ちゃぽん。
身動ぎすると浴槽の中に溜めた水が跳ね、静かな浴室内に音が響いた。頭まで潜っていたそれを止めて水面に顔を出して立ち上がり、淵を跨いで浴槽と浴室を後にする。
脱衣場に用意されているタオル等の生地をオレは一度も使った事はない、ゾーラの肌の吸水力は拭いとるよりも早い事だし今のオレは乾ききっているも同然なのだから。まぁその摂取する水の品質は……嘆いても仕方のない事をいつまでも言うつもりはない。
置いていた服を身に付け、石を加工した飾りを身に付け、人前に出られる姿となったのを鏡で確認して脱衣場を後にする。
なぜ昼食も軽食も口にせず水に浸かる事を優先したオレがこうして出てきたか、それはオレにあてがわれた部屋の外からホーミーズがひたすら呼んでいたから他無い。
昼食らを断ったようにその呼び掛けも断ろうとしたが出来なかった、あまりに必死の呼び掛けに善意の食事の件ではなくホーミーズも命令されて来たと気付いたから。
廊下を歩きながら、きっとホーミーズはゾーラが水場で眠る事は知らないのだろうと考える。入浴中失礼、と言われたのだから。
里でのゾーラの詳しい事情を知る機会は海賊団の誰も無かっただろうし、船で運ばれている時もペロスペローはオレに干渉せずオレもワザワザ伝えなかった。
唯一知っていそうなのは……調べてくれていたという、カタクリだろうか。それでもお風呂場で水浴びと言っていた事だしどうなのだろうか。確認する必要は……うむ、無いな。気にしない事にしよう。
「失礼するゾ!……っと」
ホーミーズに案内されたのは普段一人で食事をする場となっている大きな食堂の扉前だった。一瞬用事とは嘘で食事を抜いたオレの体を心配して夕飯に連れ出したのかと考えたが、夕飯にしては時間は早くすぐにその思考を振り払った。
扉を開き、この場所では一度も姿を見た事がないが呼び出したからには中にいるだろうカタクリを見付けようと目線を動かし、複数の別人を見付ける。一人、二人、三人いる。
見覚えがあるような無いような……服装から判断して、食事やカタクリのメリエンダとやらを用意している料理人達だとは思うが。
「来たかゾーラ族」
「ゾ? カタクリ」
料理人達となんとも気まずい見つめあいをしていれば背後の扉が開きベストタイミングとばかりにカタクリが入ってくる。
あまりにピタリすぎてどこかで見られていて狙ったかのようだ。恐らくそんな無意味な事はしないだろうから違うだろうが。
「来たのは来たが、申し訳ない。なぜ呼ばれたのかわからずに来たのだゾ」
「自分が言った事に責任と証明をしてもらおうと思って呼んだだけだ」
「?? 何の話だゾ?」
「水の民、なのだろう?」
カタクリはそのまま中へ歩き出し、オレは後を追った。料理人数名が困惑した顔のままオレとカタクリを見ている。
そして机の上には複数の器が置かれており、その中には……ゾ??
「これで全部か?」
「はい、カタクリ様!一応各島で食材に使っているものを全てお持ちしました!」
淡々と声をかける彼に、小さな彼らがピシリとした敬礼をカタクリに向ける。その言葉で覗き込んで中身を見ていたオレの疑問が確信に変わる。
「……これは、水、か」
器に入っていた透明な液体、見慣れたもので生涯見続ける事になるだろう存在。水。
その複数の器に分けられたそれを確認の為に料理人を見下げればオレと目が合うのを避けるように目線を反らされる。まぁ、その反応は当然だと今日理解した。ならばまだ反応を返してくれるカタクリなら。
目線を上げればバッチリと目が合い、なにか言う前に理解した彼は答えてくれた。
「それらは今この万国で使用されてる水だ。お前は言ったな、この水に純度も栄養素も足りないと。だから……言った責任を持って判断しろ、どれの水が最低限のラインを越えて相応しいか」
「ゾッ……。……い、良いのか、オレの判断で」
「フン」
当然のように言い放ったカタクリの顔を見上げ訊ねれば、返事の代わりに息を吐かれる。それは意地悪や悪意を持ってのものじゃない。
例え、もしも。そもそもそんなつもりだとしても、ここまでお膳立てする必要もない。オレ自身を適当に辱しめる方法ならばいくらでもあるのだから。
「……じゃ、じゃあ……させて、貰うゾ」
用意されている器を上から覗き込む。どれもこれも透明度はあり、器の底を綺麗に映している普通の水に見える。目線では、そう見える。
「触っても大丈夫か?」
「構わないだろう。なァ?」
「は、はい!勿論ですカタクリ様!」
確認してくれたそれを確認し、躊躇なく指先を器に突っ込む。後ろで僅かに息を飲む音が聞こえるが構わず進める。次々に器に指先を入れ、そのまま全ての器に指先を入れる。
そして全て入れた事を確認した後、手のひらに力を込めて上に向け腕を振り上げる。
ふわり、と全ての器の中身が空中に浮かび上がる。戸惑いと小さな悲鳴が聞こえるが気を取られている場合ではない。
「どうだ」
「ん……まぁそんなに言うほど悪くはないゾ。例えばこれ」
ふわりと、一つの水が前に飛び出す。器の前に何か文字が書かれた紙が置かれているがオレにはその文字は読めない。大方どの島で使っているか、どの材料に使っているか書かれているのだろう。
「透明度も高く、栄養素も悪くない。さらりとしている感触はまさにみずみずしく良い水だと思うゾ」
「これはどこの水だ?」
「あ……は、はい。ナッツ島の分になります!」
「そうか。水の流通経路だが……」
彼らが話し合うそれを器に戻し、他の持ち上げた水を眺める。ふわふわと漂う水を時折近付け香りを嗅ぐ。
触れる事を嫌がられていたからやっていいのかわからないが、指先を伸ばしてその水に溶け込むように触れ合い、更に深くまで確かめるように舌を伸ばす。戸惑う声がした。
水それら独自の特徴を感じる。柔らかだったり、硬かったり、甘かったり、くらりとするほど不味かったり。
ああ、舌先から乾ききった体に染み入ってくる不可解な感覚がする。ヒレの先まで震える。
「……どうなんだ、ゾーラ族」
ゆっくりと吟味をしていれば後ろで彼、カタクリが料理人達との会話を終えオレの背に声をかけてくる。振り返り見上げれば細めた睨み付けるようなカタクリの目と目が合う。
オレは今の自分に出来る限りの満面の笑みと共に拳を胸元に掴み上げる。
……人質のようなオレをどのような理由があろうとも自由にして、役割を与えてくれた彼に思うがままの言葉を返さねばならない。オレの思う全てを。
「うむ。こちらの水は硬く僅かに苦味があるゾ、スイーツ作りにはあまり向いていないが煮込み料理や味の濃いタレには向いているゾ」
目の前にその水を持ってきてぐるりと回し、元の器に戻す。料理人が器の前に書かれた紙の文字を読む。
「こちらの水は口元でとろけるように軟らかくそのまま口にするのに向いてるゾ。料理なら味を染み込ませる出汁や、お菓子の素材をフワフワにするには向いていると思うゾ」
器にポチャンと戻せば料理人の一人が恐らく島の名前を呼んでいる。隣の料理人と何かを納得しているかのように話し合いを始めている。
「こちらの水は甘ったるいが、口の中を激しく刺激してくるゾ。そして香りはすぐ切れやすいほどトゲトゲしていて……」
思うがまま、感じたままのそのままの感情で水の評価を続けていく。オレが言葉を続ける度に呆気に取られていた料理人達が何かを思ったように身に付けていた衣類から紙を取り出し何かを書き込んでいる。それを見た所でオレは何も読めない。
そうしていくつもあったそれらの全ての評価を終え、浮かせていた水全てを器へと戻した。料理人達はそれぞれ何かを話し合っていて……今オレが何かを言った所で受け入れてくれるだろうか。まぁオレが話しかけれる相手は一人しかいないのだが。
「どうだゾ、カタクリ? オレが感じたままに伝えたのだが。言葉での説明だと実感出来ず解らないかもしれないのだが」
「まァ、それはそうだな」
「ゾー……難しいゾ……あっ! もし水が他にあるならお茶にして振る舞うゾ!? どうだ?」
「………」
オレの提案をカタクリに告げれば彼が目線だけで合図し、料理人達は先程までとは全く違う早さで動いてくれた。
バタバタと素早く用意してくれた複数のティーセットに一つの種類のお茶とそれぞれの水をそれぞれのやり方で温め注ぐ。オレが最適だと思った温度とタイミングでお茶を作り、最高だと判断した瞬間に飲んでもらうように告げる。
料理人達は言われるがままに口にして思い思いの言葉を告げてくれた。
驚愕の言葉。絶句の表情。誉める言葉。唯一……カタクリだけが、口にしなかった。ティーカップに手を伸ばす事さえしなかった。
……そういえば共に食事をしていないからもあるが、初対面時の時のホーミーズのお菓子を振る舞われた機会の時でさえオレは見ていない。カタクリが何かを口にする姿を。
「……これは素晴らしいです……どうやってこのような味を…?」
「んっ、そうだろう!? こちらの水だと穏やかに七十から八十のぬるい温度で淹れた方が喉元爽やかになると思うのだゾ! こちらのは熱い温度の九十五度くらいだと全体に広がる香りと口にいれた途端に喉奥に広がる甘味が……」
料理人の一人に訊ねられた瞬間思うがままに、感じるがままにオレは茶を注ぎ振る舞ったそれの事細かを語った。
なぜ、どうして解ったのか、そう訊ねられても答えれない。水のそれらに触れ味わったその言い様の無い感覚のままに行っただけなのだから。恐らく天候や気温、例えば数時間後ですらまた違う淹れ方をしなければ同じ味を出せないだろう。
一つ一つの水には悪いも良いもない。その水にとっての種類には向き不向きがあり、オレはただそれを教えただけ。
決して悪いものではない、ただオレには栄養的には物足りないが普通ならば問題はないだろう。だがそれでもその中で美味しさを追い求めるならば、オレは引き出せるだけの味わいと手段を教えれる限り教えれる。
「まさか、こんなに。本当に……本当に明らかに味が違う。いつもは、いつもは、もっと……」
「うむ! 疑問に思うそれは何も悪い事ではないゾ! ただ気温と温度と高さと空気と感覚……それらの違いがあるのだから、それを見分ければきっと君たちでも出来るゾ!」
オレが出来る全てを振る舞い、語ったオレに彼らは何も言わずにオレをただ瞬きするよりも長い間見ていた。そしてヒレの湿りが乾きそうな時間が経ち、顔を見合わせていた料理人の一人が一言。
「……素晴らしい。言われた事、あっていると思います。これらのお茶全て今まで味わった事のない美味しさでした」
そう、呟いた。何故か天井の部屋の隅、遠くを見ていたカタクリが料理人に対して二、三点指示をして、呆気なくこの水評論会は解散した。
食堂から追い出されて部屋に戻ったオレは首を傾げていた。あれらが一体なんだったのか、オレには多分わからない。カタクリが説明をしてくれなければ今後一切わからないだろう、訊ねたら教えてくれるだろうか。また聞いてないフリをされるだけな気がする。
時間が経ち、夕食。今度は食べようと招かれるままに席に付けば給仕をしてきたのはいつものホーミーズではなく先程の料理人の一人で、先程の時間で聞けなかっただろう疑問を聞かれ、オレは答えた。
一つの料理を食べていればいつの間にか増えた複数の料理人に囲まれて根掘り葉掘り聞かれていた。今回ばかりは誰も近付けないよう一人で食事をしているカタクリを羨ましく思いながらも聞かれるがままに冷めていく料理を置いてきぼりに答えていった。
そして、なんだか疲れた食後。オレはつい数時間前にも来た部屋に呼ばれた。
カタクリが何らかの仕事をする部屋、オレが窓を突き破り勝手に飛び出した部屋。一体何故、どうして。今度は何があるのだろうと思いながらもオレは室内へと入った。
「一つ、確認でもしようと思ってな」
真っ先に目に入った、割った筈の窓ガラスの飴は薄い板のようなお菓子で塞がれていた。外の景色は見えなくなり更にカーテンを閉められた室内には、もはや誰の目も入ってこないだろう。
置かれた椅子に腰掛けたオレを真っ直ぐ見ながらカタクリが告げてきた。その声色は楽しげにも、悲しげにも聞こえる不思議なものだった。
抑制されたような沸々と煮たつような不思議なその声色が……
「先程のように、アイスティーを入れて欲しい」
「……ゾ?」
暴行でも暴言でも、無茶苦茶な命令でもないそれを告げてきた。今更ではあるがこの部屋に呼ばれたという事は外に飛び出した事や、割った事実を糾弾されるのかと少し思っていたから。
オレは一瞬何が何だかわからずただ瞬きを繰り返していた。そんなオレに対して彼はいつもと同じように睨むような目で見てくるだけ。
「……アイスティー?」
首を傾け訊ねるも彼はなんの返事もしない。ただ目で早くやれとばかりに指示してくるだけ。その目線の先を見れば少し前に用意されたのと同じ道具が揃っていた。彼が用意したそれだ、悪意も毒物の可能性は考えれない。そもそも意味がない。
……否定する気も、拒絶する気もないオレは言われるがままに用意されていた一つの水を器ごと持ち上げ眺め見て香りを嗅ぐ。ふむ、先程の多数あった水の中の一つだな。
その水の最適な時間と速度でくるりくるりと動かしながら淹れ、充分に味わい深くなっただろうと判断した瞬間にカップに注ぎカタクリに出す。
マフラーで隠された口元は、出されたそれを飲もうとしない。……むぅ、淹れたてを一人で飲みたいと思ったのかと思ったのだが違うのか?
ならば何故オレは呼ばれたのだろう?誰かの前で飲食をするのが嫌でオレがいるから飲まないのなら出ていった方が良いのだろうか。
「……いくつか訊ねたい事がある。そこの椅子に腰掛け自分の分を飲みながらで良い、正誤を答えろ」
「?? ゾ……わかったゾ」
「まァ簡単な確認だ」
そんな事を考えていれば思考の間違いを正すように、ここにいなければならない理由を突き付けてくる。
言われるがまま足の長さがどうにも合わない椅子に腰掛けていれば、いつの間にかカタクリは手にティーカップを持っていた。どうやらオレが目を離した隙に飲んだらしい。
「そうだな、まず……」
そして聞かれる無数の質問に対してオレは間違えないように答えていった。
しかし、そもそもその質問の殆んど根本的に間違っていた。ゾーラ族と確認されているのだろうが、まず有り得ない噂話ばかりで。
恐らく事件が起きる前に彼が読んでいた本に書かれていた内容だったのだろうがこれほどまでに適当に受け継がれていたとは思っていなかった。
「ゾーラ族は岩を食べる」
「いや食べないゾ? 主に魚を食べていたが、野菜も食べれるしここでも何でも食べているゾ」
「ゾーラ族は長命種族でその肉を喰らえば寿命が伸びる」
「ゾ……長命、かどうかはわからないが君よりは遥かに長く生きてるゾ。でもオレの肉を食べても変わらない……と、思うゾ」
「ゾーラ族は熱さと寒さに弱い」
「あぁ、うん。それは合ってるゾ」
「ゾーラ族は空を飛ぶ」
「いや飛ばないゾ」
「ゾーラ族の住む森の中に入り込むとその場で骨に変えられ二度と出てこれない」
「カタクリは来てないから知らないだろうが、まずオレ達は森には住んでいないのだゾ」
「ゾーラ族の鱗を口にすれば水中で魚人のように動ける」
「そ、れは流石に有り得ないゾ……呼吸を伸ばす事は出来るかもしれないが、動けるようには出来ないゾ」
「……興味深い生態だ」
そうしてカタクリとの質疑応答は何十もの間続いていった、淹れたアイスティーがホットだったなら冷えてしまいそうな程の時間で。
……ああ、だからか。だからこれを見越してアイスティーにしろとカタクリは言ってきたのか。本に載っていただろう知識は殆んど間違っていたが、カタクリはそれに対しての愚痴も言わず気にしていないとの態度でただ淡々とオレとの間で正誤を確認していた。
正直に言えばそこまで疑問が溢れる程書物にゾーラという存在が乗っていた事が驚きだった。
……そういえば、なぜカタクリはゾーラ族に対しての知識をつけようとしたのだろう。ゾーラ族を支配下に置くための最低限の知識だとしても、それは彼の母親、女王のように力付くで押さえ付ければいいだけで必要ない筈だ。
……訊ねても正確に答えてくれないだろう、意地の悪い質問ではないとオレは考えているが彼はきっとそうする。そうこの数日間で判断出来る程の時間を……オレ達は過ごしていた。
「何故こんな質問を?」
だが一応訊ねて見た。もしかしたら答えてくれるかもしれないと一縷の望みをかけて……しかし普通に返事はなく、無視される。ああ案の定だ。
何か手元の紙に書き込んでいた彼がオレをチラリと見て、再び手元の紙に目線を移す。話を続ける気はないとばかりに。
「わかった、じゃあ戻って貰って構わない」
「ん、終わりなのか。まぁ……今日は色々あって疲れただろうしな」
「……馬鹿な事を。この後やるべき事があるだけだ」
「ゾ? 何かあるのか?」
だから今度は会話がスムーズに続いた事に少しだけ驚いた。まだ続けれそうなそれを首を傾げて訊ねて進める。睨まれているかのような鋭い目とひたすら見つめ合うが、彼は折れたかのように息を吐き低い声で続けた。
「……今までお前の相手をする為に行えなかった、槍の訓練をする」
「槍! 君は槍を使うのか!? 実はオレもそうなのだゾ!」
「……は?」
「槍の訓練……素晴らしいゾ! その訓練オレも混ぜてくれないだろうか!」
「………」
眉を潜めパチパチと音がしそうな程何度も瞬きをするカタクリ。ゾ、目を縁取る毛が長いな!何を言われているのか分からないような、何とも受け止められないような顔を浮かべる彼に対しオレは更に詰め寄る。
いきなりの提案に絶対に頷く筈が無いだろうがそれでも。椅子から立ち上がって詰め寄り、頷くまで何度も問い掛ける。
それは彼に訊ねられた中には無かった回答と情報。ゾーラ族は、槍を使い戦うという事実。
そして同じ槍使いとして彼の時間を奪ってしまったのなら、その埋め合わせをするのはやぶさかではない。オレとしてもここしばらくで鈍ってしまった体を鍛えたいのだから。
「オレが万一暴れた時に押さえる為の君は強いのだろう、だがオレもそう弱くはないゾ!女王には完敗したが!」
「………」
「ゾ!ゾ! どうだ、決して君の訓練の邪魔はしないと誓うゾ! 共にする、が駄目ならば少し場所を貸して欲し ──
「おれは結婚など元々どうでも良かった」
── ……ゾ?」
カタクリの低い声が、オレの言葉を途中で遮った。
彼の顔を見れば真っ直ぐにオレを見る血の色のように赤い目。
「どこの誰だろうが、男だろうが女だろうがどうでも良かった。それこそ、人間だろうが、そうじゃなかろうが」
「?? 急に何の話だゾ?」
「そもそもこの結婚も、するかどうかも不明だった」
「……は……?」
だから吐かれたその言葉の衝撃が上手く受け止めれなかった。……するか、どうかが不明だった?……結婚がか?オレ達ゾーラ族が互いを守る為に強く強く決意した、あれ……ら全部、茶番だと言わんばかりに。
「魚人族に類似するも別種、幻にも似た存在のゾーラ族。それをコレクトするのは決定事項ではあったが、その姿のまま偶々条件に当てはまったおれの隣に席を置くか……ママのコレクションとして手元に置くか五分五分といった所だった」
「……何の、話だゾ。何故、そんな……」
「わかるだろう、何故かなど」
「………」
息を吐き、腕を組み背もたれに凭れるカタクリ。机の上に置いたティーカップに目線をチラリと移し、僅かに右手の指先が動いた。手を伸ばそうとして中身が入ってない事を思い出したのか組んだままほどかなかったが。
「水を軸に有利に取れる種族特性を持つが、王子一人を人質同然に差し出すその少数民族の行動で我ら海賊団への武力向上になる見込みはほぼ無いのがわかる。お前らの持つ秘密の石碑の文字を読み解く知識だけを取り出し、姿形を保存するやり方も提案された。それこそ政略結婚をした後にでもな。だが一応このまま平穏に進める事が決定した、少なくとも……今は」
ギィッ、と彼が凭れた椅子が鳴った。
「おれ個人としてはここ数日で理解した、世間と関わりがなかった無知はあれどもお前自身は愚かとは言い難い。恐らく何らかの隠し立てをしているのを感じているが……まァそれは別にどうでも良い。決定された事項に従うまでだ」
「……この前島のヒト、にオレの事を伝えていたゾ……式の際の衣装の用意や……家族、や招待客にも連絡をしていた、のに……約束を反故する、つもりだったのか……?」
「海賊に何を求めている。馬鹿正直に全てを守るとでも思っていたのか?」
「………」
「本を調べていたそれに然程深い意味はない、暇潰しがてらだ。事実大分違っていたしな」
そう言い、彼は机に手をつき立ち上がった。オレより高いその背丈を見上げればオレの目線に気付いた彼が鼻で笑い目を細めた。布地で隠された口元が見えていればきっと物凄く笑っている顔が見えただろう。
カタクリの目はオレ自身、というより取り巻く全てを嘲笑うかのように細められていた。
「……なぜ質問浸けにしたか聞いてきたな、ゾーラ族」
「………」
「先程見た魚人族とはまた違う、自称する程の不可思議な水を操る力を持つ民。宙から産み出し、果汁すらも操る水の民としての能力と事実。そして……そんなお前に興味が湧いた」
「……ゾ!?」
暇潰しのどうでも良かったという知識を正しくせんとするくらいは、そう言葉はなくとも告げてきた。反射的に飛び上がりそうな程の衝撃が駆け抜ける。
……えっ、今オレ滅茶苦茶褒められたんじゃないのか。
部屋を出ようとする彼の背を唖然と動かない体で目線だけで見送ろうとして不機嫌に潜められた目と合う、部屋の持ち主がいなく場所にぼうっと立っているのだと。慌てて先に扉をくぐれば後ろから噛み締めたような声が聞こえ反射的に振り替える。
部屋の明かりを反射する赤い目が、オレを見下ろしている。
「槍使いだというのなら、ママに突き立てたという水を使った技術とその手腕。見せてもらおうじゃねェか」