有翼のリヴァイアサン   作:ヤン・デ・レェ

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第二十二話 逆鱗に触る 前編

第二十二話 逆鱗に触る 前編

 

 

ゼルプにとって勇者という存在は極めて重大だった。

 

自身の半生を懸けて挑んだ大敵にして仇敵である森林帝国を倒す上では外せない要素であったと言えよう。

 

というのも、彼は鍵屋の息子として生まれて何かと職人気質を持っていたからか軍人となるために出奔したとはいえ錠前作りに関して相応の才をもっていた。

 

彼はその才能を生かして帝国へ潜入している間に幾つかの書庫や禁書庫へと忍び込み、魔の者たちの国を崩しうる決定打を探していた。そのための手がかりとして見つけたものこそ勇者だった。転生者と古来より呼ばれるこれらは過去数千年前に魔物の王たる存在を打ち倒した、という実績があった。勇者を筆頭に複数の転生者により王の命を奪われたことで魔物達は衰退。大陸の覇権は人間のものとなったという。

 

人間の、特に聖銀教会が吹聴していた人間が魔物を滅ぼしたという眉唾話も案外間違ってはいなかったと言えよう。

 

故に、ゼルプは帰国後すぐに決定打となりうるこの勇者なる存在を探し出し、これを秘中の秘として敵の首魁を討ち取るために用いることをヴァレンシュタインに上申した。

 

結果は彼の意見が通り、聖銀教国からの招聘と相なったのである。聖銀の中枢もまた森林帝国により度々開拓事業を阻まれたことで深く敵愾心を持っていたようだ。聖銀騎士団を派遣する程度には協力的だった。

 

ゼルプは勇者という存在を人類の武器と見做していた。いや、そうであるべきだと。それは後に彼の抱く理想に過ぎなかったと思い知らされたわけだが、彼は自身達「勇者の剣」こそが真の意味での戦士であり、勇者であると信じていたのだ。だから、勇者とはあくまでもその生まれや立場を便宜上設定した役職としての勇者に過ぎない。

 

彼にとって表に飾り立てた勇者とは記号であり、それが真に示すものこそ、「勇者の剣」の誇りを受け継ぎ森林帝国を打ち破るべき自分達のことであった。勇者に振るわれた剣が敵を殺すのではない。振るう者が勇者であっても、敵の命を奪うのは他ならない剣であると、ゼルプはそう解釈した。

 

彼は自分が生涯を注いだ大作戦を敢行した。現状それは成功していると言って良く、このまま進めば彼は後世大きな評価を得られることだろう。

 

しかし、彼は決断を迫られた折に勇者の勇者たるものをまざまざと見せつけられたのだ。それは彼の職人気質な自負と軍人としての誇りを大いに傷つけた。彼が用いようとした武器は強力だが、しかし扱うに難しいものだった。

 

彼にとって一生涯に一度の晴れ舞台は他ならぬ人類の味方に穢されてしまった。少なくともゼルプはそう感じていた。雪原に泥を落とされたような、欠くべきでないものが欠けた感覚を強く覚えていた。それは積年の誇りであり、楽しみであり、それらを後生大事にしてきた彼自身を否定されたというべき事件だった。

 

言葉を選ばずにいえば、彼は自らが主役から引き摺り下ろされたのが我慢ならなかったのだ。

 

全力で取り組み実現した勝利を目の前で、他ならぬ飾り同然の或いは反則的な存在に奪われんとすることが許せなかった。敵が反則的な強さを持ち得ると知って挑んだ。それは良い。相手にとって不足なし。今こうして追い詰めている。しかしそれは味方に同然の存在があることを考慮しないで手を届かせるという前提に成り立つべきものだった。

 

勝利の形が歪になった様がゼルプには幻視された。それに彼は暫しの合間、大いに毒された。敵に向いていた高邁でいて挑戦的戦意は異邦からの若造へと向けられる低俗な殺意に代わっていた。それに間違いはない。だがしかし。ゼルプは有能な軍人であった。彼は自身の人間性を押し殺し、敢えて現実的な勝利を手に掴むことを選んだ。

 

手塩にかけた虎の子の騎兵軍団五千の指揮権を勇者ユウヤに与え、彼が率いる聖銀騎士団五千と共に、栄誉ある一番槍の機会を与えること…言い換えれば戦果の横取りを許すこと…を容認した。自らは徒歩の傭兵と重装騎兵を率いて後詰めに甘んじ、勇者の後方の安全と進行速度の調整などに力を注いだ。

 

ゼルプは賢明な、実に優秀な軍人である。職業軍人としての誇りはもちろんのこと、彼には職人魂としての作品への執着があったにも関わらず、心の内で血涙を流しつつも勝利への拘泥を選んだ。勇者に高められた士気は彼が後続を率いていても嫌というほど感じられたことだった。常ならば国家や思想への共鳴を示さない傭兵達の目にも強い戦意や信仰心が見受けられ、それは敵地に孤軍で乗り込んだゼルプの指揮下にあって糧食以上に得難いものであった。彼は冷徹に自らの手に握られた命の重さの勘定に努め、結果、勇者ユウヤの手で最大限に高められた士気を悪戯に下げることなくぶつけることを決断した。

 

自身に与えられた使命、いや、彼が自負する職業軍人としての国家に対する責任感と生来の職人気質からくる意地。それこそが、余所者に誇りを半ば傷つけられたゼルプが私心を押し潰してまで決断した最大の要因であった。

 

だが、彼が後詰めとして向かった先で見たものは勇者ユウヤの、「いかにもな英雄譚的一幕」であった。

 

ゼルプの憤激たるや言に尽くし難し。

 

彼は決して、断じて、「英雄譚」に憧れて此処に立っているわけではない。

 

明確な勝利の先にあるものだ。後の世に人口に膾炙すべくという思いは否定しまい。が、ゼルプは紛れもなく人の生命を用いた残酷な営みに、正々堂々と相対すべくこの場に立っているのだ。

 

ゼルプというこの世界の一級の人物から見れば、目の前で英雄然と聖剣を振るう男が紛れもない小人であることなど一目瞭然であった。喉まで出かかった言の刃。すんでのところでゼルプは自身の喉を揉んだ。潔白な声はきっと、初めて嫉妬の篭らぬ声で天に訴えたことだろう。

 

「(何たることか!勇者よ!貴様には魔の女すら持ち合わせている覚悟がないではないか!!)」

 

恥。

 

ゼルプは有能な軍人であり、良き性質を持って生まれた人間でもあった。だが耐えたのは彼が将であり、未だ夢を捨てきれぬ職人であったからだ。

 

勇者が騎馬戦決闘の約定を立てた後、陣営にて両者は相対した。

 

「決闘をしようとはまことか?」

 

ゼルプは自身の固く握りしめた手のひらから温かいものが流れる感覚を覚えた。勇者へと詰問するゼルプの顔は今までになく険しい。

 

「あぁ。魔王を倒すにしたって、あのエルフ女は邪魔だろ?オレが勝てばアイツはオレのモノになるという条件を飲んだはずだ!魔王の盾であるアイツが消えれば、勝ちはこっちのものになる!約束を守らなくてもオレに勝てないんだ、すぐに皆殺しにしておしまいさ!」

 

勇者への詰問は勇者自身が自らのデモンストレーションを兼ねて大言壮語する場へと変わった。ゼルプはまだ数日の、まともに話したのは数時間の付き合いであるはずの目の前の若造が憎たらしくてたまらなかった。

 

「…ッ!勇者ユウヤ殿。貴方は今の状況を分かっているのか?貴方がしたことは相手に時間を与え、剰え我々の有利を欠こうとしているのだぞ!我々の有利は敵の中枢を混乱させることから生まれるものなのだ!貴方の行為は戦略上の道を踏み外している!!」

 

ゼルプはもとより軍政家のヴァレンシュタインの元で多くを学んだエリートだ。今、彼が積み立ててきた戦略的な重点は揺らぎを見せていた。どれもこれも勇者の独断的英雄譚のお陰様である。勇者の派手な進撃はその動力として三つが数えられた。敵四千に対して一万という圧倒的な兵力差を誇ること、奇襲に加えて敵には自軍の情報がほとんど把握されていないということ、そして聖剣と勇者の奇怪な檄が熱狂的な戦闘意欲を軍全体から引き出していることの三つだ。逆を言えばこの三つのみ。ゼルプが知る上で、比類なき優勢の形があるように見えてその実は堅実と冷静さを意図的に失わされた軍がその統率を長く保てた試しなどないのだ。英雄的精神が非効率的に戦争を進行し、果てには極めて効率的に名誉の犠牲者を量産するであろうことは想像に難くない。

 

「何をいうかと思えば…大佐!オレは勇者だ!勇者として兵を率いるならば、それは正義の名のもとに行われるべき行為だ!!勝利は目前、此処でより決定的な衝撃を敵に与えるなら一番の強敵を正面から打ち破ったほうがいいに決まってるだろ!?」

 

勇者も蛮勇を語る。彼とて世に言う反則(チート)を身に宿した者だ。傑物と呼ばれるだけの直感を持ってはいるはずなのだ。彼はそれに任せた強引だが、現状としてはいかにもな有効性を発揮している自らの独断に満足と自負を覚えていた。十八歳の青年は才能と引き換えに謙虚さを奪われたといえる。互いに不幸なことは、彼がその大言を実現可能であると相手に思わせる威を放っていたことだ。そして彼に従う者達はそこに夢を見る。

 

「貴方は!貴方はあの国の輩を理解しておらんからそんなことを言えるのだ!相手に理解の時間を与えることが間違いだと言っている!!」

 

ゼルプは自分でも意図せずに口走っていた。あの国のこと。それは他ならぬバルカン=テトラ神聖帝国のことであり。そこに暮らす民のことだ。ゼルプは決して思いを漏らすまいと思い続けていた。それは彼が潜入から戻り母国ログリージュの土を踏んで以来固く誓ったことだ。欠片でも羨望を抱いたことをゼルプは決して言わない。これは表情にも出すことはなかった。だが、心中の奥底にある真心では強く羨望せずにはいられなかった。ゼルプは彼の国で見た豊かさを、他のどんな人間国家にも見たことがなかった。無差別で牧歌的な温厚と、飽食や教育は言わずもがな、魔導による高度な技術的利をも端々の下民や余所者にさえ惜しみなく与える国力と文明の高さ、そして軍人として憧憬に溺れた強力な軍事力と反則的な国家制度、それら全てを飲み込む寛容な、シンボルとしての神聖皇帝が放つ君徳。

 

ゼルプは白羈の不在の間にこの帝国を瓦解させるには、いや凡ゆる被害を甘んじて受け止めてでも君主を一人抹殺することのみが結果的に勝利につながることを強く確信していた。正面戦争が起これば長寿で肉体的にも高性能な向こうが人間国家に対してどれだけの損失を与えるかなど想像もつかなかった。超長期戦を考慮しなければならない。それを回避するのならば敵の首を断つしかない。戴冠式でゼルプが目にしたのは、飛翔するであろう邪神の禍々しくも煌めき立つ姿、それもまた運命であった。ゼルプはテトラが王に成長する前に抹殺しなければならないと言う使命に燃えた。

 

故にゼルプは勇者の寄り道に怒らずにおられない。「もしも」が恐ろしくてならない。怒りに忘れていた胸騒ぎが再来した。

 

ゼルプがなんとか勇者の遊戯を阻止しようとしていたのを知ってか知らずか、勇者の指揮下に入った軽騎兵の一人が馬を駆ってやってきた。時間切れだ。

 

「勇者様!!出撃の用意ができました!!徒歩の聖銀騎士団の方々には重装騎兵の騎馬をお貸ししました!!いつでもいけます!!!」

 

伝令は獰猛な笑みを浮かべて報告した。勇者は答えるようにヒラリと借り物の愛馬である白馬に跨った。そして去り際にゼルプに言い捨てた。

 

「ゼルプ大佐には失望した!オレとは違って覚悟がないらしい…残念だ。まぁ、勇者のオレと比べると無理もないか。アンタの話はわかったよ。アンタはそこでオレがあの女に勝つところを見てればいい。今にわかるさ!勇者に勝てる魔王なんかいないってことをな!」

 

どが!派手に砂煙を巻き上げて馬を走らせた勇者ユウヤ。ゼルプは何も言わずにその場を後にした。瞳は暗く、固く結ばれた口元から血が垂れた。


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