「…………」
放課後のトレセン学園。そのトレーニングコースを外から眺めるウマ影が。
「レイハウンド……? 今日は練習休みの日では……?」
「トレーナーさんですか」
その背中に声が掛けられる。レイハウンドは振り向かずに答えた。
「観察していただけですよ、獲物を」
「獲物……? ああ、なるほど……」
彼女の視線の先には桜花賞を取ったプラムチェリーと、皐月賞を取ったシューティングスターの姿が。
「二人とも調子がよさそうだ……。
しかし、やはりシューティングスターはずば抜けているね……。ダービーにも期待が持てそうだ……」
トレーナーの言葉に、レイハウンドは婉曲に答える。
「そうですね……。前菜はスモモとサクランボにしましょうか」
「前菜というよりはデザートだけれどね……。とにかく、そういうことならトリプルティアラ路線、オークスに出走願いを出しておくよ……」
「お願いします」
トレーナーはその場を離れていく。
一方でレイハウンドは、その場に残り二人の練習を凝視し続けていた。
「…………くふっ……」
そのまま練習風景を眺め続ける。不気味な笑い声を時たま漏らしながら。
レイハウンドがオークスに出走すると世間に知られた翌日。二人は記者会見の場に呼ばれていた。
「前回の出走から間が空き、突然のオークス出走との事ですが……なぜ桜花賞には出走しなかったのですか?」
記者の質問に、レイハウンドはやはり毅然と答える。
「トリプルティアラには興味が無かったからです」
「え、えぇと……では三冠は? どうして皐月賞の方にも出走しなかったのですか?」
「クラシック三冠にも興味が無かったからです」
「で、ではどうして急にオークスに出走を? 何か特別な理由があるのですか?」
「特別な理由、ですか……」
レイハウンドは床に目線をずらし、どう話そうか、と思案する。十秒ほどして口を開いた。
「……記者の皆さんの中に、人が夢破れ、失意に暮れる所を見て悦に浸った事のある人はいませんか?
あるいは人の大事な場面を自己の優れた力で荒らし、忘我の思いに駆られた事のある人は?
……そこのあなたとか」
レイハウンドに一人の記者に手を向ける。
「え、いや、私は……」
「そっちのあなたは?」
記者が答えないでいると、続けてもう一人に手を向ける。
「えっと…その……」
その記者も答えない。レイハウンドは少し残念そうな顔をした。しかし、瞬き一つを挟んでいつもの微笑に戻る。
「……失礼しました、答えにくい質問をしてしまって。
人の夢を挫き、悦に浸る体験。皆さんにおいてどうかは分かりませんが……私にはあります。
幼少期の頃、親の前で良い所を見せようと頑張っていたウマ娘が出るレースを大差で荒らした時。
トレセン学園の関係者が見に来ている中、中央にスカウトされようと意気込む娘を12バ身差で下した時。
選抜レースで自他共に世代最強だと認める天狗ウマ娘の鼻をへし折った時……。
いずれも私は口角が上がるのを我慢できませんでした。
私がなぜそう感じるのか、心理学者ではないので上手く説明は出来ませんが……きっとそういう本能があるのです」
ざわつく記者団を尻目に、レイハウンドは言葉尻を強めながら更に続ける。
「きっとトリプルティアラやクラシック三冠を狙う娘達を下した時も……くふふっ……!
私の、自分の、自己の! 圧倒的な力で他者の希望を! 夢を! 目標を! 壊滅的、破滅的に踏みにじる……!
それが私の希望、夢、目標! だからこそ私は皐月賞にも桜花賞にも出ませんでした! 他のウマ娘に希望を持ってもらうために!
……オークスではプラムチェリーさんのトリプルティアラを阻止するべく、精一杯の努力を積み重ねる所存です。私からは以上になります」
レイハウンドは小さくお辞儀をする。
彼女の演説にも似た答弁に、場は一瞬静まり返った。しかし、すぐに喧騒に包まれる。
「先ほどの発言は真意ですか!?」
「アスリートとして先ほどの発言は問題があるのでは!?」
「他の頑張っているウマ娘に対して失礼では!?」
「先ほどの発言から、菊花賞にも出ると言う事ですか!?」
「トレーナーさんからも一言!!」
トレーナーはレイハウンドと記者団の間に割って入る、
「彼女への取材はこれで終了とさせていただきます……。何か聞きたいことがあれば後で私に連絡してください……。できうる限り、答えますから……」
「「「「最後にもう一つだけ!!」」」」
詰め寄る取材陣からレイハウンドをかばいながら、トレーナーは彼女の背を押し、舞台から姿を消していった。
記者の追跡を振り切り、トレセン学園に戻ってきた二人はトレーナー居室にいた。
レイハウンドはソファに座り、白のカップから真っ黒のコーヒーを啜っている。トレーナーはその体面に座った。
「一つ聞いても良いかな……?」
「なんでしょうか?」
「どうしてわざわざあんな受け答えをしたんだい……?」
レイハウンドはコーヒーの水面を見つめる。
「……わざわざ、とは?」
質問に質問を返す形での返答。しかし、トレーナーは気を悪くするでもなく、淡々と話す。
「あれほど挑発的に話せば、炎上してしまう事が分からない君じゃないだろう……? それが目的だったのならそれで良いのだけれど、今の君はどこか不満足そうだ……。他に何か狙いがあったのでは……?」
「…………」
レイハウンドがコーヒーカップをソーサーに置き、スマホに目を落とす。
そこには会見のネット記事が。低評価は数千、コメントにも彼女の発言を批判する声が多数寄せられている。
「……トレーナーさんは、どうしてだと思います?」
彼女は記事から目を上げて、トレーナーを見る。
「なぜ、わざわざ、あんな受け答えを私がしたと思いますか?」
二人はしばらく見つめ合ったまま。
トレーナーが先に目線をそらした。
「分からない……」
「…………でしょうね」
顔から表情が消したレイハウンドはカップの中身を一気に飲み干し、立ち上がった。
「勝手な行動で迷惑をかけた事、ここに謝罪いたします。申し訳ありませんでした」
「いや、別に迷惑だなんて……」
「失礼しました」
トレーナーが声を掛ける間もなく、彼女は部屋から出て行ってしまう。
「…………いったいどうして……」
一人残されたトレーナーの呟きに答える者はいなかった。
場所はいつもの居酒屋。
「……今日の会見、見たぞ。大炎上だったな」
「そうだね……」
しかし、いつものように楽しげな雰囲気ではない。
「なんであんな受け答えをさせたんだ?」
責めるように聞くシューティングスターのトレーナー。
「させてはないよ……。彼女がした事だ……。止められなかったのか? という意味なら完全に私の不注意としか言えないけれど……」
「ふーん、あいつが自発的にねぇ……。そりゃいったいどうして?」
「それが分かっていればこうして落ちこんではいないよ……」
「ご注文の品です」
レイハウンドのトレーナーの元に運ばれてきたのは、ご飯中盛とマーボーナスだけ。
「記者会見の場であれだけ正直に話すのはやりすぎだよな。
皐月賞、桜花賞に出なかったのは脚に不安があったから、とかいくらでもごまかしようはあった」
「ええ……。なのにわざわざ本音を語った……。叩かれることを承知の上で……」
「彼女から話は聞いてないのか?」
「何も話してはくれなかった……。それに今日の会見が終わってから顔を合わせてくれない……」
大きく息を吐きながら、額に手を当てるレイハウンドのトレーナー。
「…………思春期だな」
「…………そうだね……」
シューティングスターのトレーナーはグラスを煽り、中のを一気に飲み干した。
「今日は私も飲もうかな……。すみません。生ビールを一つ……」
「下戸なんだから飲みすぎんなよ」
「大丈夫だよ……。どうせすぐに気持ち悪くなって吐くから……」
やけっぱちに言い捨てるレイハウンドのトレーナー。
「おいおい、そんなに自棄(やけ)になるなって……。良し、一つ面白い話でもしてやろう」
シューティングスターのトレーナーは場を和まそうと、そう口にする。
「この前シューティングスターが皐月賞を獲った祝いに祝賀会を開いたんだ。そこで俺は趣味の女装姿であいつを出迎えた。メイド服を着て「おかえりなさいませお嬢様」ってな。
二人三脚で頑張ってきてGIも取ったし、俺たちの仲も深まってきたと思ったからこそだ。ここらで俺の趣味をさらけ出してやろうと思ってな」
「それで結果は……?」
声が一気にトーンダウンする。
「…………思い出したくもない。ドン引きもドン引きだった……。
その後の祝賀会はもうお通夜ムード。トレセン学園の歴史を振り返っても、歴代最悪の皐月賞祝賀会だったろうな……」
「それのどこが面白い話……」
「なんで女装を認めてくれないんだよ~!! こんなガタイの良い体に生まれて男らしい、と言われ続けて二十年以上!! そりゃ女の子になりたい日もあるってー!! べつにいいだろ!! 人に迷惑かけてるわけじゃあ、なし!!」
レイハウンドのトレーナーが突っ込む前に、シューティングスターのトレーナーは机に伏せこんで泣き始めてしまう。
最後の果実酒一気飲みがダメ押しになったのか、かなり酔いが回っているようだ。
「皐月賞取って、あいつと俺の仲も深まってきたから、俺の全部を知ってもらおうと思ってさー!!
そんで女装して「どうかしら? 似合ってる?」ってあいつに聞いたら「えっ……あっ……うん……」とか言いながら一歩後ずさったんだぞ!? もう立ち直れないよ、私……」
「一人称が変わってるよ……。女装をカミングアウトするにしても、もう少しタイミングがあるだろうに……」
「LGBTだけじゃなく、女装趣味にももっと配慮しろー!!」
「…………」
騒ぐスターのトレーナーとは対照的に、レイハウンドのトレーナーは黙ったまま、何かを考えこんでいた。