「姉さんそちらは変わりないか!? 何か問題は起きていないか?」
『大丈夫だよシド。それに昨日も話したじゃない』
「それはそうなのだが……やはり気になるのだゾ。父上の様子や、里の様子を知りたくて。何せ式の為に迎えの船で来られた二人に、こちらで会えるのはまだ先なのだから」
『……うん、そうだね。あっ、もしかしてそんな幼い稚魚みたいな事を言うのは寂しいからなの?』
「!? ち、違うゾ!?そんな事はない!」
『ふふ。……相手の人。えっと、カタクリ、さんだっけ。このうるりらの使い方を教えてくれたヒト、は。大丈夫? 優しくしてくれてる?』
「! ……何で、そう思うんだ姉さん」
『うーん、直接顔を見た訳でもないし、気のせいなら良いんだけど……』
何と無く、声に元気がないように聞こえたから。
そう、続けたミファー姉さんの言葉と共に動く電伝虫の顔と見つめ合いながらオレは否定をしようとした。
当然、何度もその問い掛けをされる事を想定していたから返答は……問題なく出来た筈だ。
ゾーラの里にいた頃では考えられないほどにひび割れ、色も悪く、湿りも無くなってしまったそれを。
はらりはらりと、慌てて動かした腕から簡単に剥がれ落ちた鱗を目で追いながら。
*
この前この城に仕立て屋を呼んでからそれなりの時間が経った。オレの体を隅々まで採寸して素早くも正確に作り上げられたオーダーメイドの衣服が贈られる程の時間が経つ程は。
その期間中に起こった事を箇条書きに並べるとしたらこうなる。
・カタクリの結婚相手 ──つまりオレの事だが── の発表
・その相手の大体の紹介
・結婚式の日時
・招待客の発表
・結婚式まで城に閉じ込められるオレ
・暇をもて余したオレの咆哮
・散々ねだった伝電虫の使い方を教えてくれる彼
……外に一歩ですら出る事を禁じた責任か何なのか、オレに対して彼、カタクリは目元を激しくひくつかせながらもそれなりの態度で接してくれた。
陸に打ち捨てられた雑魚に対するような態度ながらも、衣食住の世話をするホーミーズの手配やもて余す暇を埋めるような電伝虫の使い方を教えてくれた。
そうしてわかった事。女王、そして仕立て屋の態度から考えて……オレの立場や、存在はそんなに良いものでは無いのだろう。
現に島やその他の国全土に向けて発した発表そのものの反応はオレは知らない、だが良いものではないとはわかっている。
ゾーラ族だからじゃない。男なんて事は伝えていないし伝える事もない。
オレが、ニンゲンでないからだ。
ニンゲンでない以上歓迎するにも限度がある、姿形も何もかも違うそれを。……そう考えると寧ろカタクリの態度こそが不思議に思えた。
こんな、普通ならばほんの僅かな時間の採寸の行為をせねばならない程の一目見て顔を歪ませる相手を……いくら女王の決めた政略結婚とはいえ、接して親切……とは言い難い態度ではあったが相手をしなければならないなんて。
何より。結婚、しなければならないなんて。異種族で同じ性を持つ相手に。
……一番始めに会った時に感じたそれは間違っていなかったと思う。
彼は。カタクリは、良いやつだ。握手として伸ばした手を弾かれ叩かれようとも、
「カタクリ、失礼するゾ!」
それにオレが頼るはもはやカタクリしかいない、他には誰もいない。ペロスペローはオレとは一線引いていたし今どこにいるかはわからないし女王なんてもっての他。
午後に差し掛かる時間帯、城内部を歩いて辿り着いた部屋のドアをノックし、ここ数日で学んだ元々返す気のない返事はそのままにオレは室内へと踏み込んだ。
机に向かいながら座り込んでいるカタクリが手に持ったそれから顔を上げずに目線だけでオレを見る。
「読書中すまない、オレの外出許可の話をしたいのだが! 少し行ってみ……」
「却下だ」
「ゾッ!……まだ何も言っていない、早いゾ」
彼が手に持つそれは石板ではない、紙をまとめたそれの名は……確かそう、本だ。我らゾーラ族が石に綴るように彼らニンゲンは紙に綴り纏めたそれを本と呼ぶ。
青い背表紙をしたそれを持ったままカタクリはオレと目が合わせていた。冷たくオレの意思を相変わらずはね除けながら。
「必要な物はお前が来る前に全て用意したし、都度手配している。外に出る必要は無いと言った筈だが」
「勿論それは感謝しているゾ。毎日食べるご飯やデザートはとても美味だし、何かあればホーミーズに言えば何とかなっている!」
「……それで?」
彼の鋭い目が、苦手としか言い様の無いビリビリと痺れそうな目線を向けてくる。だがそれに怯むオレでは無いゾ!
「それでも我らはゾーラ族! 水の民なのだゾ! この城の中に閉じ込められて数日間、そろそろ川や湖や池でも良いから泳ぎたいのだゾ!」
「………」
思うがままに心に浮かんだそのものを言葉にして彼にぶつける。常日頃から新鮮で美しい水に囲まれいた里から離れ、これほどの長い期間泳いでいないのは初めての事かも知れないのだから。
泳がなくても支障はない、ウロコが剥がれ落ち皮膚に妙なひび割れが入り出したのは泳げないからではない。
流石にここまでくれば……もう少し前からわかっていた、ゾーラの里から離れた事で体に異変が起きているのだと。
だがそれを嘆いてもどうしようもない。だから願望のままに唯一話す事を許されている結婚相手に言葉を投げ掛ける。どうせこのまま下らないと吐き捨てられるとしても……
「……だろうな」
「ゾッ?」
なのに紡がれたのは予想外の肯定の言葉。反射的に跳ねた体と共に尾ビレが跳ねる。
オレのそんな反応にすら微動だにもせず淡々とカタクリは話を続ける。手に持っていた本を片手でパタンと音を立てて閉じ、オレの目線まで持ち上げて。
「少しだけ可能な範囲で調べてみた。まァ故意に世界から遮断していたお前らの大した情報は無かったが」
「……え」
椅子から立ち上がり左右の壁に埋め込まれたかのように固定された本棚へと歩みを進め、その中に右手に持っていた本を片付ける。
まるで当然とばかりに振る舞うカタクリの背をふわふわと水面を漂う泡のように何も言わず、言えずに見つめ続けていたが急に泡がパチンと弾けたように意識が戻る。
あまりの衝撃に、意識が遠くへ飛んでいたようだ。だって、何せ……ええ?本当に?
「……オレら、ゾーラ族を調べていて、くれたのか」
「まァそうだ。だが書物ごとにそれぞれ異なるそれらバラバラの情報を纏めた所で恐らくお前には違うと吐き捨てられるがオチだ」
カタクリの言う通り、オレ達ゾーラ族は外の世界との関わりを遮断していた。それは意図的や彼の言う通り故意に……という訳ではないが積極的に関わろうのもしなかったのも事実。そういう意味では、故意にかもしれない。
僅かに関わった者達から話されそして伝えられただろうそれが……どれだけ正確なのかはわからない。ただ目の前にいるカタクリがその情報を鵜呑みに出来ない程違っているのは違いない、なにせ目の前にいるオレの姿や振る舞いだけでそういう程書かれている内容と異なっていると判断出来るくらいなのだから。
一冊片付けたカタクリは今度は左手に抱え持っていた数冊の本を戻しにかかる。横へ数歩移動し、空いている場所へとそれを戻す。
その行動が、手付きが、行動が。いやに穏やかで、まるで今なら全てが許されるのではないかと思えてしまった。
「……で、は、行って良いのか?」
「駄目だ」
「何故だゾ!?」
なのに普通に却下された。何だか理不尽に感じてしまう。
「何度も言わせるな、出歩かせる気は無い。丁度良いだろ、中庭にでも出て雨でも浴びていろ」
カタクリは行動そのまま高い鼻先を窓の方へ軽く指し示し、オレの行動を示す。窓の外には空を覆い尽くす暗い雲とそれから降り注がれ続けている彼の言う、雨、があった。昨日から大量に音を立てて降っている。
……だがオレはとっくの昔に知っていた。空から何時間もの間、絶えずに降り続いているそれはただの雨ではないと。
「あれは普通の水でなくベタベタするから嫌だゾ……普通の水が良いのだが……」
美しく透き通るような川や湖で泳ぎたい。それに一番近いのは空から満遍なく降り続く雨だろうと……昨日の夜から降るそれにオレは単身駆け込んだ。
だというのに肌に当たる度に包み込む違和感。言い様のないそれに全身に立つサメ肌。恐る恐る肌に染み込まないそれを舐めてみればやたらと甘い衝撃。
「? 洗面台や風呂、蛇口から出る水は水飴では無いだろう?」
「そ、それはわかっているゾ!」
空からの雨ではない、飴……あれは、二度と好んで味わいたく無い現象でしかない。
だというのに懇願にも似たオレの声を聞き入れた彼は首と目線だけをこちらに回し、当然かのようにふわふわと水面に漂う枯れ葉のように軽く答える。
その言葉によーくわかっているとばかりに食いぎみに答える。
なにせその蛇口から出された水でオレは寝ているのたから。
ここに案内された初日から、オレはキッチリとシーツに皺一つ無く用意されたベッドを一度も使わず、蛇口から出されたその水を浴槽へと溜めて小さく体を丸めて寝ているのだから。ラネール島から出港をしてここに来るまでの間の船の時と同じように。
正直に言えば浴槽は眠る場所にしては狭く、朝起きた瞬間は縮こまりすぎた体のあちこちが痛いしあまり望ましい場所ではない。
だが……これは我らゾーラ族の問題だ、オレ達が水中で眠るのは彼らには関係がない。ニンゲンの眠る場所はふかふかの布地で作られたベッドで、オレの為に専用のそれは用意されている。それをただ……オレは、使えないし使わないだけで。
だから。せめて。
「けれどもう少し広い場所で泳ぎたいのだゾ……君が調べたその情報にあったかは分からないが、泳がないとどうにも体が違和感を感じて仕方ないのだゾ」
「……どちらにせよ残念だが川も駄目だろうな、雨のように純粋な淡水ではない」
「??」
そんな頼み込むオレの言葉に彼が目線だけで振り返り、そしてまた目線を逸らして戻す。淡々と吐き捨てられたその言葉にオレは首を傾げる。
川が駄目?それなりの大きさの島だから大丈夫かと思っていたが、純粋な淡水じゃないという事は海に川が押され混ざりあっているという事だろうか。一応海でも泳げるから大丈夫だが。
「海水が混じっていても構わないゾ?」
「オレンジジュースだ」
「何故だゾ!?」
「そういうものだ、諦めろ」
「………」
だがあまりに予想外なそれには反射的に反応を返してしまう。
は?え?……ジュース?オレンジジュース?川が、果汁で出来ている?……何故?んん??そう、いうものなのだろうか……
二の句も告げれずただ首を傾げて黙ってしまったオレを気に求めず、手に持っていた本を全て片付けた彼が元の椅子へと腰掛け冷淡に言葉を続ける。
目線はこちらに一瞥も寄越さず、机の上の何かしら書かれている紙に目を通して時折何かを書き込んでいる。近付いてその形を見ても、こちらの文字は……ゾーラ族と違うその文字は、まだ読む事は出来ない。いずれ勉強せねば。
「……ゾー……普通の生活用水だけでなく、飲料水や料理用に使用する水もあるだろうに、川から使えないのか……だから、あんな味なのだな」
「………」
読めない字を追うのは疲れる。疲れついでに口にした愚痴に似たそれに彼が反応する。
それも急激に引き寄せられ反応されるようなものではなく、ジリジリと下からねめ付けてくるような鋭い赤い目をこちらに向けて。背の高い彼にそんな事をされるのは初めてだ。
「何が、言いたい」
「ん……一つ言わせて貰えるなら、もう少し栄養のある良い水を使った方が良いのではないか?」
「……あ?」
低い声が空気を震わせる。目には見えない威圧感のようなものが皮膚やヒレを震わせ、痺れさせてくる。パチパチとしたそれがなんとも言えなく恐ろしいが、引く訳にはいかない。
水の民のゾーラ族、そしてその王子としての水質に対しての違和感を感じたまま伝えねばならない。
「その水を食べ物やお菓子、この壁や床に使う資材の繋ぎとして使っているのだろう?ならば。もう少し新鮮で、純度と透明感のある栄養素の高い水が好ましいのではないか?」
「………」
「君達が食材にこだわっているのはこの数日間で何となく解った、ならばもう少し良い水の方が良いのではないだろうかとそう思うのだゾ」
オレが思うまま、感じたままのそれを言葉にすれば真っ正面から受け止めるようにカタクリは真っ直ぐに見据えてきた。鋭いその瞳がオレを居抜き、潰さんとばかりのプレッシャーを押し付けてくる。
それでもそれに怯まず目線を真っ直ぐに返していれば……彼は小さく息を吐き、数回瞬きをした後深く目を閉じて、開いた後改めてオレを見つめてきた。
「水の民ゾーラ族……お前は、そう思うんだな」
パサリと、手に持っていた紙を机の上に落とす。その声色は想像よりも遥かに穏やかだった。
攻められ、怒鳴られ一つ二つの暴力くらいは貰うのではないかと覚悟をしていたが……やはり彼は、良いヤツ、なのではないだろうか。こんなオレの言う事を信じてくれる、彼は。
だからこそ大人しく頷き言葉を続ける。彼は数回瞬きを繰り返し、憂いに似た目線を机の上の紙束からオレへと向けていた。
品定める、ように。
「……オレは……そう、思うゾ」
「……そうか。まァ……美味い物を作るには確かに水は欠かせないものだ。忠告と提案受け素直に取っておこう」
どんな目で見られようとも、どんな対応をされようとも、いくら品定められようとも。オレは怯む事はない。
その時。
締め切った屋敷内にすら届く甲高い爆音が遠くで響いた。
ガシャン、だのバガァン、だの……とにかく何かが大きなものが壊れた音がした。それも地響きすら届かない程の距離が開いているのに、聞こえる程の爆音で。
カタクリは目線すら動かさなかったが、オレは慌てて音が鳴っただろう場所を探す為に窓へと駆け寄った。飴で作られているだろう窓から外を眺め、音の鳴った正体を探す。
降り続く雨の向こうに見えたそれは、すぐに見付かった。オレの目でも見える程のそれ。別に目が悪い訳ではないが。
街中を通る川。小さな支流が何本もの合流したそれは、幅の広い大きな本流へと姿を変え高い場所にあるこの場所からでも見えていた。
それの……その川に架かる橋が土台から川の水流に浚われ、倒壊していた。
崩れた橋は降り続き増水した川の水に流されたのだろう。陸地に近い残った橋の上にはまだ、幾人ものニンゲンが残っていて、つま、り、中央部にいた人達は流さ……
衝動のままに窓枠を突き破り、飛び出す。
「おい!」
高い屋敷から落ちるオレの背中に降り続く雨とカタクリの声がぶつかる。短い言葉で制止の言葉をかけられたが、今更止まれる訳がない。なにせオレは今……落ちているのだから。
「すまないカタクリ!」
短く聞こえるかどうかわからない謝罪をして、腕を振り上げる。地面にぶつかる寸前に全身から腕に力を移し、力を込めた掌を下に向けて空中から呼び出す事を意識する。
無事に現れた水流に頭から着地し、そのまま水流の一部を移動用の魚に変化させて、そのまま目的地へ移動を開始する。
バチャバチャビチビチと通常では聞く事の無い水の音をたてながらオレは進んだ。自分の足で進むより遥かに早いスピードで目的地まで。
降り続く雨によって溢れ返った川により橋が壊れ、人が流された。大量の水によって流される事で人命が脅かされるなんて、納得出来ない。
カタクリから言われた禁止事項を許可無く破るつもりはなかった。だが知ってしまったこの状況で何もせずじっとしているなど出来やしない。申し訳ない、どんな者だろうと目の前に見える命を守る為に反射的に動いてしまう体を止めれず、約束をオレは破るしかないゾ!
それに、しても。……ああ、感覚がおかしい。里にいた頃は常に自分と共にあった筈の水が……どうにも、遠い。遠く感じている。作り出して乗っている水の魚ですら、違和感がある。
それでも何とか目的の場所へと辿り着き、水魚を解除し数歩そのまま走り出す。
橋の崩壊事故によって悲鳴混じりにどよめいていた周りの声色がオレの登場により、ざわめきが増す。見慣れないオレの姿に戸惑っているのだろう。甲高くひきつったような声色がオレを囲う。
だが……そんな事に構っている暇はない。
ゴウゴウとニンゲンでは到底太刀打ち出来ない川の水を見て、川の中を周りで叫ばれ流されてしまっているというニンゲンを軽く目で探し、見える範囲にいない事を確認した後に飛び込む。
オレですら一瞬翻弄されそうな程の強い水流を身に受け、そのまま流るる水に身を任せながら突き進む。
(……居たゾ!)
水ではない妙に体に絡み付く果汁の川を自分の出せる全速力で泳ぎ進めば目的としている人影を見付ける。水面に浮かび暴れて沈み、それを繰り返しているその複数人に向けて力を込めた腕を振りかざし拳を握る。
手の周りを囲うホワリと暖かな力をそのまま、ニンゲンに向けて放つ。そうして果汁で出来た川の水が水流を作りそれに巻き込み陸地へと打ち上げていく。無事であるのを気配で感じ、そのまま下流へと進み流されているニンゲンを探しながら進む。
幾人ものニンゲンの姿を見付ける事が出来れば、水流を作り出して陸地へと打ち上げる。それを繰り返していく。
そうしている内に案の定……水場も何もない場所から生み出す事や川の水を借りて生み出すそれ、水流が……出せなくなってきた。出せても本当に小さなもの。
それでもなんとかギリギリ目につく一人のニンゲンを助け出せた。綺麗な渦も巻けず、いびつで小さな水流を。
でもこれで最後だ、今の、今日のオレではもう水流を作り出す事は出来ない。ぐっすり穏やかに新鮮な水の中で眠れれば別かもしれないが……そんな事を今考えても仕方ない。
目についた水面に浮かんで沈むニンゲン二人を両手に抱え込み、近くの陸に飛び上がる。そのまま二人を陸に置き、もう一度川へと飛び込む為に足を踏み込もうとして。
「ひ、ッ…!」
背後で悲鳴とバリバリと体をかきむしる音が聞こえる。怯えるそれは……見なくとも、理解出来る。目線も、理由も。
………。それでも、水に呑み込まれた存在を見逃せれない、止まれない。
川へと飛び込み、探す。何となくだが、もうそろそろ終わりな気がする。何となく、勘だが。
流されるニンゲンを掴んで、運んで、掴んで……片手が塞がった状況、浮き沈みしているニンゲンに手を伸ばして。
なんらかの物体にぶつかり変化した水流がニンゲンの動きを変え、伸ばしたオレの腕のその脇をすり抜けさせた。慌てて目線でその体を追いかけて何とか掴もうとして……
ふわり、と。
その瞬間何もかもが揺らぐような早さで、周辺の水ごと掬い上げられるような状態で体が持ち上げられた。
オレも、抱えていたニンゲンも、すり抜けていったニンゲンも、掴めてすらいなかったロープで繋がれ服を着ている小さな動物含め、全てが。
ザバリ、と。
激しくも包み込まれるような感覚の川から強引に引きずりあげられ、瞬きを二回する間にオレらは素早く陸地に打ち上げられたのだと気付く。
「………」
困惑とどういった種類かわからない悲鳴を上げるニンゲン達に周りを囲まれ、オレは混乱していた。なぜ、陸地にいるのだろうか。川に、川で泳いでいた筈なのに。
「あ……うわぁッ!」
今の現状に唖然としてしまい、理解が追い付く前に抱えていたニンゲンがオレの姿を見て驚いたままに手を振り払い石畳の地面に転がる。果汁で濡れて降り続く雨に濡れている体に汚れがつくが構わないのだろう。
そして……目線を落とした事でそれの存在に気付く。白い、なんだかもちもちとした網に丸ごと包み込まれて引き上げられたのだと。
魚を取る漁を長年してきたが、されたのは初めてだ。普段獲るのに網等は滅多に使わないが、こんな気分なのだな……
その網がどこから投げられたのかと目線を動かし辿り……その大元である白い網から伸びる、大きな人影を見上げる。
つい先程まで喋っていた人物、静止のそれを振り切りここに来たオレを見下ろす感情の読めない顔をしている青年……カタ、クリ。
それなりの背丈である事は理解していたが地面に座り込んでいるオレと仁王立ちとばかりに立っている彼では本当に目線が高く感じる。
「カタクリ様だ……!」
「あんな大災害の危機にカタクリ様が駆け付けて助けてくれた!」
集まり騒ぎ立て盛り上がる人々の声に反応一つせず、彼が軽く手を動かせば白い網状に変化していたそれがぐにゃりと普通の腕と手袋を着けた手の形に戻る。
普通のニンゲンではありえないその光景に近く昔の光景を思い出す。まるで天候を操っていたかのような姿の、彼の母親を連想し……カタクリのそれも同じだと気付く。彼もなんとかの実を食べた妙なニンゲンなのだろう。
なんとも不可思議で面白いものだ。食べたいとはあまり思わないが。
「ありがとうカタクリ、助かったゾ……」
「………」
周りを囲うような人混みがザワザワと音を立てる。一つ一つの声は聞き取れるが、意味まで理解しようとは思わない。今のところ必要ではない音だ、受け入れてもオレの為になる言葉は何もない。
精々カタクリを称える声を聞くだけにしておこう。オレがすべき事は助けてくれた彼に礼を言い、約束を破ったそれに対しての処罰を受けるだけだ。
「オレ一人では助けるのがもう少し遅れていた。だから破ったその制裁でも罰でもなん ── 「戻るぞ」
彼はオレの言葉を遮ったあと左手が右手の手袋を外し、剥き出しとなった素手で二の腕を掴み未だに座り込んでいたオレを引っ張りあげて立たせた。
あまり元気の出ない体で色々と無茶をして立ち上がるのも億劫に感じていた体は軽々と持ち上げられ、一瞬空中に浮いたような感覚に包まれ落ち着くと共に地面に立っていた。
………。
駆け付けてきていた警察官らしき人々に一言二言指示をした後、彼はそのまま長い足を進めて歩きだした。つい先程まで軽い言い争いにすらなっていないやり取りをしていたお城……彼の、屋敷に向かって。
誰の意見も喝采も、何も受け付ける事もなく関係ないとばかりに歩きだす大きな背中をオレは見つめるしかなかった。
周りの人々の戸惑いが伝わってくる。なにせ今の、今の何気なくした行動は……
慌ててカタクリの背中を追う。周りのニンゲンは動かない。歩く度にぐちゃぐちゃと鳴る水を含み濡れた靴が不愉快だ。
「カタクリ!カタクリ、ちょっと待って欲しいゾ」
「………」
「オレは君みたいに足が長くないし、歩くのは苦手だからそうして君に先に行かれると追い付けないのだゾ!」
「………」
慌てて走りながら静止、もしくは速度や歩幅を緩めてほしいと遠い背に投げ掛けるがそれでも彼の足は止まらない。ここ数日、オレに対する態度から考えれば当然といえば当然だが。
カタクリが、暴力や暴言でオレを押さえ付けようとするような事はほとんど無い。ただ関心がある訳でもない。
一番最初に会った時に言われたのが一番暴力的だったくらいだ、覚悟していた痛みや恐怖からは幅遠いもの。外に出るなと言う言葉でさえ、力付くではなかった。
オレは、外部からどう思われているのか詳しい内情はわからない。
ただ統治者である彼に呼ばれ、採寸をした仕立て屋のプロでさえ手袋を外さずに肌に触れ、たらふく水……果汁を吐きそうな程飲んで青白く弱りきった溺れた人に伸ばし抱えた腕さえ振り払われれば流石に理解出来る。
ゾーラだからではなくヒトでないオレに触れるのは、好ましいどころか嫌悪に等しいのだろう。それは無知から来る恐怖か、はたまた間違った知識か、差別下の意識での区別か。
いずれにせよ望まれず、蔑まれるが当たり前のそれを……カタクリは。
「ふぅ、やっと追い付いたゾ……今のオレはちょっぴりヘトヘトなのだから走らせないで欲しいゾ」
「たかだかあの程度でか」
「効率的とはいえ、川下で待ち構えて美味しいところを取っていったヤツに言われたくないゾ」
やっと追い付いたカタクリの横を歩く。歩くと言うか小走りで走り続けないと歩幅が本当に合わないのだから仕方ないが。
それでも会話を投げ掛け、返してくれるだけで御の字だ。街並みから外れ、人並みはいつの間にか無くなっていた。
「……本当に助かったゾ、ありがとう」
「フン……おれの統治する島だ、助けるのが当然だろう。関係ないお前が飛び出した方が妙だ」
「感情のまま動いただけだゾ、理由など必要ないしオレは君のように頭を使い動けない」
「なんの話だ、おれは一応"見"て確認をして動いただけだが」
「だが」
走り出し、彼の前に飛び出す。足を止めたカタクリを真っ直ぐに見上げ目を合わせる。
「オレを助けてくれたろう?物理的にも、心証的にも」
ザアザアと降り続く雨が……飴がオレとカタクリの間の沈黙をかき消した。眉を潜め細めた目がオレの心を乱さんとばかりに睨み付けてきている。
だが、それが何だというのだろう。そんな顔より威圧感のある沈黙よりもっと大きな証明を先程彼はオレと島民に見せ付けるようにばら蒔いた。
初対面時に差し出した手は手袋越しに弾かれたのに。初めて、素手で触れられた。それも、わざと、大勢のヒトに見せるように。
まるで……何もないと証明するように。
彼はオレ自身に対して何も思っていない。憎悪も嫌悪も好奇も値踏みも、ただ海賊団にとって必要だから結婚し、必要だからその相手の情報をいれた。今回のこの行動でさえそれに基づいて動いたといえばそれまで。
変形させて雨や果汁に濡れていたその手は想像よりも冷たく、想定よりも温かかったが、それ故に彼が何を考えているのかはわからない。だが。
「君という統治者が……キミが、素晴らしいニンゲンだという事が、改めてわかったゾ」
「……何の話だかさっぱりだ」
カタクリはゆっくりと目を閉じ、そして開いた後低い声で言葉をつむいでオレの横を通り抜け再び歩きだした。
勿論否定されてしまえばオレは何も言えない、ただのオレの勘違いや勝手な想像の上の思い込みなのかもしれない。
それでもその柔らかい優しさの可能性は、考えただけで鱗がカサつき疲れきった体の重みが和らぐ気がして、オレの中でその思想は捨てるに値しなかった。
真実でなくて良い、証明などしなくて良い。
この非日常の中の日常になりうる日々が少しでも幸せに思えるのなら、それで良い。誰にも何にも迷惑にならないただのオレの思い込みで。
「君が優しいヤツだという話だゾ!だからこそお願いだ、泳ぎに行かせてくれないか!」
「却下だ。風呂で泳いでろ」
「ゾッ、あそこは泳げるほど広くないのだゾ」
浴槽の中で丸く小さくなり眠るのが精一杯だ。あんな場所で泳ぐなんて到底出来ないだろう。
しかし元々弱くなってきた体で……想定外の大きさと中のニンゲンに負担をかけないように作り出した、それも果汁で作った特殊な水柱を何本も操ったそれでオレはもうヘトヘトだ。
今の体では何も出来ない、ゆっくり果汁ではない水に浸かり休まねば水柱や水魚どころか、指先で僅かな水泡を作るのにも苦労しそうだ。
だからカタクリの言う通りは出来ないが、今から屋敷に戻ったそばから浴槽に水を溜め沈んでしまおう。昼御飯を抜きに、数時間ばかり中にこもれば少しは回復するだろうから。
だから。あんな出来事があった夜に、彼がとある行動をオレを巻き込み起こすとは思いもよらなかった。