有翼のリヴァイアサン   作:ヤン・デ・レェ

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第十七話 鍵となる者

第十七話 鍵となる者

 

 

約百年前。私の曽祖父は地獄から生還した。

 

祖父が命と共に持ち帰った銀の喇叭はそのまま我がディートリッヒ家に下賜された。

 

地獄からの生還後、曽祖父は真実をログリージュ国王と護国卿にのみ打ち明けるとそれ以来口を固く閉ざした。

 

私は曽祖父が壮絶な経験をしていたことを知らずに育ち、我が家は古くから愛国主義者の鍵屋として名前を広く知られていたものと考えていた。

 

私が四十になろうかと言う頃に父は死んだ。

 

父親の葬儀の折、私は鍵屋のディートリッヒ家の家督を継いだ。爵位こそないが名の知れた古家だった我が家に嫌気がさして出奔してはや二十年が立っていた。

 

父の遺品整理の際に見つけた手入れが行き届いた銀の喇叭。ズボラな父親が毎晩寝る前にこれだけは欠かさず磨いていたのを思い出した私は何の気なしに気になり始め、この喇叭を調べることにした。

 

家の古書や家系図を整理のために開きつつ、銀の喇叭を手で弄んだ。ふと目が止まったある古文書は祖父の自筆によるものだった。何かの写しであるそれは嫌に濃い筆圧でハッキリと残されていた。

 

そこには曽祖父がどんな人物で在ったか詳に記されており、特に興味を引いたのは赤インクで文の下に線が厚く引かれている箇所だった。祖父も好奇心をそそられたのだろう。それは曽祖父が元軍人で、しかも王国一のエリートだったと言う話だった。眉唾ものだが、微かに記憶に残る曽祖父の厳格な面持ちは成程例え酒の席での与太話だとしても興味がそそられた。

 

滅多に笑わない、白い色が滅法嫌いな変わった年寄りの曽祖父が笑い話を残してくれたのかも知れない。私は「曾祖父さん、あなたの曾孫はあなたと同じ軍のエリートになりましたよ」と茶目っ気を込めて心の内で語りかけた。

 

薄く息を吐いて、先ほどよりも気持ち意欲的に古書を開いては閉じる。左手で銀の喇叭をあそびつつ、古書と格闘すること一時間。背伸びをしてから第二回戦と行こうとした時、革張りのやけに立派な薄い本が出てきたのだ。

 

開いて驚いたことは、それの著者が曽祖父であるアドルフ・ディートリッヒ三世だったことだ。待ちに待った曽祖父の手記が出てきたのだ。

 

私は意気も漲る様に軽快に項を捲り、そして後悔と驚愕に苛まれることとなった。そして同時に合点が入ったのだった。

 

結論から言えば、曽祖父はその眉唾の通りに百年前のログリージュ王国にあって最高のエリート軍人だった。彼が所属した部隊は王国軍にあって知らないものはいないほど有名な部隊であった。

 

軍の花形である騎兵隊の中でも最も優遇され、そして最も悲惨な最後を迎えたことで知られていたその部隊の名前は名付けられて「勇者の剣」部隊。最高の軍馬、最高の前線将校、最高の武装…百年前の最先端を全て詰め込んだ最強の五百名。ログリージュ王国が世界に誇るべき、そうなるべきだった独立遊撃部隊だ。

 

彼らの存在は軍内部でも知るものが殆どいない正に幻に等しいものだった。ただ、その勇名と悲劇性のみが誇張されていたと、今なら思う。

 

曽祖父はその中にあって王よりとある任務への出陣式において下賜された銀の喇叭…物への執着がほとんどなかった曽祖父が終生手放さなかった…を演奏しつつ突撃の先頭に立ち味方を導くという名誉ある役を担っていた。

 

そして、そのとある任務に曽祖父を含む五百名は従軍し、そして幻となった。

 

曽祖父の手記、絶白記にはその幻の真実が生々しくも刻まれていた。祖父が曽祖父の死の直前に口述を記録した文書や、父が祖父から聞いた曽祖父の話などから曽祖父は類い稀なる記憶力を持っていたことがわかっている。鍵屋になったのも構造を覚えると直様解錠してみせた曽祖父の天才的な記憶力に任せてのものだったのだろう。曽祖父が喇叭を吹くことになったのも、或いはその記憶力ゆえに瞬時に正確に喇叭を吹き分けられる記憶力とそれを実践するだけの才能を見込まれての物だったのかも知れない。曽祖父の手記にはその凡伯らしからぬの片鱗が、特に情景描写の正確さなどから随所に見て取れた。

 

丸一日、父の遺品整理を放り出して読み耽った私は曽祖父を含めたログリージュの殉勇士五百名の無念を晴らすこと、即ち突如勃興した魔物の帝国を大陸の地図から排斥し、我がログリージュ王国が大陸統一王国という悲願に辿り着くまでの道筋の一端に寄与することだと心に誓った。

 

それ以来の約八年間私は計画を進めてきた。私の知る全てと、私が考えうる全て私が差し出し得る全てを出し切った計画が今今大陸を揺さぶろうとしていた。鍵屋の息子から秘密作戦の現場責任者へと大出世だった。

 

愛国者として魔王が君臨する帝国を打ち崩すために、私は最高の協力者を得ることに成功していた。幸運なことに、当代一の軍政家と名高い我が国の護国卿であらせられるベラノート侯爵ヴァレンシュタイン閣下と志を共にする機会に恵まれたのだ。

 

私とヴァレンシュタイン卿は共にログリージュの大陸制覇のため、東の巨漢たる大錦との間に起こるであろう大陸覇権戦争の前哨戦として今回の森林帝国こと新生バルカン=テトラ神聖帝国への大侵攻作戦を計画し、そして実行することを決断した。

 

 

 

 

南方の覇権を握る二つの国家。西マネルワ王国と東マネルワ王国は百年前まで同じ一つの王国だった。大錦と大マネルワこそが大陸に覇を唱える双璧であった。ログリージュ王国を筆頭とする西方が初めて団結した百年前の聖銀戦争に敗れた結果、西は王国を名乗りつつも中小国家の共同体による合議制をとる商業国家に、東は旧来の大マネルワ王国の系譜を色濃く受け継いだ宗教指導者と政治・軍事指導者をマネルワ直系の国王が専制する王権国家に分裂した。

 

西と大陸中央の大森林が接する国境地帯。先鋒軍の軍権を握ったゼルプ・ディートリッヒ大佐はその直下軍を前線から最も遠い陣地最後尾に集中させ昨年の末ごろから漸次南方へと送り出していた。

 

彼が率いる先鋒軍五万の中から更に選りすぐられた一万の混成騎兵軍は最後に送り出した部隊が所定の配置についた旨報告を受けると、自身を先頭にした三万を国境線ギリギリまで進ませ、自身は直率する一万を率いて北へと舵を切った。

 

 

 

「大佐!!我々の進路は南であろうと思っておりましたが!!情報秘匿のためとは言え私にも何も言わんとはお人が悪いですぞ!!」

 

疾駆する騎馬軍団の先頭を行く男ゼルプに走らせたままに騎馬を寄せる芸当を軽くこなしてみせる副官。

 

「すまなかった!だがこの作戦は全てにおいて事前準備と情報統制の徹底が不可欠だったのだ!!」

 

騎馬の蹄が未整備の山谷を風の勢いで駆け抜ける。

 

砂利をかき鳴らし、泥濘を抉る強行軍はゼルプの指示だ。

 

先頭と後尾にそれぞれゼルプが手塩にかけた精鋭軽騎兵二千卒と重装騎兵二千卒が従い、中列に輜重隊として疾風の如き行軍を実現するために荷馬車がわりの駄馬に兵士全ての背嚢を積んで走らせる。駄馬と並走する形で今日のために用意したログリージュ王国軍の最新兵器である鉄火筒を馬上から水平射撃する騎銃兵部隊三千が組み込まれている。従者や傭兵の中でもこの強行軍に耐えうるものを選抜して本軍から三千名を引き抜かせてもらった。ダメ押しとばかりに後尾の重装騎兵に囲まれる形で聖銀騎士団と教国の秘策も帯同することを許した。

 

他に、三万の精兵がゼルプの指示に従って南方での謀略のための支度を終えて今まさに開戦を待つのみのなっている。後はゼルプが歴史的開戦の嚆矢を射るのみの状況だ。

 

今、大陸の歴史を動かしていたのはまさに自分であるとゼルプは自負の絶頂に立っていた。ゼルプの手札は彼の出せる手札の中でも最高のものとなり、数日と経たずにゼルプは自らに課したログリージュ勇躍への最初の大仕事を終えて母国の土を踏むことだろう。

 

彼は初めから生きて帰るために、曽祖父が成し得なかったことを、彼らの無念を果たし、彼らの任務を果たした上で生きて凱旋することを誓っていた。

 

そのために出来ることは全てした。情報収集のために危険も顧みずに敵国の内部で数年間陰に日向に情報を集め続けたのだ。

 

唯一の懸念とも言える曽祖父が白色を酷く恐れる様になったきっかけであり、黒備の精鋭を遥かに越えるログリージュ王国最大の仇敵で間違いない絶白と称された将軍ハクキ。

 

森林帝国でも秘中の秘である上大将軍という規格外の大権を与えられた者の中で唯一のゼルプが手に入れられた者の情報こそ、その大権に見合う実績とその名を轟かせているハクキについてだった。その情報の精査の結果、彼という障壁は既に対策済みであると言えた。そして、その対策の理由ゆえに今こそが最大の好機と言えた。

 

ハクキ…その実名、白羈(はくき)はゼルプの曽祖父アドルフの類い稀なる記憶により遺された手記が今に伝える通り、そこで宣言した通り未だに期限なき自罰に従い、自身の主君たる神聖皇帝からの許しなきままに国城の地下牢から出ていなかった。

 

そしてゼルプが入手した情報の中でも最有力とされた、まさに天運とも言える情報こそが、新生した帝国の全権を握る神聖皇帝テトラは未だ経験も浅く世間知らずであり何より肝心名将ハクキの存在を知らず、また、現行の第二権力者である執政総監ユリアナ・ツェーザル・ディクタトラは男の身でありながら皇帝に狂気的愛を捧げることを衆人環視の元でも憚ることなきハクキの意固地さを毛嫌いしているという情報だった。商人に扮して南方や、ハクキの出生地である東にまで赴いて聞き込めば執政総監のハクキ嫌いは相当のものだった。というのも、ハクキが自罰で地下牢に入って間も無く彼が率いた恐るべき軍団は解体され、副官の司馬忠も閑職へと追いやられたというのだ。司馬忠は名前を変えて峙金と名乗り軍を退役したという話まで耳にした。ゼルプは小躍りしたい心境だった。

 

帝国最中枢の不和。

 

敵の最高級の名将の自滅。

 

将に続いて優秀な副官の左遷。

 

果ては、強敵になり得た歴戦の大軍団の解体。

 

最高の状況だった。密偵の情報によれば西の国境に張り付いている敵将はアルザーヒル・バイバルトという実戦経験もない名ばかり軍団長と、竜騎と呼ばれる特殊軍の指揮権と皇帝の最側近にのみ許される大将軍の肩書きを持つハンナ・バアル・バルカ…こちらは百年前の建国当初から確認されているため注意が必要…、そして中央から派遣された国防軍とは別枠の

国都の防衛圏の死守を第一とするこれまた将も兵も実戦経験皆無の近衛軍第一軍が仁来来(ニーライライ)なる詳細不明の軍団長に率いられていること以外は至って特筆すべき条項はなかった。あえて言えば予想以上に敵の勘が鋭く、ゼルプが秘密裏に送り出していた騎兵部隊の動きに反応したことだった。しかしそれを除けば南方でも目立った動きもなく、各城塞都市にまとまった兵数が入城したという情報もない。二週間前に国城から前線に向けて出立した一団の動向は確認するまでもない。一団は既に公都ザマスへ入っており、後は退路を塞いで我々が奴等を殲滅するだけだ。

 

バルカン=テトラ神聖帝国軍十八万に対して、西方諸国連合軍は急募の傭兵(フリーランス)五万、西マネルワが販路を提供した代わりに東マネルワから借りた一万の精鋭重装歩兵師団を含めて数えると総勢七十万にまで膨れ上がっていた。

 

数で言えば先鋒軍五万を、ゼルプが率い変則的な動きをするために本軍との序盤の連携は難しいとの理由から外しても三倍以上の差が開いていた。

 

どうして負けることがあろうか。ましてや敵の障害にして憎っくき名将"白羈"は己が招いた味方との不和で戦の舞台にすらあがれぬ有様であった。

 

ゼルプは自らを鼓舞する様に、この日のために流した全ての血と汗の結晶。勝利へ続く美しい図面を検め、自らの母国への凱旋を確信した。

 

大陸に二度目の悪夢は現れないのだ。夕日が傾いている。ゼルプが先頭に立って進む入り組んだ道は彼の曽祖父アドルフが通った道だ。一度通った道を二度通るものはいない。数少ない緩やかな丘陵を幾つとなく越えて敵国の西の心臓部へと電光石火の勢いで進撃する。大胆だが効果的な軍事論の元にゼルプは「勇者の剣」を再現しようとしていた。その結末を勝利に塗り替えて。ゼルプは自分が伝説を前にして興奮していることを悟られぬ様、努めて落ち着いた声を心がけつつ副官に今日の野営の用意を命じた。

 

明日から二日は眠れぬ。丸二日駆け続けて敵の公都ザマスへと奇襲を仕掛けるのだ。

 

 


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