サイレンススズカが金鯱賞出走一週間前だというのにトレーニングに来なくなった。以前からトレーニングに来ないで自由に走ることはあったがレース出走前は必ず参加していた。だというのに今回はトレーナー室にも顔を出していない。
いや、それだけなら良かったのかもしれない。私は練習コースで彼女を待っているとき、彼女がエアグルーヴと共に歩いているのを見たんだ。
彼女とエアグルーヴは友人。当然のことと捉えれるが、私は彼女達が不仲だったことを知っている。つまり仲直りしたということだが、それがどんな意味を持つのか。
彼女達にある共通点。それはどちらも私が担当していること。そしてあいつ…ロイに惹かれていること。エアグルーヴは私の元から去った後、あいつの下で活躍した。そしてそのことに彼女は嫉妬し、羨望の目で二人を見ていた。
私がいる場所は無かった。
――
彼女が金鯱賞でデビュー以来封印してきた逃げで勝利した時、私はもう私達の仲が自力では保つことができないと悟った。
だから今、こうして外部の力でこの関係を無理矢理にでも繋ぎとめようとした。
「分かりました。ロイトレーナーさんとサイレンススズカさんをお呼びしますね」
「お願いします。駿川たづなさん」
担当トレーナー以外のトレーナーがウマ娘に指導をすることは御法度、破れば停職処分になってもおかしくないことだった。以前エアグルーヴのときも同じことをやったが、あのときはエアグルーヴとの関係性の薄さから認められなかった。
しかし、今回は違う。彼女はまだ私の担当で彼の担当ではない。今ならまだ、取り戻せる。
「ロイトレーナーさんから返事がありました。数分かかるそうですが、来られるとのことです。それまで掛けてお待ちください。…義明トレーナー」
今ならまだ、やり直せる。
――
「注意!!これから、ここで行われる会話は全て記録させてもらう。内容によっては処分もあるので、各自発言は慎重に行う事!!」
「構いません」
「…」
理事長が裁判長的立場、あいつの隣に彼女が座り、私がその反対。理事長秘書が暴力沙汰にならないように監視という具合で話し合いは始まった。
「まず、事実確認から始める。先刻、義明トレーナーから学園に、ロイトレーナーがサイレンススズカに対し指導を行ったという報告があった。これは事実か?」
「いいえ、そのような事実はありません」
「サイレンススズカ、君からは?」
「はい。グルーヴ…エアグルーヴと一緒にトレーニングはしましたが、ロイトレーナーさんからの指導は受けていません」
「つまり、あくまで二人が共同で自主トレーニングをしていただけと」
頭に血が上っていくのを感じる。確かにこいつが彼女達と共に行動したり話をしている場面を見たことはなかった。だが、それではいそうですかとはいかせない。
「理事長、エアグルーヴはロイトレーナーの担当です。彼女を介してサイレンススズカに指導を行っています」
「それは君の推察だろ?それに、そう考えるのは普通だが、状況証拠的なものすらない。なのにそれを確実なものとして語るのはこの場には不適だ」
「…エアグルーヴだけで重賞を大差で勝利できる程、あの頃のサイレンススズカが心身ともに調整された状態にできるとは考えれません。トレーナーの介入が必要です」
「それはエアグルーヴを舐めてる。あいつは自分で共同自主練習を企画して後輩の面倒も見ている」
「その経験があっても、ずっと低迷していたサイレンススズカを勝たせるのは不可能だと言いたいのです」
「だが現実は不可能を可能にしたぞ?」
「あなたは…!!」
「静粛に!!ロイトレーナー。エアグルーヴ単独で事実上スランプ状態だったサイレンススズカを大差勝ちの復活を遂げさせることは可能か?」
彼の一言一言が私の腸を煮えくり返らせる。それを察した理事長が私を制して場を主導する。
「はい。結果論以外にも、元々サイレンススズカには逃げの才能があり、それを模擬レースや選抜レースで知っているエアグルーヴにはまずサイレンススズカを金鯱賞で逃げで走らせるというスタートに立つことができます」
「成程。スタート、ということは他にもあるのか?」
「ええ。逃げでの出走は才能を活かすというだけで、実力不足であれば無意味です。ですので次の段階として、金鯱賞を走り切るスタミナと逃げ位置を確保し抜けれないスピードが必要です」
「それなら私、オフとかでもかなり走り込んでいるので、自信があります」
「最後に、レースでの戦略。というよりは戦い方が分かっているかです。先行差し追い込みでは前にいるウマ娘をどう躱すかが問題になりますし、逃げでもいつ後ろから迫ってくるのかを考えて再加速する必要があります」
「そしてそれをやったのがエアグルーヴというわけか」
「はい。正確にはサイレンススズカの同室のスペシャルウィークも手伝っていたそうです」
「つまり、君の視点ではサイレンススズカの大復活はあり得た、と」
…。
「はい。先行や差しではなく、逃げで出走していれば今までのレースも勝ちを獲ることはできたと思っています」
「ふーむ、義明トレーナー。愚問だが、なぜ君はサイレンススズカを得意の逃げではなく先行や差しで出走させた?」
…。
「長引かせる為です」
「ん?それはどういう意味だ」
「一レースでも多く出走できるようにするためです」
「多く出走?」
「サイレンススズカの逃げは選抜レースとデビュー戦で既に研究されていることを感じました。それだと次も逃げなら前を塞がれて想定通りの走りができなくなる、だったらいっそのこと逃げを封じて別の走りをすることで勝利の目が出てくると考えたんです」
「悪いが、それと多く出走することがどう繋がるんだ?」
ロイでさえ身を乗り出して聞いてくる。この期に及んで人をいらだたせる。
「サイレンススズカは模擬レースでもずっと勝ってきました。それなのにいざ自慢の逃げで敗北すると、精神的苦痛で塞ぎこんでしまう。そう考えたんです」
「つまり一度の敗北を恐れて奇策をとった結果、一度の勝利しか知らなくなった、と」
「その通りです。ロイトレーナー」
「それは…」
静かで俯いていた彼女が言う。
「それは、間違っています」
「サイレンススズカ?」
「確かに、負けるのは嫌です。先頭の景色を見ずにレースが終わるのは、絶対に嫌です。ですが、トレーナーさんとならその苦しみも乗り越えれると信じていました。立ち直れると信じていました。なのにあなたは、私を信じないでそんな風に決めて」
「サイレンススズカ…」
「嫌いです!!契約も破棄します」
「そんな!!私はあなたが少しでも長く現役生活を続けれるように考えて…」
「去年は一年間、ずっと苦しかった!!そんなのこっちから願い下げです!!」
「2人とも落ち着いてください!!」
理事長秘書が私と彼女を席に無理矢理座らせて場を落ち着かせる。見れば彼女も息を上げており、互いにヒートアップしていたんだと分かる。
「…私は、本日をもって義明トレーナーとの契約を取り消してロイトレーナーと契約します」
「サイレンススズカ!!私はあなたが本当に大切だから、一日でも長くターフの上を走らせたいから、やっているのよ!?これからは私も改めるから、だからそんなこと言わないで!!」
「無理です。…ごめんなさい」
「そんな…」
理事長秘書が契約解除と契約に必要な書類を棚から出している。
「サイレンススズカ、俺は義明トレーナーほど優しくないぞ?」
「承知の上です」
「もし俺が君の担当になったら、既に研究されている君の逃げで戦うことになる。分かっているのか?」
「覚悟の上です」
「そうか。義明トレーナーが君をターフの上で生かし続けるのだとしたら…俺は君を、ターフで殺す」
「…期待しています」
「そんな、スズカ…」
「ロイトレーナー、ここでの会話は録音していると…」
「ならば、改めて言います。ロイ・ヴィッフェ・ヒドルフはサイレンススズカを、ターフの上で殺します」
「…」
クソ野郎の言葉に、理事長も眉間を押さえている。
「実際問題、義明トレーナーはサイレンススズカをターフの上で現役生活を続けるために精神的に殺しました。なら俺は、彼女の精神を生かして、その現役生活を終わらせます」
「…理解した。サイレンススズカ、君の新しいトレーナーはこう言っている。学園としては当人の意思を尊重したいが、撤回はないな?」
「はい」
「分かった。必要欄に記入しておいてくれ。後はこちらで処理する…」
「ありがとうございます」
「それと、義明トレーナー」
「何です…」
彼女まで奪われて、意気消沈していたところに理事長が差す。
「君はこれで担当がいなくなった。担当トレーナーを求めているウマ娘は多いが、今の君には辛いだろう。だから、新学期まで休職とする」
「そうですか…」
「苦しいとは思うが、心を入れ替えてまた頑張ってくれ」
「はい…」
契約解除に必要なことを記入して、トレーナー室に戻る。処分しないといけないものが多過ぎる。
「時計の針は、戻ってはくれないか」
デビュー戦を勝利した時に撮った記念写真を私は破いた。