有翼のリヴァイアサン   作:ヤン・デ・レェ

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第十二話 異変

第十ニ話 異変

 

 

 

 

西方イスパナス、前線基地。

 

急ぎの伝令が走り込んだのは軍団長の執務室であった。西の国境地帯に目を光らせていた部屋の主人はいつもの不機嫌そうな顔のまま犬の獣人(ランドノーム)の伝令が息を整えるのを待った。息が整った彼が齎したのは意外な情報だった。

 

「何ぃ?騎兵が極端に減ってる?向こうの前線基地の方のか?昨日も同じこと言ってたよな?」

 

軍団長は伝令からの情報を現時点までの情報と擦り合わせつつ、精査していく。

 

「は、はい!」

 

「昨日より少ないのか?見間違いじゃないのか?」

 

ぎろりとその凶悪な目つきで見つめられた伝令は萎縮しつつもハッキリと返答する。

 

「はひっ!ま、間違いありません!先日から明らかに一個中隊分の騎馬が抜けています!」

 

「あん?騎馬だけか?」

 

疑問。ふと、浮かんだのは騎馬が抜けているという何とも引っかかる言い方だった。普通ならば一軍、一中隊が移動したと言う。それが、一中隊分の馬である。軍団長の疑念を待ってましたと言うように、それまでの萎縮はどこへやらと伝令が身を乗り出して返答する。

 

「は!そうです!騎馬だけが三日おきくらいに目に見えて減っています!」

 

伝令として遣わされた彼のそもそもの所属は前線の監視を担う偵察部隊である。彼は自分の目で見たもの。冬の終わりから始まった任期の中で、特にこの一ヶ月間に見たものから違和感を感じていた。

 

「歩兵や攻城兵器とかは?」

 

騎馬だけを動かすのは下作だ。馬とはそれだけで労働力になる。向こうは一週間前までに少なくとも30万を超える大軍を集結させていた。基地に入りきらなかったからと言って、そう何度も何度も騎馬隊の入れ替えを、ましてや馬だけの入れ替えをするものだろうか?

 

「目立った動きは見られておりません!」

 

しかし、攻城兵器の類が配置換えになった気配もなく。そもそも、大型の投石機はまだ組み立てられてさえいない。

 

「資材や食糧もか?」

 

「無論です!!私は昼間の担当で、夜間は夜目が効くオオカミの獣人(ランドノーム)やフクロウの飛翼人(コンキスタス)の者が担当しておりますが、騎馬隊の移動以外にはこれといった話は報告書にも上がっておりません。」

 

「騎馬はどこへ消えた?わかるか?」

 

「はは!恐らく南方へ向かったものと思われます!夜間の偵察隊が夥しい数の騎馬隊が移動した痕跡を発見いたしました。馬糞や野営の跡にはバラツキもなく、むしろ予め決められていたような整然とした配置で展開されていたように見聞されました。騎兵隊の針路は我々の陣地から見て左手にある丘陵部の更に後ろをわざわざ迂回したものと思われます!」

 

「南へか?騎馬だけで?」

 

「はい…騎馬と、後は先日見られた聖銀騎士団に囲まれて布陣していた所属不明の一団の姿も今朝から見られておりません。当初は高位の聖職者が慰問にきたのかと思いましたが…明らかに今回の騎兵隊の配置換えと同じ方向へ向かっておりましたので、目的は同じかと。煮炊きの煙の数が変わっていないのも恐らく欺瞞工作かと…。」

 

「そうか南へ、馬だけで、わざわざ工作してまで迂回ね……なんか妙だな…」

 

 

 

「…ん?」

 

軍団長の疑念は深まった。目をふせると、目に留まったものは今年の春季防衛計画書。兵団長や大兵官以上に配布される中央の宮廷府国防省の「特秘」の魔導判から目立つ黄色の光を放っている神秘的なソレ。

 

「……おい。質問に答えろ。今一番軍が集まってるとこはどこだ?」

 

「…?は、はい!えぇ…我がイスパナス公国の西部かと。」

 

「…正解だ。南から三万、北から三万、東からは四万送られてきてる。今日までにそこかしこから追加で十万かき集めてきた。今ここには禁衛軍と近衛軍除いても二十万が集結してる。じゃあ逆に今一番手薄な、他所に兵隊を抜かれてるトコはどこかわかるか?」

 

「……それは。」

 

今春の防衛計画とその人事及び各方面軍配置の詳細が帝国の地図と共に描かれているそれは、五個師団の兵員、一軍団計五万名を皇帝から預かる獅子の獣人族(ランドノーム)の魔人(マギア)、特設混成軍軍団長アルザーヒル・バイバルトに一つの答えを示唆していた。

 

 

「正解は南だ。」

 

 

「敵は恐らく南からの奇襲を目的に機動力のある騎兵だけを南下させてる。南は砂漠と森、そしてその中間地点には平野も多い。森を丸ごと城塞化してる西よりも騎馬の利点を生かしやすい地形だ。」

 

「しかし!よりにもよって西方諸国が宗教対立を越えて南と手を結ぶとは考えられません!」

 

「あぁ。俺も同感だ。だからこれは単なる勘だ。」

 

野生的な鋭い瞳で伝令と目を合わせながら強く言い切る。それは勘というよりも、確信した言葉というべき強い言葉だった。

 

「だが少なくとも、まともな感性をしてない奴が向こうにもいるってわけだ。俺の手に余るようなら"上"に回す。ありえねぇなんてことはありえねぇんだよ。」

 

向こうの策士に感嘆しつつ、自分の気を引き締めるバイバルト。青い顔の伝令。

 

「もしも西と南での和解がなされたとしたら…。」

 

恐る恐るで俯きながら言葉を落っことした伝令。バイバルトはしかし冷静だ。

 

「二方面戦線だな。嫌な話だ。ついでに、西は森だけだが、砂漠と森が戦地になる南は敵も味方も思うように戦えまい。長引かせると危ないな。」

 

思った以上に微妙な状況だ。どっちかに転がることはまず間違いない。どっちみち良くない状況だった。伝令兵は跳ね上がる勢いで顔を上げた。

 

「閣下!我々はまずどうすれば!」

 

手振りもついて焦りを感じる。彼はそういえば南方のでであったか、と頭の片隅で思うバイバルト。

 

「落ち着けや!まずはだな、ザマスの財務庁に急電を入れとけ!緊急で過去三ヶ月間の南と西への流通量と売上の方面ごとの偏りがないか情報の開示を請求しろ。西は去年の末からずっとこんなんで煮え切らないまま交易が続いちゃいるから違和感がねぇわけだ。極端に流通量の差が開いていたらあからさまだが、今の今まで耐えてきたんだろうな。前線の俺たちが動かないとみてやっと騒ぎ始めたんだろうよ。…思ったより遅かったな。」

 

はぁ〜、と長いため息を吐いたバイバルトは話しながら書き進めておいた手元の書簡に自身の魔導印璽を押印してから伝令に手渡した。肩から荷が降りたと言った様子でどこか呑気なバイバルトの様子は書簡を受け取った伝令の方を焦らせた。

 

「閣下!遅いとか早いとかではなく!情報を掴んだら次は何の対策を講じれば!!現状としましては、陣地設営は既に完了してあります!応援の近衛軍は仁来来(ニーライライ)将軍が既に地理の確認を済ませ、現在は騎馬を伏せておくための拠点造りを進めています!さぁ!次は、次は何の対策をすれば!」

 

もはやスーパー上司の軍団長を前にしても怯まないこの男。意外と大物かもしれない。主戦場が縦にも横にも広がるかもしれないのだ。根本からの戦略の改良が必要になる。彼が焦るのは道理だった。しかし、それまでの防衛計画がすべてパーになる可能性が転がっている理解していてもバイバルトはどこか余裕である。

 

「なら…そうだなぁ。お前に与える任務はまず、姐御を呼んでくることだな。」

 

「!?」

 

姐御…バイバルトは傲岸不遜の自信家だ。そしてその態度や生き方が許される天才的な実力を持つ。だが、そんな彼でもどうしても頭が上がらない存在はいるのだ。この帝国には心酔する皇帝を除いても複数存在するくらいなのだから世の中は広く、テトラの家臣団の層は分厚い。そんな中の一人である"姐御"と呼ばれた女性。彼女の召喚を頼まれた伝令は今日で一番困っていた。

 

「嫌か?」

 

苦笑いしながらの問い。

 

「い、い、いえ!滅相もありません…しかし…。」

 

「しかし?何だ?」

 

「は、バアル将軍は今朝から山登りに向かっておりまして…すぐにお呼びすることは難しいかと…。」

 

斜め上の答えにバイバルトは可笑しくなって笑った。

 

「…またかよ…あの人もほんっと!山登り好き過ぎだろ!なんだ…山越えクラブ創設したんだっけ?たくっ!どうせ戦略立てるための下見も兼ねてんだろ?…ならしゃーない。情報洗うのと同時並行で他のやつに中央と南のアレキサンドールにも報告させろ。内容は極秘かつ緊急扱いにしろ。俺が責任を持つ。」

 

近いうちに、必ず時代は動くことになる。英傑の血を有するバイバルトはそう確信を抱いて窓の外、夕焼けが沈む地平線を見た。

 

冬季に白化粧を施された急峻なアルパス山岳地帯はキラキラと夕日に輝いている。森林帝国随一の名将が今晩襲い来るかも分からない五十万を超える敵軍を前にして、悠長に私兵を引き連れ団体登山を敢行しているのである。姐御と彼女の軍が入営してから三週間。毎日のようにあちこちの山々から新兵古兵問わずの悲鳴とも歓声とも取れない声が響き渡るのだから堪らない。

 

自分の任地が最前線で、求められる職務が数の分が悪い状況下で守勢を張ることだと忘れてしまいそうになる。やはり姐御は大物だ。きっと彼女一人で来たとしても状況は大して変わらなかっただろう。良い意味でだが。

 

獅子の獣人(ランドノーム)として帝国の南部にて生を受けた猛将アルザーヒル・バイバルトは思う。慣れない土地で経験することを強いられるであろう、建国以来初の人間による大侵攻。

 

避けられぬ高い壁はしかし。それでも越えられぬ壁には思えなかった。

 


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