レイのギプスが取れてから直近の土曜日。レイとトレーナーは二人で出かけていた。
「この前は私の行きつけの店に行ったので、今日はトレーナーさんがどこかのお店に連れて行ってくれませんか?」
「行きつけの店か……。ラーメンでも良いかな……?」
「大丈夫ですよ」
時間帯はお昼前。二人は店に向かうべく移動する。レイのリハビリも兼ねて、移動は徒歩だ。
休日だけあって街には人が多い。人ごみを縫うように二人は歩く。
「これだけ人が多いと誰かに声を掛けられるかもしれませんね。私達、一応有名人ですし」
「まぁ、主に悪評の方でだけどね……」
「そうですね。いきなり喧嘩を売られてもかなわないので……これをどうぞ」
レイは鞄からマフラーを取り出した。
「大きめのマフラーなので鼻元まで覆えます。顔を隠すには十分ですよ」
レイはそう言いながらフードを被り、ウマ耳を隠す。尻尾は外に出ないような服装なので、これで傍目には彼女がウマ娘であるという事は分からなくなった。
ウマ娘の絶対数は人に比べて少なく、ウマ耳や尻尾を見るだけで「あれ? もしかしてレースに出てる娘かな…?」と声を掛ける人がたまにいる。
それでなくとも、やはりウマ娘はウマ耳と尻尾が特徴的なので、それらを隠すだけでも十分身バレ防止になる。
「そうだね……。私生活でまで目立つ必要は無い……。使わせてもらうよ、ありがとう……」
今日はマフラーをしていないトレーナー。上着の襟を折り、レイから受け取ったマフラーを首に巻く。そして余った布地を重ねて鼻元までを覆った。
「いえ、先日はトレーナーさんにマフラーを借りましたから。今日はそのお返しです」
二人は顔を隠し、目的の場所まで歩みを進める。そうして10分ほど歩くと、ある店の前に着く。
「ここですか?」
「えぇ……」
二人が店内に入ると、中は典型的なラーメン屋と言った内装だった。壁にはスープのこだわりが書かれた張り紙や、サイドメニューのおすすめなどで雑然としている。
二人はカウンター席に並んで座った。テーブルの下にある籠に荷物や上着を置く。レイはメニュー表を開いた。そこには色々なラーメンの名前と写真が載っている。
しかし、普通の店とは違う表記がこの店のメニュー表にはあった。
「トレーナーさん、メニューにある「辛味度」というのは?」
「文字通り辛さの指標だよ……。この店は辛いラーメンを出す店だからね……」
「辛いラーメンですか……」
レイは珍しく、険しい顔を見せる。
「もしかして辛いのダメだったかな……?」
「かなり苦手な方ですね」
「なら、普通のラーメンもあるからそれを頼むと良いよ……」
そこでレイは、少し考える素振りを。
「……とはいえ、そういうお店に来て辛い物を食べないのも食べず嫌いが過ぎるので、辛味度1の物を頼もうと思います。この赤ラーメンとか……」
そう言うレイだが、今度はトレーナーの顔が険しくなる。
「う~ん……。辛いのが苦手なら辛味度1ですら止めておいた方が良いよ……。このお店の辛さの基準はかなり高いんだ……。
辛味度1でも一般的には激辛と呼んで差支えない程度にはね……」
「そ、そうなんですか……それなら大人しくこの魚介豚骨ラーメンにしておきます」
「決まったかな……。すみません……」
トレーナーが店員に声を掛ける。
「へい! ご注文は?」
「
「魚介豚骨ラーメンの大盛、麺の硬さは普通でお願いします」
「かしこまりました! 唐紅固め、魚豚大盛普通!」
「了解!」
注文を取った店員は厨房の方に引っ込んでいく。その一方、レイはメニュー表を再度見ていた。
「唐紅、唐紅……辛味度4ですか。良く食べられますね」
「昔から辛い物が好きでね……。山椒やコショウ、唐辛子を使った料理を良く食べていたんだ……。そのせいか辛さには大分強くなったよ……」
「辛さに強くなる、とは言いますがどのような感じなのですか? 私の場合、辛い物を食べると口の中がヒリヒリして、それ以降、味が分からなくなってしまうので苦手なのですが……」
「そうだね……。私の場合は単純に、辛い物を食べても口の中がヒリヒリしないんだ……。
ある程度の辛さまでなら、普通の料理と同じように辛さを感じずに食べる事が出来るよ……」
「なるほど……。一つ思ったのですが、どうしてトレーナーさんは辛い物を食べるのですか? ヒリヒリ感を楽しむ物だ、と聞いた事はありますが」
「う~ん……。辛い物を食べるというよりは唐辛子を食べると言うのが正しいかな……?」
「というと?」
「唐辛子は一般に辛味を付けるための香辛料と言われているけど、私は唐辛子の味、風味が好きでね……。
辛い物を好んで食べるというよりは、唐辛子を好んで食べているんだ……。その唐辛子が辛い、ってだけかな……」
「なるほど……」
「あ、後、辛い物が得意といってもワサビとかカラシは苦手かな……。それらと唐辛子はまた辛さのベクトルが違うんだ……。
鼻から抜けていくようなあの辛さはどうにもなれなくてね……」
「辛さにも色々あるんですね。それにしても唐辛子の風味、ですか……ふふっ」
口元に手を当てて、笑うレイ。
「いきなりどうしたんだい……?」
「いえ、トレーナーさんが好きな唐辛子は辛さに隠れた風味を持っている。
そして私が好きなコーヒーは苦みに隠れた風味を持つ……意外な接点に気づいて可笑しくなってしまっただけですよ」
「確かに……。二つとも万人受けしない美味しさを持っている物だね……」
「であるならばトレーナーさん。私でも唐辛子の風味が味わえるような食べ方、料理はありませんか?」
「う~ん……。苦さを抑えたコーヒーゼリーに対応するような、辛さを抑えた唐辛子料理か……。あ、それなら丁度良いのがある……」
トレーナーはカウンターに置かれている調味料を取り、レイの方に差し出す。
「これは…?」
「赤ダレ……。味噌に唐辛子を漬けた調味料だよ……。この店にしては珍しくピリ辛程度の辛さだし、唐辛子の風味が良く出ているから試してみてほしい……」
「分かりました」
そうこう話している内に、注文の品が運ばれてくる。
「魚介豚骨ラーメンの大盛、固め! 唐紅ラーメンの固め! 器、熱くなっているので気を付けてください!」
「あ、すみません……。
「追加注文ですね! 辣油固め!」
「了解!」
「……二つも食べるんですか?」
「ん、あぁ、こう見えても結構食べる方でね……。そのおかげで二種類のラーメンを楽しめるよ……」
「そういえば、カフェでもパスタを二皿頼んでいましたね」
「とはいえウマ娘程は食べられないけどね……」
「私もウマ娘にしては食べない方なので、私とトレーナーさんの胃袋の大きさは同じぐらいでしょうか」
話もそれくらいに、二人は割り箸を割る。そして自分の分を食べ進めていく。
レイは三分の一を食べ終えた時に、トレーナーから薦められた赤ダレの蓋を開ける。そしてレンゲの上に適量落とし、それをスープで溶き、口にした。
「……これが唐辛子の風味ですか。いつもなら邪魔なだけなんですが、ヒリヒリ感と相まって後を引きますね。これなら私でも食べられそうです」
「なら良かったよ……」
そう言うトレーナーの器はもう空になっていた。その器に入っているのはレイと同じ濃厚な魚介豚骨のスープだが、その色は真っ赤。
「た、食べるの早いですね。その辛そうなスープでよく……」
「まぁ、これを食べるようになるにはかなり慣れが必要だと思うよ……。啜(すす)るだけでむせる人がほとんどだし……」
「その域に到達するまでには時間がかかりそうです」
「少しトイレに行ってくるよ……」
トレーナーが席を外したその時、店に新たな客が入って来る。
「いらっしゃい! 好きな席にどうぞ!」
「……あれ? もしかしてレイ?」
その声に反応してレイが顔を上げると、そこにはスターと彼女のトレーナーが。
「おや、奇遇ですね。こんな所で」
「ホント。たまたま入っただけの店で出くわすとは思っても無かったよ」
スターはレイの隣に、スターのトレーナーはスターの隣に座る。
「ギプス取れてから足は大丈夫?」
「えぇ、特に問題ありません。年が明けてから走る練習を始めようかと」
「なら良かった。春シニア三冠までに……は流石に厳しいかもしれないけど、秋シニア三冠までには治してよ? 天皇賞とジャパンカップ、二つ取って有マで待ってるから」
「有マですか。ファン投票上位が出走条件なので、もしかしたら私、出れないかもしれませんよ?」
レイにそう言われたスターはポカンと口を開ける。
「…………それは考えてなかった。まぁ、悪役にも一定数ファンはいるでしょ。何とかなるって」
「おい、スターは注文どうすんだ?」
「メニュー表見せて」
トレーナーからメニュー表を受け取るスター。入れ替わるようにレイとスターのトレーナーが話し始める。
「そういえば今日はアイツ……トレーナーと一緒じゃないのか?」
「一緒ですよ? 今はトイレに行っています」
「えっ!? それを早く言いなさいよ!? ほらトレーナー! 邪魔しちゃいけないから店変えるよ!」
レイの発言に立ち上がり、トレーナーの腕を引くスター。
「い、いきなりなんだよ? 邪魔、って何の話だ?」
「かぁ~~……! これだから
「別に構いませんよ、スター」
ウマ娘の怪力でトレーナーを引きずっていこうとするスターをレイが止める。しかし、スターの方は気まずそうな表情を浮かべ、レイに耳打ちする。
「いや、ホントに良いの? 二人で出かけるなんてそうそう無い機会だろうし……」
「その点なら大丈夫です。毎週土曜は時間を確保していただいてますから」
「えっ!? もうそこまで進んだんだ! ならいっか。正直、店変えるのも面倒だと思ってたしね」
トレーナーの腕を離し、席に座るスター。彼女は気を取り直してメニューを眺める。
「何だよいったい……で? 結局スターは注文どうすんだ?」
「ん~……。僕は
「じゃ、俺もそれで。……いや、待てよ? なぁレイハウンド、この店ってアイツの行きつけか?」
「えぇ、そう言ってました」
「そうか。なら一応辛味度を下げて赤ラーメンにしとくかな……」
「あれ? トレーナー、ビビった?」
ニヤニヤとからかうような笑い顔を浮かべるスター。
「いや、そうじゃねぇよ。アイツは結構辛党で、そいつの行きつけって事は何かヤバそうだからな。安全策を取っただけだ」
「ふ~ん……ま、トレーナーがそうしたいならそれで良いけど……。一回り以上年下の僕より辛くないラーメン食べるのはトレーナー的にどうなの~?」
「……そこまで言うなら上等だ。俺も紅ラーメンにしてやる。アイツに付き合ってる身だ、そこそこ耐性はあるぞ」
「じゃあ僕は辛味度一つ上の唐紅ラーメンにする」
「……なら俺も」
「じゃあもう一つ上、最高ランクの辣油麺で!」
「付き合ったらぁ!」
そんなノリで二人は注文をする。
レイは残りのラーメンを啜りながら、それを傍観していた。
(トレーナーさんは辛味度1でも一般的には激辛と言っていましたが……大丈夫でしょうか)
食事をしていたせいで、二人に忠告するタイミングを失ったレイは、そんなことを考えていた。
結果↓
辣油麺に悪戦苦闘する二人を見守ってから、二人は退店した。家路に着く途中、
「寮まで送っていくよ……」
「いえ、ここまでで構いませんよ。ここから学生寮まで行くとなると、トレーナーさんにとっては回り道でしょうし」
「そうかい……? ならここでお別れだね……。マフラー、返すよ……」
トレーナーは首に巻いていたマフラーを解き、レイに手渡す。
「えぇ、それではまた後日」
トレーナーと別れたレイは、彼の背中を名残惜しそうに見つめた後、彼から返してもらったマフラーを自分の首に巻く。マフラーが長いので、鼻元まですっぽりと埋まってしまう。
「…………ふふっ……」
彼女は彼の香りに包まれながら、学生寮までの短い道のりを歩いた。