有翼のリヴァイアサン   作:ヤン・デ・レェ

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第十話 一帝国民の日常 前編

第十話 一帝国民の日常 前編

 

 

森林帝国の東方を治める森威(シンイ)公国。四公国の中で最も広大な領域を統治するシンイ公国は大陸最大の覇権国"錦"と国境線を接する極めて重要な防衛拠点が多数存在する。全方位を敵国である人間の国家に囲まれた森林帝国にあって、国家防衛予算の実に四割がこの東方領域に費やされている。人口、経済規模、軍事拠点、常備軍、その即応部隊、公都の衛戍軍、常駐扱いで派遣されている近衛軍…全てが最も強大である。ここからも森威(シンイ)公国の重要性と、帝国の錦国に対する警戒度の高さがよくわかる。

 

さて今回は、その公都淝泳に在住の一人の公国市民の日常をご紹介しよう。

 

 

 

 

 

呂文白は公都淝泳の一等地在住の市民位・従准民位の民間商会職員である。

 

父の呂文桓と兄の呂分篤は国防軍にて現役の高官である。家族のおかげで生まれた時から特に恵まれた環境で生きてきたと、彼はずっと感じてきている。

 

無論。帝国にあって食うに困るなんてことは死語と化しているのだから、そういった貧富の格差ではない。しかし、彼が生まれた白森族(ライトエルフ)という血族の特質上、彼らは横の繋がりと名誉、そして皇帝への忠誠義認を公私と言わずにとても重要視する。

 

その点において、家族が周囲よりも陛下に近く、中央にもコネがある軍部高官として知られていることは、常に大きなアドバンテージとして彼の進路や生き方に良くも悪くも大きな影響をもたらしてきた。彼個人としては父も兄も尊敬しており、若いうちから多くのコネクションを手に入れる機会に恵まれたのも彼らのおかげだったから感謝こそすれ、不満などなかった。

 

彼のこれまでの人生はとても平凡なものだったという評価に尽きる。彼もそれは自負していて、どれだけいい時代に生まれたのかを時折噛み締めていた。その時折とは、所謂彼ら建国後に生まれた世代の先人に当たる、建国を現執政総監ツェーザルと共に成し遂げた大人たちから建国以前の森人(フォームレスト)たちの不和、不忠、不信、不幸を朗読劇のように生々しく語られる時だ。その時だけだともいえたが、彼が思うに穏やかに限るのだ。

 

呂文白が生まれたのは御宇暦七十年であるので、彼はまだまだ現在三十一歳の若造だ。人間が魔物と呼ぶ彼らの社会にあっては十代前半にも等しい。彼が所属する民間商会で既に南方方面での現場責任者の一人に任じられていることは、単に時間だけで見たら、人間の世界で言うところの早熟の秀才だった。無論、この国でも早熟といえるが。

 

そんな彼の一日のことである。

 

 

 

 

 

 

「おはようございます部長!この度は密着取材のお願いを聞き入れていただきありがとうございます!今日はよろしくお願いします!」

 

ー部長ーと書かれた金属プレートが鎮座する黒い古木の仕事机。古の大森林の東部、森威(シンイ)公国原産の巨木。その中でも一級品とされる高級木材が惜しみなく使われた品の良いそれは、質実剛健を良しとする森林帝国の国民性がよく現れていると共に、この机を使うことを許された者のステータスの高さを示していた。

 

「おはよう。元気がいいね〜。今日はよろしくね〜。」

 

そんな、机に座した白森族(ライトエルフ)の青年こそ今回の密着取材の相手。呂文白部長である。

 

「それじゃ、担当の方も来てくれたことだし今日の業務を開始といきましょうか?」

 

「はい!早速、密着させていただきます!」

 

「は〜い。どこから撮ってくれても大丈夫ですよ?僕、集中してると周りが気になりませんから。」

 

森威(シンイ)公国における軽魔導電機器の民間最大手と呼ばれる「猛猛電機商会」。そこの部長職に若くして就任している呂文氏。彼の父兄が揃って軍の高官であることも有名な話だが、それ以上に彼の猛猛電機入社までの遍歴は有名だ。今日の密着は丸一日とのことなので、前提知識として彼の遍歴をご紹介したい。

 

彼が生まれたのは今から三十一年前の御宇暦六十五年。森林帝国の国都テトラリアにてめでたくも生誕を果たした。彼の父である呂文桓氏はこの時中央の国防省にて中央と森威(シンイ)方面との折衝担当官として、総兵官(軍団長相当)の地位にあり、午後の会議が開始されてすぐに当時の直属の上司(今も上司)である猛珙将軍から呼び出され、何事かと思ったら次男の誕生を知らされたという。彼の長男は既に高等学校の軍学専攻科に入っていたため、十年越しの子供誕生であった。

 

吉報を受けてから早退した呂文桓氏はその足で故郷森威(シンイ)公国の公都淝泳に新居を購入すると生まれたばかりの息子を妻から受け取り、白と名付けた。

 

彼の次男白はすくすくと育った。父は一層働き、兄も大軍学院に入学して秀才として名を知られるようになっていた。彼は幼年学校へ入学し、その個性を伸ばしながら父と兄の背中を追っていた様で、十歳当時の将来の目標は父と同じ国防軍の総兵官職であった。

 

彼は二十歳までその夢を抱きつづけ、高等学校軍学専攻へと進みそこで優秀な成績を残すも教練中の事故で首の骨を骨折。全治三ヶ月の大怪我を負い、そのまま高等学校を中退してしまう。

 

中退後、彼は家に引きこもるようになり、彼の不安定に心を痛めた彼の父は一時休職し、国防軍に入営したばかりの兄呂文篤氏も胃腸の不調から休養を取ることになった。

 

それから一年、家族会議を二度三度と重ね、親子の間の溝が埋まったことで武官の名門呂家は復活し、父と兄は復職、白氏も心機一転して父の友人の森威(シンイ)出身で企業家の峙金氏に弟子入りした。

 

弟子入り後、当時の第三次魔導技術革新の波に乗り、御宇暦九十年に公都淝泳財務庁から二等魔導工学博士を、翌年は同財務庁から一等魔導工学博士、その三年後には魔導工学の最難関と称される魔導工学技師の免許を受けた。特に、魔導工学技師は宮廷府財務省からの免許発行が必須である。コネがあったとしても容易ではなかった。

 

さて、こうして魔導工学に活路を見出した白氏は弟子入り先の峙金氏からの勧めで、猛猛電機商会への入社試験に参加することとなった。

 

一発合格で新人社員となった白氏はそれからずば抜けたヒラメキで開発部のエースとなり、淝泳の財務庁からも一目置かれるにいたり、気難しいことで知られる財務庁次監の張居青からも魔導工学の才能を買われたことで一躍有名になった。

 

それから彼はあっという間に出世街道を突っ走り、地位が上がるに伴いそれまで眠っていた商業の才能も開花し、遂に国家資格として最も厳しいとされる対外通商免許の取得に至った。この資格は国外との交易権を許可する者であるため、宮廷府財務省は勿論のこと外交を司る外務省からの監査を受ける必要がある。免許後も一年おきの定期監査を受けなければならず、免許取得者は起業家などを除けば極めて少ない。

 

希少免許の保持は彼の猛猛電機社内での地位を高め、若くして今日の部長職就任を果たす結果として現れたのだ。

 

彼の遍歴はここまで。それでは改めて呂文白氏一日を見ていこう。

 

 

「部長!今日は取材の日ですか?すっげぇ!!淝泳の財務庁からてすか?中央の国営新聞ですか?」

 

仕事開始といくかと思った矢先。彼は部下二人から熱烈なリスペクトをうけていた。

 

「さすが猛猛電機の星!!俺は部長に一生ついていきます!!」

 

目をキラキラさせるウサギの獣人(ランドノーム)の青年と白森族(ライトエルフ)の青年。今年は行ってきたばかりの新人二人である。

 

「いやいや…大袈裟だな…。」

 

たらりと汗を頬に浮かべた白氏はそう言いつつ手元からは目を離さない。部下たちの熱視線から目を逸らしているのかと思えば、彼は自ら開発を主導した魔導電磁計算機を左手で操作しつつ、右手では経理から上がってきた新製品開発のための予算案を練っていた。

 

速記も得意なのか紙の上では白氏お気に入りのインク充填式のペンを持った手が止まる気配もなく踊っている。

 

「部長。こちら、今月の図面案です。」

 

差し出された図面は新作機器の開発案。素人の取材班が見るにパンをご家庭でも簡単に焼き上げられる装置のようだ。また売れ行きが伸びそうな商品である。さすが大手。

 

「はーい。そこおいといて〜。あとこれ、経理課に回しといてくれる。さっき組み終わったから。」

 

持ってきてくれた社員服を着たトカゲ…魚人(アクアノーム)の、声からして女性の社員から手渡された報告書を脇に移し、代わりに先程決済し終わった経理課からの予算書を女性社員に預けた。

 

「かしこまりました。あと先程、峙金次長から緊急の用があるとの呼出がございました。」

 

今は同じ会社の次長で元は師弟の関係の二人の関係は今も続いているらしい。

 

「はーい。ありがとー。これ終わしたらいくって言っといてー。」

 

手を振りつつも顔は上げない。少しワーカホリックかもしれない。時間は始業から三時間が経ち、午前十一時だ。

 

「かしこまりました。」

 

預けられた予算書を抱いて退出した彼女と入れ替わるように入ってきたのは先ほどのウサギ獣人(ランドノーム)の新入社員。

 

「部長!これ、第四都市南蜀(A-04)の支部からの報告です!何でも南で在庫が足りないそうです!!」

 

南蜀といえば南方のマケドナ公国との交易拠点である。

 

「うーん。それまたー?先週もきたよね?」

 

何でも繰り返しよこされている報告らしく、珍しく白氏は顔を上げた。その顔が表す感情は怪訝である。

 

「はい!何でもすごい売れ行きみたいです!」

 

鼻息荒い部下に対して白氏は不思議そうにしている。

 

「ふーん。それにしては特定のものだけが売れ過ぎな気がするけどね?ただ売れてるにしては変だよ?」

 

なんとも納得していないようである。部下のほうも少し冷静になりつつ、それでも売れ行きが伸びてるのが嬉しいのか突然の黒字に説明をつけようとしている。

 

「しかし…確かにそうですけど、そこまで気にならないとも思いますけど?」

 

「うーん…。」

 

「品目もほとんど軽魔導電機ですし、それも浄水用のフィルター、軽量の魔導着火装置、魔導軽量ブーツとかですよ?」

 

白氏の白く長い耳がピクリと動いた。目もキラリとした気がする。

 

「……魔導軽量ブーツ。あれウチでは全然売れてなかった気がするけど?」

 

白氏は自身も開発に携わったブーツが売れ始めたことに違和感を感じたらしい。

 

「そ、そうすね。確かに、全然売れてませんでしたっけ。そうなると…。」

 

本当に売れてなかったのか部下のウサギ耳もシュンと下がっている。

 

「そうなると…?」

 

ピクリとまた白氏の耳が動いた。

 

「……じ!」

 

じ…。

 

「じ?」

 

じ?

 

「時代が追いついたんですね!!!」

 

そうではない。白氏の心の声が聞こえた気がした。

 

「んー。そーかな?そーなるのかな?なんか違う気がするけど…あれが売れなかったのって足のサイズ合わせが大変だったのと、僕たち森人(フォームレスト)にとって靴の重い軽いがあんまり関係なかったって話だよね。結局、発売してからすぐに魔導アシストトロッコとか出てきちゃったし…。」

 

さすが出来る上司。白氏は残念そうな顔をしつつも部下の話を分析する。

 

「あぁ…あれはやられた!って思いましたね。久しぶりに赤字だった気がします…。」

 

懐かしそうに表情を

 

「…ま、それはいいよ。あとで次長にも聞いてみるから。」

 

そこで二人の話は一旦終わり。その後は午後まで業務消化で淡々とした時間が過ぎた。

 


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