第三十一話 仁来来
ニーライ=ライは白森族(ライトエルフ)と白熊の獣人族(ランドノーム)の間に生まれた、森林帝国でも稀有な混血種だ。それゆえ彼の名前は森族(エルフ)の使う古代文字で名前を仁来来と書く。
純血種が混血よりも尊重されると言う傾向が森人(フォームレスト)には薄い。かと言って混血が奨励されてはいないといった状態である。
誰と契ると言っても咎めるものがいない分、いくらか人間の領域より婚姻制度は緩やかである。
そんな制度下で五十年ほど前に獣人族(ランドノーム)の血族の中でも有数の白熊の氏族の名家に生を受けた彼は、生まれた時から美しい容姿で広く人気を集めた。
加えて彼には魔導の素養が色濃く現れたため、美貌の白熊族の魔人として、さらには獣人の貴種として有名な存在になった。
獣人は帝国の全土に最も広く分布する血族だが、中でも白熊の氏族は極北のソヴィア公国に宗家を構えている。
若くから貴公子の風格を持つニーライの噂は国都テトラリアはもちろんのこと、遥かに遠方のマケドナ公国にまで届いていた。
ある時、ニーライは国都にある近衛省から召喚された。近衛軍は国都経済圏を含む国防の最終線の死守を責務とする精鋭部隊である。
ニーライは家族からの応援も受けてこれに出頭し、時の近衛総監ハミルカスに見出されて試験を飛ばしていきなり実戦部隊へと配備された。
近衛軍への急遽入隊に周囲は驚いたが、ニーライは不満ひとつ言わずに軍務に就いた。
最初の4年間は本格的な軍学を学ぶために大軍学院へと編入学し、その後3年間は国防軍の士官として前線勤務を経験した。
士官としての経験を積んだのちに近衛省員になり、常勤として日々実直に励んだ。
彼はこの時点ではまだ有能だがお堅い文官畑の軍人だった。
彼の人生の転機は、彼の実家が北域に生息する白いヒグマを飼い慣らすことに成功したこと。そして、彼自身が有能なヒグマ騎手として白羈に見出されたことだった。
彼は白羈に教授を受けて、武人として、巨獣を飼い慣らす稀有な存在として、国家に重宝されるようになっていった。
近衛軍の第一軍の団長として大成したのも、彼の実力と、その運が良縁に巡り合わせてくれたからだろう。
生来の巨躯と、そこから繰り出される偉大な膂力も手伝って、彼は武人として近衛軍の第一軍団、その中でも最も豪傑なもの達だけを集めた戦ヒグマの騎兵隊を自ら率いて戦いに赴くのだが、その破壊力たるや、絶句する他ないものがある。
そして、その恐ろしい力はまさに、彼が開戦前に用意していた騎兵用の、つまりは戦ヒグマ達を隠しておくための穴ぐらが集在している丘陵域に、敵の第一軍が侵入したことによって振り下ろされた。
森林内部は草木の緑を覆う、前年の豪雪が未だ残っている状態であった、火薬の特徴的な匂いや、戦列で敵の突撃を受け止めることを前提に用意された長槍を手にしている人間兵の歩は、雪にも阻まれて決して快速ではなかったが、着実な進撃のために木々の間を埋めるように人員を送り込んでいた。
人間が密になって、互いに盾を立て、正面にも横にも注意を払い、白い息を吐き出しながら進む。鎖帷子や鉄のプレートが擦れて音を鳴らすが、それ以外に私語はない。
油断することが危ない事はわかっているからだ。ヴァレンシュタインやゼルプがかき集めた兵士、特にログリージュ兵達はこのような、心構えに強みを持っていたが、一方で、他国の兵士たちは余りお行儀の良いもの達ばかりとは言えなかった。
戦意が高い、つまりは勝てることを確信した者たちの中には、まだ接敵していないにも関わらず勝利の凱旋の話をしたり、仲間内で賞金の話や、将来の栄達の話に花を咲かせていた。
隊列は疎で、何処となく付け入る隙が見つかる程度の密度でしかない。
平地から、少しずつ斜面が見られるようになり、それにつれて、兵士たちの目にも、敵の巨大な大要塞の、その威容がはっきりと確認された。
岩や砂を積めた袋や、見たこともない砂を固めたような白っぽい建築材で何重にも固められているそれらが見える代わりに、彼らには地上部の巨大な石積みの建物が無惨に倒壊しているのが見えていた。
息を興奮で荒くするものと、全く反撃が無いことに背を縮めるもの達もいたが、誰も、大要塞から見て右の丘陵には、つまりは彼らの真横には警戒を払っていなかった。
兵士たちは一度、要塞へと踏み込む前に集まり、隊列を組み直して、盾を頭の上にも構えた。
進撃の合図が笛や太鼓で鳴らされ、彼らは進んだ。剣や槍が顔を出した太陽の光を反射して、その光が雪に伝わりキラキラと輝いた。
雪道を進む音が何百にも重なって聞こえ、盾に覆われた亀のような隊列は進む、隊列の中、構えた盾の奥で冷たい外気からも身を守るように、肩を寄せ合い、熱い熱気を立ち込めさせる彼らは要塞の崩れた外壁へと進むために、急な土手を登り始めた。
そして、そこで初めて凶暴な吹子が風を吐きかけるような、獰猛な息吹が雪上を滑るように近づいてくるのを感じたのである。
「左からだ!!!」と誰かの叫びが聞こえたが、隊列を組んで進むもの達は、何が来るのかもわからない上に、一度組んだ盾の甲羅を崩してしまう事は、とても恐ろしい事だったので、すぐに動くこともできず、ただ、叫びに体を固くして、その場で歩みを止めて、甲羅を厚くすることしかできなかったのである。
間も無く、腹の底から響くような咆哮があちこちから上がり始め、同時にあちこちから悲鳴が上がるのが聞こえ始めた。
巨大な槌で、甲羅を叩き割られるような、強烈で大きな音が響き、悲鳴が上がり、大きな物が、兵士たちが組み上げていた隊列にぶつかり、骨や槍、盾を粉々にしてしまう、恐ろしい物音が次々に上がった。
恐ろしさに、やっと自分達が大変な、死にとても近い位置にあることを理解した者たちは、隊列を組んでいたことも忘れ、我先に逃げ出した。
恐怖の音が迫るのに耐えられないものは逃げ出し始め、耐えようとしていた者たちも、盾と盾の隙間から、真っ白な、あるいは黒茶色の、見たこともないような、牛の倍はある大きな熊に、同胞たちが引きちぎられるのを、熊の背中に乗る大人の人間の倍はあるような、恐ろしい白の鎧の巨躯の騎手が、同胞を数人まとめて斧のような槍で撫で切りにしてしまうのを見て、声を上げるより先に、我先にと逃げ出し始めた。
特大の鎖帷子とフルプレートの白い鎧を纏ったニーライは真っ白で一際巨大なヒグマに乗り、これを自由自在に暴れさせ、自身も斧のような槍を振り回して、人外の膂力で数人をまとめて撫で切りにしてしまう。
ニーライに従う、彼と同じ氏族の者たちも、白や焦茶の巨大なヒグマを駆って、これを暴れさせて人間が盾で組み上げた甲羅を、無惨に砕き、騎士たち自身も槍や斧を振るい、これで敵の骨や槍を砕き、そして命を奪った。
5千人の近衛軍第一軍団の、実に三千近くがニーライが率いる戦ヒグマ騎兵である。この猛獣を手懐けた度胸ある者たちは、その蛮勇に更なる勢いをつけて、大要塞まで続く森林の道の、半ばほどまで進出した敵の、その勢いを殺し、多くの兵士たちを、森の中で立ち往生に陥れた。
人間の兵士たちは、ログリージュ王国の者たちは奮戦し、敗走する時も統率を保ち、友を守りながら、多くの兵士たちが逃げることができたが、フランキ王国の兵士は、ブリテーナ王国の兵士たちと先を争い、友を置き去りに、他国の兵士を足蹴に、踏み台にしてまで逃げようとしたため、仲間との協力も成されず、わずかな者たちしか、森の外までたどり着くことができなかった。
森人(フォームレスト)側の総司令官であるマハル・バアルが言うまでもなく、ニーライの武力は敵の鼻面に爆発し、敵の歩みを止めてしまった。敵兵は戦き、慌てて退く中で、ニーライの追撃を受けては数を減らした。
第一軍の約五万の軍勢が、大要塞に攻め寄せる波となったが、波は端から崩れていき、それはすぐさま隣へ、隣へ、と伝播していった。
ニーライたちが騎乗する戦ヒグマは、馬よりもより多くの食べ物を必要とするが、馬よりも好き嫌いがなく、ほとんどの物をよく食べ、また馬よりもよく走り、馬よりも丈夫で、どのような場所でも進み、何よりも凶暴で、人間が10人がかりでも一頭を殺すことも難しい獣である。
この猛獣を駆って、ニーライと三千の、戦ヒグマ騎兵は丘の穴ぐらを飛び出し、塊になっていた人間たちに襲い掛かり、大いに破り、悉くを殺すと、すぐさま次の場所へと南下した。南北に長い戦場は、機動力と、何より整地されていない森の土を踏み越える踏破性が求められる。
巨大な体で馬よりも早く森の大木たちの間をすり抜けるニーライたちに、人間の、手酷く破られた敗残兵達を受け入れた、より南から進軍した者達は、驚き焦り、何とか衝撃を受け止める体勢をとったが、ぶつかり合った二つの塊は、ニーライ達のヒグマの剣のような爪と、ツノのような牙と、その大いなる膂力によって、瞬く間に一つになってしまった。
特に目立って恐ろしい活躍をしたのはニーライであった。ニーライは3千の先頭で白い戦ヒグマを駆り、大いに暴れさせながら、愛獣に一矢報いようとする、力の差を弁えない者達を、片端から、その巨大な刃が埋め込まれた槍で横凪にして、一纏めで殺してしまうと、それだけでは飽き足らず、馬に乗っている隊長格の騎馬兵を、部下達に命じて全て馬ごと投げ飛ばし、落馬した騎士達を全てヒグマ達に食べさせた。
ヒグマ達は皆、硬い鎧を好まないで、爪で力任せに、その下の柔らかい肉ごと剥ぎ取ると、吼えることもなく、黙々と、一人につき二頭ほどが集まって食べた。戦いの中、助け出そうと矢がいられたが、矢は鎧を着ていないヒグマの体にさえ刺さらなかった。ヒグマ達は射られたことにも気づかないで、剣を振り回す隊長たちの腕を煩わしそうに、捥いで飛ばしながら、戦場の真ん中で剣戟の中でも食べた。
騎士達の、自分達の隊長たちの悲鳴に、兵士たちは驚き、ニーライとその部下たちが、誇りある騎士たちを、餌としたヒグマたちに与えていることに、恐怖し、怯えて、怒りを忘れて逃げ出したが、ニーライは逃げ出した者たちは追わずに、騎士たちをあっという間に食べ終えたヒグマ騎兵達を引き連れ、更に南下した。
ニーライは、「白羈様が言っていた。人間は悪い生き物ではない。だが、攻めてきたならば徹底的に、油断なく、淡々と、怒りも、悲しみも、正義も滲ませずに、過度に恐れずに、戦わねばならない者達だけの命を奪いなさい、と。」と、部下達にも言い聞かせて戦う。だから、彼らは決して、人間を恨んでいるわけではないし、怒りを抱いていたり、正義の名の下に、然るべき罰として、酷い死を騎士達に送った訳でもない。
彼らは、戦略的に価値があるから、という理由で、正義や、憤怒や、或いは悲しみを瞳に浮かべる事もなく、淡々と、作業的に、自分が命を預けるヒグマ達に、一度補給の時間を与えただけなのだ。
だから、泣かないし、吠えないし、無駄に追う事はない。
白羈の信徒であるニーライは、師からの教えを忠実に実践しているだけである。
ニーライが更に南下すると、人間の兵士たちは、逃げてきた兵士たちの話から学習して、攻城用の、大きな弩を用意して待ち構えていた。
敵が習熟した手つきで、大きな弩に丸太の矢を番えるのを確認したニーライは、これを正面から受けることなく、すぐさま弾道から外れ、森の木々を盾にしながら、蛇行し、これに接近していった。
少しずつ迫り来る敵に恐怖した兵士たちが弩を、方向も気にせずに打ち続けると、丸太の矢に当たった木々がミシミシと揺れたが、木は倒れなかった。森の木々に惑わされて、狙いがつかない弩は全く当たらなかった。
ニーライは、その剛腕に恃んで、地に落ちていた丸太の矢を担ぐと、弩程ではないが、素晴らしい投擲で、これを弩に投げつけた。
弩と、弩を扱う兵士たちが丸太の矢に貫かれ、兵士たちは怯んでしまった。兵士たちの怯んだのを見ると、ニーライは部下達をけしかけて瞬く間に、弩で待ち伏せていた兵士たちを殺し、これから丸太の矢だけを奪ってしまった。
丸太の矢を部下達にも持たせたニーライは、これを更に南下した所で進軍する敵の盾の陣へと投げ込ませ、これを破壊させた。
ニーライの活躍で敵は散り散りになったが、五万を三千で完全に滅することはできなかったので、ニーライは悔しがったが、戦ヒグマ騎兵が稼いだ時間により、バイバルトや、マハル・バアルが指揮する大要塞の防衛陣地各地点には、兵士、兵器、燃料、などが行き渡り、万全の守りを展開できるまでになった。
唯一大要塞の前方にあった、いくつかの土手上の楼閣の瓦礫を過ぎたところまでたどり着いた部隊は、土手の奥に、投石機に破壊された瓦礫を利用して、人間側の目を逃れて作られた、全く無傷の防衛陣地が構築されていることに驚いた。
マハルにより、素晴らしい手際の良さで、夥しい瓦礫を利用して作られた防御陣地は、バイバルトが指揮を任せられた。
マハルは更に森の奥にある、大要塞の本陣でもある地下の指揮所と、半地下の要塞部分を指揮することに決まった。
人間の兵士たちは驚き、急いで自分達の本陣へと戻った。
森の中まで進むことができない投石機の射程外にある、この防衛陣地をどうにかしなければならない、と伝えられたヴァレンシュタインは、驚き、相手を見くびっていたことを恥じた。