有翼のリヴァイアサン   作:ヤン・デ・レェ

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**第十五話・第十六話の絶白記(前編・後編)は閲覧注意となります。
p.s 個人的に作中史上最凶のヤンデレ人物が登場します(後編より)それではどうぞ。


第十五話 絶白記 前編

第十五話 絶白記 前編

 

 

ログリージュ王国の繁栄。

 

ゼルプ・ディートリッヒは一人の愛国者として、其のためだけにこれまでの人生を捧げてきた。

 

大き過ぎるこの大陸は複雑に見えて、いっそのこととても単純だ。複雑な地理や歴史は関係ない。

 

覇権を握った四つの勢力が鎬を削っている。それだけだったのだから。

 

其の覇権に西で最も近い国家が他ならぬ西方諸国連合の盟主ログリージュ王国であった。

 

約百年前の南方の覇者マネルワ王国との戦争での勝利はログリージュの武威を世界に示しただけでなく、国家としての格という意味でも抜群の権威を手にした。

 

中小国家が数十乱立していた西方国家から初めて覇道の雄へと登り詰めるに値する国となったのだ。そのままの勢いを殺さず、戦後の西方での優位を確固たるものにすべく我が国はあの胡散臭い聖銀教会へと協力を申し出た。

 

聖地エルサルムを奪還してみせた我が軍からの協力の申し出を教会は喜んで要請した。そして、悪魔の一族を火刑に処し、悪魔を聖銀の牢獄に封印することに一役を負ったのだ。

 

偉大な聖業を行ったとして教会からの支持を得ることに成功した我が国は西方を取りまとめて一つの大勢力へと昇華させるべく、西方諸国連合の盟主という地位に自らついた。

 

その後は連合の結束を固めるべく、誰よりも血を流して国境防備と富国強兵に着手した。交易における条約や民衆の権利の拡大など、周辺国の商人や国民に訴えかけたのだ。王侯の保守層と革新層は少しずつその力を拮抗させていき、複数国で同時蜂起を促す書簡が見つかるなど革新層の過激化に伴って、内紛を望まぬ保守層が折れる形で緩やかに連合していった。

 

そして今日、ログリージュ王国は当初の名ばかりとは違う、正真正銘の盟主国として、一人の足で自立することができるまでに勢力を伸ばした。人口約7600万の我が国は、あらゆる面で周囲の西方諸国を圧倒している。聖銀教国の聖都エルサルムの人口十万は例外として、フランキ王国の約4600万やブリテーナ王国の約3800万と比較しても飛び抜けて人口が多い。国土も広く、実にその広さにしてブリテーナ王国の二倍である。我が国には山岳地が存在するために平野部や丘陵部が多いブリテーナより土地が痩せている。それでも、国土も人口も二倍に到達するほどの国力を持つに至った。

 

国富は更に高い。約百年前の敗戦後に分裂した東西マネルワ国とは我が国の手動で十年ほど前から西方諸国連合名義で交易を行なっている。和解の協約を結びつつ、今回の大侵攻作戦においては物資運搬用に欠くことのできない、本来なら戦を目の前にして使うべきでないものまで外交のカードとして使った。

 

以前ロマノフスカヤ帝国原産のものを品種改良した北西の良馬と引き換えに、南方の商業大国たる西マネルワ王国が切り開いてきた販路を行軍路として使わせてもらうことを確約してもらった。東マネルワ王国も利益を西に独占させまいと協力を申し出たのは思わぬ幸運であった。これは私からベラノート侯へと上申したことだ。北部のロマノフスカヤ帝国への接触も続けているが、これはまだ確定的な情報は私がいる前線にまで届いていない。

 

…西の覇者として空へ高く飛び立つ前に突如として現れた存在こそ、何としても打ち倒すべき障害こそ、昨年末に新生したバルカン=テトラ神聖帝国である。

 

やんぬるかな、我が国はあの古の大森林についぞ歯が立たなかった。百年前の悪魔祓いの儀式から一年。ちょうど百年前の当時の世界には聖銀教賛美の声が高らかに響き、その聖なる式典での重要な役割を担った我が国もまた名声を高らかに響かせていた。

 

しかし、間もなく我々への名声は人に非ざる者共への悲鳴に代わった。

 

悪魔を滅せよとの教皇の方針により、数百年ぶりの古の大森林の開墾が始まった。当初こそ、今までにない順調な開削工事が各地で進んだが、百メートルと切り開く前にヤツらは現れたのだ。

 

それは真っ白い妖女だったという。黒い龍の鱗に覆われた尾は火も刃も立たず、耳の裏から突き出た黒曜石のような角が煌めいたと思えば、人外の身のこなしで吶喊し腕の人払いで十人の兵がズタズタにされる。

 

率いる千にも満たない黒備の甲冑…錦国のものに似た東鎧(あずまよろい)…を纏った精兵の先頭に立って、最初の三週間で千と五百の兵士を殲滅した悪夢そのものだ。両南北の大山岳部にその入り口を狭められているとはいえ、複雑な高低差や湿地が目立つものの踏破できないまでもない領域。縦長に千と数百キロ。西の国家と森林が接する境目を神出鬼没に駆け巡った黒い悪魔によって一度、開削事業は頓挫することとなった。

 

ログリージュ王国悪魔に敗北。聖銀教は悪魔に膝を屈した。過分に脚色されたこの報せは間も無く大陸全土へと広がった。恐怖は人を駆り立て、自分で勝手に影を肥大化させては怯懦する。

 

我が母国は雪辱を晴らすべく王国が誇る精鋭五百名からなる特殊部隊を結成してこれを派遣した。

 

我が曽祖父はその中の最年少の一員であった。そして、その中で唯一生還した者でもあった。

 

現在では我が国とかの帝国が国境地帯に定めている森林との境界。我が方から見て右手に大アルパス山岳地帯の霊峰ピレニア山脈、左手に同じく大アルパス山岳地帯の絶壁マルダーホルン山脈が存在する。その長く険しい円弧を忌々しい帝国を守るように描いて存在するこの壁により、大軍の派兵は極めて困難を極めた。また、局所的とはいえ北西の雄を自負していたログリージュ王国の敗北は西方諸国連合内部の不和を産む種に成りかねなかったため、わざわざ危険なヒビを拡大させるような大規模な派兵を募ることは賢明とはいえなかったのだ。

 

曽祖父の部隊は一路、現在両軍が睨み合っている山脈と山脈のちょうど境目に位置する森との境界へと進軍した。

 

約五百名の一団は当時の最精鋭。兵士も装備も西方では右に並ぶ者のいない練度と品質だった。充実した資金を用いて揃えた馬は西の諸国から買い付けた選りすぐりの強馬。恵まれた体格に頼んだ力強い足取りで進む彼らの勇壮な進軍の目的は一つ。母国の名声に傷をつけた黒い悪の兵団を正面から打ち負かすことだった。

 

曽祖父の日記によれば母国出立から三日目に最初の接敵があった。現れたのはそれまで敵として想定していた黒備の兵団ではなかった。人間のどの国でも見ることのできぬような巨大な木立が無数に乱立する中に疎に布陣していた彼らは人間の騎兵の接近に気づくとその場で盾を大地に突き立てた。

 

黒備の敵とは対象的な、全身真っ白の東甲冑に身を包んだ兵団は一糸乱れることなく防陣を展開した。すぐさま槍衾が完成し、時を同じくして数百の矢が五百名を襲った。

 

盾で身を守りつつ曽祖父とその戦友たちは前哨戦だと息巻いた。王から賜った銀製の喇叭を響かせ、巧みな馬術で散開した。敵の矢は蛇行するように右に、左に行ったり来たりを繰り返し、戦士たちはそれを察知しては軽々と避けつつ敵の指揮官が戦の常を知らぬ素人だと鼻で嘲笑して見せた。

 

二度繰り返した頃、敵の槍衾を構成する兵(ツワモノ)の顔が見えるほどに接近した。いよいよ突撃であった。

 

我が曽祖父は喇叭の奏者として槍を片手に先頭に立っていたが、先達の兵から万が一に喇叭を奪われてはならぬと最後尾に回された。そして曽祖父は全てを見届ける運命を掴んだのだ。

 

人と人非ざる者達の、その真の兵(ツワモノ)同士が繰り広げる蛮勇に満ちた汗臭い美学が光る戦。

 

曽祖父が憧れた夢は、先頭の一騎が突如消えた事で真の夢想へと帰った。

 

「何が起きたのだ!!!」

 

そう、曽祖父に先頭から下がるように言いつけた先達の兵士が叫んだと言う。意味不明は容赦なく続いた。

 

まるで吸い込まれる様に敵の槍衾の目の前でふにゃんと影がぶれた様に消えてしまう。

 

構うな進め!!と指揮官の大佐が号令をかけたことで再起した精兵達は果敢に突撃し、そして消えた。

 

うめき声。悲鳴。肉を突き刺す音。骨が折れる音。よく見れば目の前の槍衾のは騎兵の突撃に対してコの字で受け止める様に展開して真ん中の盾兵だけが固く槍衾を固め、左右の隊は騎兵突撃に目もくれずに斜め下へと只管その一際長い槍を突き立てている。気づけば矢もほとんどが盾兵の目の前の、謎の消失地点へと集中していた。

 

曽祖父は前列の約半分。百名が消えたところでやっと気づいた。身を乗り出して目を凝らせば巧妙に隠された堀があった。深く、騎馬が滑落して出られない程度の、騎馬から見える方を盛り土で高くして、苔や草束で不自然にならない程度に隠されていた。その盛り土から地続きに見えるように比例して小高くなった盾兵の防陣。小高い二つの丘に挟まれた、ちょうど騎馬が手前の盛り土を越えた所に、騎馬一頭半分の幅で横に数十メートル続く溝があった。

 

敵の軍略に気づいて指揮官に急ぎ報告した曽祖父は咄嗟に喇叭を吹いた。決して使うことはないと思っていた撤退の合図だった。

 

金管の悲痛な叫びが功を奏したのか、残存兵四百は精鋭の誉に違わず瞬時に切り替えをこなして馬頭を翻した。敵兵は追撃せず、残された兵馬へと抜かりなくトドメにかかっていた。

 

安堵と反撃の機会を待つために部隊を再編しようと思っていたが、百メートルと進まぬ所で先ほどまで無かったはずの木の柵が現れた。荒く掘られた土と力任せに突き立てられた木の柵は百メートルは横に広がりを持ち、杜撰に見える様で見える分よりかなり深く、しっかりと大地に差し込まれていた。

 

凡そニメートルのそれは、騎兵にとって越え難い絶壁に等しい。指揮官の迂回の命令が全兵に通るより先に、後尾を預かる小隊長の頭が吹き飛んだ。飛んだ頭の先にある木の幹には長剣の柄程もある豪矢が刺さっていた。ぎゅうんと耳鳴りの様な飛来音ががなった。

 

散開せよ!の命令が下されると同時に第二、第三の必死の矢が到来した。ぎゅうん。ごうん。近くを通り過ぎる矢はまさに槍が豪速で飛来するが如き恐怖の音を響かせながら逃げる騎馬の間を貫いた。幹に立った矢は総鉄製の矢尻と一体型のものだった。貫通力が高められた恐ろしいそれは騎馬隊に遺憾無くその暴威を注いだ。

 

時折、ボン!と音がした。運の悪い兵士の首が飛んだ音だ。

 

狂乱した戦士達は死の矢から逃れるために一心不乱に逃げた。逃げる最中に曽祖父は必死に銀の喇叭を奏でた。敵に居場所をバレることも恐ろしかったが、バラバラになって各個撃破されることのほうが被害を拡大させる者と思ったからだ。彼らは逃げるがままに逃げた。

 

それは言い換えるならば死の矢に従って森を駆け抜けたに同じだった。

 

馬も人も全身汗だくで荒く息を吐き出していた。森を抜けた先に故郷への道が用意されていると、根拠もなく信じて駆け抜けた。そしてたどり着いたのだ。

 

真の死地へと。

 

絶壁だったのだ。目の前に突如現れた断崖絶壁は大自然が声なき声でその徒労を慰めることも出来ないほどに確かで不動だ。びくともする気がしなかった事だろう。散り散りに逃げた兵士たちは曽祖父が奏でる銀の喇叭だけを頼りに森を駆け抜けた。生きて帰ると、それだけを気付けば考えていた。曽祖父の手記にはそう書かれていた。

 

ぬっ。ぬっ。ぬっ。そこらからの林から満身創痍で這い出てきた兵士の中には馬を失っていた者もいた。曽祖父の喇叭がかき集めた残兵は約三百。指揮官である大佐は現在だったが、中隊長二人と小隊長の四人は姿が見えなかった。曽祖父の記憶が正しければ、敵の矢は適当に見えて正確に枝隊指揮官だけを狙い撃ちしていたと言う。総指揮官だけが討零され、その四肢として働くべき隊長達は全滅していた。そこに組織的戦闘能力はもはや無かった。ここで囲まれたらもう叶うまい。曽祖父の脳裏に走った懸念は悪い予感を裏切る事なく実体化した。

 

曽祖父と共に行動してきた、絶壁の左右に道を求めようと必死に見回していた指揮官の顔が真っ青を通り越して真っ白になっていた。

 

あの憎たらしい柵がまたしてもそこにはあった。その上、よくよく見れば柵越しにこちらを狙っていたのは人が身につけるものより遥かに大きな白い鎧兜に全身を包んだ巨人というべき巨躯が、その身に相応しい巨大な大弓を構えていた。つがえられていた矢こそ、凡そ百名のその身を肉塊に変えた死の矢だった。兵卒より上等な白い鎧兜に漆黒の毛飾りを兜から垂らした指揮官らしき耳の長い美麗な顔立ちの亜人が手を振り上げていた。

 

あぁ、もうだめだ。曽祖父は震える筆跡でその時の心境を克明に今に伝えている。震えがひどくなっていくと、また一つ悲劇が進んだ。

 

「降服する!!!」

 

誰かが叫んだその一言は波紋が水面に広がるように、瞬く間に生き残った三百名の思考を支配した。恥を捨てて生き残らねば!!侵攻者としての立場を忘れ、指揮官以下三百名は虜囚となる道を選んだ。

 

彼らから悲鳴のような降服の声が上がり始めた。武器を手放し、腰に帯びていた野営用の小刀まで地べたに放った。手を頭の上に回せという指揮官の指示に部下達は粛々と従った。

 

自分の頭の後ろに組んだ手を回しつつ曽祖父はチラと先ほどの指揮官らしき耳長の男を見た。

 

男は手を下ろしていた。安堵は束の間、戦士達が武器を捨てたのを見計らって完全武装の四メートルほどの巨人の兵隊が三十余人。武器を捨てた三百人を壁になるように囲み、巨体の奥から現れた数百人の耳長の兵士が先ほどの指揮官らしき男の指揮の下で数名ずつに兵士たちを纏めるとそれぞれを背中合わせに立たせて親指同士、足首同士を荒縄で固く拘束して野地に横にして転がした。

 

作業をこなすこと数十分。手際の良い彼らの手は曽祖父には伸びなかった。ただ一人手足を縛られて木の樽に銀の喇叭と共に放り込まれた曽祖父は樽に封をされる直前に見た光景を一生忘れられなかったという。

 


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