タイトルは某奇妙な漫画のスピンオフ作品で動かない男が高級ブランド店に行く話から。
エアグルーヴがメイクデビューを勝利した。
まあそうなるわなとしか言えないが、それでも世間は何かと騒ぎ、乙名史記者から取材の依頼が来ていたがスパンが短すぎるので蹴った。二カ月に一回のペースであの記者に会うのは疲れる。あの記者はテンションの上げ幅が異常に高く上がってしまったら手が付けられない。
次のレースは12月なのでまだ時間があり、今はレース直後で体を大事にということで最低限の自主練を除き原則トレーニング禁止とした。明日からはまた再開するので今日を存分に楽しんでほしいところだ。
だが、人に休めと言った自分は何をしているのかと言うと、仕事であった。仕方ないね、複数人契約だもの。だが今日はカフェは豆を見に行くと言って外出し、タキオンは実験計画を立てると言って部屋に籠った。そしてたづなさんから渡された仕事ももう終わるので今日は早々に俺も休める。
「これで、終わり」
1mはありそうな書類の山――半分以上が取材の申し込み――を片手にたづなさんのいる理事長室に入ると、知らない5人の女性がいた。2人は座って理事長と話し、残る3人は警護の人か、手を前で組んで立っていた。
「あー…出直しましょうか?」
流石に邪魔するのは忍びないのでそのまま後ろ歩きで出ようとすると、椅子に座っている女性の1人に話し掛けられた。服装からして明らかに軍人だ。
「待ちなさい、この話はあなたにも関係があるわ」
不思議な話だが、俺は何だか嫌な予感がした。理由は勿論ない。強いて言えばこの軍人と思しき女性は企み事をしていると思ったからだ。
「私はジェシー=アンダーソン。アメリカ陸軍特殊作戦課の中佐」
「ではお隣の方は?」
「アメリカのURAの会長よ」
何だか話しが見えてきたような気がした。URAの話し合いをしているところにこの中佐が乱入。本来の議題からかなりズレた話をしている。理事長とたづなさんは反対、URA会長も反対だが立場上何も言えず不機嫌なまま沈黙、軍人さんは自分の案なので賛成、といったところか。
「それで、話とは?」
「あなたがトレーナーとして初めての担当でデビュー戦を制したことは私の耳にも届いているわ。そこで、あなた、我が合衆国に来ない?」
「研修生として…よ。ミス=タヅナから次のレースまで時間がかなりあると聞いたから長くても三ヵ月程度の研修を受けないかと」
「研修、ですか」
「ええそうよ。あなたは新人なのにも関わらず、素晴らしい一歩を踏み出した。忙しくない今の内にアメリカで研修を積まない?きっと大きな自信と力になるわ」
アメリカ行きかよ。
普通ならいい話だ。女将校の言う通り時間に余裕はある。それに、アメリカの競馬…じゃねえわ、レースを学べば大きなアドバンテージが生まれるだろう。だが、そもそもとして横七はアメリカを嫌っている。この世界のアメリカが悪いわけではないのだが、前世?移転前?まあとにかく、あの世界で人間と深海棲艦が戦ったのはあいつも悪いがアメリカも悪かった。つまりヘイトが高いのである。
それに加えてこの世界のアメリカも黒い噂がある。某潜水艦の艦隊ではないし企業などによる影の政府云々ではないのだが、アメリカでは男性保護委員会が強い影響力を持っている。
どれ位かというと大統領や一大資本家、ハリウッドスター並で、委員長が何か言えば全国民が疑いなく信じ、それに基づいて行動するレベルである。
そして黒い噂とは、その委員会が男性を拉致監禁しているという噂だ。
情報部曰く、アメリカにおける誘拐事件の被害者の9割が男性でその内7割が何らかの理由で来ていた外国人。実行犯は様々な犯罪組織だが、その全てに必ず委員会の命令が下されていた。命令の内容は把握できなかったが、何か電文が送られていた事実とその時間から100%黒と判断できた。
つまりこの提案、乗れば3ヵ月の研修が無期限延期の強制不法滞在となる悪魔どころが詐欺に近い取引だった。そら理事長もたづなさんも、URAの会長も反対するわ。
「本来の話題は、日本への留学生との事前交流として誰が行くかを決めるものでした」
たづなさんが耳打ちをしてくれる。さては会長が不機嫌なのは提案が気に食わないのではなく電話等の遠隔で済む会議なのに違うことを話しあうせいで日本に来させられたことに腹を立てているな。
「我々としては今すぐにでもあなたを連れて行きたいのだが…」
右手が伸びてくる。
「自分を成長させてくれる、とてもありがたいお話だと思います」
まずは感謝。何を言うにしても感謝しておけば次の言葉が酷くでも緩和される。
「ですが、今回は見送らせてもらいます」
あっ、手が止まった。
「理由を聞きたいわ」
「一、担当している子に無断で出ていくのは自分としても許せません。せめて何か、相談や事前に言うべきです。それに、いくら今は余裕があるとはいえ大切な時期です。そんな時期を3か月分失うのは研修に行かない以上の損失です」
「ほーう」
「そして…ここは日本ですよ、後ろの皆さん」
左端の人が前に組んだ手を崩しスーツの中に入れている。
「よく見ているのね、あなた」
出てきたのは9mm拳銃。国内では立派な銃刀法違反である。
「中佐、あなたは正規の軍人ですが後ろの方はただのSPですよね?大丈夫ですか?」
「ここはトレセン学園よ。多少のことなら誤魔化しがきくわ。そうでしょ?」
「…」
ここで騒ぎを起こすわけにもいかないので、大人しく手を上げるしかない。
「連れていけ。会長様はどうぞご自分のお仕事をこなしてくださいね」
「ロイトレーナー…」
「明日までには帰ります」
「何を言っているの、早く歩きなさい」
黒服3人に囲まれて学園を移動し車に乗って空港へ。さらに車のまま輸送機に載せられる流れるような誘拐である。
「離陸したらあなたはもう日本に戻ってこられないわ。精々この空港の景色でも目に焼き付けなさい」
「そうした方がいいぞ。あんたも、長らく陸地は見られないんだ」
「強がりはそこまでにしときなさい。必要なのは遺伝子データ。あなたに空いた風穴の数は考えなくていいの」
「おお、怖い怖い」
輸送機が離陸し、空港を離れて東へと進んでいく。機内には理事長室にいた奴らが3人、この中佐が1人、コックピットに2人の6人が乗っており、全員が日本では見慣れないアサルトライフルを持っていることから輸送機はその程度の銃撃には耐えうる装甲であることが分かる。シートはエコノミークラスを彷彿とさせる配置で所狭しと乗せる客もいないのに並んでおり、同じ席に座り飽きたら別の席に座ることができた。まあ誰もやらないし俺に至ってはひじ掛けに手錠で拘束されているのだが。
フライト開始から数時間が経過し太平洋の半分を通過したほどになった。
「そろそろいいか」
「何か言ったか?」
「ああ。早く帰ろう」
「だからあなたはもう帰れないと…」
五回は聞いた話がまた始まると思ったとき、機内に騒々しいアラートが響き渡った。
「後方7時の方角より所属不明機接近中」
「無線でどかして」
「こちらはアメリカ海軍所属の輸送機。そちらの所属を問う」
無線でのやりとりだが脳内に埋め込んでいるチップが拾ってくれている。
「繰り返す。こちらは米海軍所属の輸送機。所属不明機に告ぐ、所属、姓名、飛行目的を述べよ」
「…返答ありません、どうします?」
「付近の基地に援軍を要請しよう。援軍到着までは奴の射線に入るな」
「射線って、撃ってきますかね普通」
「舐めるなよ。相手が何者か分からない以上、それくらいはやらなければならない」
輸送機が傾く。どうやら回避行動を始めたそうだ。そして援軍も付近の空軍基地からスクランブルで来るらしい。つまるところ…
「おっぱじめようぜ」
「だからさっきからあなたは何を…」
「所属不明機が接近中!!ぶつかります!!」
「乗員に通告!!ぶつかるぞ、何かに掴まれ!!」
輸送機に所属不明機が突っ込み、機体に大穴が空く。積んでいた非常食や水が気圧の変化によって外へ飛んでいく。
「撃て!!撃て!!」
流石、将校とでも言うべきか、状況判断は速く即座に発砲を指示した。全員何かに掴まりながら小銃を撃っているので命中はあまりだが、それでも謎の機体は飛び去って行った。
「被害報告!!」
「高度が低下しています!!墜落まで後5分…3分です!!」
「カップラーメンが作れるな」
この騒動の内に手錠は外した、そして開いた穴へと近づく。
「危ないぞ!!早く戻れ!!」
「じゃ、バカンスを楽しんで」
「待てーッ!!」
穴から飛び降りる。するとそこには先程の所属不明機とは別の所属不明機が後部ハッチを上向き、つまり機体をほぼ垂直下向きで待機しており、そのまま中に入った。
「提督を回収、帰還します」
「御苦労」
墜落する輸送機を後目に俺達は約束を守るため来させられた道を引き返した。
――
「先程入ったニュースを申し上げます。アメリカ海軍によりますと昨晩、太平洋上を飛行していた米軍輸送機が事故によって墜落、将校を含む六名が不時着によってけがを負いました。墜落直前に救難要請が発されていたことで救助は既に完了しており、全員無事とのことです。詳しい話によりますと…」
理事長室で流れたそのニュースを見る六人の顔は暗かった。
「sorry…私の力不足よ」
「…謝罪。止められなかった」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
「理事長、理事長秘書、米URA会長…」
あの後三人は彼女達のトレーナがアメリカに連れていかれたことを話した。その矢先に彼を連れ去ったとされる女とその一味が乗った飛行機が墜落したことを知らされた。
「トレーナーさんは生きてます、そうですよね」
「ああ、そのはずだとも。彼なら心配ない」
謎の確信があるのか、完全にバラけている輸送機の残骸を見ても平然としている二人に、エアグルーヴがどこか怒りを覚えかけたときのことである。
「帰投しました」
「え?」
平然とした顔で、彼は理事長室の扉を開けた。