「どこに行く」
「ゾッ」
仁王立ちでオレを見下ろす彼の言葉に、咄嗟に返せず黙ってしまった。
厳しい目をしているそれは随分と昔、悪戯がバレたり危険な行為をした時に叱ってきた姉さんと似ているがそれより遥かに鋭い目だったのだから。
*
女王のいる島から彼が統治しているコムギ島に移動して今日で三日目になる。
初日は目に映る全ての新鮮さに
それでも目に入る無数の未知のもの。答えてくれるかは五分五分だったが別に構わない、時間はあるのだから。
自由に動ける訳では無く、まるで人目に触れないよう島内を移動し彼の住居だろう城に辿り着いた。それでも室内にあるありとあらゆる物を名称から用途まで訊ねた。何せそんな事を聴けるのは彼だけなのだから。
途中でオレにつけるというホーミーズにその役割を投げられたが。
二日目は外は出歩くなという彼の言葉を守り、城の探索。
女王のいる本島を離れてから気付いたのは島によってホーミーズの数が違う事だ。あの島が特別に彼女がいるから多かったのか、逆にカタクリが望んでいるから少ないのかはわからないが圧倒的に数が違う。
動いて喋っている食べ物や給仕や執事のような生き物は居れども、本島程の数はいない。オレに宛がわれた使われた形跡のほぼない客間やそれらに附属する部屋には全くといっていない。綺麗にされているから掃除の為に入ってはいるのだろうが常駐はしていなさそうだ。
向こうの島のように喋る陶器や扉の姿は無く、いやそもそもまず……
この高い高いお城、階を分けてならいるのかもしれないが……どうにも人気を感じない。
そして案内どころか近付く事も無かったオレの部屋から離れているとある一画には、遠くから見た限りですらホーミーズの一体も確認出来なかった。
きっとそこが彼の部屋。オレ自身に興味がない、というより人と関わるより一人で居たい性格なのかもしれない。
だというのに人質を監視せねばならないとはいえ、場所としては真逆の位置にあるほど離れているとはいえ、同じ屋根の下にいないといけないのは大変だろう。
だから苦労を掛けるだろう彼の言葉を守り大人しく常識の範囲の室内の散策で済ませた。
だから今日、出された名前のわからないが美味しい早めの昼食を一人で食べ、諸々の準備をした後に嬉々と出掛けようと向かった入り口にカタクリを見付けた時驚きで声が出なかった。
「カ、タクリ……」
「言い訳は聞き入れない、一人で外を出歩くなと言った筈だが?」
「ゾ……」
ん……むう、どこでバレたのだろう。初日にホーミーズの眠る時間や起きる時間を確認し、また二日目に手薄になる箇所を確認してイケると思ったのだが……やはり姿の見えないカタクリを撒くのは用意ではなかったか。
しかし確かにカタクリの言う通りだ。一人が好きそうな彼を考えオレ一人で外を見たかったのだが……それなら仕方ない。
「ではどこに行く? オレは仕立て屋に行きたいから途中で寄ってくれないか」
「………お前な……」
「?」
カタクリに近付き訊ねる。確かに地形も場所も知識が何も無いオレ一人で出歩くのは宜しくないな、昔好奇心と挑戦心だけで雷獣山に行った時を思い出す。
あの時も怒られ心配され、しばらく御付きの兵を付き添わせてでないと一人の行動が許されなかった。つまり似たような事だろう。
だから手間にならないように提案をしたというのに、彼の返事の声色はあまり軽やかではなかった。
「……意図の汲み取りどうなっ……ん、いやそうか」
目元を引くつかせていた彼が途中で何かを思い付いたのか、布地で隠された口元に手をやり……数秒後何かを納得したように頷いた。
「部屋に戻れ、仕立て屋を呼んでやる」
「ああそれが出来るのか、それなら頼むゾ」
「………」
ゾーラの里でやっていた、謁見室に職人達を呼ぶようなものか。何だそういう仕組みはどこも変わらないのだな。考えれば女王の息子だ、権限は充分にあるし、構えた店ではなく出張し出先で行うやり方をしている店はどこにでもあるだろう。
オレの言葉に彼は一瞬驚いたかのように僅かに目を開き、そして納得したように細めた。少し呆れたように見えたが……なぜだろう。
そのまま電伝虫の場所へ向かった彼に着いていく。部屋に行けと言われるが、電伝虫を使うところを見たいと押し切る。
電話をかけている彼の横顔と手付きを見つめる。早すぎて何がなんだかわからないな、そのまま話し始めるが……うむ、わからないな!
まだ一回しか使った所を見た事がないのだから仕方ないだろう。ペロスペローに教えてもらおうとしたのに教えてくれなかったし……まあ、カタクリに聞けという事なのだろう。用事が済んだ後で良い、やり方を聞こう。
「──ああ、取り敢えず採寸だけで良い。明日辺りに細かな連絡が島中に回るだろうが」
電伝虫越しに話しているカタクリの背を見ていた。シャキリと伸びたその背は高く、そして電伝虫を使うために少しだけ丸めている。
うむ、とても長い足だな。
彼に案内されたオレの部屋、ホーミーズに教えられた部屋の隅にある謎の空間の名前はクローゼット。それは、衣類を納める箱。
元々衣服を身に付ける習慣が無かった我らゾーラ族、一応必要だろうと持ってきた僅かな衣類や身だしなみとしての装飾らを全て納めてもクローゼットの空間は余っている。
そしてニンゲンの世界では服は毎日着なければならないものだという、というなら持参したそれだけでは圧倒的に数が足りない。
必要なものだ。オレが、というより最低限の身だしなみとして。
「まだ居たのか」
「当然だゾ。仕立て屋はオレが呼んだも同然なのだろう?」
「自惚れるな、式の際にお前が着るものの確認がメインだ。多少兼ねてるだけでな」
「ああ……なるほど」
電伝虫に受話器を置き、振り向いて呆れたような目線をカタクリはオレを寄越してきた。何がそんなに納得出来ないのだろう、何もしていないというのに。
だがそのまま続けた彼の言葉には腕を組み頷くしかない。権力や力ずくで動かした訳ではない、必要に迫られた行動。
オレと、彼の……結婚式で着る衣装の、確認を。……オレと彼が結婚、するのか。本当に、オレと、彼が?
……うーむ……やはりどうにも、不可思議で複雑な気分である事に変わりはない。
「……あ。お金、支払いの事なのだが」
「一文無しのお前に払わせるとでも思ってるのか」
「むう……すまない、ありがとう恩に着るゾ」
そんなモヤモヤした心境を吹き飛ばすように思考を占めたそれは着て貰い仕事をする相手に支払う対価としての貨幣。
ラネール島から持参したきらびやかな宝石で作られた貨幣はこちらでは同等に使えないと初対面時の彼に言われた。勿論ルピーが宝石である以上全く使えない訳ではないのだろうが、普通に買い物時に使う事は出来ないだろう。
商品を手に取り、ルピーの宝石を差し出した所で……一般の店では対処が出来ないだろう。
「まず換金をする所からと考えていたのだゾ」
「………」
もはやただの宝石でしかないルピーをこちらの貨幣に換金するしかないと考えていた。だからまず質屋か換金所に行かねばと。
そんな極々当たり前のオレの言葉に彼は何とも言いがたい表情を浮かべ、深く深く息を吐く。
「……質屋の位置すら知らないだろう」
「そうだな。だから歩きながら散策しようかと思っていたのだゾ。まぁ看板に書かれた字は読めないが」
「……は?」
「あ、一応だが数字なら読めるゾ?」
産まれてこの方百年と少し、殆んど外界と関わらずに生きていた弊害がまずこれだ。字か読めない。ゾーラ文字なら当然に読めるし、僅かな外交でどうしても必要になっていた数字ならわかる。
そもそも言葉が通じてしまい、文字がわからなくともあまり不便で無かった事が悪循環を起こしていた。折角の機会だ、言葉や文字を覚えよう。
呆れを通り越した無表情の彼は何も言わずに歩き始め、オレもその後に続く。
途中で会ったホーミーズに仕立て屋が来た時に行う手筈を指示し、やはり余り使われた形跡の無い部屋に通される。部屋に戻る気が無いオレはここで待てという事らしい。
部屋を出ていった彼の背を見送り、部屋の中を見渡す。
女王の城はどこもかしこも甘ったるい香りが充満していた。当然とばかりにあちらこちらに菓子類が飾りとして置かれていたのだから。しかしここは違う。それらしい物は軽く見るだけでは見付からない。
足を室内の深くまで進め、窓に近付き手を伸ばす。ここが高い場所にあると表し、豊かな街並みを見せている透明なそれは硝子ではない。
額をぶつけないよう目を、鼻を近付け確信する。これは船の中で何度か見たペロスペローの能力と同じものだと。
窓にかけられた薄い羽衣のような布切れに見えるそれからも微かに甘い匂いがする。それこそ壁や家具からも。元々街全体がそんな感じだったし、ここは国全体でそうなのだろう。
ゾーラの里では全てを石で作っていたようにここでは食べ物で作っている、それだけだ。
そして彼の拘りなのか、あまりゴテゴテとした甘さに囲まれないようにしているのだろう。それでも時折ある強い香りの家具がとても良いアクセントになっている。
そうしている内にノックの音が。
返事と入室の許可をすれば数日で見慣れたホーミーズに案内されながら幾人か入ってきた。まず先にカタクリが、その後に続くように同じ衣服を身に付けたニンゲンが四人。
衣装が同じでもやはり大きさは違う。一番小さなニンゲンはカタクリの膝にも届かず、一番大きくとも腰まで届かない。
そのニンゲン達はオレの姿を見て一瞬驚いたような顔を浮かべたものの、すぐに笑みを作り明るい声色でにこやかに挨拶をしてきた。
「これはこれは、婚約者様。この度はご結婚おめでとうございます」
「本日は採寸を行わさせていただきます。ご希望があれば何なりと申し付け下さい」
オレに向けるにこやかな、張り付けたような笑みの向こうの真意はわからない。そもそもニンゲンとゾーラ族とは種族からして違うのだから顔付き一つで全てを理解出来るとは思えない。
だから、ニンゲンではない謎の種族を目にして警戒する彼ら、あるいは彼女らに対してオレがすべきことは。
「有り難う。優しい言葉感謝する。文化の違いでわからない事も多々あり迷惑をかけるだろうが、宜しく頼むゾ」
出来る限りの敵意も警戒心も無いように穏やかに話し掛ける事だ。
凶悪な異種族に噛み付かれる事も想定していたのかニンゲン達が少しだけ戸惑っているのがわかった。そんな者達の狼狽えを解消する手助けはせず部屋に置かれている椅子へとカタクリは腰掛けた。
そしてそんなニンゲン達と見合う事、十数秒。
「……始めたらどうだ」
彼の呟かれた低い言葉に、見えない泡が割れたように部屋の中が慌ただしく動き始めた。
*
「それでは計測を……えっ!?」
カタクリの言葉通りオレはやるべき事を始めていた。体に身に付ける衣類の採寸……殆んどやった事等はないが島を出る前に何度かやったからやるべき事はわかっている。
だからすぐに身に付けている衣類を脱ぎ、ラネール島では常だった何も身に付けない姿になろうとしていた。それなのに上を脱ぎ、下に手に手をかけた途端慌てながら数人止めに入ってくる。
曰く。
全てで無くても大丈夫、だの。
シタギまで脱がなくても、だの。
カタクリ様がまだ室内にいらっしゃいます、だの。
……良く、わからない事をひたすら言われてオレはただ首をかしげるしか出来なかった。そんな中オレの周りを囲う者達はオレが脱いだ衣類を拾い、身に付けるように手を貸してきた。
大人しくそれに従っていれば顔色一つ変えず横目でオレを見ていたカタクリがポツリと呟く。
「……流石は生粋の王族サマ、手助けされる事そのものに慣れてやがる」
そう吐き捨てたそれにオレが良くわからず首を傾げるも、周りを囲うニンゲン達は彼の言葉の意味がわかったように何度も頷く。
「……えっ、あ。婚約者様は王族様なのですか!」
「そ、れは。えっと……尚更婚姻前に肌を晒すのは如何なものなのでしょうかね!?」
「……?」
オレの周りを囲み、伸ばした腕や首周りを測りながら声を上げていた。いい加減彼ら、なのか彼女ら、なのか知りたいのだが……多分このまま訊ねる事もなさそうだ。
そして言われたそれは……相変わらず良くわからない。オレだけなのかとカタクリを見れば彼は目を閉じ、何も気にしていないような表情を鼻から上だけ覗かせ見せていた。
「? 別に構わないゾ?」
「気にしなくて良い」
「ぇあ……さ、流石ですカタクリ様!我々のような一般市民には到底……あれ、そういえば下着はどこに……えっ、あれ、もしや」
「必要なのか?」
「勿論です!衣服をお持ちする際に御用意致しますね!」
そう言いニンゲン達はオレの体の採寸を再開した。いや、言葉を発してる最中の者は止まってはいたが別に他の者は変わらず進めていたのだからそういう事ではないのだろうが。
そのままオレの体をあちこち採寸され続ける。そのまま話の流れで身に付ける普段着や式での衣装の望みを周りを囲む数人から代わる代わる何度も幾度も違う言葉で訊ねられ……
「……肩や腕や腰のヒレを押さえ付けられるのは、好きではないゾ……」
そう、眩暈がしそうな程混乱する最中言うのが精一杯だった。オレの言葉に囲うニンゲン達は次々と色んな事を呟いてくるもその内何割もわからず、ただただ頷く事しか出来なかった。
そうこうしている間にも緩やかに時間は過ぎて行き、室内に置かれた大きな柱時計の短い針が三を、長い針が十二を差そうとしている時だった。
急にカタクリは立ち上がり、何も言わずに部屋から出ていった。
その様子に呆気にとられ背中と閉められた扉を見送るしかないオレと違い、周りの者達はワイワイと甲高い声を上げて盛り上がっている。監視の役割を放り投げ、そんな役割があるとは知らずにいなくなったカタクリへの情愛を込めた言葉をきゃあきゃあと甲高い声と共に幾度も互いに投げ合っている。
「羨ましいわ婚約者様、人間とは違うのにあのカタクリ様と……おっと、失礼」
「本当にカタクリ様ったら素敵。この時間だもの。今も精神統一の為にメリエンダに行かれたのよ」
「……精神統一?メリエンダ?なんの事だゾ?」
聞いたことのない、理解の及ばない言葉を紡がれ反射的に訊ねる。このニンゲン達がカタクリという存在に憧れているのは声色だけでもわかる、理由も今後もオレにどうこう出来る話ではない。
だから疑問だけをただ訊ね、答えを貰って話を終わらせようとした。
なのに。
「カタクリ様のメリエンダの正確な時刻ときたら……」
「とんな時でも揺るがないあの気高き姿に……」
「眠る時でさえ地面には背をつけないその……」
「一辺の隙も無いその姿に憧れ……」
あれよあれよと交互に、そして時には同時に語りだしたそれにきっと目を白黒させながらオレは奔放されていた。
少し前まで王族だなんだと敬われていた気がするが、どうやらそれはカタクリの持つ威光の前では霞むものらしい。
めりえんだ?聞き慣れない言葉のそれが何なのか、良くわからない。今それを行いに行ったのか。
何故睡眠時の事も共有されているのだろう?彼一人だけの人を寄せ付けない城に思わせるが、意外とそうでもないのだろうか。
それともそんなプライベートな事でさえ共有される程に人気者なのだろうか。この周りの騒ぎ具合からしてこちらの方が有り得そうな気がする。
……人との距離を取っている彼、囲まれる事を望ましく思っていないだろう彼。そんな彼の為に、オレはどうすれば良いのだろう、何が出来るのだろう。
人質として見張らねばならないが、バレないように問答無用で脅しつければ構わないだろうに、勝手をするオレを痛め付けて構わないだろうに。
海賊である以上純粋無垢であるとは思わない。だがそれをしない、優しさを持つ彼の為に……オレは。オレが、彼に返すようにすべき事は何なのだろう。
*
「御希望の通りのドレスをまたお持ちします、普段使いの衣服はまた別にこちらは早めにお持ちしますね!」
そう言い、彼女ら ── そうオレを囲っていたニンゲン達は彼女らだったらしい ── は城を後にした。出来る限りの早めに持ってくるというその言葉を受け取り、大人しくオレ一人で彼女らを見送る。
カタクリは……あれからどれだけ時間が経っても戻ってこなかったのだから。何も悪巧みをしないから当然だと思う反面、見張りとしてそれで良いのかとも思う。ここでまたオレが城を出て外に行ってしまえばどうするのだろう。
昨日散策をした城の中をただ歩き……ふと思い立ち、足を翻して一度失敗した入り口へと向かう。
この悪巧みを成功させたら、彼はどう思うのだろう。
その歩いている最中、衣類を纏うには違和感があり剥き出しになっている腕先やヒレを撫でる。彼女達も悪意があるのかないのか、色々な事を言っていたが……きっと用意される衣装にて覆われるのだろう。それでもプロな彼女らはきっとオレの望みを叶えてくれると信じて。
……それに、しても。
「……ヒレの湿りが本当に、酷くなっているゾ……ウロコもこんなに……」
ラネール島にいた時では到底有り得ない程にボロボロになってきているウロコにヒレに皮膚。少し擦るだけで弱くなったウロコが剥がれ落ちる。
壁に飾られた光源の光を反射し光るウロコを手の中に握るように持つ。落とし歩くなど、はしたないのだから。
しかし船の中はともかく島に来てからもこの弱体の進行が止まらないという事は……
ああ。島の水が、恋しい。
「ゾッ!?」
そうこうしている内にオレは数時間前と同じルートで入り口へ向かい歩き続け、また同じ場所で立ち止まった。
入り口前の壁に凭れかかり腕を組んでこっちを横目で見ているカタクリと、目があったのだから。
「さ、て。二度言うつもりはねェが言い訳でもあるのか?」
オレを見る目は相変わらず冷たく、どういう意思や意図があるのかはわからない。
どういう理由がありオレを止めに来たのかなんてわからない。そもそも何故戻ってこなかったのかもわからない。
オレ一人にしてもこうしてすぐに捕まえれるから大丈夫だと言いたいのか、めりえんだとやらはそれほどに時間が掛かるもので戻ってこれなかったのか。
わからないそれを聞くより……それよりも、何よりも、オレは彼に言いたかった。ずっとずっと採寸をされて、めりえんだでカタクリがいなくなってからもずっと考えていた。
「カタクリ、この城にいるのは君とオレだけなのか」
望めばいくらでも人に囲まれる事が可能な彼が、本当に孤独を望んでいるのか知りたかった。
「……少し前まで、居たりもした。戎兵やホーミーズ、今さ三食調理をしに来ている料理人がいた事もある」
「今はいないのか?」
「階下にいる。一定の距離を離しているし、また近寄る時間も分刻みで決まっている」
「………」
……婚約者という名だけの人質であるオレを除いて、か。
訊ねたオレの言葉を不愉快そうに、それでも初日のように無視をする事なく答えてくれるカタクリ。ひそめた眉によって作られた眉間の皺を深くした後、吐き捨てるように言う。
「気に食わない連中を近寄らせるつもりはない。失敗する奴らもだ、お前も何か余計な事をして見ろ。前の連中のように"いつの間にか"いなくなっているかもしれ……」
「カタクリ、電伝虫の使い方を教えてくれないか!」
「……。………は?」
「父上や姉上達と連絡をとりたいのだゾ!そろそろ式の日時が決まるのだろう?それまでにやり方を覚えたいんだ」
言葉を遮るように言ったオレの言葉に彼は更に眉を潜め、意味が本当にわからないとばかりの顔を浮かべていた。
それでも、言わずにはいられなかった。
ゾーラ族とニンゲン、美醜をわかる程の理解力の違いは持っていなくても、不可解の表情を浮かべている、それくらいの違いはわかる。
顔は違っていても、二つの見合う目は……どの生物も同じなのだから。
彼の日が沈む寸前の空や水平線近くにある赤色に近い瞳が困惑に揺れるのを見て、オレは込み上げてくる笑いを抑えれなかった。その姿を見てカタクリが益々不機嫌になるのもわかったが申し訳ない、止められなかった。
「そう言えば、彼女達は……いやもしや内情を知るもの以外オレが男だと知らないのか?身に付ける衣服の装いやオレに対する振る舞いから考えていそのような気がするゾ」
「ワザワザ面倒を口外すべきか?たかだか替えの利く、魚人もゾーラ族の違いもわからん国民に?」
「……成る程そういうスタンスなのだな。納得だゾ」
「そもそもお前もわかっていないだろう。性別に言及したのはママとペロス兄とおれだけだ」
「……人を、良く見ているのだな君は。凄い……ゾ」
*
不可解ながらも、ふわふわと厳しさを滲ませる彼の周りを漂いながらオレは平穏に過ごしていた。きっと、そう過ごせると信じていた。
じわりじわりと、少しずつ異変を体に感じていたというのに。平穏だと思い込んでいた。
平穏ならば皮膚がボロボロになったりしない。
平穏ならばヒレの湿り気が無くなり乾いた土地のようにかさついたりしない。
平穏ならば、少し触れただけで、ウロコがザリザリと零れ落ちて床に敷かれたカーペットを擦り光らせたりなどしない。
それでもオレ自身が平穏だと思い込もうとしていたのは……目を逸らしていたのだろう。
立派なゾーラ族を目指して志願した土地で弱り行く、事実に。
そうして、目を逸らしている内に事件は無慈悲に起きてしまうのは……何故なのだろうか。