎ散々嬲った後に、命を奪われた方がマシだったと後悔させてやる」
視線だけで息の根を止めんとばかりのそれに言葉を失う。
かつて対峙した山のような大きさのオクタロックや、白銀の毛並みを持つボコブリンとライネルに囲まれた時と同じ背筋に感じる痺れるような感覚。
だが、その声と視線と威嚇音。バラバラなそれらを繋ぎ合わせたそれは。
「……君は」
船内でペロスペロー……義兄になる相手から言われた言葉が脳内によぎる。
なるほど、これは確かに。
「思ったより、良いヤツなのかもしれないな!」
「……あ?」
「すまない、うん。そうか。そうだな!」
反射的に出た声量は想像よりも大きく、加えてその内容に一呼吸置いた後に彼は眉間を更に強くしかめた。
全て頭の中だけで展開して結論を出して、返答としては不可解だったろうそれに謝罪する。益々楽しくなってきた気分そのままに彼の背中を手のひらで痛くない程度の強さで何度も叩く。
避けるのも簡単だったろうにわざと受けたそれは複数混じった表情から理解出来る。オレの真意を知りたいのだろう。
「安心して欲しい!そんな考えは一切ないゾ、ヒレの一枚や二枚賭けてもいいぐらいだ!」
胸元で拳を強く握り、弾けるような気分のまま笑顔を向ける。
彼の怒りや威嚇をこの上ない至近距離で直に向けられたというのに、怯える所か破顔を見せはしゃぎ始めたオレに向ける目は冷たく困惑している。それでもそれを隠し探るように目を細めていた。
笑顔を止めようにも止めれない。だって。
今の言葉を簡単に要約すれば『家族が何よりも大事』それだけだろう?
奇遇だ、オレもそうしてここに来たのだから似た者同士じゃないか。信念を持つ者は、大事なものを持つ者は信用できる、なるほど確かに彼は悪いやつではないのだろう。
「しがらみのある出会いの仕方が悪かったな、仕切り直そう! オレはシド、ゾーラ族の王子だ! どうか仲良くして欲しいゾ!」
「………」
政略結婚相手、警戒すべき相手、そんな事は関係ない。一応女王も言っていたがそうすべきだな。仲良くして、友になって悪い事など何もないだろう。
船の上でペロスペローにやられた行動と似たような、それでも根本的に違いオレは自身の手を差し出した。握手は共通の行為だろう?もしかしたら手に持つ何かを差し出すのが彼らのやり方なのかもしれないが……まぁ持っていないだから仕方ないな!
訝しげに、先程よりも眉間の皺を深くしオレとその手を見つめる彼。警戒?呆れ?確かに知識と知っているそれを名乗らせるのは二度手間で不可思議で訳がわからないのだろう。
でも、だ!
「勿論君の名前は知っている、だが名乗ってくれないだろうか!」
「………」
「オレには解る、これでもヒトを見る目には自信があるのだゾ!」
「……シャーロット・カタクリだ」
何度もしつこく訊ねた事でか彼は名前だけ名乗り、差し出したオレの手を弾くように叩いた。パンッ、と乾いた音が辺りに響く。
カタクリ。うむ、確かにそうだが……そうではないのだが。
「!?」
「ゾッ、それでは宜しく頼むゾ!」
叩いた右手を追いかけ両手でガッチリと握り込む何度も縦に振って握手をする。これからオレはこちらの世界のルールに従わねばならないのだから、握手のルールくらいは譲歩してくれても良いだろう?
片目の端を震わせこめかみ辺りに血管が浮き出たのを確認した、先程よりも直球的に理解出来る怒り。その顔に言おうとした言葉が……突然に頭をよぎった記憶に消された。
「って、あ」
彼の手を離し、そのまま顎に手を当てよぎった思考について考える。蘇るのはどうにも忌まわしい記憶。
これは……不可抗力になるのだろうか。それとも判定としてアウトだろうか。
「すまない。少々訊ねたいのだが」
「………」
いや一人では判断が出来ない、聞こう。オレを睨み続けている彼を見上げ、胸元に手を上げる。今度は拳ではなく掌を向けて訊ねる。
未だに怒りを滲ませる顔のままの彼と改めて目を合わせる。
「早速約束を破ったか微妙なのだが、オレは君の母上に武器を突き付け攻撃してしまっている」
「……それが?」
「胎内に赤子がいるのだろう?君の弟か妹かが。確かニンゲンはそうだったろう?彼女には怪我一つすら負わせていないが、危害を加えたも同然だ。それともこれは約束前で無効と考えて良いのだろうか?」
「………」
続けざまに紡いだオレの言葉を聞き入れ、そして噛み締める事ほんの数秒……彼、カタクリは今までの短時間では当然かもしれないが見た事の無い表情を浮かべていた。
鋭い目付きの瞳を見開き、パチパチと数回瞬きを繰り返す。それはまるで呆気にとられるように。
「………」
「? えっと、カタクリ?」
「………」
カタクリは何も答えない。首を傾げ、再度訊ねれば頭の飾りがジャラリと鳴った。その音で……周りを覆っていた空気……どう言えばいいのか、彼の周りを囲っているオーラというか……とにかくそれが、変わった気がする。
「……そう、だな」
「ゾッ……」
……細めた目が笑ったように見えたが、気のせいだろうか。声色に変化はない。
彼はオレに背を向けて数歩先に向かって歩き出した。オレはその後を小走りで着いていく。横に追い付き、前に追い抜き顔を見上げる。その顔は先程の室内で見たのと同じ顔付きをしていて、そして、全く違う顔付きをしていた。
「それは別に構わない。狙われた獲物がママ相手への抵抗を、攻撃に含めるは無意味だ」
「……そう、か?」
「最も今後一切許される事ではないがな」
「当然だゾ!オレもオレの家族が、一族が大事でその為にここに来たんだゾ!」
冷たく吐き捨て歩く彼の横を共に並んで歩きながら会話を続けようとする。それでも長い脚を持つカタクリの速さに陸を素早く歩くは向いていないオレが追い付くには小走りで走るしかない。
だからと言って種族差によるそれに対し哀れみを向けられたくはないし、彼も向けては来なかった。
だから、オレ達はそのまま庭を歩き続けた。
このまま穏やかに、何事もなくオレがここにいれば終わると信じていたから。
荒れ狂う下海と触れ合ってしまった事で長い間外界との遮断を続けていた我らゾーラ族とて、例外では無いと気付く程の……時間も無く。
*
「ところで新生活には物入りとして必要だろうと島から五百ルピー程持ってきたのだが足りるだろうか?」
「……ここではその貨幣は使えないが」
「ゾッッ!!! ああ、やはり……何と無くは解っていたゾ……」