有翼のリヴァイアサン   作:ヤン・デ・レェ

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ツェーザル家の末娘ユリアナ 中編1

ツェーザル家の末娘ユリアナ 中編1

 

 

酷く昔のことを思い出していた。私が、まだ二十にもなって居なかった頃のことだ。

 

今から100年以上前のこと。分裂する前の南方マネルワ王国が家族と私が入国したばかりのシャングリラ聖堂教国へと信仰を開始した。

 

10万規模の軍勢による蹂躙劇から幸いにも逃れることができた私たちは、北へと向かう途中で派兵されたログリージュ王国の軍勢の後続へ加わった。行商らしく軍勢の中で娯楽品などを売ったのを覚えている。

 

それから10日後に、ログリージュ・シャングリラ連合軍はマネルワ軍に占拠された教国の聖都エルサルム郊外での会戦で勝利。宗教施設以外が荒廃した町へ入都した。

 

都に入って間も無く不気味な噂が流れた。魔物や異端といった言葉が街頭に立つ衛兵や派遣された異端審問官の口から頻りに聞こえるようになった。私たち家族は何度となく出国を希望したが受け入れられず、右往左往を繰り返してるうちに教国軍から戒厳指令が発され宿から出ることもできなくなった。

 

戒厳発令から一週間後に父マリウスが呼ばれた。

 

行商人に対する事情聴取が始まり、侵攻があった日に入国した行商は私たちだけだということが判明した。間も無く異端審問官からの審査が宿に入り、隠す間もなく私が見つかった。家族の不安げな顔は私が見つかるとすぐに覚悟を決めた顔になって居た。私は泣きそうだった。父も母も皆、異端審問官たちが引き連れて居た兵士に問答無用で拘束された。私は家族と引き離されて冷たい石床の独房で一夜を明かした。

 

次の日、説明も弁護の機会もないまま私たちに異端と背信と魔物の手先という烙印が押された。教会の司教や司祭たち、調書に参加して居たログリージュの軍人達、そして聖都の人々の前に一家一同引き摺り出された。人々の顔は酷く醜く歪んでいて、私は彼らの顔を見ることができなかった。睨みつけられているのが自分だということを理解したくなかった。

 

父と母は酷くやつれていた。兄達は声を殺して怒り泣いていて、姉達は無念そうに項垂れて泣いていた。父の額や頬は切れたり、腫れたりしていた。手や指の先には血が滲んだぼろ切れが巻かれていた。私は泣きたくても泣けなかった。私が泣いてはいけない気がした。

 

あたりは顔を歪めた人々が沈黙を生み出していた。私たちの目の前に置かれた壇上に上がった異端審問官が羊皮紙の巻物を広げて声を発した。

 

「異端にして悪逆の極みを体現した南方マネルワ王国の侵攻を先導し、多大な人民の生命と財産と誇りと信仰とを奪うがごときは人間の所業にあらず。剰え、神聖なる聖都エルサルムに悪鬼魔族のごとき化け物を入国させ、人心の撹乱と信仰への背徳を極めたることは何人にも許されない。異端審問官の名に於いて偉大なる聖銀教の慈悲を与える価値なき者達の汚穢極まる泥名とその罪状、神罰に倣った然るべき激罰を下す。」

 

声は異様なほど風に乗り、人々の耳に毒を流し込んだ。途端、先ほどまでの軽蔑の沈黙は破られた。言葉無き打擲はすぐさま形を持って、その音の反響によって私たちを責め立てた。

 

「背徳者に死を!!」

 

「偉大なる神と聖なる銀による浄化を!!」

 

「外道に罰を!!」

 

「人の皮を被った悪魔を清め給え!」

 

「死を!」「罰を!!」「浄化を!!!」

 

家族の方はもう見れなかった。

 

殺せ、死ね、浄化せよ…およそ命あるものにかけるべきではない言葉が雨のように私たちに降りかかった。父は嗚咽を、母はただ沈黙で耐え、兄と姉たちはただ涙を流している。私には声を上げることを許されてはいない。涙を流すこともいけない。とても、そんな人間らしい何かを期待されては居ないのだと思った。こんなものたちの前で、家族に許すような血の通った涙を流すなど自分が許せないから。涙を堪えた。唇が血の味がする。丈夫すぎたせいか体の痛みとは無縁の人生だったから、初めて味わう血の味は筆舌に尽くし難い懺悔と憎しみの味だった。私の中で沸々と激情が煮詰まる中、異端審問官は12枚の羊皮紙を読み上げ始めた。

 

「背信の首謀者!マリウス・マリウス・ツェーザル!!南方に生まれた貴様は国家と信仰と人民に対して許されざる罪を犯した!悪魔を養育し、この聖なる地に異端の軍勢と共に誘い込んだのだ!!よって貴様を極刑に処す!!刑の執行は火刑をもってする!!」

 

「次に!ユリア・コンスタンツェ・ツェーザル!!貴様は元娼婦でありながらも聖銀教に帰依することもなく!!背徳の徒として夫マリウスとの悪魔儀式をもってこの世に魔物を産み落とした!!これは前代未聞の絶対的悪行であり、未来永劫咎められるべき背信行為である!!異端にして背徳を極めし貴様も夫と同等の悪人として極刑に処す!!刑の執行は夫と同じ火刑である!!」

 

「次、悪人夫婦の間に生まれ落ちた貴様ら九人の罪深い忌子ども!長男ウィプサノス!次男コリントス!四男バッシウス!五男カッシウス!六男マリウス!長女アグリッピナ!次女ミリーシア!三女イグニア!そして、悪魔として生を受けた罪深き存在!ツェーザル家の末娘ユリアナ!」

 

一度言葉を切った異端審問官は最後の一枚を捲ると再び口を開いた。

 

「貴様らはユリアナを除いて全員に特赦を与える!!今ここで聖銀教徒として改宗して慈悲に伏し、父と母と末の娘が犯した大罪を告白せよ!!さすれば免赦を重ねて貴様らは追放刑に減刑してやろう!!さあ!これより名前呼ぶ!!信仰を捧げ、その命を拾うがいい!!」

 

ありきたりな慈悲の演出が始まり。あたりは一度静かになった。静寂で数分が経ってから異端審問官は読み上げていく。私はどうか兄と姉たちだけは命が助かるように祈るばかりだった。父と母には申しわけも立たないが、私は両親をあの世があるのならば支えなければならないと思ったから。

 

「長男ウィプサノス!!貴様は改宗を誓い、悪行を告白するか?否か?」

 

「断じて否!!もとより罪などない!!我が父母は汗水を垂らして俺をここまで育て上げてくれた!聖人にも勝る良き人である!その恩人を貶めることなど死んでも断る!!妹もまた同じである!!俺の妹は外見が俺や家族と少しばかり違うだけだ!貴様らよりよほど信心深く、日々を慎ましやかに生きてきた!!…俺がいうことは以上だ。」

 

避難が爆発した。長兄ウィプサノスは父に似ることなく優しく少し頑固な男に育っていた。自分にも他人にも厳しいが誰よりも家族を愛している。

 

「よし!貴様の言い分はよくわかった!炭屑となりたくばそうすればよい!ひったてい!!」

 

父と母は我慢ならずに駆け出そうとして兵に抑えられていた。額から血を流しながら父は涙を流している。兄は堂々とした足取りで私の前を通って連れて行かれた。私の前を通る寸前に兄はすまぬと言い遺した。この言葉が最後だ。兄は私にどうしてすまぬと言ったのか。何も貴方は悪くないだろうに。

 

「愚かな兄を持ったな…次!次男コリントス!悪を認め改宗せよ!!」

 

「否である!!兄に同じく!俺は家族とともにある!!余計なお世話だバカヤロー!!」

 

次兄のコリントスは悪戯好きで私もよく仕掛けられた。たまに手酷いのをやられることもあったけど、最後には一緒に笑えるような可愛げのある悪戯ばかりだった。客商売なのに口が悪いと母は嘆いていたが、父は兄が人に好かれる性分だとわかっていたから苦笑していた。行商の先々て好きな人ができたと話すものだから彼自身も人が好きなのだろう。兄は兵に連れて行かれた。私の前を今度は次兄が通った。兄は私の前を通る時思いっきり屁をこいて見せた。ニヤリと笑ってどうだ匂うだろう!と兵に言ってのけた。数度殴られて連れて行かれる兄の顔はしかししてやったりと清々しく見えた。でも、目には涙が浮かんでいた。私に笑って欲しくてやってくれたのかもしれない。最後まで曲げない、誰にも縛られないという自分らしさを守ったまま、兄は奥に消えた。

 

 

それからはあっという間だった。

 

「貴様もだとは言うまいな…次!四男バッシウス!今度こそ!悪を認め改宗せよ!!」

 

「断る。家族を売るようなやつまで迎えるとは聖銀教は大した寛容じゃないか。」

 

四男のバッシウス兄さんはすこぶる頭が良くて、計算も得意だった。けれど少しだけ皮肉屋で失敗を引きずってしまう。努力家だからなおさらだった。長兄のウィプサノス兄さんをとても尊敬していた。バッシウスは静かに連れて行かれた。口は一文字に締められていて、とても鋭い目つきで周囲の人々を見ていた。私の前を通り過ぎる時、チラリと私と目を合わせてくれた。どれだけ大きな失敗をしても見せたことがなかったような泣きそうな顔をしてた。私はそれが当然なんだと思った。なんで、どうして。きっと兄さんはそう言ってやりたかったに違いない。わたしにも、周りで自分達家族を痛めつける悪い人間たちにも。兄さんはそれきり何も言わず、何も見ずに静かに人ごみの中へ消えてしまった。私はもう目の前が見えなかった。潤んで、洪水を堰き止めるのに必死で荒く湿っぽい鼻息だけが漏れた。

 

「愚か者め!次だ!五男カッシウス!貴様はどうだ!!火刑が怖くないというのか!?」

 

「怖いよ!!何言ってんだ!怖いに決まってんだろ!!だけどよ…兄貴たちがあれだけ行ってやったんだから!俺も言わないのはカッコ悪いだろうがよ!!ほら!もういいだろ!さっさとつれてけばいいだろ!!」

 

五男のカッシウス兄さんは力持ちで私くらい背が高い。肩幅もあって、父さんよりも男前だ。でもまだまだニ十代後半なのに髪が薄いと嘆いていた。楽しいことや面白い話が得意なカッシウス兄さんは弟と妹にとても甘かった。私のことも自分より体が大きい妹なのに可愛がってくれた。重いものを運ぶのは兄さんの仕事だった。父さんが腰をおかしくしてからはなおさらだった。母さんはカッシウス兄さんが一番若い時の父さんに似てると言ってた。私もカッシウス兄さんが大好きだった。兄さんは異端審問官の前でその大きな体を堂々と奮い立たせて見たことがないくらい怒っていた。これでもかと大きな声ではっきりと改宗も助命も断って、のっしのっしと槍を向けられながらも知ったことかと自分のペースで連れて行かれた。私の前を通ったとき、兄さんは今日一番の大きな声でお前は悪くない!そんな顔はするんじゃない!と言ってくるりと背を向けると人ごみの中に消えた。私の前で立ち止まったとき、背を軽く槍でつかれていた。血が滲んでいるのが見えたけど、兄さんは痛くも痒くもないぞ!と口に出しながら進んだ。背を向けてすぐに兄さんの頬を涙が伝っているのがわかった。兄さんは強がりなのに痛いのがなによりも苦手なのだ。もうそんな姿も見れない、最後に見た姿は勇ましかった。けど、いつものような優しい兄さんをまた見たかった。

 

「くぅぅぅ!!度し難い!次だ!六男マリウス!!未だ若い貴様は何と答える!!」

 

「…改宗するにしたって、もとから聖銀教徒じゃん。あーやだやだ!…はぁ、兄さんたちに同じで。家族と離れ離れは嫌だから。」

 

六男のマリウス兄さんは三女のイグニアお姉ちゃんと双子で生まれた。飄々としていて何となく髭が似合う父さんとは全く似ていない、可愛らしい外見の好青年といった感じで、長女のアグリッピナ姉さんが特に可愛がっていた。可愛がっていたというより、構ってほしい姉さんがマリウス兄さんに構われてたのかも知れなかったけど、それがいつもの温かい日常の光景だった。マリウス兄さんは面倒くさがり屋で、本を読むのがなにより好きだった。行商で街に立ち寄るたびに違う本を抱えていた。文字も綺麗で、私は兄さんの字を真似て勉強していた。痩せがちで頼りなさそうにも見える兄さんは、でも異端審問官に一歩も引かずに言ってやると、スタスタと自分から兄さんたちの元へ向かった。私のことを見ると悲しそうな顔で先に待ってると告げてもうふりかえらなかった。

 

「〜〜〜〜!!!もういい…貴様らが救い難い悪徳しか持ち合わせていないのはわかった!では最後に聞こう!!長女アグリッピナ!次女ミリーシア!三女イグニア!!貴様たちの答えを聞こう!」

 

「愚問ね。こんな人たちの同じ空気を吸っていること自体が度し難いわね。なんで生まれてきたのかしらね。美しい言葉を使うべきだと教えられてこなかったのかしら?これが最後の行商先だと思うと反吐が出ちゃうわ。なんでかしらね…はっきり言ってあげる!何年一緒に暮らしてきたと思ってるの?改宗も身内を売ったりもできるわけないじゃない!!妹なのよ!家族なの!!わかったら私のことも兄さんと弟たちのところに連れてってちょうだい!!誰が触っていいって言ったの!!あぁーもう!自分で行くから結構よ!」

 

アグリッピナ姉さんは長女なのに姉妹の中で一番背が小さかった。だからよく末っ子の私の背の高いのは私の分も大きいからだと言っていた。怒ってはいなかったけど、羨ましいらしかった。けれど、アグリッピナ姉さんは誰よりも働き者だし、誰よりも可愛がられる人だったから、見かけより年上として甘えるのが下手な私は私で姉さんのことが羨ましかった。その姉さんはカンカンに怒って顔を真っ赤にしながら異端審問官のすぐ前まで進み出てキッパリと言った。彼女を連行しようとする兵士のことをその小さい体からどんな力が出るのかと思うくらいに強く蹴飛ばして、自分の足でずんずんと奥へと行ってしまった。私の前を通る時、両手が縛られているから体当たりするみたいに体を押しつけてくれた。何も言わないけど、体は震えていたし、歯を食いしばって涙を我慢していた。長女のプライドがあっても、姉さんは外見相応に可愛らしい女の子だから苦しくて悔しくて怖くてたまらないに違いなかった。ぎゅうーっと私の首に顔を押し付けるとキッと強く周囲を一度睨みつけてから大股で人ごみに消えていった。

 

「…ねぇ様に同じく。怖くて仕方ないけど…家族と離れるのだけは嫌。火で焼かれるのなんて嬉しいわけないじゃない…火も怖いけど家族とずっと一緒なら、そっちのほうがいいの。それに、妹が悪いわけない。」

 

次女のミリーシアは心底うんざりした様子で改宗を断った。困った困ったと首を振りながら、意地を通していた。震える手があまりにも痛ましかった。仕切りにさすると手振りまでつけて私の前を、散歩に行ってくるみたいな気軽さで通り過ぎた。少し行ってくるわね、なんて彼女しか言えないに違いない。ミリーシア姉さんは私より五つ年上だ。とても美しくて、誰よりも賢い人だった。長兄のウィプサノスはミリーシアの気難しいところと気が合うからと、よく一緒になってサボり魔の五男のカッシウスを追いかけていた。楽しそうねと言ったら、兄は楽しくないといってフンと鼻息を吐き出したが、ミリーシア姉さんはえぇ、とっても楽しいわとコロコロ笑っていた。少し意地悪なところも憎めない、強かな人だった。きっと母さんに一番似ているのはミリーシア姉さんだったと思う。

 

「うわーん!なんで!どーしてこーなるのよー!!パパー!!ママー!!マリウス兄さーん!!ねぇ!なんであなたたちはそんなにひどいことを言えるの!!誰かを救うのが神父様のおしごとじゃないの!?嫌!!いや!離して!!あるくから!自分で歩く!!あんたたちになんか触られたくない!!」

 

三女イグニアは六男マリウスと双子で生まれた。私とは一歳違いで生まれたから歳の差はあんまりない。そのうえ私の体が大きいからどっちが姉なのかわからなかった。けれど彼女は私のおねぇちゃんであろうと努力していたの知ってる。きっと彼女はみんなから三女だからと甘やかされるのも嬉しかったのだろうけど、誰かの姉であることは誇りのようなものだったのだと思う。泣きながら、鼻水を垂らしてさえいたけれど、涙が止まらない私の目の前を通る前に周りの兵隊を押しのけて涙と鼻水を拭うと、いつものようにかちきな笑みで凛と背を伸ばして通り過ぎて見せた。私はずっと貴方のお姉ちゃんでいる。そう言い残した彼女の背が兵の列奥深くに消えるまでずっと見ていた。流さないと決めていた熱い涙が流れた。堰き止めたくても止まらなかった。口の中は血と涙の塩辛い味でいっぱいだった。


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