「ただいま……」
「おかえり、
レイのトレーナーは靴をそろえ、玄関に上がる。彼の担当が帰省しているのと同様に、彼も実家に帰省していた。
彼がリビングに入ると、食卓には三人分の料理が並んでいた。
「
母親が二階に向けて大声を出す。遅れて「分かったって!」という、声が返ってきた。
「
「仕事で海外。さっき「Happy new year」ってメッセージが来てた」
「時差の影響が凄いね……」
ドタドタ、と階段を下りてくる音がした後、すぐにリビングの引き戸が開く。
「久しぶり、律……」
「お盆以来だっけ? 久しぶり、兄貴。飯食いながら話そうぜ」
トレーナー、弟の律、母親の三人は食卓に着いた。
「「「いただきます」」」
その声を皮切りに、トレーナー宅の
「兄貴、最近仕事はどうよ?」
「暇してるよ……。担当が怪我でリハビリ中だから仕事の量は減っているし……」
「他の娘は担当しないのか? 一人の担当が療養中なら学園側から、他の娘の面倒見ろ、とか言われそうだけど」
「一応、まだ新人扱いだからね……。そこまでは言われてないよ……」
「ふ~ん……。ま、兄貴みたいな悪評まみれのトレーナーに教わりたいって、好き者も少ないと思うけど。
あれだけ悪目立ちしたんだから脅迫状とか来てたりして」
「脅迫が八件、殺害予告が二件来てたかな……。その時は一応、防刃チョッキを着こんでたよ……」
トレーナーの言葉を聞いて弟は箸を一本落としてしまう。
「マジで来てたんだ……。そこまでして、よくあの娘の担当続けるなぁ。もっとまともな奴が他にもいるだろ?」
「もとより、まともかどうかを選ぶ基準にはしてないよ……。彼女から何か感じる物があったからスカウトしたんだ……」
「相変わらず兄貴の嗜好はよく分かんねぇ。まぁ、怪我はしたけど勝ってるし、相性は良かったんだろうな」
二人はしゃべりで乾いた口を水で潤す。
「そういえば響、恋人とか出来た?」
兄弟の会話が途切れた所に、母親がぶっこんできた。
「あ、俺も気になる。兄貴の周りには浮ついた話が一切無かったからな。職場恋愛とかしてねぇの?」
「いや、恋人はいないよ……。けど……」
トレーナーにしては珍しく言い淀む。
「けど?」
「気になる人はいる、かな……」
「へぇ~。誰、誰?」
「どんな人?」
「担当の娘……。彼女が隣にいてくれると、とても落ち着くんだ……」
トレーナーがそう言うと、母親と律は一瞬驚いた表情をする。しかしすぐにいつもの調子に戻った。
「ふ~ん、やっぱり兄貴もウチの家系かぁ。ウマ耳、尻尾好きにロリータコンプレックス*1、と……」
「バイ*2の私からとんでもないのが生まれたものね……」
トレーナーの家族構成は母親、母親、トレーナー、そして弟の律の四人家族。母親同士、籍は入れていない。現在家にいるバイの母親から体外受精で生まれたのがトレーナー。現在海外にいるレズビアン*3の母親から生まれたのが弟。
そういう複雑な家庭環境で彼は育っていた。
「いや~、トレーナーになると言い出した頃から怪しいとは思ってたんだよなぁ。ロリコンかどうかはともかく、ウマ耳と尻尾は好きそうだな、って」
「いや、別にウマ耳好きでも尻尾好きでも、それにロリコンでも無いと思うんだけど……」
「あれ、そうなのか? でも好きなんだろ、担当の娘の事」
「別に性的興奮を覚えているわけではないよ……」
「“好き”じゃなくて“愛してる”って事かしら?」
兄弟の問答の間に母親がしたり顔で割って入ってくる。”愛”というクサい言葉に弟は何とも言えない表情を浮かべる。
「愛、ねぇ……。まぁ、性欲と好きはまた意味が違ってくるよな。
メカフィリア*4の俺にも、ずっと一緒に居て苦痛じゃない友人はいる。そいつらの事は好きだ。けど性欲は抱いてない」
「そうね。私も響や律の事は好きだけど、性欲を抱くかと言われれば違うし」
「それは普通じゃないか? 近親には性的興奮を抱かないのが一般的だろ」
「響はともかく、律と私には血の繋がりは全くないでしょ。
そして私のストライクゾーンは下にも広い。つまり律も本来ならいける口。律は
「けど、母さんは俺の事を好きではあるが性的興奮は覚えない」
「そうそう。子供への愛情、って奴」
「愛……愛ねぇ……」
律はスマホを取り出し、ネットで検索をかける。
「“愛”――そのものの価値を認め、強く引き付けられる気持ち。可愛いがり、
“好き”――心が惹かれる事。気に入る事。
“恋“――異性に愛情を寄せる事、その心。 ここでも愛か……。
“性的興奮”――異性の臭気や行動によって引き起こされる、生殖に伴う興奮状態。人に至っては、シンボルによっても興奮する場合がある」
「シンボルによっても。それは律が良い例ね。自動車のマフラーのどこに興奮できるんだか……」
「うるせぇ、こっちだって人間の胸や尻に興奮できる神経が理解できねぇよ。
……話を戻すが、ネットで調べた限りだと、兄貴が担当に抱いている感情は“愛“でも“好き“でも“恋“でも、どれでも良さそうだな」
「でも、母さん的には人を“好き”っていうと、そこには少なからず性的な目を向けている、って意味も含まれてる感じがするかな。“恋”も一緒。
やっぱり“愛“よ”愛“! その人、人格、存在を可愛がり、慈しむ心こそ「愛」よ!」
「勝手に意味を捏造するなよ……。とはいえ、人が異性を好きになるのは子孫を残すため、つまり性欲が元の場合もあるか。
両想いの二人が結婚して子供作ったら急に冷めた、なんて話も聞くしな。その場合は性的興奮が“好き“の大半を占めていた、って事になるのか?」
「結婚後に大きな問題がなかったのならそうでしょうね。“恋愛“の”恋“だけだったって事。“愛“が無かったのよ」
「“恋”と“愛”……」
律は再びスマホで検索をかける。
「“恋とは自分本位のもの、愛とは相手本位のもの”
“愛はお互いを見つめ合う事ではなく、ともに同じ方向を見つめる事である“……だって」
「そうよそうよ! 性欲という本能のままに相手を求めるのが「恋」! 自分を犠牲にしてでも相手に何かをしてあげたいのが「愛」! 無償の愛よ!」
「あっそ…」
ヒートアップする母親を放置し、律はスマホをポケットにしまう。
「ま、ともに同じ方向を見つめる、ってんならウマ娘とトレーナーの関係はまさにそれだな。一年は一緒にやってるんだろ? 兄貴が担当の娘に特別な感情の一つぐらい抱いてもおかしくないって」
「そう、かな……」
「とはいえだ」
律は箸でトレーナーを指す。
「兄貴の思いが“恋”にせよ“愛”にせよ、担当が学生の内は手を出すんじゃねぇぞ。現代社会じゃあ、それは犯罪だ」
「それは分かってるよ……」
「なら良いけどよ。ごちそうさまでした」
弟は食器をキッチンに片付け、そこで食後のコーヒーを作り始める。
「あ、私にも作ってくれないかな……」
トレーナーの言葉を聞いて、弟も母親も驚く。
「俺の聞き間違い? 未だにピーマンすら苦手な子供舌の兄貴がコーヒー?」
「律が作ってるのはココアじゃないのよ?」
家族からの一斉に詰められ、苦笑いを返すトレーナー。
「最近、飲み始めたんだ……。とはいえ、牛乳は欲しいかな……」
「どういう風の吹き回しだか……。ま、了解」
ちょっと特殊な一家は、このような調子で年を越していった。
トレーナーの弟は機械にしか性的興奮を覚えませんが、実際の機械性愛の人は機械だけでなく人の体に性的興奮を覚える方もいらっしゃると思うので、そこはご理解ください。