秋のファン感謝祭。その一角で行われたダンスバトルの終了後。
『ふふふ……。今日のダンスバトルに関してはお前らの勝ちだ。それは認めてやろう。
しかし! 前哨戦に勝ったぐらいで良い気になるな。本番は一か月後、それもターフの上でなのだからな。
その時は我が篤実なる僕(しもべ)が貴様らを噛み砕くだろう……。
……ふふふふふ……はははははは……! はーはっはっはぁ!!!』
「帰れー!!」
「何しに来たんだお前らは!!」
「後、うるせぇ!! ピンマイク切ってから笑え!!」
レイのトレーナーはマントを翻(ひるがえ)しながら、舞台から去っていく。レイは観客達にお辞儀を残し、トレーナーの背中に続いた。
舞台から退(しりぞ)いた二人は、トレーナー居室に戻ってきていた。レイは相変わらず電動車椅子に乗っている。
「お付き合いいただき、ありがとうございました。それとすみません、いきなりダンスショーに乱入したいなんて我儘を言いだして」
「いや、問題無いよ……。レイと踊るのは楽しかったしね……。可愛い我儘だったよ……。
それより良かったのかい……? 乱入したものの、結局は非難されただけで終わってしまったし……」
「ええ。悩んでいたスターを激励したかっただけなので。
それにあの場の主役は彼女とそのトレーナー。乱入者が主役を食ってしまうのはマナー違反ですから。引き立て役としては良く振舞えたでしょう?」
「そうだね……。結果的には大盛り上がりだったし、それで良しとしようか……。
それより意外だったな……。君がダンスなんて……」
それを聞いてレイは少しムッとした表情に。
「おや、私はダンスを踊るようなタイプには見えませんか?」
「いや、そうではなくてね……。
電動車椅子に乗るほど足を気遣っているのに、踊るなんて足に余計な負担のかかる事をするとは、と思っただけなんだ……」
「あぁ、そういう事ですか。それなら……」
レイは“菊花賞で争うスターの調子を取り戻す方が重要だっただけですよ“、と言葉を続けようとしたが、少し押し黙る。
「……トレーナーさんと踊る方が大事だった、という答えはいかがでしょうか?」
レイは揶揄(からか)いの笑みを浮かべる。
「ダンスショーに参加したのはシューティングスターを励ますためじゃなかったのかい……?」
トレーナーのズレた回答に対して、レイはじっとりとした目を向けるが、すぐに気を取り直す。
「それは半分……いえ、三分の一ぐらいでしょうか。
残りの三分の二はトレーナーさんと踊る事が目的でしたよ。そして非常に楽しかったです」
「そうか……。こちらこそ、で良いのかな……?」
「ええ。私とのダンス、楽しんでいただけたようなら幸いです」
レイはそう言うと、トレーナーに背を向けてコーヒーを作り始めた。その口端を少し持ち上げながら。
一方でトレーナーはウィッグと外套、上着を脱ぎ、クローゼットにしまった。
「さて、これからレイはどうするんだい……? ファン感謝祭はまだ終わってないけど、どこかを見て回るとかするのかな……?」
「これからですか……。そういえば「ダンスショーに乱入したい」というのは可愛い我儘、なのですよね?
でしたら、もう一つ可愛い我儘を聞いていただいても?」
「構わないよ……」
「では、この服を着て耳と尻尾と髪の手入れをしていただきたいです」
会話中にコーヒーを作り終えたレイは、どこからともなくチェーン付きの黒ベストと白手袋を取り出した。
「それは……」
「私のクラスがウマ娘の執事喫茶をやるそうなので、一着余分にオーダーしておいたのです。
サイズは目測なのでぴったりではないかもしれませんが。大方は合っていると思いますよ」
トレーナーは服を受け取り、黒ベストと白手袋を着用する。ワイシャツにネクタイ姿と相まって、まさに執事のような格好になった。
「サイズは問題無いね……。まずは耳からで良いかな……?」
「えぇ。耳は手袋のままでどうぞ」
「じゃあ、失礼して……」
トレーナーはゆっくりと指をウマ耳に触れさせた。その途端、ウマ耳がピクンと痙攣する。
「……少しびっくりしただけです。続けてください」
レイの言葉の後、五本指がウマ耳を捕らえた。すぐさま、もう五本の指がウマ耳の根元を優しく抑える。
そのままウマ耳の外側を手が撫でていく。
カチャッ……
レイが持っているコーヒーカップと、ソーサーが触れ合う音がした。
「珍しいね……。普通、ウマ娘は耳を触られるのを嫌うと聞いていたんだけれども……」
「それは少し偏見ですね。耳を触られるのが嫌なのではなく、気を許していない人に触られるのが嫌なだけですよ。
人だって赤の他人に耳を触られたくはないでしょう? 物珍しいからとウマ耳を遠慮なしに触り、嫌がったという事例が表面化しているだけかと」
「それもそうか……。耳の中もすれば良いのかな……?」
「……え、えぇ…。その前に少し失礼します」
レイはコーヒーカップを傾け、中身を半分ほど飲み干した。
「どうぞ」
ウマ耳の外側を撫でていた指が、内側に侵入する。
ガチャッ……!
レイが持っているコーヒーカップとソーサーがぶつかり、大きな音を立てた。
指は耳輪の部分をなぞるように動く。そして徐々に奥の方に寄って行く。
カチカチ、カチ……
コーヒーカップとソーサーが細かくぶつかる音がしている。
時間をかけて周辺部を整えた指は、ついに耳の穴にまで侵入した。
「っ……!」
レイの上体が鋭く前傾する。少しだけ零れたコーヒーがソーサーを濡らした。
耳の穴に侵入した親指が回転し、ごぞごぞ、という音がレイの頭に響き渡る。
指から逃れようと首を傾ける無意識の反射を押さえつけ、不動のまま耳をほじくられるレイ。
彼女の顔はトレーナーには見えてないが、くすぐったそうな、嬉しそうな、それでいて真っ赤な……とにかく混沌とした表情をしていた。
長いようで短い間、耳を蹂躙していた親指が引き抜かれた。その代わりに人差し指と中指が耳の内側を撫で、耳毛を整えていく。
しばらくして右耳の手入れは終わった。トレーナーは手袋に目を落とす。
「綺麗にしてるんだね……。垢一つなかったよ……」
「ま、まぁ……毎日……耳掃除を……してますから……」
レイの息はなぜか荒く、その言葉はとぎれとぎれだ。
「なら耳の穴までする必要は無かったね……。ごめん、勝手に指を入れてしまって……」
「い、いえ……汚れが残っている可能性もありますし……全然大丈夫ですよ……はい……」
「そうか……。じゃあ、もう片方も同じようにやるね……」
トレーナーがそう言った瞬間、まだ手付かずの左ウマ耳がペタン、と伏せた。
レイは残りのコーヒーを全て飲み干し、カップとソーサーをテーブルに置く。
そして耳を再倒立させ、
「……ど、どうぞ……」
そう言った。
その結果はここに書くまでもないだろう。
悶絶の耳掃除を終えた二人。次は髪の手入れ。
ダンスで大きく動いたため、毛先が少し荒れている。それをトレーナーが手櫛で梳いていく。
さっ……さっ……さっ……
髪と指が擦れ合う音だけが部屋に広がる。
「何というか、柔らかいね……。私の髪質とは比べ物にならないな……」
レイの髪を梳きながら、感想を述べるトレーナー。
「ええ、それはもう。髪と尻尾はウマ娘の命とも言いますから」
「なら今の私は君の命を預かる身だ……。丁寧にやらないとね……」
トレーナーは柔らかな素材のブラシを手に取り、優しく髪に通す。
「もう少し奥まで差し込んでも大丈夫ですよ。そのブラシは先端にマッサージピンが付いていますから。
頭皮に先端が触れるぐらいでお願いします」
「分かった……」
レイの言葉に従い、ブラシが奥まで髪の奥まで差し込まれた。ブラシの先端が頭皮に触れる。
そのままブラシは頭の形に沿うように動かされ、髪を梳いていく。
さっ……さっ……さっ……
一連の流れが繰り返されるたびに、レイは目を細め、頭にブラシが当たる感覚を意識していた。
しばらくすると髪が綺麗にほぐされた状態に。
「仕上げはこれでお願いします」
レイがトレーナーに獣毛ブラシを手渡す。トレーナーがそれを使って髪梳くたび、動物由来の油分を含んだブラシのおかげで、髪に艶が増していく。
「すごいね、このブラシ……。髪がまるで……」
お得意の比喩表現を用いようとしたトレーナー。しかし、途中で口を噤む。
「一梳き毎に綺麗になっていくよ……」
代わりに無難な感想を述べる。
「おや? いつもの例えは無しですか? てっきりまたヘドロの様だと言われるのかと……」
「友人に注意されてね……。比喩は止める事にしたよ……」
「まぁ、賢明な判断ですね。個人的には好みでしたが」
場は再び、髪を梳く音だけが支配する。
「……こうして世話をされていると、まるでお嬢様と執事のような関係に思えてしまいますね」
ふとレイがそんな事を言った。
執事服を着たトレーナーに、ダンスの時のドレス姿のままのレイ。確かにお嬢様とその世話をする執事の様だ。
「お綺麗ですよ、お嬢様」
いつもの間延びした喋り方ではなく、はっきりとした口調でそう言うトレーナー。
「……お嬢様、ではなく「レイ」でお願いします」
「承知しました。お綺麗ですよ、レイ」
褒められたレイは、へにゃりと破顔する。
「それではトレーナーさん……いえ、セバスチャン。尻尾もお願いしますわ」
「承りました」
二人はそのままロールプレイを続けながら、尻尾の手入れを行った。