テール「私は私。ここはここ」
タキ「助か…った?」
ラモ「あら、記憶喪失なのね」
理事長「採用ッ!!」
夜間に学生寮から抜け出す手段は熟知していた。同室のデジタル君には急な実験が必要になったからと言い繕い、寮長をはじめとするその他の大勢のウマ娘に目撃されないよう身軽な体を活かして窓から雨樋を通じて外に出る。寮から見えない場所までは街灯に照らされないよう暗い道を静かに屈みながら走り、その後は終電の近い駅までウマ娘の脚で走る。電車を乗り継いで到着したのは神奈川県横須賀市。目指す建物は横七海洋ビルだ。
幸いなことに横七は私がタイムリープした影響を受けずに前回と同じく大規模な世界企業として存在していた。唯一の違いといえばアフリカでの傭兵事業が盛んなことぐらいだろう。横七のおかげでアフリカ全体の政情が安定したことでコーヒー豆の価格が安定したとカフェが喜んでいた。横七にとってもきっといい実戦訓練だったことに違いない。なにせ最近の調査で横七が戦った敵を米露をはじめとする世界各国が全力で支援していたことが明らかになったのだから。
だが今はそんな海を越えた遠い大陸でのことは関係ない。まずは横七と接触できるかどうかが問題なのだから。
「どうしたんだい、お嬢ちゃん?」
横七海洋ビルに入るとすぐに椅子に座っていた目の下に隈があり少々不健康に見える痩せた女性から話しかけられる。ほかにいるのは受付の人だけ。横七が警備の手を緩めないことを考えれば受付嬢一人だけにすることは考えられない。ゆえにこの不健康な人も横七だろう。
「豊峰戦略室長に会いたい」
「!?」
「いいだろ、君たちの探し人とも関係しているんだ」
「・・・」
場を支配する沈黙。二人の動向に警戒するがどちらも武器を手に取る素振りは見せない。拮抗状態を終わらせたのは、少々間の抜けた機械音だった。
「1階です」
「どうぞ、豊峰戦略室長がお待ちです」
案内されて開かれたエレベーターに乗ると階を指定する前に扉が閉まり、動き出した。落下している様子はない。順調に上へ上へと昇っている。
「11階です」
「嘘を言うな」
上昇速度と時間を考えれば明らかな嘘を吐いたエレベーターの自動音声に驚きながら外に出ると3名の銃刀法違反者に囲まれた。
「確保しました」
向こう側を決して見ることができないスパルタンヘルメット越しにその中の人物が誰なのかはすぐに分かった。
「ダグラス君か。ということは残りの二人はアリス君にジェローム君・・・」
「何者だ!!」
銃口が額に直付けされる。ここまでになると使いこなせいトレーナー君の力では身を守ることはできない。
「酷いなー、君たちは。それが女学生に対しての振る舞いかよー」
「ほざきやがって…」
「何をしているのですッ!!」
凛としていて響く声。最後にこの声を聞いたのは横須賀の戦いの後のトレーナー君の邸宅だから十数年前であり、同時に2年後だ。やや怒気を含んだ声色に反応して瞬時に私に突き付けられていた銃口は外れ、姿勢を正した。
「豊峰横七戦略室長です。初めまして、アグネスタキオンさん」
「ああ。お久しぶり、豊峰さん」
周囲を取り囲んだスパルタンたちが私の発した言葉の意味を理解できていない中、豊峰さんだけは思い当たる節があったらしい。
「もしかして、『76』が?」
「なんだ、結構説明が簡単そうじゃないか」
「こっちです」
案内されたのは夜の横須賀市を一望できる部屋で、高級な応接セットで私を出迎えてくれた。
「アグネスタキオン、トレセン学園高等部。学業成績については問題ないが授業への欠席が多く、素行も悪い。先日担当契約を結んだ…」
急遽用意したのであろう資料はおそらく学園のデータベースをハッキングして盗んだのであろう私の通知表。一学園の生徒である私を判断するには適した資料であるそれだが、一昨日までの私と今の私は違う。十数年ぐらい違う。
「私は君たちが計画した『76』で未来からやってきた。タイムリープというやつだ」
「『76』はその性質上、血縁者のみのはずです。少なくとも現在に戸籍があるあなたができたとは思えない…」
「事実として君の名前を当て、そして声からスパルタン3名の名前を言い当てた。頭が可笑しくなった女学生にはできないことだろ」
「そうですね、信じます。それでアグネスタキオン。あなたは何をしにここへ?」
「簡単なことだ。テールが来た」
時間が停止してしまったのかと錯覚するほどに静まり返る室内。しかしそれを否定するかのように、豊峰さんの目は動揺していた。耳を澄ませば部屋の外からは絶望した叫び声。横七というエキスパート集団が統制を失うほどの重要情報を私はあっさりと伝えてしまった。
「害はない。今のテールは記憶を失っていて私たちをどうこうとは考えていない。ただ身体能力は変わりないから、何らかの理由で記憶を取り戻せば手を付けられなく可能性がある」
「そう…ですか…。一応、安心しました。今の横七にはテールを討ち取る戦力が無いので」
「トレーナー君…いや、ロイ君以外では太刀打ちできないか」
「ロイ…そういえば、提督はどうなのですか。『76』が発動したというなら、提督とも接触したはずです」
「ロイ君か…」
豊峰さんの目の色が変わる。横七にとっては希望でもある彼の近況が気になるのだろう。彼でなければテールを倒せないのだから猶更だ。しかし、私は彼と会えていない。
「すまないが、分からない。本来ならば一昨日の夕方に現れるはずだったが、来なかった」
「まさか、代わりに出現したのがテール…」
「そうだ。本来なら私の担当トレーナーはロイ・ヴィッフェ・ヒドルフであり、テールは討つべき敵だった。私が今、危惧しているのは、その…」
「提督が敵になること、ですね」
一昨日から考えていた最悪の未来。私がテールと組んでトレーナー君を倒す。ありえないことだと笑いたいが、トレーナー君とテールの立場が入れ替わったと考えるならあり得る話だ。タイムリープ前にトレーナー君らしき彼を討ったこともある。考えたくはないが、覚悟を決めなければならない。
「…先ほども伝えましたが、今の横七にはテールを倒せる戦力はありません。同様に、提督を倒す戦力も。万が一テールが記憶を取り戻したときに備えて護衛を送ります。遠目からの監視に尽きますが、無いよりはマシでしょう。それから、提督の捜索に一層尽力します」
「頼むよ。私も、テールの動向には注意を払うから」
「ありがとうございます。学園までお送り致します」
「ありがとう、頼むよ」
互いにできる最大限の努力を約束する。目指すところも、恐れるものも共通の私たちだ。協力していける。
ーー
横七の車に乗って学園まで戻る道中、遠い遠い建物の上に転がる何かを目撃した。青黒く蠢くそれが何だったか、わずかな時間で通り過ぎてしまったため、判断することはできなかった。