「良し、こんなものかな……」
昨日、レイハウンドの担当になったトレーナーは、彼女のためのトレーニングメニューと出場するレースのプランを練っていた。
コンコン
そこにノックの音が。
「どうぞ……」
「失礼します」
レイハウンドが部屋に入ってくる。
「ああ、良い時に……。今後の予定を立てたけれど、これで良いか確認してくれるかな……」
彼女は彼から受け取った書類に目を通す。
「トレーニングに関しては知識が少ないので、私から言える事はありませんが……。出場レース、少なすぎませんか?」
書類に書かれていたのはGIレースに出るための必要最低限のレースのみだった。
一般的なウマ娘が通る道のりと比べて、レース数がかなり少ない。
「少ないけど全部勝てばクラシック三冠やトリプルティアラにも出れるようにしてある……」
「全部勝てば、ですか。さりげなく言いますね。それが出来れば誰も苦労しませんよ?」
「君なら問題ないよ……。それにダラダラとたくさんのレースに出ても君はモチベーションが続かないだろう……?
君の目的は勝つ事ではなく、他のウマ娘の夢の阻止なのだから……。しかるべきレース以外は最低限で良いと思ってね……」
「そうですね」
トレーナーに同意しながら、レイハウンドは書類をトレーナーに返す。
「それと君の脚、それほど丈夫じゃないだろう……? 負担のかかるレースはギリギリまで減らすべきだ……」
「……分かるんですか?」
目を丸くするレイハウンド。
「入学時の精密検査の値を見ればね……。筋肉量に対して骨の強度が弱い……。
速く走れるが、その分脆い……。いわゆる泥団子のような脚だね……」
「ど、泥団子……?」
いきなりの比喩に、レイハウンドは困惑したような顔に。
「ピンとこないかい……? 磨き上げた泥団子はピカピカと光って美しい一方で、その分脆くて壊れやすい……。
優れている一方で壊れやすさを内包している物の例えの一つだよ……」
「…………ガラスの脚で良いのではないでしょうか」
レイハウンドがそう言うと、トレーナーは顎に手を当てて少し考える。
「ガラス……ガラスか……。確かにそれも言えてるね……。でもやはり泥団子の方が……」
「…………トレーナーさんのセンスの無さはひとまず置いておいて。話を戻しましょう」
「おっと、そうだね……。とにかく足の負担が少ないように練習メニューを組んでいるから、そこは安心して欲しい……」
「承知しました。ではさっそく練習と行きましょうか」
二人はトレーナー居室を出て、トレーニングコースに向かった。
「結局、あの問題児のトレーナーになったんだな」
「ええ……。とはいえ問題児と言うのは少しトゲのある言葉では……?」
いつぞやの様に、シューティングスターのトレーナーと、レイハウンドのトレーナーが居酒屋で一緒に飲んでいた。
「トレーナー間じゃ有名だぞ?他の娘の夢を阻止するのが目標だと、わざわざ公言して
そう思うのはともかくとして、胸の内に秘めておいても良いだろうに……そりゃ問題児とも言われるだろ」
「しかし目的を黙ったままだと、彼女の実力でクラシック三冠やトリプルティアラを狙わないのは不自然に思われそうだけどね……」
シューティングスターのトレーナーはグラスを傾ける間、少し考える。
「……まぁ、そこら辺を俺らが考えてもしょうがないか。
とにかく! 今日はお前のスカウトが成功した祝いだ! 奢るからジャンジャン飲め!」
「私は下戸だからジャンジャン食べる事にするよ……。
ごはん大盛にキムチにスンドゥブチゲにトッポキ、マーボーナス……後はトムヤムクンにしようかな……」
「相変わらず良く食べるねぇ……。それに辛いもの好きも相変わらずだ」
店員に注文を通し、料理が来るまで二人は雑談を続ける。
「そっちの担当、シューティングスターは順調だね……。この前も一着、デビュー以来負けなしじゃないか……」
「まぁ、あいつの実力なら当然って感じではあるけどな。選抜レースじゃそっちの担当に負けたが、全体で見れば上の上。前評判通り、世代の頂点を争える資質を持ってるよ。
アイツなら無敗のクラシック三冠も夢じゃない」
「頑張っておくれよ、私の担当のためにも……。彼女の目的は相手がいないと達成できないものだからね……」
「ははっ! 俺の担当を踏み台扱いか。心配すんなって、ちゃんと舞台は整えてみせるさ。ま、お前らのシナリオ通りとはいかねぇがな」
「注文の品です」
そこに料理が運ばれてくる。
二人はそのまま話をしながら夜を更かしていった。
「今ゴールイン! きさらぎ賞を接戦の末に制したのはレイハウンド! デビューから無敗で三戦三勝!
遅いデビューでしたが圧倒的な強さでここまで勝ち上がってきました! 今、勝利者インタビューが行われています」
「デビューから半年で三戦三勝。
皐月賞への参加資格も満たし、無敗のクラシック三冠も狙えますが、今後の出走予定は?」
記者の質問にレイハウンドは毅然と答える。
「決まっておりません」
「き、決まっていない? それはどういう意味ですか? 皐月賞には出られるのですよね?」
「皐月賞ですか……。先ほどの発言、少し訂正いたします。皐月賞には出ません。その予定だけは決まっています」
「で、出ない!?」
「どういうことだ?」「無敗の三冠も狙えるってのに……」
「菊花賞の3000mを難しいと考えてティアラ路線に進むとか……?」
皐月賞に出ない。普通のウマ娘が出場資格を得れば、まず出るであろうGIのレースに出ないと言う答えに場がざわつく。
「そ、それはティアラ路線に進まれると言う事でしょうか? 桜花賞に出るご予定で?」
「桜花賞についての予定も決まっています。出ません」
「で、出ない!?」
「ティアラ路線でも無いって……」
「一体どういうことだ……?」
「脚に不安でもあるのか……?」
場が更にざわつく。
「で、では今後いったいどうするのですか?」
「それは先ほども言いました。決まっておりません」
「え、えっと……」
要領を得ない答えに、言葉を詰まらせる記者。
「マスコミの皆さんとは来るべき時にまたお会いすることになるでしょう。それまではせいぜい牙を研いでおきます。それでは」
レイハウンドは質問が飛んでこないのを良い事に、締めの言葉を残して壇上から去る。
「あ、ちょっと! レイハウンドさん!
同じく無敗のシューティングスターさんとの直接対決が望まれていますが、それについてはどうなんですか!?」
「弥生賞での前哨戦も期待されていますが!?」
「来るべき時というのは、具体的にいつの事でしょうか!?」
遅れていくつかの質問が飛んだが、もちろん答えは返ってこなかった。
会見が終わって、二人はトレーナー室に帰ってきた。
「あんな受け答えで良かったのかい……?」
「ええ。GIへの出走条件は満たしましたし、後は顔を伏せて待つだけです。
個人的には選抜レースで打ちのめしたスター……シューティングスター。彼女にぜひとも二冠を取ってもらいたいですね。それも無敗のままで。
そして菊花賞で…………くふふっ……。ああ、選抜レースにしておいてよかった……。公式レースではないから彼女の成績には傷がつかなかった。二度も楽しめるじゃないですか……」
いつもの微笑は鳴りを潜め、不気味な笑い顔を浮かべるレイハウンド。見る人によっては気味が悪いと思うだろうが、トレーナーは全く気にせず口を開く。
「トリプルティアラの方も有力候補がいるみたいだね……。プラムチェリー、コットンフィート、レッドフワイト……」
「…………どちらも様子を見てからですね。
二冠達成の可能性が濃い方をメインディッシュに、もう片方は二冠目でつまみ食いしてしまいましょう。
できればどちらも三冠目で邪魔したいのですが……秋華賞と菊花賞、一週間しかインターバルがないので流石に無理ですね」
心底残念そうだ、といった表情をするレイハウンド。
「特に君は脚が弱いからね……。という事は五月末までは暇か……」
「暇、というのは語弊がありますよ。しっかりと牙を研いでおかなければ。
GIで勝つ、並大抵の事ではありませんから」
「そうだね……。今日は休んで、明日からまた頑張ろうか……」
「えぇ」
日付は進んで4月7日。
「桜花賞を獲ったのはプラムチェリー! 強い走りでトリプルティアラの一冠目を制覇!! このままティアラの栄誉を得ることができるのでしょうか! 今、ウィナーズサークルで勝利者インタビューを受けています!」
「プラムチェリーさん! 今日のレースはどうでしたか!?」
記者の質問に、プラムチェリーは真面目な顔で。しかし嬉しさを堪えきれない顔で答える。
「結果はハナ差、ギリギリの勝負でした。しかしハナ差圧勝、とも言います。今日までの練習が実を結んで良かったです!」
「見事桜花賞を制覇出来ましたが、今後の意気込みはどうですか?」
「このままオークス、秋華賞でも一着を獲りたいと思っています。今の私にはトリプルティアラしか見えていません!」
「オークスは2400mと、今日より800m長いですが、そこの所は?」
「オークスまで後一か月と半分。スタミナの強化に重点を置き、800m分の体力を付けようと思っています!」
一週間後。
「シューティングスターが今! トップでゴールを駆け抜けました!! クラシック三冠の始めを制したのは期待の流れ星だ!! 願い事を呟く暇もなく、圧倒的な速さで皐月賞を制した!」
「シューティングスターさん! 今日のレースはどうでしたか!?」
記者の質問に、シューティングスターはうかない顔で答える。
「……不十分です。今日の走りのままだと、私は二冠止まりだと思います」
「き、菊花賞は勝てないという事ですか? それはまたどうして?
このまま無敗の三冠を飾る事も夢ではないかと思いますが……スタミナに不安でも?」
「いえ、そういうわけでは無いですけど……とにかくもっと力を付けたいです。
でなければ三冠は達成できないと思いますので……」
「そ、そうですか……」
GIの皐月賞を勝ったというのに、後ろ向きな発言をするシューティングスターに、記者は面食らう。しかし、そこは流石のプロ。すぐさま別の話題を持ち上げた。
「さ、三冠と言えば、あなたがこのまま無敗でクラシック三冠を達成すれば、歴代四人目の快挙です! それについてはどう思っていますか?」
しかし、シューティングスターの顔は変わらず暗いまま。
「無敗……まぁ、成績的にはそうなんでしょうけど……。
とにかく、無敗に関してはあまり意味のない事だと思います。三冠は……勝てば勝手に付いてくるものです」
「は、はぁ……」
連続して質問をする記者はシューティングスターの浮かない様子を見て、それきり口をつぐむ。
代わりに別の記者が話す。
「無敗と言えば、同じく無敗のレイハウンドさんとの対決が期待されていましたが、彼女が出走しない事についてはどう思われていましたか?」
シューティングスターは眉をピクリと痙攣させた。
「…………特に何も。
ただ言えるのは、私が二冠を取った時、彼女が立ちはだかってくるだろう、という事だけです」
その発言に、すかさず記者達が食いついた。
「それは菊花賞での勝負になると言う事ですか!?」
「しかしどうして彼女はクラシック三冠を狙わなかったのでしょうか!?」
「学園寮では同室と聞きましたが、何か理由を聞いてはいませんか!?」
「……ノーコメントで。それについては私の口から言う事では無いと思います」
次々と飛んでくる質問に答えを返さないまま、その日の会見は終わった。
場所はいつもの居酒屋。
「今日の会見、上の空だったね……。シューティングスター……」
シューティングスターのトレーナーはレイハウンドのトレーナーに非難の目を向ける。
「お前の担当ウマ娘のせいだぞ。選抜レースでレイハウンドに負けてからず~っと引きずってる。このままじゃ駄目だ。あいつに勝てない、ってな。
負の感情が今は良い方向に作用して、練習を頑張ってるから良いが……悪い方向に転がらない様にしねぇと。今でもオーバーワーク気味なんだ」
「メンタルケアか……。一番難しいとも言われてるよね……」
「思春期の複雑な心をコントロールするなんてのは土台無理な話。とはいえ、少しでも支えになれるよう粉骨砕身、暗中模索で頑張るしかないか……」
シューティングスターのトレーナーはそこで言葉を切り、再びレイハウンドのトレーナーに目をやる。今度は羨ましそうな目線。
「……そっちは楽そうだな、担当がしっかりしてて。思想は厄介だが」
その言葉に対して、レイハウンドのトレーナーは顔を曇らせる。
「それが逆に心配でもあるかな……。弱みが無いのではなく、見せないのだったとしたら……。肝臓のような娘かもしれない……」
「か、肝臓?」
「ピンとこないかい……?
肝臓は沈黙の臓器とも呼ばれている……。状態が悪化しても本人は痛みを感じないし、異常にも気づけない……。何か異常を感じた時にはすでに手遅れ、という事になりがちなんだ……。
だから痛み、弱みを外に出さないという例の一つだよ……」
どうして伝わらないんだ? という顔をするレイハウンドのトレーナー。対してシューティングスターのトレーナーは呆れた顔をしていた。
「ピンとこねぇよ。例えるならもう少し分かりやすい例えにしてくれ……」
「これ以上なく分かりやすいと思うけど……。
まぁ、とにかくシューティングスターが勝ってくれてよかったよ……。これで一冠目。二冠目も頑張って欲しいな、それも無敗で……」
「へいへい……。舞台を整えろ、ってんだろ? 言われなくてもやってやるよ」
その後もいつものように時間が過ぎていった。