「はっ……はっ……はっ……」
ひそひそ……
「あの娘って……」
「ああ、あの会見の……」
「なんであんなこと言っちゃうんだろうねー」
「人の邪魔したいだけで三冠もトリプルティアラも諦めるなんておかしいよね……」
「一人で練習してるけどトレーナーはどうしたんだろ……?」
「愛想突かされたんじゃない?」
「あーあるある……そりゃあんなじゃじゃウマ、私がトレーナーでも敬遠するわー……」
「いや、前の会見について弁明するための会見が今日あるから、そっちに行ってるんじゃない?」
「そうなの? 何話すんだろ?」
「…………」
私は自らの陰口を聞きながらも、練習を止めてその場から逃げようとはしなかった。
「はっ……はっ……はっ……」
自分のもろい足に負担が掛からないギリギリまで自分を追い込む。オークスで勝つために。
トレーナーさんからメールで指示されていたメニューをすべて終え、自室に戻った。
日が暮れかけていて部屋の中は薄暗いのにも関わらず、電気は付けないまま。
カバンを机の横のフックに掛け、自分は椅子に腰かける。そしてスマホでエゴサーチ*1を始めた。当然、その結果は批判的な物ばかり。
「…………」
私の発言、思想、それ自体が非難されることは自然な事だと思う。私自身、最低な思想を持っていると自覚している。
「…………」
私は記事の感想欄を下へ下へとスクロールさせる。私に肯定的な感想は未だに見つからない。
私はいつから人の夢を挫くことに快感を覚えるようになったのか、それは覚えていない。
気づけばそうだった……いや、もしかしたら生まれつきそういう思考回路だったのかもしれない。
(こいつヤバすぎ。こんな異常者にレース走ってほしくないわ)
そんな感想が目に入ってきた。
異常者、か。なら私は生まれつきの異常者。
しかし、私だけが異常者なのか? 私と同じ思想を持っているが、ただそれを隠している人もいるんじゃないのか?
「…………」
私に賛同している人を探すために、私は画面をスクロールし続ける。だが、そんな感想は見つからなかった。
一番上まで画面を戻す。すると、記事の評価数が目に入ってきた。
低評価数2000に対して高評価100。
すると100人は私に好意的な感想を抱いたという事だろうか。
「…………ふっ……」
バカげている。スマホの画面を一度押すだけで済む評価のどこが好意的だ。
薄い。ひどく薄い同調。
そんなものでは幼少期から抱えてきた寂しさを埋めるには至らない。
「…………」
似たような他の記事の感想欄をスクロールする。
(俺はこの娘の意見に賛成かな。プラムちゃんの負けて悔しがる姿見てみてぇ……)
するとそんな賛同意見が目に入ってきた。
「…………」
待望の同調コメント。しかし私の心は驚くほど動かなかった。
軽い。ひどく軽いコメント。公衆トイレの落書きと何ら変わらない。
素性も顔も知らないネットの向こうの誰かのコメントでは、長期間にわたって拗らせた私の心を動かせない。
それは批判であっても同調であっても同じ事。
生の同調が欲しい。私の考え、思想を認めて欲しい。
そう思い、私は自分の思想を隠す事はしなかった。思想を発信し続ければ、いつか私に同調してくれる人が、認めてくれる人が現れるだろうと。
しかしほとんどの人は私を批判した。トレーナー達、記者団、ウマ娘達、……確か両親からもだったか。
幼い頃、私の思想を両親に話すと、ひきつった笑みを浮かべていた。そして後日、道徳の本を読み聞かせしてくれた。
批判とまではいかなくとも、私の思想は遠回しに否定されたのだ。それからは両親への態度をよそよそしくした。
………とんだ親不孝者だ。私のような子供を持って両親は不幸だと思う。
結局、今までの人生の中で私の思想を肯定してくれたのは彼だけか……。
彼……トレーナーさんが私の思想を認め、担当してくれることになった時は嬉しかった。今まで穴の開いていた部分が満たされる気がした。漠然と感じていた孤独感が無くなった気がした。
それで満足するべきだったのだろう。しかし愚かな私はそれ以上を求めてしまった。トレーナーさんの様な人が他にもいるはずだ、もっとたくさんの人に私を認めて欲しい、と。
不道徳な私には過ぎた願いだったのだろう。結果は私を認めてくれたトレーナーさんに迷惑をかけるだけだった。
そういえば今日は彼が会見をするんだったか……。
私の滅茶苦茶な発言で彼に迷惑をかけてしまった事を悪く思いながらも、動画サイトで会見のライブ中継を視聴する。
画面の中では多くの記者に囲まれた彼の姿が。
「前の会見でのレイハウンドさんの発言。ネットでは批判的な意見が寄せられていますが……担当トレーナーとしてどう思っていますか?」
「当然だと思っています……。彼女の挑発的な発言に批判が集まるのは普通の事かと……」
「ではどうして彼女はあのような発言を?」
「私は彼女ではありません……。そして担当だからといって彼女の全てを知っているわけでもありません……。
ですので、その質問にはお答え出来かねます……」
「彼女の発言についてあなたはどう思われていますか!?」
「面白い思想を持っているな、と……」
「……そ、それだけですか?」
「えぇ……。それ以外、特には……」
「侮辱的な彼女の発言に、何か思う所は無いのですか!?」
「質問に質問を返すようで恐縮ですが、あなたは彼女の発言が侮辱的とおっしゃいました……。具体的にどの部分がですか……?」
「そ、それは……他者の夢や目標を踏みにじるのが目的、と言った部分などが……」
「その部分ですか……。確かに悪感情を抱かれやすい言い回しですが、あくまでも彼女自身の思想を語っただけです……。
そこに他者をバカにする、または辱めるような侮辱的意図は含まれていないかと……」
「しかし彼女が語った過去のエピソードについては!? わざわざ他の人の邪魔をして悦に浸っていたと……!」
「わざわざ、と言うのは少し誇張表現が過ぎると思われます……。訂正してください……」
「……っ、ほ、他の人の邪魔をして悦に浸っていたという発言についてはどう思われていますか!? 問題発言では!?」
「何も問題は無いと思いますが……」
「し、しかし……!」
「人によって感じ方は様々です……。誰かに叱られ、“私は駄目だ”と落ち込む人もいれば、“なにくそ”と奮起する人もいます……。
彼女は人の邪魔をする事に後ろめたさを感じるのではなく、快感を覚える……。ただそれだけなのです……」
「他の人の目的を邪魔するという理由でレースに出場するのは不純な動機では?」
「不純な動機では無いと思います……。
彼女は選抜レースから一貫して他者の偉業を阻止したいと語り、今まで一度も曲げた事はありません……。それこそ記者会見の場でも……。
これ以上なく純粋で混じり気の無い、クラゲのような動機だと思います……」
「く、クラゲ……?」
「ピンときませんでしたか?
クラゲの身体は種類にもよりますが、非常に透明で美しい……。純粋で混じり気の無い表現の比喩です……」
「い、いえ、そういう事では無く……。真剣に勝利する事を目的としているウマ娘に対して、彼女の目的は不純……いえ、不健全では!?」
「不健全と言うと少し定義が曖昧なので、返答に困りますが……。道徳的では無い、と言う意味であればその通りでしょうね……」
「そんな不健全な動機でレースを走るのは他のウマ娘に失礼ですよね!?」
「失礼、というのは語弊があるかと……。
オークスは八大競争にも数えられるほど由緒正しいGIです……。出場するウマ娘達は、同世代で最高峰……。当然楽に勝てるはずもありません……。
それは彼女も分かっています……。ですから日々、全力で練習に取り組んでおります……。それは彼女のトレーナーである私が保証しましょう……。
目的を達成するために力を尽くして骨を折る彼女が、レースを走るだけで他のウマ娘に対して失礼だなどと、少なくとも私は思いません……」
「なぜあなたは彼女の担当に? あなたも彼女と同じような思想を持っていらっしゃるとか?」
「いえ……私自身は人の邪魔をして喜ぶような思想は持っていないと思います……。
持っていたらウマ娘の手伝いをするトレーナーにはなっていないかと……。私は単純に彼女に興味を持って、スカウトしただけ……。
そして今は彼女のトレーナーとして彼女が目的を果たすために全力を尽くすだけです……。
その目的がどれだけねじ曲がっていて、不健全で、世間一般のものさしから外れていようと……。
それが担当トレーナーとしての責務ですから……」
私は重たく、生々しい彼の言葉を一言一句聞き逃さない様に耳をそばだてていた。
生放送のコメント欄には、
(ウマ娘がウマ娘ならトレーナーもトレーナーだな。そもそも人相が悪いわこいつ)
(冷静に語る所が本音隠してるサイコパスっぽい。裏で小動物虐待してそう)
(担当やからって
(レイハウンドが
などと書きこまれている。
批判を恐れずあの場に立ち、毅然と話している彼の言葉は泥のように重い。匿名という盾の後ろから無責任に発言する誰かの言葉とは雲泥の差だ。
「…………」
画面の向こうで記者団に怯まず言い返す彼の姿。
それをにじんだ視界の中でずっと眺め続けていた。
記者会見の翌日。トレーナーは居室でパソコンをつついていた。モニターに表示されているのは昨日の会見についてのコメント。
「なになに……。
レイハウンドは……悪役、ヒール、敵役……。
私は……悪の親玉、黒幕、首魁、フィクサーか……。
ずいぶんな言われようだね……挑発的な発言はしないよう気を付けていたつもりだったけど……」
コンコン
ノックの音が部屋に響く。
「どうぞ……」
「失礼します」
部屋に入ってきたのは夏手前にもかかわらず、体を覆い隠すような外套を羽織ったレイハウンドだった。
「レイハウンド、二日ぶりだね……。今日も会えないかと……」
「レイ」
顔を見せてくれた事に安堵の表情を見せるトレーナー。レイハウンドはその言葉を途中で遮った。
「……えっと……?」
「レイ……。私の事はそう呼んでいただいて構いません。フルネームは長いでしょう」
「…………」
いきなりの提案にトレーナーは少々困惑したが、すぐに受け入れる。
「分かったよ、レイ……。久しぶり……」
「ええ。お久しぶりです」
彼女はニコリと笑みを浮かべて、トレーナーが座っているデスクの方に近寄った。
「いったい何を見て……会見の記事ですか」
「あ、いや、これは……」
トレーナーは記事のページを急いで閉じる。
「別に隠さなくても良いですよ。大体の記事には目を通していますし。ネットの書き込み程度、気になりません。そもそも私から悪役のような発言をしてしまいましたからね。
これからはもっとそれらしく振舞いましょうか。もちろんトレーナーさんもご一緒に」
「まぁ、ここまで嫌われてしまったのならいっその事、ロールプレイをするのも面白そうだね……。とはいえ私の役割は黒幕か……。
黒幕っぽさと言えばなんだろう……。真っ黒なローブでも羽織った方が良いのかな……」
「トレーナーさんは目つきが悪いので見た目に関しては満点ですよ。それよりも設定を固めてみては?
……そうですね。競バ界隈に何か恨みを持つ黒幕が、学園で篤実な猟犬を手懐け、トゥインクルシリーズを荒らす……とかはいかがですか?」
「恨みか……。私としては純粋悪の方が好みかな……。
観客の期待を背負うウマ娘に配下の猟犬をけしかけ、負けたウマ娘と期待を裏切られた観客の絶望を糧とする邪神、というのはどうだろうか……?」
「邪神、ですか。ずいぶんと風呂敷が広がりましたね。
神を自称するなら名前はハデスでお願いしますよ。さすれば私はケルベロスを名乗れますから」
「冥界の王か……。トレーナーからずいぶんと出世したものだ……」
雑談に華を咲かせた二人。トレーナーはレイハウンドの外套に目を向ける。
「話は変わるけれど……。初夏にもなるのに、どうしてそんな外套を……?」
トレーナーがそう聞くと、レイは外套を勢い良く脱いだ。その下から現れたのは彩度の低い、暗めの服。
全体的にSFチックな黒のインナーに、着丈の短い橙のレザージャケットを上に羽織っている。
胸の部分にはイヌ科の牙を模した意匠。肋骨に沿うように骨のようなデザインが。
下はスカートの下にタイツ。ふくらはぎ辺りまで覆うブーツ。いずれも黒から青で統一されている。
手袋もしているため肌が覗いているのは首と顔の部分だけだった。
「どうでしょうか私の勝負服。出来るだけ悪役らしい衣装になるよう発注してみましたが」
「うん、良いと思うよ……。全体的に重めの色使いで気味の悪い感じが出てるし……」
「…………もう少しプラスの評価を頂きたかったのですが」
レイはじっとりとした目でトレーナーを見る。
「一応プラスの評価なんだけれどもね……。
気味が悪い方が善玉役を負かした時、観客がより残念がるだろうし……」
「役を果たすのには十分という事ですか。……まぁ良いでしょう」
ひとまず納得したレイ。
「今日はそれで練習するのかい……?」
「ええ、勝負服に慣れる必要がありますから」
「それじゃあトレーニングコースに行こうか……」
「はい」
二人そろって、トレーナー居室を出る。トレーニングコースまで行く道中、
「トレーナーさん」
「なんだい……?」
「…………昨日の会見での言葉、とても嬉しかったです……」
「なら良かったよ……」
「っ……。な、何で聞こえてるんですか……!
そこは嘘でも聞き逃す場面でしょうに……!」
「ご、ごめん……。耳が良いばっかりに……」
そんなやり取りが繰り広げられた。