『ねーねー』
『たのしいよ?』
なんだか古い夢を見ていた気がする。それもとびきり古くて嫌な夢。逃れるように目を覚ますと、そこはトレセン学園の保健室だった。
だんだん意識がはっきりしてくるにつれ、何があったのか思い出してきた。どうやらちょっと頑張りすぎたらしい、まさかこの年で酸欠で倒れるとはねぇ……。ウマ娘の肉体を過信しすぎたか。
どうにも、走っている時は肉体と精神が乖離しがちだ。ウマ娘として走るよりかは、ウマとヒトとして走る、みたいな。
まだ少し痛む頭を抑えながら、ゆっくり身体を起こす。
「すぅ……」
「うわっ」
思わず変な声が漏れた。ぼさぼさの髪、よれたスーツ……あの女性トレーナーさんがベッド脇の椅子に座り、腕を組んだ体勢で爆睡していた。
「……何してんですか」
「ん……ぐぅ……」
「ここぞとばかりに睡眠取らないでくださいよ」
頬をぺちぺち叩くと、トレーナーさんは眠たげに目をこすりながらむくりと顔を上げた。
「……よく寝ました」
「おはようございます。えっと……いつからそこに?」
「15分前くらいですね」
「よく寝たとは?」
「久しぶりに惰眠を貪りました」
「感覚バグってますね。働きすぎじゃないですか」
「そんなに褒めても残業代は出ませんよ」
「うわ……」
普通に引く。トレーナー業の闇を見た気分である。
私のじっとりとした視線を意にも介さず背筋を伸ばしたトレーナーさんは、小脇に挟んでいたクリップボードを開いた。
「さて、まずはお疲れさまでした。具合は大丈夫ですか?」
「む……まだすこしぼうっとしますが、大丈夫です。トレーナーさんのお話を聞くくらいはできます」
「話が早くて助かりますね。それでは、あの日の質問の答え合わせといきましょうか」
至極まじめな表情で、トレーナーさんはその言葉を吐いた。
「結論から言えば、学費20人分を三年間で稼ぐことは不可能ではないと考えます」
「……ってことは!」
「ですが決して簡単ではありません。そこで私、ふたつ案を考えました」
トレーナーさんは頷き、二枚のプリントを渡してきた。そのうちの片方にはでかでかと『力こそ全て☆トゥインクル走破ルート』と見出しがつけられている。
「これはひたすらにトレーニングしつつレースで勝負勘を養い、G1で一着を取ることを目標にするルート。言ってしまえば王道ですが、しかして覇道でもあります。誰よりも強くあらねばならないわけですから」
「……そこまで強くなれるでしょうか」
「授業、食事、入浴以外の全ての時間を捧げて、ようやく勝負の舞台に立てるくらいの見込みですね。トゥインクルシリーズは化け物ぞろい粒ぞろい、絶対勝てるなんてことはありません」
プリントをじっと見つめる。たった一枚の紙には、狙うべきレースから日々のトレーニング案までが細かい字でびっしり書き込まれていた。
なるほど確かに王道だ、レース名に添えてある賞金額も派手なものばかり。
しかし……。大穴狙い、一点集中。G1一筋というのはいささかギャンブルが過ぎるようにも感じる。
そんな心情を見透かしたようにトレーナーさんが付け加えた。
「学園のほとんどのウマ娘はこのルートを選びます。それが実現可能な範囲であれ、無謀な試みであれ──彼女らはレースに勝つためにトレセンに来たのだから」
「それは……なんとも」
理解しがたいですね、とは言わなかった。ほかの生徒からすれば、理解しがたいのは私のほうだろうし。
別に共感してもらおうとも思わない。
トレーナさんに礼を述べつつ、もう一枚のプリントを見る。
「えーと、こっちは『山無し谷無し☆低空飛行ルート』……?」
「そちらのプリントは、言ってしまえば邪道です。勝つことを目標にしていません」
「えっ」
「Pre-OpからG1まで、その時点で賞金の高いレースに片っ端から出て
紙面に目を落とす。列挙されたレースは私でも知っているほど有名なものから、全く聞いたことのないものまで様々だ。
「他にもトップアイドルルートなど考えましたが、成功率の観点から除外しました」
「ですよねー。この見た目ですし、自分でも向いてないと思います」
「観客席からあなたを見つけるのは大変でしたよ。大きなリボンなんかつけても良いかも知れませんね」
「あはは……遠慮しときます」
これでも元男なので。必要ならやるが、あまり派手なのは勘弁してもらいたい。
などと考えていると、トレーナーさんが唐突に胸の前で手を合わせた。ぱしん、と乾いた音が鳴る。
「で、本題に入りましょう」
「本題? 答え合わせは、ちょうど今してもらいましたけど」
「その上での提案です。 ……リボンペルデーンさん、うちのチームに来ませんか」
それは予測できた答えで、予想外の勧誘だった。
「私はあなたが欲しい。あなたの目標を叶えるために。そして私の夢を叶えるために」
「……トレーナーさんの夢って、いったい」
トレーナーさんは笑った。それもとびきり獰猛に。おおよそ成人女性が浮かべてはいけないような笑顔で、彼女は心の内を明かした。
「私の夢は――総てのウマ娘の幸福です」
届かないと知ってなお、ヒトは星に手を伸ばす。
トレーナーさんの夢は世界平和と同じくらいの絵空事で、それをあまりにも本気な顔で語るものだから――
「良いですね」
「でしょう? 私の人生を賭けるに足りる、良い夢です」
乗ってあげても良いな、って思うのだ。この人は私の夢を笑わないだろうから。
きっと私もトレーナーも夢見がちなリアリストだ。叶うかどうかわからない熱に浮かされながらも、本気で成し遂げるために手段を選ばない。
そして――決断は迅速に。
合わなきゃ新しいトレーナーを探せば良いさ。今はこの一歩を踏み出すことが何より大事だ。
「役に立てるかは分かりませんが。よろしくお願いします、トレーナーさん」
「互いに利用するくらいの気持ちで良いですよ。ようこそ、チーム『アルコル』へ。申し遅れました、チーフトレーナーの
鈍色のトレーナーバッジが、ぎらりと輝いた。
「でもトレーナーさん、人のこと言えないですよ。なんですかこのネーミングセンスは」
「えっ。自信作ですが」
「これで……? ちなみにアイドルルートはどういう名前なんですか」
「『
「ダセェ……」
ウマを見に北海道まで来ました。これで表現により緻密さと精巧さが増すことでしょう。