有翼のリヴァイアサン   作:ヤン・デ・レェ

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一番気に入ってるキャラの一人です。


第十三話 山越えクラブの通常活動

第十三話 山越えクラブの通常活動

 

大アルパス山岳地帯の霊峰ピレニア山脈。

 

頂上付近の断崖絶壁。

 

「すすめ!!吾輩の前に敵は無し!!!この山を越えれば直ぐそこに戦略目標(ローマ)が待っている!!!雪山がどうした!!諸君の先頭には常に吾輩がいる!!!神聖なる陛下の五騎が次席!!!帝国最高の武威たる竜騎大将軍のハンナ・バアル・バルカはここに居るぞ!!!」

 

雪山の頂を前にしてヘタレ込んだ将兵達。彼らは絶賛高山病+昼間の訓練から来る睡魔+繰り返される姐御コールによる疲労により、地上約五千メートルの地点での立ち往生を余儀なくされていた。彼らの中には人間達の軍隊にいれば千でも万でも率いることが出来る知将も、はたまた複数人を一人で相手取っても捌き切れる武の達人もいた。他にも皇帝陛下の最側近たる禁衛軍に選ばれた帝国でも選りすぐりの中から更に選りすぐられた文武に名高いエリート武官や、各地の軍営からこの一団を率いる姐御が直々に引き抜いた一癖も二癖もある武や知に精通した不世出の才人、はたまた竜人族(ドラゴニア)で固めた彼女直率の帝国に二つとない精強さで知られる竜騎軍。

 

千差万別の彼らに一つ言えるのは、その類い稀な身体能力、才気、英雄の素質…諸々を持ってしても、誰一人として無事なものがいないということである。

 

どの世界の、どの時代の軍事家が見ても、それは恐怖の大魔王でも引き気味に口元を歪める地獄絵図である。ゼーゼーと荒い息が飛び交い、空虚な発破の声が空に霧散し、震える膝に任せて全く足腰の立っていない精鋭達。

 

そこには国一番の精鋭を名誉とする誇り高い国防軍の理想とされる姿が欠けらとして存在していなかった。

 

いや、一人の怪物にプライドごと殺されたと言えよう。

 

「さぁ!!!たてぃ!!!貴様らそれでも陛下を奉戴する帝国一の兵(ツワモノ)のつもりか!!!兵隊ごっこは他所でやらんか!!!吾輩は内政家の父上とは違って優しくないぞ!!我が父ハミルカスの元で軍事財政の極意を学びに行きたければこの山を降りてからにするがいい!!まぁそのザマでは山を降りれなどしないだろうがな!!ザマだけに!!」

 

全く面白くない。だが、そんなことを反論する気力も残っていない。ちなみに、彼女の父ハミルカスはハンナと比較すれば相対的に練兵が易しいだけで一般的な見地からすれば十分ハードモードである。

 

先頭で兵達を鼓舞する火の龍人(ノブレンシア)はその人間に近い容貌から貴種たる魔人(マギア)であることがわかった。

 

浅黒い肌に真紅の短髪がよく似合う、鼻梁は高く通っていて、赤く燃える瞳が一つ。閉じた左目には稲妻の傷が走る…一見麗人の彼女がそれでも絶世の美女だとわかるのはふくよかな胸部故か。雄々しい赤い鱗に覆われた尾と耳の後ろから突き出たルビーの如き角は彼女の父譲りのもの。明朗闊達で雪に囲まれた果てしない蒼空にもよく通る声は凛々しく美しい。

 

彼女こそがバルカン=テトラ神聖帝国における最高の将帥の一角にして稀代の戦略家。皇帝の最側近たる五騎が次席、竜騎大将軍のハンナ・バアル・バルカである。

 

曰く、彼女に一度捕まった兵士は例え死んでも彼女に従う。

 

そう言われるほどに彼女のカリスマと軍才はずば抜けたものがある。死傷率の高さに比例して、勝率は脅威の100%だ。しかしそこに至るまでの道で、もはや洗脳のレベルで兵士は扱き倒されるのだから幸か不幸かは当人達次第といったところである。

 

「一度しか言わんぞ!!よく聞け!!貴様らには一つだけ、大切なもの足りていない!!貴様らはそれを見失っているだけだ!!!それを再び手に入れさえすれば、貴様らの前に道は開かれる!!!陛下の名の下に進む吾輩らは恵まれている!!しかし、貴様らの多くはそう簡単に目の前に立ちはだかる壁へと、無駄な思考を捨てて吶喊するだけの勇猛をいざ実戦となれば即断するのは難しいだろう!!ゆえに、貴様らには陛下の名の下にただ前に進めなどとは言わん!!貴様らには勿体のない名誉だ!!」

 

わざわざ南方から引き連れてきた体長二十メートル、体高十五メートルの超巨大生物…百頭規模の砂漠マンモスの群れのリーダーを飼い慣らしたハンナの愛騎。戦マンモスの「アフリカヌス」の頭の上からヘロヘロの兵士たちを睥睨しながらハンナの叱責が雷の如くビリビリとあたりに響き渡る。

 

「故に…貴様らには陛下より賜ったこの竜騎大将軍の軍権の名の下に吾輩が命ずる!!!」

 

カチャリ。右の腰に帯びた彼女の神聖名の元となった天下一の宝剣「雷光バルカ」を右手で按じつつ、静かに響く美声で下命ずる。

 

「唯。我が鋒に続け。」

 

しん、と静まる世界。山脈をも自らの武威の元にコントロールして見せる。決して意識下に行なわれていないとしても、それは実に効果的面な演出であった。自然を自発的に味方につけるような覇気に兵士たちは圧倒されていた。

 

「貴様らの進む先は全て陛下より賜ったこの宝剣が指し示す!!!貴様らは陛下の指先たる吾輩の手足となり、貴様らはその全兵力、全身命を以って陛下の一指となることを己が武人たる終生の目標とせよ!!!」

 

ギラリ!昨年の雪が未だ分厚く残り、足場を最悪の状態に貶める狭い山道。どうやってそこまで連れてきたのか理解し難い、巨体のアフリカヌスの頭の上でハンナはその宝剣を抜き放った。

 

轟々と天に轟くような歓声と共に、演出家にして軍事家のハンナは追撃とばかりに畳み掛ける。

 

「顔を上げろ!!剣帯を締め直せ!!槍を杖代わりにしてでも立て!!歯を食いしばれ!!ここは貴様らの死に場所ではない!!!貴様らの忠誠義認は吾輩が証明する!!戦友を心の支えとせよ!!右を見よ!貴様の友は貴様を見ているか?左を見よ!貴様の友は貴様を見ているか?見ているだろう?貴様らは友に見られている!!友に見られておきながら立つこともできない弱卒は陛下の御前に立つこと罷りならん!!」

 

応!応!!応!!!

 

兵の歓呼に宝剣で応えつつ、ハンナの訓示は徐々に号令へと変わる。勢いは増して鼓舞は強く兵達の心を打つ。兵達の猛る声は彼ら自身の間を嵐となってがなり立てる。

 

「戦友は貴様らの矛にして盾!!心と命を、そして忠誠と栄光を共にする伴侶である!!!」

 

気がつけば力が足先から膝に、膝から手の先へと冴え渡ったような錯覚がある。力を入れれば立てる。進めるような気がしてきた。ハンナはソレを見逃さない。

 

「さぁ!立て戦士達!!このバアルの雷に従え!!!電撃直疾る怒涛の威を世界に発せよ!!!吼えろ!!!」

 

うぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!

 

絶叫爆発。反抗心と向上心。並々ならぬ精神力と人並外れた信仰にも勝る忠誠心。全てを最大限に、限界を超えて引き出させる。

 

常時死兵。

 

恐るべき軍事家ハンナ・バアル・バルカの練兵論は片時の翳りも見せることなく冴え渡った狂気を実践していた。

 

「すゝめ!!頂上はあと少し!!死ぬことは許さん!!全員登りきれ!!骨は拾わん!!自分で拾え!!それが嫌なら登りきれ!!事ここにあって、勝者か敗者を決めるのは貴様ら自身だ!!!!!」

 

うぉぉぉぉぉぉぉ!!!

 

兵士たちはそれまでの泰然自若から見かけによらない俊敏な足取りで登攀し始めた実は雌の戦マンモス「アフリカヌス」と、彼女を雄々しく駆るハンナが掲げる導きの宝剣と、左右と前後の戦友を頼りに、彼らの背を追い、互いの肩を支えて、声を上げながら登り始めた。

 

「その調子だ!!!あと少しだぞ青二才共!!!」

 

進む。登る。ひたすら登る。もう、登る。もう、凄く登る。ハンナは鬼教官など可愛いレベルの練兵の鬼神だ。兵士の苦難を握り固めて百倍に濃縮したような存在だ。そして、それらを塗りつぶす栄光を与え得る戦神だ。彼女の声に従って、兵士たちはついにたどり着いた。

 

「「「「「着いたぞおおおおおおぉぉぉぉ!!!!」」」」」

 

大アルパス山岳地帯の最高峰ピレニア山脈の登頂成功。実に地上六千六百メートル。口に咥えるT字型の軍用に開発された新型の魔導式気体濃度変換カプセルで酸素濃度を地上と同程度に維持して入るものの、それ以外は軍からの支給品だけで固めた敢えての不十分装備での登頂は困難を極めた。

 

「ふっ!よくやった!!!それでこそ!それでこそ我が陛下の精強なる兵(ツワモノ)達よ!!!」

 

「「「「「姐御ぉおおぉおぉぉぉぉぉ!!!」」」」」

 

号泣。感涙。とにかく物凄く寒いはずの頂上は兵士たちの男臭い熱気に包まれていた。スポ根の権化を一人一人が体現してみせた。熱い展開が二度三度と味わえる短編物の漫画を出版できそうな、そんな熱狂を味わっていた。

 

今にもハンナに抱きつきそうな兵士たちを前にしても彼女は怯まない。むしろ、感心した面持ちである。

 

兵士たちはよくやったの一言で泣きまくっている。鼻水も涎もドロドロである。はっきり言ってキモい。しかし、彼らの感動は本物である。そしてその感動の絶頂は、正に悲劇であった。

 

「よし!!これより一時間の休息をとる!!よく休み、よく讃えよ!!それでは休め!!」

 

それからの一時間は彼らにとって至福であった。

 

やたらと大荷物を背負わされていたアフリカヌス。彼女にハンナが運ばせていたのはありったけの食材であった。疲れなど最初からなかったような電光石火の早業で支給品の特大鉄鍋と野外炊飯用調理火器を設置した兵士たち。十分の後、彼ら彼女らの鼻に届いたのは平地でも食べる機会が少ない最高級の肉や野菜をありったけの香辛料と一緒に煮込んだ刺激的な最高級の香草鍋。デザートにはハンナが自分に充てられた追加予算の一部を切り崩して買い求めた大量の甘味が用意されていた。命懸けの山登りに参加した兵士全員分を揃える気前の良さは流石は万年黒字国家。太っ腹である。

 

「おぉぉ!!姐御!この香草鍋!!茶色のにすごいです!!同じ色なのにチョコレートと違って辛いですよ!!」

 

異世界の某国発祥のそれはカレーと呼ばれる。ハンナは戦時下でも簡単かつ大量に作れて、尚且つ美味で滋養が付くレーションを求めていた。そんな時に、当時は最前線で上大将軍として矛を振るっていたユリアナから教授されたのがこの万能香草鍋だった。皇帝陛下も好まれる。その一言でハンナのカレー道が始まったことはさておき、戦働きをするもの達にとって、ニーズを悉く拾い上げてくれるこの料理は良家の出も多い彼女の軍団兵達にも好評である。

 

「こ、このチョコレートすごい!!こんなに甘いの食べた事ないよ!!」

 

女性の士官が口にして喜びの悲鳴を上げたのは、ユリアナの命名によると「糖尿病チョコレート」である。言うまでもないが民間には卸されていないこの劇物は栄養素と血糖値、カロリーを摂取する為だけのただでさえ恐るべき性能に、ユリアナ女史を初めとした可憐なる森林帝国軍のトップを張る女傑連中がその甘党欲望の赴くままに手を加えた魔改造レーションである。

 

一口で健康体の常人ならば鼻血を噴き出し、胸焼けを起こす。しかし、ハンナの元で地獄の教練を味わい、泥水を一気飲みさせられ続けた彼ら冥府からの生還者達には天国の甘露に等しい。

 

凄く簡単に言うと、死ぬほど疲れてる体にとっては最凶の美食に成り果てるのである。

 

「おぉ!この肉ほろほろと解けるぞ!!脂身まで美味すぎる!!」

 

「味の濃いスープが純白のもちもちのパンに合う!!手が止まらない!!目からは水が止まらねぇぇ!!」

 

「ヴァア!!こんな美味しい甘味を食べちゃったら!!軍を退役できなくなっちゃうゥゥぅ!!!」

 

「なんて!なんて背徳の味だ!!まさか山の頂上で生クリームにチョコレート!!ふわふわの高級シフォンケーキを口にしているとは!!!」

 

「バアル将軍万歳!!我らが姐御万歳!!!」

 

「あ・ね・ご!!!あ・ね・ご!!!!」

 

さて。このように歓声上げる兵士たちの熱烈な歓迎を受けたハンナはと言うと、一足先に食べ終わった食器類を手近な雪で洗い、自分の支給品の背嚢へとしまい終えていた。彼女の様子は登りの時にも見えなかった勇壮なものだ。兵士たちは手を止めて前に向き直った。

 

「さて…よく食い、よく楽しんだお前たちに問おう。」

 

兵士たちの視線を集め終えてからハンナは口を開く。

 

「貴様らは吾輩に続く覚悟を決めたか?」

 

誰かがごくりと喉を鳴らした。

 

「貴様らはこれから吾輩の指揮の元で凡ゆる難敵とぶつかる。陛下の御為にどのような道も進み、どのような苦難にも甘んじてその身を晒す。凡ゆる強兵をもなぎ払い、凡ゆる障害を滅する。時には身体欠けると言えども衛りに徹し、時には寝る間も無く攻め続ける。」

 

「それでも、貴様らは吾輩の指揮に絶対に伏する覚悟があるのか?陛下に、赤心から全てを捧げ給うだけの忠誠があるのか?吾輩は吾輩を裏切るものを感知しない。だが、陛下を裏切る者は例え血の繋がった家族といえども抹殺する。存在をこの世から、文字通り抹消する。故に、貴様らには山登り程度で死んでもらっては困るのだ。」

 

「吾輩は断言できる。近く。我がバルカン=テトラ神聖帝国はこの世界そのものへと宣戦を布告することとなる。世界がそれを強いるのだ。この大陸は広い。我らの国は広大だ。豊かだ。我らが陛下は大陸で最も豊かな富を有されている。これもまた間違いない。しかし、人間共の国全て、その国に生きる民全ての数を我が国一国と比べた時、その差は三十倍は下らない。東の大国たる錦、その一国だけで我が国の五倍以上の国民と二倍以上の国土を有している。情報は極めて有用だ。我が国は未知ゆえに他の国家に先んずる点が多い。だが、戦場とはその国家の技術力と情報力の展覧会であり、実験場であるという側面を持つ。」

 

「我らは常に最前線で最新の敵、最新の狂気と向き合わねばならない。貴様らはその覚悟があるか?」

 

沈黙は雄弁だった。しかし、その分厚い恐怖の夜を超えたもの達だけが山を登り切ったのだ。

 

つまりは、皆が、ハンナを見ていた。強い瞳の対が数千。ハンナは瞳を閉じると、毎度の如く拳を高く上げてその覚悟にこたえる。そして…

 

「よくわかった!!貴様らの覚悟こそわが国の誉だ!!!陛下に侍る最高の栄光に浴する準備はいいな!!!」

 

「おぉぉぉぉ!!!!!」

 

「よぉぉし!!!ならば!」

 

そして…

 

「駆け足で下山を開始する!!!三分で支度を終わして整列せよ!!!山頂から平地の軍営まで!!雷光の如く駆け抜けよ!!!」

 

「おぉぉぉぉ…ぉ、ぉ…ぉ……」

 

そして…試練を与えるのである。

 

「各隊に分かれて下山を順次開始せよ!!!戦争は準備を重ねてから然るべき時に始まるものだが戦端は違う!!!戦端はいつでも唐突に!!!最後尾の隊には特別教練として本日の夜間登山訓練への強制参加を命ずる!!!さぁ!早い者勝ちだ!!即応せよ!!!」

 

「オオオオオオオォォ!!!!!」

 

天国から地獄へのダイブは実にダイナミックかつドラマチックなものとなった。

 

ドスンドスンと雪崩を人為的に起こしながら文字通り怒涛の勢いで下山の手本を見せつけるハンナに背を追われる形でさっき迄の悲壮な古兵の覚悟はどこへやら。

 

もはやヤケクソである。兵士たちは数十名が雪だるまになりつつ、転がるようにして下山を果たした。

 

死傷者はゼロ。雪だるまが百三十名。

 

参加人数三千名。脱落者ゼロ名。

 

こうして帝国の最精鋭たる禁衛軍にあって最精強を自負する竜騎軍は、その最強の練度を誇っていたのだった。

 

彼ら彼女らの味わった血涙と時々甘味の代償は、人間諸国家を震え上がらせる森林帝国最強の暴威として顕然と現れることとなるのである。

 

彼らが自らその真価を味わう瞬間は間も無く。鉄足と戦火が西の前線に火を灯すその時だ。




描いてて楽しかった。

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