悪役(ヒール)と黒幕(フィクサー)   作:RKC

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二十三話 思い、重い

 正月が明け、冬休みが明け、学校が始まってから直近の土曜日。レイは自室で後悔していた。

 

(私が走れるようになるまで、という条件は付けなかった方が良かった……)

 

 後悔の原因は、レイの骨折が治った時、快気祝いは何が良いと言われて、返した文言の一つ。

 

 “では、毎週土曜日にトレーナーさんの時間を二時間、私に頂けませんか? 私が走れるようになるまでで良いので……”

 

 あの時なにげなく付けた期限が、彼女からトレーナーと外出する理由を奪っていた。

 

(別に期限が切れたから、彼を誘うのがダメ、というわけでは無いけど……。正当な理由もないのに毎週誘うのは重い、かな……?)

 

 変に遠慮するが、トレーナーと会いたい欲を抑えられない彼女が取る行動は一つ。街中で偶然出会う事を期待して外出する、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーと偶然出会うべく街に繰り出したレイだが、当然トレーナーとはなかなか出会えない。そもそも彼が外出しているかどうかすら分からないのだ。

 そんな状況でレイとトレーナーが出会う確率など、紙のように薄い。

 

 しかし、彼女の一途な思いが実ったのか、13時を過ぎる頃にそれは実現した。

 レイが町中にある銅像の前を通りがかった時、そこでトレーナーらしき人影を視界に捉える。

 

(……今のは?)

 

 レイが気になった方を二度見すると、そこにいたのはトレーナー本人。向こうはレイには気づいていない様子。

 

「………」

 

 目当ての人を発見できた彼女。しかし、その場から動こうとしない。

 

(ま、まさか本当に会えるとは……。

 会えたのは嬉しい、けどなんて声を掛ければ……? 昼食はもう終わってしまったし……。

 というより、彼があの場から動かないのは誰かと待ち合わせをしているからでは? だったら声を掛けるのは迷惑になるかも……)

 

 嬉しさよりも驚きの方が勝ったレイは、そんな事を考える。彼女が悩んでいる間に、トレーナーの近くに歩いていく人が現れた。

 

(やはり待ち合わせ、を……?)

 

 そこでレイの思考は止まった。

 トレーナーの近くに寄って行ったのは、洒落(しゃれ)た服に身を包んだ大柄な女性。その女性を見た途端、トレーナーは嬉しそうな空気を纏っていた。何やら楽しそうに会話をし始める。

 

「………」

 

 それを見たレイはフードを強く被り、その場を立ち去った。

 

 

 

 

 

 

「悪い悪い、遅れちまって」

 

「5分程度だし問題無いよ……。というか今日は女装してきたんだね……」

 

「そういう気分だったしな。……女声で口調も変えた方がよろしくって?」

 

「別人といる気がして落ち着かないから普段の口調で頼むよ……」

 

「了解。今日はダーツ、ビリヤード、ボウリングの三本勝負で負けた方が今日の飲み代を奢るって事で良かったよな?」

 

「えぇ……。それじゃあ行こうか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自室に戻るなり、ベッドに伏せて毛布を被る。

 

 トレーナーさんもいい年をした男の人。恋人の一人ぐらいはいる、か……。

 

 街中で見た光景がフラッシュバックしてくる。

 

 トレーナーさん。自分より背が高い人が好みなのかな……。私みたいな小さいのではなくて……。

 

 寝返りを打つ。

 

 いや、見た目ではない。きっとあの人は人格が優れているのだろう。私のように不道徳な人間と比べてよっぽど……。

 

「……っはぁ……」

 

 重たい息がこぼれる。

 

 今だってそうだ。トレーナーさんをあの人に取られて嫌な気分になっている。あれほど楽しそうにしていたのだから、お似合いの二人だ、と祝福するべきなのに。

 

 ビ…ビ、ビビ…ッ!

 

 爪を立ててシーツを掻くと、音を立てて破れていく。

 

 トレーナーさんも楽しそうにしていた。なのに私には負の感情が湧き上がっている。

 

 彼のそばにいるべきなのは私。あの人では無くて私のはず。どうして彼の隣にお前がいるんだ?

 

 そんな醜い負の感情が湧いて止まらない。

 彼が楽しそうにしていたのを喜んであげられない私が彼のそばにいるべき? ……とんだお笑い草。

 

 ガン!

 

 寝返りを打つと壁に頭をぶつけた。丁度良い、自傷したかった気分だ。

 

 そう、この嫌な気持ちも負の感情もきっと私が欲深いせいだ。あの時もそうだった。

 トレーナーさんだけで我慢しておけばよい所を、欲張ってもっと多くの人に私の思想を認めてもらおうとした。結果は彼に迷惑をかけただけ。

 今もそうだ。彼とずっと一緒にいたいと思っている。もうそれが欲張りだ。偶然、彼に出会って、私の思想を認めて、支えてもらって……。私は何もしてないのに彼から多くの物を貰った。

 たいした労力も払わず、たまたま運が良く手に入れた物をずっと手放したくない……それを欲張りと言わずして何と言うのだ。

 

 私が今こうして最悪な気分になっているのは当然だ。人の夢を挫き、笑うような性根の悪さに加えて強欲とくれば、それはもう当然。因果応報。

 今までが幸運すぎただけだ。しかし、悪運はもう尽きたのだろう。

 

「………ぅ、ぇっ…」

 

 噛んでいた布団の繊維が喉に絡まって気持ち悪い。

 

 そもそも学生の私では無理な話だ。トレーナーさんとそういう関係になろうだなんて。私が卒業するまで彼に待ってもらうつもりだったのか?

 そんな魅力が私にあるとでも? 悪である私にそんな魅力があるとでも? 思い上がりも甚だしい。

 

 ドタッ

 

 体が床に叩きつけられた。ベッドから落ちたようだ。

 

 今日の事は忘れろ。そして休みの日にトレーナーさんと会おうとするな。彼とはトレーニングで顔を合わせるだけで良い。それだけでも十分満たされる。

 ……けどその先は? 私と彼が担当とトレーナーの関係止まりなら、私が学園を卒業した後は他人になってしまう。彼との関係はタイムリミット付きになってしまう

 

 ……嫌だ、嫌だ嫌だ。彼と会いたい。

 毎日でなくても良い。二日に一回、一週間に一回……隔週、いや、一か月に一回……ほんの少しだけでも良い。完全に縁が切れるのだけは……。

 

 ガリ、ガリガリ……ベキッ…

 

 胸が引き裂かれているのではという程痛い。床のカーペットを掻くあまり、割れてしまった爪の痛みも気にならない。

 こんな痛みは初めてだ。大切なものを失う痛み。将来そうなる事を想像しただけで気が狂いそうになる。

 大切なものを失うどころか、トレセン学園に入るまで持ってすらいなかった私にとっては未知の痛み。それゆえに痛烈。

 

 苦しい、気持ち悪い、胃が痛い。

 菊花賞で彼の指示を無視して骨折した罰? それともゴール後に彼の腕を傷つけてしまった報い? いや、他にも………

 

 床でのたうち回りながら過去の行いを掘り返し、自分を(さいな)み続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま……?」

 

 冬は日暮れが早い。外が薄暗くなる頃、スターは鍵の掛かっていない自室の扉を開ける。

 彼女は灯りが付いていない事を不審に思いながらも、部屋に入り、電気をつけた。その途端、部屋の惨状が彼女の目に飛び込んでくる。

 

「なっ……! 何、これ……!?」

 

 へこんでいる壁。シーツがズタズタに割けたベッド。赤黒く汚れたカーペット。床に散乱する毛布。その上に倒れているレイ。

 

「レイ! 大丈夫!?」

 

 スターは突っ伏しているレイのそばに近寄る。

 

「スター……」

「……!」

 

 レイが仰向けになり、スターと目を合わせる。その目は涙の塩分で炎症を起こし、赤く腫れている。

 スターは今までレイが泣いている場面を見た事が無い。そのため動揺してしまい、二の句が継げない。

 

「スター……すたぁ………」

 

 爪が割れ、乾いた血がこびりついた手がスターの方に伸びる。異様な手にスターは体を強張らせたが、その手を避ける事はしなかった。

 結果、その手はスターの背中を掴み、レイはのそのそと起き上がる。

 

「やだ……やだよ……。ずっと一緒にいたい……」

 

 スターの胸に顔をうずめ、すすり泣くレイ。スターは無理な体勢で泣くレイを腕で支え、落ち着いた声で問いかける。

 

「レイ、何があったの?」

 

「トレーナーさんのそばにいるべきなのは私じゃなくて……。でも、それだとトレーナーさんと一緒にいられなくて……卒業したら終わりになっちゃって……。そんなのいや……」

 

 普段の尻尾を掴ませないような敬語調ではなく、精神退行したような口調のレイ。深刻そうだ、と思ったスターは唾を飲み込み、努めて優しく語り掛ける。

 

「……なんでトレーナーのそばにいるべきなのはレイじゃないの?」

 

「トレーナーさんにはもう相手がいるから……」

 

「! 本当!?」

 

「さっき……女の人と街で待ち合わせしてた……」

 

「……見たのはそれだけ?」

 

「うん……だからダメなの……。私みたいなのよりずっと良い人がいるの……」

 

 それきり、レイはスターの胸に顔を押し付けながら、たまに呻くような声を上げるだけだった。

 

「……、………」

 

 スターは口を開き、何かを言おうとしたが、途中で止める。代わりにレイが落ち着くまで、ずっと彼女の背中をさすっていた。

 

 

 

 

 

 

「……ごめんなさい。服、汚して……」

 

「いいよ。血は乾いてたからほとんど汚れなかったし」

 

 割れた爪の手当と部屋の片づけを終えて、レイとスターは床に座り込んで対面していた。

 

「落ち着いた?」

 

「うん……」

 

 いつものレイなら「はい」や「えぇ」と答える場面。まだ完全に立ち直れてはいない様子。

 

「それで? トレーナーが女性と待ち合わせをしてたって?」

 

「うん……」

 

 じわり、とレイの目元に涙がにじむ。

 

「あーほら、泣かない泣かない……。別に待ち合わせしてたからって付き合ってるって事にはならないでしょ? 確認取ったの?」

 

「……取ってない」

 

「なら姉とか母親とか女友達とかかもしれないじゃん。そんなに悲観的になること無いって」

 

「そうかもしれない……けど関係無いの。私みたいなのじゃ駄目なの……トレーナーさんの隣にいちゃいけないの……」

 

「どうしてレイじゃダメなの?」

 

「……私はトレーナーさんから貰うばかりで何もしてあげられてないの……。それどころか迷惑、かけて、ばっかりで……」

 

「だから自分はトレーナーの隣にいるのには相応しくないって?」

 

 レイは首を縦に振る。

 

「私みたいな厄介者じゃなくて、もっと、良い、人が……」

 

「じゃあレイはトレーナーを他の人に譲ってもいいの?」

 

「…………やだ……やだよ……」

 

 レイの頬をボロボロと水滴が伝う。

 

「その涙が答えじゃん。トレーナーとずっと一緒にいたいなら、その待ち合わせをしていた人からトレーナーを奪い返すぐらいの気持ちでいかないと」

 

「でも……私のそういうところがダメなの! 厄介者の癖に執着心と我欲だけ強くて……! そんな私がトレーナーさんのそばにいる資格なんて……!」

 

「関係ないよ」

 

 レイの話をバッサリと(さえぎ)るスター。

 

「駄目とか資格とか言ってるけどさ、それはレイの頭の中の話でしょ。大切なのはレイの頭の中じゃなくて現実。

 トレーナーはレイの事を嫌がってる素振り、見せてたの?」

 

「……それは……」

 

 スターは床のカーペットをトントンと叩く。それをきっかけに過去の自分では無く、過去のトレーナーについての記憶を探るレイ。

 

 そうして思い出されるのは、無表情の中に柔らかさを(ともな)ったトレーナー独特の表情。自分を心配してわずかに眉が下がった表情。いつもの無表情とは一転して、黒幕としての役割を果たす時の表情。

 

 そのどれもが正の表情だった。悲しみや怒り、呆れに染まっていた時は一度たりとも無い。

 

「嫌がる素振りは見せてなかった……」

 

「ならレイは今のままで良いじゃん。トレーナーさんにとっては厄介者じゃないって事だからさ」

 

「……けど、それは担当とトレーナーの関係だからで……。学生の私とトレーナーさんがそれ以上の関係になるのは……」

 

「難しいって?」

 

 レイは首を縦に振る。

 

「はぁ~……そんな事よりGI二つ取る方が遥かに難しいって。オークスと菊花賞、レイは一年で十数個しかないGIを二つも取ってるんだから、禁断の恋ぐらいで諦めないでよね」

 

「……レースは私に才能があったから……。恋愛方面はとても……」

 

「じゃあもしレイに走りの才能が無かったら、他のウマ娘の夢を挫くという夢は諦めてたの? レイの欲望、一生押し込めて生きるつもりだったの?」

 

 スターはレイの胸を指で突く。かなり強めに突かれたのか、レイの体が仰け反る。

 

「…………いえ」

 

 レイはスターの手を掴み、ゆっくりと押し返した。

 

「きっと今以上に鍛錬に身を費やしていたと思います……。昔の私はその欲望に従って生きる他ありませんでしたから……」

 

 レイの口調が戻る。

 

「そして今はトレーナーさんと一緒にいたい。その欲望に従って生きる他ないのでしょうね……」

 

 その様子を見てスターはやれやれと肩をすくめた。

 

「欲にまみれた醜い私ですが……精一杯あがいてみるとしましょう」

 

 包帯が巻かれた手でスマホを手に取るレイ。そして連絡先の中の「トレーナーさん」をタップする。数度のコールの後、通話が繋がった。

 

「もしもし、トレーナーさんですか?」

 

『レイ、珍しいねこんな時間に……。なにか緊急の用かい……?』

 

「いえ、外出のお誘いですよ。明日、例のカフェに行こうと思っているのですが、トレーナーさんも一緒に……どう、ですか?」

 

 わずかにレイの手が震える。

 

『構わないよ……。11:00に三女神の像の前に集合で良いかな……?』

 

「……えぇ。ではまた、明日に」

 

『あ、少し待ってほしい……』

 

「なんでしょうか?」

 

『いや、私の気のせいなら良いんだけどね……。声を聞く限り、元気がなさそうだったから……。何かあったのかい……?』

 

「……お気遣い、ありがとうございます。私は大丈夫ですよ」

 

『そうか……。それじゃあ、また明日……。お休み、レイ……』

 

「えぇ。トレーナーさんもお休みなさい」

 

 プツッ

 

「…………ふー……」

 

 通話が切れた後、レイは力なく床に倒れる。

 

「行動早っ、もう約束取り付けたの?」

 

「えぇ、行動は早い方が良いでしょう? 仮にトレーナーさんに恋人がいたとしても奪って見せますよ。私は他人を喰って生きてきた悪役(ヒール)ですから」

 

流っ石(さっすが)猟犬、そうこなきゃあ」

 

 立ち直り、前に進もうとするレイの様子に安心するスター。一方で現実的な問題を考える。

 

(とはいえトレーナーが会っていたのが親族とかじゃなく、恋人だった場合……かなり厳しいか?

 今日、つまり休日のお昼に待ち合わせしていたって事はプライベートな関係で……いや待て、今日の……昼?)

 

 今日の昼。レイのトレーナー。女性と待ち合わせ。

 三つのフレーズはスターをある仮定へと導く。

 

「…………」

 

 スターは自分のスマホを取り出し、彼女のトレーナーに電話を掛ける。

 

 プルルルル……ピッ

 

『スターか? こんな時間、しかも休日にどうした?』

 

「トレーナー、今日の昼、予定あるって言ってたけど……女装してレイのトレーナーと遊んだりしてないよね?」

 

『いや、遊んでたぞ。いったいどこで知ったんだ?』

 

「…………」

 

『……ん? もしもし? スター? どうかしたか?』

 

「こんのバカチンがぁ!!!」

 

 

 

 

 あまりのスターの大声に、隣室の娘達が様子を見に来た。

 

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