第三十二話 アルザーヒル・バイバルト前編
ニーライの侵攻妨害により時間は十分にあった。
第一軍五万は三千から五千の被害を出し、一時停止を余儀なくされ、妨害をかわした一団も、崩壊した楼閣群のある土手を越えた先に、堅固な防御陣が張り巡らされていることで部隊結集のために時間を要することとなった。
西方諸国連合軍全軍七十万弱の総司令官ヴァレンシュタイン卿はこれに対して、快速侵攻を諦め、その圧倒的兵力差を活かした飽和攻撃へと戦略方針を転換し、二日目午後から三日目夜まで、不眠での大攻勢をかけ続けることを決定した。
第一陣は10万にのぼり、出撃は正午から開始された。
ニーライは丘陵地帯の拠点を中心に粘り強い妨害を続けたが、敵兵の波を押し返すまでの力は無く、一旦の撤退を余儀なくされた。
ニーライは丘陵から近衛軍第一軍団五千名を全て防御陣地内部へ撤収させ、自身もこの拠点の中枢へと参上した。参上した先では防衛計画の立案も含めて、指揮を任せられたアルザーヒル・バイバルトが主導する形で慌ただしく動き出していた。
一日ぶりの再会にニーライは「お忙しそうですね。」となんとも緊張感のない声をかけ、対するバイバルトも「こっちは混成部隊だからな!エルフとドラゴニア、ランドノームなんかが喧嘩しないように配置せにゃならんのよ!」と豪快に笑いながら答え、すぐに麾下部将への通達を再開した。
バイバルトの采配で決まった防衛体制は、地上構造物がさっぱり無くなった楼閣群、その奥の盆地の奥にある地下要塞線、そこの地上部分を本陣として、手前に五重の瓦礫と柵を利用した、半円状の防衛陣三つ並べて配置するものであった。各要所の防衛には、前線から遠くなるほど少数精鋭の傾向になり、配置はバイバルトが率いる混成軍五万を構成する各血族の人数比に従うこととなった。
第一線から第二線までを獣人の三万が守り、第三線から第四線までを黒森族一万五千が守り、そして最後の第五線を竜人族五千が守る配置になった。
それぞれの部将にはバイバルトの指示を十分に理解できる者が重点的に割り当てられ、ニーライと五千の近衛軍は本陣の竜人五千名とは別に、遊撃部隊として独断で適切な行動を求められることとなった。
これはニーライ率いる戦ヒグマ騎兵がもつ爆発力を、敵との兵力差を補うための虎として扱い、また、戦線の安定的維持のために消耗をなるべく抑えて動かす戦力として捉えられているからである。
二日目の正午を迎え、敵軍10万が雄叫びを上げながら森の不安定な足場をものともせず進撃を開始した。土手の上の物見の兵士達は敵の夥しさに驚きつつ、その職務を全うすべく淡々とその兵力規模や装備などを観察していく。
敵兵は言わずもがな冬用に厚着をしており、常よりも重装備であることがわかる。また、森の中を素早く動く部隊は午前中の構成では見られなかった金ピカの鎧を着ている重装歩兵達であり、彼らは間違いなく東マネルワからの派遣軍一万である。先頭を走る大柄の戦士が軍団長を務めるカナンであろう。
東マネルワの戦士達一万にやや遅れて、雪辱を果たさんとするログリージュ王国軍が、虎の子の銃を扱う歩兵隊と彼らを守る重装備の騎士達を着々と進ませている。そして最後尾に、ログリージュ軍と比較しても戦意が高いことがわかる、恐らくは両国の精鋭を固めたのであろうブリテーナ王国とフランキ王国の騎乗している騎士に率いられた重装歩兵を率いて進軍している。
しめて10万の大軍は、ヴァレンシュタインの厳戒命令もあってか、やっと森林帝国への慢心を捨て去って挑もうとしていた。
バイバルトは、あれだけニーライに手酷く蹴散らされた先鋒軍の無様に戦意をおっことさなかった相手に感心しつつ、敵軍の変化は自軍にとっては正直な所不利に働くことであろうと冷静に分析していた。
敵軍十万が土手を洪水のように雪崩落ちるまで、森林帝国軍は全くと言っていいほど妨害することなく、人間の兵士達は拍子抜けした感触を覚えつつ、先鋒の悲劇を二度は味わうまいと全員が緊張の面持ちで進んだ。
淡々と守りを固めて敵の到来を待っていた帝国軍は、敵軍が配置を整えている間も沈黙を守り続けた。
敵軍は全軍の戦列を整えると、ヴァレンシュタインから気に入られたカナンが一番槍を務めるという話に驚いたが、カナンの覇気に満ちた姿に西方諸国の兵士たちも納得してしまった。
カナンは東マネルワ一万に勇壮な号令を発して、土手を滑り落ちるように進み、防御陣地の第一線へと突撃した。
突撃した一万は兵士ではなく戦士である。カナンの指示鋭く、獣人兵が柵や瓦礫の向こうから突き出す槍や、降りかかる矢の雨を屈強な男達はその腕に誇る丸い金属盾で跳ね返し、時にはいなし、長年の訓練を共にしてきた、戦うことで国に支えてきた仲間との連携も素晴らしく、散らばっていた一万は各方の防御柵の中でも守りの薄いところを見つけ出すと、そこへと密集し、あっという間に張り付いた。
しかし、敵の勢いの凄まじさに気圧される獣人兵は皆無に等しく、そこには訓練された精兵達による、各々の分担を守ることを徹底した防衛部隊が立ちはだかった。
弓と長槍で応戦していたはずの第一線の兵士達は直様に分厚い剣や短槍、機械短弓などへと武装を転換して隊列を組んでマネルワの重装歩兵達を待ち構えた。柵に張り付いた戦士達はこれに予想外の対応をとった。
敵一万の急速に接近の報告に対して、バイバルトは当初少しの動揺も見せなかったが、間も無くそれは驚きに変わった。東マネルワの戦士達は仲間の盾を足場にして飛び上がり、柵を次々に越え始めたのだ。
少数ながらも柵を越えて現れた敵兵に獣人兵達は驚き、わずかな間思考を停止してしまった。飛び越えて戦士達は隙を逃さずに猛る獣の如く突貫して、次々に兵士たちへと斬りかかり始めたのだ。
マネルワの戦士の身長は西方諸国よりも平均的に高いが、それでも獣人族のように二メートルや三メートルを簡単に越すものたちばかりではない。しかし、身体的な不利を、むしろ小回りが効くという利点に変えて、走り抜けては続け様に浅く切り付けたり、槍を突き出して生傷を増やしていくのだった。
分厚い毛皮や表皮のさらに上から金属の板を重ねた鎧を身につけた獣人兵も、幾度となく突撃を繰り返すこの勇猛な戦士たちには手を焼き始めた。
戦士達は味方の奮戦に応えてあちこちの柵を飛び越えては、早くも拠点構築を目指して盾を構えて密集し、柵の破壊まで始めたのである。カナン率いる一万の素早く勇敢な戦いぶりに後続の人間の兵達も奮い立ち、士気を高くしながら攻め寄せた。
淡々と的確な防衛術を継続する各戦線から、敵は予想以上に士気が高く、また負傷に怯まない兵士が多いという報告が上がった。またまだ戦線が抜かれる予兆は見られないものの、主導権が向こうに移ってしまったのは否めない模様であった。
敵の攻勢の流れを、有利な状態に導いた東マネルワ重装歩兵一万は拠点構築に勤しみつつ、確実に目の前の柵を、弱いところから破壊しようと特段に屈強で大柄の戦士達だけを各部隊から抽出すると、これを各戦線に一定数配置して破壊活動の促進を狙った。
カナンにより敵の勢いが停滞することなく一時間余りが過ぎ、最前線である第一線の獣人達は第二線の獣人達との交替を、戦いつつも漸次完了させ、敵軍もカナン率いる一万の重装歩兵を中心に負傷兵の入れ替えと、矢玉の手配を滞りなく行った。
一部の柵が遂に破壊され、そこから千余の重装歩兵が突入した。陣地破壊のためだけに編成された大槌を背負う特殊部隊の活躍は人間兵士側の勢いを苛烈なものとしたが、一方で長い戦線に唯一開いたこの穴への兵の密集が進んでしまった。兵の密集により穴は塞ぐことができなくなったが、それとは別に人間側にもカナンの命令に従わずに、功を焦りここから吶喊しようと言う部隊が跡を立たなかったのである。
特にそれは聖銀教への信仰厚いフランキ王国の貴族階級、つまりは騎士達に多く、ログリージュ王国とは別の理由で、主には教義への熱狂的帰依により魔物の支配する森林帝国を許せぬという理由で、戦意に燃える彼らに率いられた部隊の統制はほぼ不可能に近く、また母国中枢の戦意の低さに比例して憤懣を煮詰めていたため、勢いの強さに関して言えば戦況を有利に導く要素でもあったがために、半ば統制を諦められた彼らがこぞってこの穴場へと集中することとなった。
フランキ王国騎士の攻撃はログリージュ王国とは対照的で、古典的な騎兵突撃の後に重装歩兵が突入するというものであった。穴場を塞ごうとする獣人の帝国兵と、穴を更に広げようとする味方の人間兵のどちらをも踏み潰すことを厭わない熱狂的な突撃を敢行したフランキ王国騎士の軍団の侵入は、良い意味では更なる有利を人間側に齎し、また強烈な打撃で局地的な勝利へと貢献したかに見えたが、大局的視点に鑑みれば、この蛮勇は帝国軍指揮官であるアルザーヒル・バイバルトの危機感を適切に煽ってしまった。